第五十三話 天馬が翔ける日
スザンナの試験が終わり、協力を得られることとなってから、準備に追われる毎日となった。今日もエドは武器の増産の指揮に、ディルは回復薬などの調合に。
そして私は円卓を囲み、スザンナと話している。避難民の受け入れなどについてだ。
このところ王城の中はあわただしい。
スザンナは主として兵器開発と王都周辺の警備を担当しているのだが、それ以外の王子、王女に危機感があまりなく、準備が遅々として進まないことに、少なからずいら立ちを抱えていることは、私自身薄々感じている。
難民に関しては第二王子の担当だったはずだが、難民など来ぬと、自らの領地の防衛強化に躍起になって、最近は王城にも寄り付かないらしい。
「だからそんなのは所詮、夢物語よアレクシア。難民をすべて受け入れるなど」
「そうは言っても、いざ戦いが始まったら相当数の難民が東大陸に押し寄せるわよ。望まずともね。そうなってからでは遅い、と言っているの」
「言いたいことはわかる。でも、私が言うことも分かるはず」
「国が持たない、と? せいぜい半年よ? その間に彼らは新しい畑を開墾し、自ら食料を調達し始める。なぜ」
「そこまで分かってるなら、次なにが起こるかも分かるでしょう? 自治権の主張、自治領要求、暫定政府樹立、領土の割譲要求……主張できるほどの数を受け入れてしまったら、……内戦が起こるわ」
「受け入れを拒否するにせよ、ミッドフォードにも海岸線はあるわ。放置はでき」
「わかってるのよそんなこと! でもリソースは限られてて。難民政策にまで手が」
私の言葉をさえぎってスザンナが叫んだ。そして頭を抱え、顔を伏せる。
「……いっそのこと、全滅してもらったほうがいいのだけれど」
顔を伏せたまま。そっと、ささやくようにスザンナがいった。
「スザンナ……今の言葉は聞かなかったことにしておくわ」
「うん、そうしてくれると助かる……」
立ち上がり、彼女の背後に回る。十六歳。この細い肩に乗せるには、今の課題は重すぎる。出会ったときから、なんだか小さくなってしまった気さえする。
「最近、少しやせた? 大丈夫?」
彼女の肩にそっと手を添える。それにスザンナが手を重ねる。
「大丈夫じゃないっていったら、代わってくれる?」
振り返り、彼女がはかなげに笑う。こんなに見るからに弱弱しいスザンナを見たのは初めてだった。
思わずそっと抱きしめる。
「ア、アレクシア?」
「大丈夫、大丈夫。あなたはとてもよくやっているわ。あなたは間違っていない。誰もあなたを責めやしない。あなた以上にできる人など、ここにはいない。悩むだけ無駄よ、あなたの信じる道を、信じる方法で突き進みなさい。そういう人に、人はついていくものよ。だからスザンナ」
彼女の脇に回り手を取って、彼女の顔を覗き込む。
「元気をだして。そんな不安な表情の人には、人はついてこないわ。もっと自信もって」
すると少しだけ元気になったようで、多少血色が良くなった彼女が笑った。
「ありがとう、少し元気出た。……私が踏ん張らないと、いけないもんね」
廊下に出ると、行く方向が逆なのでここでお別れになる。
「それではさっそく、工房を見て回るから、ここで!」
彼女はピシッと敬礼をし、歯切れよく宣言した。と思ったら、急にくねくねしだした。
「あの、アレクシア。……一つお願いが」
「なに?」
「もう一度、ギュってして? さっきみたいに」
え、と思って見下ろした先には不安げな表情を浮かべたただの少女であるスザンナがいた。
「ん、いいよ」
にっこり笑顔を返すと、スザンナはにかんだような笑顔を返してくれた。
そっと優しく抱きしめる。そのまま頭をやさしくなでてあげると、子猫のようにすり寄って、私の背中に手を回してきた。
「大丈夫。あなたならできるわ、信じてる」
「……うん、がんばる」
少しだけ、こうしていた。しばらくしてどちらともなく手を離した。
「それじゃ、またね。ありがとう、アレクシア」
軽く手を振ってから軽やかにかけていく少女の背中を、ぼんやり見送った。
『天馬の変』が始まると予想されている日の二週間前。ディル、エド、サルヴィオさんとの間で話し合いを持った。
「提案というか、お願いがあるんだけれど」
私の声掛けに、ディルとエドは、真剣なまなざしで私に向き直る。サルヴィオさんは一歩引いてパイプをくゆらせている。
「お世話になった人たちを助けにいきたいの。まずは、レンブルグへ、おばさん達を、助けに行きたい。どうだろう?」
二人は一も二もなく頷いた。
「お世話になった人は、助けないとね!」
「僕も、ハナからそうするつもりでしたよ!」
