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忌み子と彗星  作者: ずおさん
第三章:失われし伝承
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番外 エル編 一話 愛しき二人

「別に海に飛び込んで自殺しようなんて思ってませんから、あなた方はそんなに張り付いていなくてよろしいのですよ」


 ぼんやり海を眺めながら、背後に控える護衛役の兵士たちに声を掛ける。


「いえ、エインクラネル王女殿下。恐れながら、我々はあなた様を護衛するため遣わされた身。御身をお守りすることが任務でありますから、おそばに侍る無礼、何卒(なにとぞ)お許しください」


「はぁ、好きになさい」


 私はため息交じりの言葉を投げつけた。

 小さく「はっ」と言ったきり、兵士は再び沈黙した。この者もきっと心の中では笑っているのだろう。

 やけにあっけない冒険の幕切れだと、帰国の船上で自らをせせら笑った。



 あんなドラマティックな逃避行をやらかしたのはたったひと月足らず前のこと。なのに今さらどの面を下げて戻ればよいのか。王宮の連中のあざ笑う姿が目に浮かぶ。


 ディルと並び、もはや王家の厄介者になりつつある私に、王宮での居場所などない。


 戻ったらすぐに見合い話でも来て、あっという間の婚約、輿入れが待っているだろう。

 別の新たな鳥かごに押し込まれ、晴れて私は王宮から逃れられる。

 よかったじゃない。あなたの願った通りよ、エインクラネル。


 あれからディルとは喧嘩別れのようになってしまった。私の態度が、お姉様にあのような行動をさせたのだと、涙ながらに罵られた。そのまま彼女は振り返ることもなく、サルヴィオさんやエドワードと共にミッドフォードの王都、フランプトンへと向かった。


 返す言葉もない。私の発した有形無形のメッセージが、明確にお姉様への拒絶を示していたのだろうことは、人にどうこう言われなくてもわかる。


 私とてあのような別れ方をしたくはなかった。けれど仕方なかった。




 フレデリック兄さま。

 フレデリック・クリス・フォン・リンブルグランド。

 リンブルグランドの第二王子。五つ年上の、とても。とってもやさしいお兄さま。


 私は他の三人の王子とは折り合いが悪かった。女のくせにずけずけ物を言う私が、他の兄さま達はお気に召さない様子だった。


「十五になったらさっさとどこかの貴族に嫁に行け」


 まるで厄介払いをするように言う兄さまも居るなか、フレデリック兄さんは違った。


 兄さんは二人だけの時は、私のことを“エル”と呼んでくれた。そして私は“フレディ兄さま”と呼ぶようになっていた。


「エルの好きなようにすればいいんだよ。結婚なんて、むりやりしたくないしね」


 そんなこと、僕の立場で言ったらまずいかな? 私の頭をくしゃくしゃ撫でながら兄さまは笑った。


 それは子供の甘い初恋だったのかもしれない。


 たとえば鍛錬(たんれん)の時の凛々(りり)しい表情にドキリとさせられ。それが終わったあと、私が差し出す冷たい飲み物を受け取ってくれたときの、照れたように笑うチャーミングな表情に胸が熱くなった。

 中庭で近衛の者たちと競技に夢中になる姿。

 庭の東屋でひとり、物憂(ものう)げな表情で本を読まれる姿。

 気付けばいつも、フレディ兄さまを目で追っていた。


 私たちが仲良くしているのを快く思わない人たちがいるのは、何となく気づいていた。私は第一婦人、王妃ヴィクトリアの娘。フレディ兄さまは第二婦人ナターシャ様の息子。

 年頃に近づくにつれ、お会いできる日は少なくなっていった。


 そんなことがあってか、お会いできるわずかな時間が、ますます私にとっての至宝となった。フレディ兄さまはどうお思いでいらしたかはわからないけれど、きっと私と同じように想ってくださっていたと、今でも信じている。



