第五話 バレて吐きだして泣いて
アレク……アレク……
う、ん。誰? シスター? まだ起床時間じゃないよ……
アレク……おい……おい!
うーん、わかったよ、わかった……起きるから
「アレク! おいしっかりしろ、アレク!」
夕日が見える。
それが天井の明かりだと気づくのに少し時間がかかった。
視界がかすむ。ここ……どこ?
「くそ、出血がひどい。おい、服を切るからな!」
え、服……え!? 服、切るって言った!?
急に現実に引き上げられた僕は、瞬時に状況を理解、させられた。
で、身体じゅうすんごく痛い。もう一度気絶しそう。
「や、あ、だめ。やめてっ……つっ!」
でも服を切られるのだけは勘弁してほしい。それは、やめて。
手で抵抗しようとするけどダメ。全然動かない。力が入らない。
「そんなこと言ってる場合か! 後で服ぐらい買ってやる!」
そうじゃない、服がダメになるのは確かに少し、いや結構もったいないけど。そんなことよりも。
そうやって逡巡しているうちにおじいさんが遠慮なしにハサミで切り開いていって。
「や、や、や。 だめ、い、いやっ! う、ごほっ」
そしてついに肩口まで切り開かれ、血と埃にまみれた服が取り除かれ。
胸周りが空気に触れてヒンヤリした。……ああ。
「ん? あ、アレク……お前……」
外傷を確認しようと視線を落としたおじいさんが、すぐさま僕の外見に違和感をもった様子だった。
やっぱりわかりますか。
はい、今までだましていてすみません。おじいさん、周りのみなさん。
「女だったのか……」
「えっと……女でごめんなさい……へへ。っつぅ……」
緊迫した中に、何とも言えない雰囲気が一瞬流れて。
気を取り直して傷ついたところを確認したおじいさんの魔法が的確に効果を発揮して。
体はきれいに修復された。ほくろの位置まで正確に。
いっそのこと、胸ももう少し縮めてくれても良かったのに。
ホント、魔法さまさまだね。いっそのこと、男に変えてくれれば楽なのに。
……どうして僕、女なんだろう。
◇ ◇ ◇
「女は穢れだ。わが司教にはふさわしくない」
興奮気味な司祭に粗末な服をはぎ取られた直後、吐き捨てられた冷たい一言は決して忘れない。
着ていた服を乱暴に投げつけられ、踵を返した司祭の後ろ姿を見た僕は、ほっとした半面、どこに行っても要らない子なんだとがっかりしてしまった自分に驚いた。
それでも『人手不足』は深刻だったようだ。
普段から男の子のような恰好をさせられ、髪も短く切りそろえられた。話すときも「私」でなく「僕」と言えと。そして『儀式』に参加するよう命じられた。
ただ『代替要員』の僕は、もっぱら身分が下の人たち用。
幸いにも”敬虔な信者”であるアイツらも穢れを得ることを極端に恐れていたから、最悪の不幸に見舞われることだけはなかったけど。
蛇のように這いまわる舌も、ぞわぞわとまさぐる節くれた指も、蕩けた肉塊の表情も、とてもとても不快で。目をそらし、唇をかんで耐えた。
泣き叫ぶ姿を見たい様子で、道具で打ち据える奴もいたけど、死んでも声は出してやるもんかって必死に耐えた。
これ以上不幸になって、奴らだけが喜ぶ姿を見るのだけは耐えられなかったから。
そうやって毎日あざを作って、あちこち痛む体を引きずるようにして粗末なベッドに潜り込む。そんな日々が五年は続いていたと思う。
そんな中、今は名前もよく覚えていないけど、一時期、ほんの数週間。弟のように可愛がっていた男の子がいた。すごくかわいい子だった。
そんな子、あの司教が放っておくわけがない。
ある日すっごくきれいな服を着て、司教の隣を歩く彼の姿を見たのを最後に、ぱったりと見かけなくなった……あの子は今頃どうしているのか。
女は穢れ。そういい聞かされ続けて育った。『忌み子』で女など、何の役にも立たないただのお荷物なのだ。だから女であることを隠さなければいけない。そうしないと、生きていけないから。
◇ ◇ ◇
そしてすっかり元気になった今。
おじいさんの前で正座して固まっている。手には蜂蜜を入れたホットワインを握らされている。
湯で髪や体を清めたのでさっぱりとしたはずだけれど、今度は冷や汗が背中を伝って気持ち悪い。いや、そもそもこの不快感の原因はそれではない。
緊張しているのだ。これは吐きそうな方の気持ち悪さだ。
今まで見たことないほど不機嫌な表情で、おじいさんは睨みつけてくる。
まずい。目が見れない。仕方がないからさっきから、床板の年輪をずーっと目で追ったり、手の中のゆらゆら揺れるホットワインをながめたりして現実逃避を図ってるんだけれど、全然効果がない。やはり女だということを隠していたからなのか。
泣きたいのはやまやまだけれど、泣いても何も変わらない。
埒があかないなら、いっそのこと勇気を出して自ら口火を切るしかない!