二人の言葉に思わず鼻の奥がツンとする。
「あなた達……ありがとう。じゃあ、そうさせて」
「サルヴィオさんには、救出したおばさんたちが住める場所の確保をしてほしいのですが、お願いできますか?」
「ボルドの仲間ならワシの仲間じゃ。まかせろ」
エルは王城にいるから、たぶん大丈夫だろうということになったが、問題はエドの家族。当然その話題になった。
「ウチは貴族です。国を放り出して逃げ出せなんて言ったら父に殴られちゃいますよ」
そういって彼は肩をすくめた。そうだ。彼の父親は男爵。領地と領民を守るのが仕事だ。――たとえそれが絶望的な戦いであったとしても。
「なので代わりと言ってはなんですが、武器の類を送っておきました。何とか周りのものは護れるでしょう」
無理だ。エドの顔がそう言っている。少しは抵抗できるだろうが、おそらくは。
「そうか。……国を守るため。仕方ないんだよ、ね」
「そのために国から領地をもらっていたわけですからね。こういう時こそ働かないと!」
私の言葉に、へへっと口では笑っていたけれど、とても笑顔までは作れなかったようだ。それを指摘できるほど私も鈍感にはなれない。そう、きっと無事に切り抜けてくれるよね、と答えるのが精いっぱいだった。
「で、いつ出発するの?」
「すぐよ。できるだけ早く」
「こうしちゃいられませんね、すぐに準備しましょう」
その間にも魔法が使えない時間というのが増えている気がする。魔法で灯す照明が時折チラついたり、消えたりするからだ。
「いよいよ近づいてきたわね。大きな彗星が」
そういってお姫様――スザンナ王女はその端正な顔を引き締め、「気を付けて、アレクシア」と私たちを送り出してくれた。
ミッドフォードは東大陸の強大な国。いくら『天馬の変』で人族が魔法が使えないとはいえ、それなりの防備を整え、戦う武器を有する彼らに対し、容易に攻め入ってはこれないだろう。
そもそも魔族の目的が『住んでいた土地を取り返す』だけならば、東大陸までは攻め込まないはずなのだ。
「計画をより確実なものにするために、私を消そうとしていたのかもしれませんね」
彼女も豊穣祭の時ずいぶん危ない目にあったというのは、本人やディル達からも聞いた。
魔法が使えないものでも戦えるようにする。当初の開発目的はそうだったかもしれないけれど、誰でも戦闘に参加できるようにする武器の準備。この状況を一番敵は嫌がっていたのかもしれない。
「エドはできる子だって信じてたもんね」
私の言葉にエドは照れ笑いし、ディルはふふん、と胸を張った。人助けはするものだ。
その武器をいくつか分けてもらえた。カラクリの力で金属の弾を打ち出す武器だそうだ。魔法が使えない者が、道具だけで魔法のような攻撃ができるようにするカラクリ。これなら西大陸でも、エルとエドも何とか身を守ることはできるだろう。
西大陸には船で向かう。風の精霊で直接移動することも考えたのだけれど、やめた。理由は二つ。一つは一度に私を含め三人くらいしか移動できない点。もう一つはみんなを救って戻る際に、船が確保できるとは考えにくい点からだ。
翌日の昼にはミッドフォード西岸、フロックレーの街から船を出した。
風の精霊の力を使い、帆船は追い風を常に受けてどんどん進む。これから起こることなどがすべて妄想であるかのように、空も海も穏やか。ただ一つ、魔法が使えなくなる時間帯が増えていることを除けば。
はるか北にキラキラときらめくリンブルグランドの王都を見つつ、船をさらに西へと進める。陸に近づかないのは、この船の異常な速度を見られることを嫌うのと、少しでも時間を稼ぎたかったからだ。
その甲斐あってか、次の日の夕方にはレンブルグ王国の南岸の港町、フリエアの近辺までたどり着いた。手はず通り、街から離れた人気の無い入り江に船を隠し、馬車を下ろす。船は土の精霊たちにゴーレムの姿で見張ってもらう。
フリエアとヴィルバッハの間には峠が一つあるきりだ。距離は少しあるが、道自体は悪くない。今日は峠で野営する必要がありそうだ。
その瞬間は唐突に訪れた。
夕食をとり、明日のため早めに休もうと話しているとき、違和感を覚えた。それと同時にマジックライトの灯りが消えた。
いつもは周りでサワサワ落ち着かない精霊たちがおとなしい。いや、何かに気を取られているかのように皆同じ方向に注意を向けているかのよう。これが違和感の原因か。
私は胸さわぎをなだめつつ、彼らが気にしている方向。北の空を眺めた。北の方角を示す”ミチシルベ”。そのすぐ左に、見慣れない星が見えている。いや、星ではない。わずかに右上に筆先のようなものが見える。