 幸せな日々は長く続かない。


 私が十二歳の誕生日を迎えた翌週、国の北部で魔族との紛争が起こったと、王宮に知らせが入った。


 あの日、遠征に出るという兄さまを、たかだか十二歳の小娘に、止められるはずもなかった。

 ただ「ご武運を」と、笑って見送るしかできなかった。兄さまが笑顔で手を振り返してくれても、いやな胸騒ぎが消えることはなかった。


 結局、胸騒ぎは正しかった。

 兄さまが発たれてから二週間後、北からの早馬が王城に着いたと聞いた。私は謁見の間の控え室に忍び込み、扉をそっと開いて中の様子をうかがった。


 漏れ聞こえてきたのは、フレディ兄さまの部隊が全滅したとの知らせだった。私は思わず扉を開き中に躍りこんだ。


「そんな! フレディ兄さまは!? 兄さまはどうなったんですか!?」


「こら、エインクラネル! なぜここに。控えよ!」


 ベルナルド兄さま――第一王子で私の実兄――がたしなめる。


「どうなんですの! 兄さまは無事なんでしょう!?」


 ベルナルド兄さまの声を無視して私は通信兵に言い募る。

 防具もあちこち傷がつき、すっかり汚れたみすぼらしい格好のその通信兵はその顔を伏したまま、息を継ぐのもつらそうだった。でもそんなことは些末なこと。

 それより早く話して。フレディ兄さまが無事なことを、早く。


「フレデリック殿下以下、北天騎士団八十余名。っ、ウィゲンシュタイン北方の森にてエルフの部隊と交戦。ふ、奮戦空しく全員戦死され、殿下も残念ながら……。恐れながら最後は殿下自ら先陣をきって敵に突撃。……み、見事な最後で、ございました」


 玉座の向こうで、わっと女性の泣き叫ぶ声が聞こえた。おそらくナターシャ様だろう。侍女が数名駆け寄り、控えの間に連れ出されていくのが視界の端に見えた。


 そんな。フレディ兄さまが、戦死。あんなに強くて優しい兄さまが。死んだ? なぜ?

 ぐらりと視界が揺らぐのを感じた。なぜあのようなお方が死ななければならない?

 ……そしてお前。おまえはなぜ。


「で、お前。おまえはなぜここにいるのだ」


 冷ややかな私の問いかけに、通信兵はきょとんとした顔で私を見上げた。許可もされていないのに顔を上げるとは、無礼な奴だ。


「エインクラネル。陛下の御前であるぞ、控えよ」


 ベルナルド兄さまがまた口をひらいた。うるさい、ちょっと黙ってて。


「なぜおまえは戦わなかったのだ」


「わ、私は、殿下の命を受け、この知らせを届けに」


 バカみたいな顔をして。なんでアンタが身代わりにならなかったんだって聞いてんのよ。


「もうやめんか!」


 ベルナルド兄さまが私の肩に手を置いた。それで更にカッとなって、兄さまの手を振り払い、通信兵を指さしながら尋ねる。


「なぜ! お前が! 殿下の代わりに突撃すると言わなかったのだ! 答えよ!!」


「やめんかエインクラネル!! おい、誰か連れていけ!」


 ついにベルナルド兄さまは、私を実力行使で部屋から排除することにしたようだった。


「離して! はなしてよ! どうしてよ、なんでお前が生き残って、兄さまが死ななければいけないのよ! あんたそれでも兄さまの家来なの!? 答えなさい! 答えなさいよぉぉっ!」


 二人がかりで脇に手をまわされ、引きずられるようにされながらも、部屋を出るまではと通信兵を罵倒(ばとう)し続けた。彼は床に視線を落とし、小刻みに震えているようだった。

 でも私の罵倒なんて大したことないでしょ。それがいやならフレディ兄さまをかえして。


 そして引きずられていった私は、そのまま自室に閉じ込められた。


 それから幾度か、捜索隊が出されたと聞いた。結局生存者はおろか、装備すら見つからなかった。せめて装飾品の一部でも見つかれば、あきらめもつくのに。


 見つからない限り、どこかで実はお命をつないでいるのではないかと、淡い期待を持ってはため息をつく。そんな日々が続くうちに私は十三歳となった。



 そんなことがあったのに、どうしてエルフなどと仲良くできようか。


 お姉様。強くて凛々しくて、おちゃめで。エッチなことにはからきしで。

 ご飯とお風呂が大好きで、でも歌はとってもへたくそ。人付き合いもへたくそ。

 そしてとてもやさしいお方。……兄さま同様、愛しい方。


 でもエルフの血がそうさせていたのかもしれないと知ってしまったら。


 私はあなたを愛したい。けれど愛せない。

 お兄さまを奪った、森の悪魔の血を引く人を、私が愛するわけにはいかない。



「殿下。そろそろ陽も落ちます。外は冷えます。お体に障りますので、船室にお戻りください」


 ふいに護衛から声がかかって我に返った。気づけば日はとっくに暮れ、夕闇がすぐそこまで忍んできていた。甲板の柵をそっと撫でる。うっすらと湿り気を帯びていた。


「わかりました。お部屋に戻ります」


 船室への扉へと向かうと、数歩遅れて護衛の兵が後に続く。


 お姉様。あなたが、ただの忌み子だったなら良かったのに。

 そうすれば、私が一生おそばにいて、お守りできたものを。


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