「あ、あの」
いろんなものを振り絞って出した言葉は。
「体調は」
そんなおじいさんの言葉でかき消された。
「どこも、痛まないか。感覚は今まで通りに戻っているか?」
おじいさんの静かな声が心に染み入ってくる。
途端にざわついていた心が落ち着きを取り戻す。……不思議。
「あ、うん。大丈夫。……ありがとう、やっぱすごいね、おじいさんの魔法」
「なぜ」今度は眼光鋭く詰問する声色に変わった。……前言撤回。
「なぜ身の丈に合わない相手と戦った? 相手はなんだ」
「……ワイルドボアだよ。二匹いるとは思わなくて。小さいほうは倒したんだけど、大きいのにやられちゃった。危なかったけどすぐに野犬の群れが入ってきて、そのドサクサに紛れて逃げられた」
所々あいまいな記憶を手繰りながら答えてみた。多分あってる。
「それでか。門の近くでぶっ倒れたお前を追ってきたのか、遠巻きに犬が数匹いたそうだぞ。今度門番にお礼に行ってこい。血相変えてお前をここまで運んでくれたんだからな」
そうだったんだと、いつもからかってくる浅黒のおじさんに思いをはせる。
今度ワインでも持ってお礼に行かなきゃ。それにしても集団の犬は怖い。
「で、だ」
「ひゃいっ!?」
びっくりした。きっと正座しながら数センチ飛んだ。
「なぜ偽っていた? いや、なぜ女であることを隠していた?」
「えーっと……女だって知られたら、追い出されるかと思って……」
「なぜ」
「だって……役に立たないから」
幼いころのトラウマが突き上げてきて吐き気が起こるのを何とか抑え込む。
おじいさんは心底あきれたように深く息を吐くと、げんこつを僕にくらわせた。……すごく痛い。
「はぁ……で、名前も偽名か?」
「いたい。……あ、えと。本当はアレクシアっていうの」
「アレクシア。……はは、まさか女神の名と同じとは。はは!とんだ皮肉じゃな!」
そこでついにこらえきれなくなったのか、おじいさんは大声で笑いだした。
内心ほっとしたけれど、しかし人の名前を聞いて笑うというのは失礼だとおもう。
でもそうだ。そう思う。神に愛されていない自分に、何の冗談って思った。
女神と同じ名前なんて。
女神アレクシア。豊穣と幸運の神。食いっぱぐれないようにだろうか。
「せめて名前だけでも……と、思うたのかもな」
「え、どういうこと?」
「能力で祝福されないのなら、せめて名前ででもお前を守ってほしいと、せめてもの思いじゃった……のかもな、と思うてな」
それは、違う。それならば。
「そ、そうなら。なんで捨てられたの?」
そうだ。どうして大金を払ってまで、修道院に入れなければならなかったのだ。
厄介払いをしたかったからではないのか。
そうでないなら、なぜそんな名前を付けた。
家庭としての思い出も、ぬくもりも、においさえも与えてくれなかった。顔も見たことないような両親に対し、もう数えきれないくらい繰り返した言葉を、今日もまた繰り返す。
「それはワシにはわからん。何か事情があったんじゃろうな。じゃがな」
と言いつつおじいさんが頭に手をかざしてしたので思わず首をすくめる。想定した衝撃はなく、今度は優しく頭をなでながら。
「ワシはその名前、とても良いと思うぞ。優しく、可愛い、天使みたいなお前にな」
「え、あ、……ありがとう」
そんなに褒められ慣れてないので、とても恥ずかしい。
「アレクシア。男じゃろうが女じゃろうが関係ない。もうお前はワシにとってのかわいい子供じゃからの、その……あまり心配させんでくれ」
「そんな、おじいさん」
「まずはよう生きて帰ってきてくれた。もう無茶するんじゃないぞ?」
うん。うん。やだ涙が。
「ありがとう、ごめんなさい。おじいさん」
頬を伝う涙をぬぐって、今できる精いっぱいの笑顔で答えた。
おじいさん。
どん底の出口のない闇の底から。
日の光が当たる居心地のいい場所に引き上げてくれて、ありがとう。
こんな何も取り柄のない女の子を、子供だとまで言ってくれて。
頼れる人もないこんな世界で、安心できる身寄りになってくれて、ありがとう。
生まれてきて、きっといま一番幸せです。
本当にありがとう、おじいさん。
……ううん。
ありがとう、おとうさん。