「お、お姉ちゃん! 見て、街が!」
ディルの声に南を振り返ると、遠くにフリエアの街が見える。先ほどまで賑やかだったはずの街の灯りが、一つ、また一つと消えていく。すべての灯りが消えるまで、そう時間は要しなかった。やがて街は一面漆黒に塗りつぶされ、あと見えるのは星の輝きのみ。
いつものこと。住人はそう思っているだろう。けれどもこれから二か月近く、魔法の光は戻らない。
「うわぁ……きれい」ディルが見とれたようにつぶやく。光がないため表情はわからないが、気持ちは手に取るように分かった。それもそのはずだ。
空は満天の星空となっていた。人による光がすべて失われ、純粋な星の光だけが唯一残された光となっていた。小さく暗い星々が一斉にその存在を示し始め、夜空は一気に華やいだ気がした。美しい星空だ。たんに星空を楽しむだけだったなら、どれほど良かったろう。
もう一度北の空を振り向き仰ぎ見る。筆先でついっといたずら書きを足したかのような短い尻尾を持った星。
この星が全ての元凶。千年前もこの星のために、いったいどれだけの命が奪われたのだろうか。そしてその原因を作った人族の欲深さ。魔族の執念ともいえる、純粋なふるさとに対する渇望。
読者ファンアート(たぐまに様)
やるせない思いで、思わず天に手を伸ばす。きらびやかな星空に、私の右手が抜けたように、黒く塗りつぶしたように見える。爪の先ほどにも満たない小さなほうき星は、私の指にあっさり隠れてしまう。こんな感じで、手軽にほうき星を消せたらいいのに。
そのままぎゅっと右手を握り拳を作る。ほうき星は握りつぶせない。
ついに時が来た。始まってしまったのだ。
光の精霊を呼び出し、灯りを取った。ホッとした。大丈夫とは聞いていたけれど、精霊術の行使には支障がないんだ。実際に使えることに安堵した。あらかじめ用意していた薪を軽く組んで、火の精霊を呼び出し焚火を起こす。
”アレクシア”
ヴァイスが背後から声をかける。
「ええ……みんな。……始まったみたいよ」さすがに声が震えた。
「始まったって。まさか」ディルが無意識だろう、エドの裾をつかむ。
覚悟はできていたはず。けれど、それが今日だとは思っていなかったのかもしれない。
「『天馬の変』が、始まった」
自分に言い聞かせるように、つぶやいた。実感が一気にわいてきて、言いようのない不安感に押しつぶされそうになる。
不安を打ち消したい一心を隠しつつ、当初の打ち合わせ通りにヨルグに連絡を取る。会話が始まっても、いつもの軽口は聞こえてこなかった。
すでに彼は『天馬の変』が始まったことを察知していたようだ。予定通り彼は妻を、私にとっての母を救いに行くという。
”あ、あの……ヨ、ヨルグ”
私の言葉に、彼は反応した。
”なんだ、アレクシア。不安か”
“……大丈夫よね? 私たち、何とかなるよね?”
“正直わからん。少なくともお前ひとりは大丈夫だろうが。俺もクリスティーナを連れてすぐ合流する。それまでこらえろ”
”わかった。……か、……クリスティーナ王女をお願い”
まかせろ、と言ってヨルグとの会話は終わった。不思議なことにそれだけで心がずいぶん軽くなった。これなら何とか。
会話を終えると不安げに私を見上げるディルと目が合った。そんな目をしないで。ほら、エド。あなたも。
二人の頭をそっと撫でてから、やさしく抱きしめる。
「大丈夫よ、だいじょうぶ。私たちはうまくやれる。きっとよ」
ディルは気持ちよさそうに目を細めている。
エドは……っ!
「あなたはちょっとエッチな雰囲気だしてるから、もうダメ!」
「ええっ」突き放された格好のエドは情けない声を上げて。
「もうっ、バカッ!」とディルからは足を蹴られていた。
もしかしたら今日、初めてかもしれない。二人の笑い声が聞けた。
またしばらく聞けないかもしれないその声を、そっと胸の奥にしまって。
夜は精霊たちに守ってもらいながら早めに休んだ。
早朝ドルンズバッハの街に入った。街はいまのところ平穏を保っているようだった。
街の入り口に立つ、見慣れた門番のおじさんが私達に気づく。
「お? もしかしてアレクシアか!? 久しぶりだなぁ! 元気にしてたか?」
ここは変わらないな。私を暖かく迎えてくれる。ふっと頬が緩むのを感じたが、再会を喜んでいる暇は私達にはない。
「こんにちは、おじさん。久しぶり。元気にしてた?」
私はできるだけにこやかに、おじさんに話しかける。
騒ぐわけにはいかない。
残酷なようだけれど、全員を救うことは私達にはできないから。
第三章 完






