第五十話 為政と友情のはざまで
「あなたがアレクシアさん。お噂通り、お美しい方でしたのね」
王女スザンナの第一声は世辞から始まった。
王女の謁見の間にて、初めて見た彼女は、やはり王族らしい気品に満ちていた。
「ディルとは大違いね」といたずら半分で言った言葉に、ディルは悔しそうに睨み返す。
「でもディル? あなた――」
だがそれもつかの間、次の言葉で雰囲気は一変した。
「あなたはなぜここに、『半魔』など連れて来たんですの?」
耳を疑うスザンナの言葉にもう一度振り向くと、先ほどの気品あふれる表情はいずこかへ消え去り、冷淡な表情を、その美しい顔に貼り付けていた。
「え、なぜって」ディルが戸惑いの表情を浮かべる。
「なぜ敵である魔物の血を引く者を、ここに連れてきたのかと聞いています」
私を。正確には私の指輪を指差しながら、スザンナは畳みかける。
「その指輪。エルフの指輪ですわよね? その指輪は一族に連なる者しか身に着けられない祝福がかけられた品と聞いています」
彼女の言葉に、慌てて右手で指輪を覆い隠す。
「大使でもないあなたがいきなり、人族の本拠たる一国の城にそんなものを着けたままのこのこ来るなんて。この場で殺されても、あなた文句言えなくってよ?」
「わ、私そんなこと、全然知らなくて」
すぐに外して胸ポケットにしまう。エルフの血がここまで忌み嫌われるなんて、正直思っていなかったので驚いた。
その様子を見ていたスザンナは、「一応ディルの知り合いですから、いきなり殺しはしませんけれどね」とため息をつきながら付け加えた。
私に一瞥をくれたあと、彼女は再びディルに向き直る。
「ディル、少しは考えてごらんなさい。我々は魔族と戦おうとしているのですよ? なのになぜ、魔物と手を組んで戦わないといけないのですか? この方が裏切らない保証はどこにあるというのですか」
ディルの肩に手をかけ、諭すように言葉を続ける。みるみるディルの顔から血の気が引いていく。
「だ、だってお姉ちゃんとはずっとここまで一緒に戦ってきて……裏切るなんて、そんな」
「生きるか死ぬかなのですよ! 少しでも疑わしい要素があれば、疑うのは当然でしょう? いくら貴女の『お姉ちゃん』だとしても、『半魔』である事実は変わらない!」
「あの、スザンナ王女。アレクシアさんは貴国のヴァレンティン男爵の養女として、幼いことからレンブルグ王国で過ごしていました。なんの落ち度もなく過ごしてきたんです。何が問題なんですか」
たまらず、といった感じでエドも参戦してきた。しかしスザンナは眉一つ動かすことなく反論する。
「ヴァレンティン男爵。あの勇敢で我が国に忠の厚かったボルドの子だといっても、所詮拾われただけでしょう? わざと拾われるように仕向けたのかもしれない。魔物ならやりかねません」
続けようとしたエドは、そのあまりにも懐疑的な姿勢に唖然としたのか、立てた指を宙に彷徨わせながら言葉を失った。
「それに先日まで行方をくらましていたのでしょう? ここにだって、スパイとして潜り込むために来たのやもしれません。他所で何をしていたのか。ディル、あなた考えたことはありますか?」
「そ、それはエルフの里で新たな力を得るために」
ディルは苦し紛れといった感じで答える。
「エルフの住む里に行って新たな力を得てきた? 魔物の力をですか? 語るに落ちるとはまさにこのことですね。これから戦う相手と通じている者と、どうやって共闘できるというのですか、ディル?」
「そ、それは、私の仲間だから大丈夫。信じてほしい」
ディルは今にも泣きそうな表情で、それでも必死にスザンナに食い下がろうとする。
「悪いけれどディル。いくら幼馴染の貴女の頼みでも、それは無理。人でさえ簡単に裏切る世界で、どういう理屈で『半魔』を信じられるの」
「スザンナ。どうしてわかってくれないの」
ディルの必死の問いかけにも、スザンナは冷淡に首を振った。
「ディル。それは違う。あなたの言うこと、十分理解しているわ。その上で無理と言っているの。あなたの『お姉ちゃん』を受け入れることで私たちが、いいえ、この国が背負うリスクを、あなたは考えたことあって?」
「そ、そんな大げさな。お姉ちゃんはたった一人」
「ではもしそのたった一人の『半魔』が、魔法に頼らない武器の情報を手に入れた途端、その情報を持って魔族の下に走ったとしたら、あなたこの国を守れる?」
そしてスザンナは私を見る。
「そしてアレクシアさん。あなた、どうして戻ってきたの? あなたのようなイレギュラー、万人に受け入れられると、まさか本気で思っていたのではないですわよね」
「わ、私はただディルとエドともう一度旅を」
私はスザンナの射貫くような視線に、完全に気遅れてしまっていた。
「それは単に、甘えといいませんか?」
さらにスザンナの、容赦のない言葉はつづく。
コツ、コツ、とスザンナが部屋を歩き回る靴音だけが響く。
「あなたが抜けてから、ディルとエドワード。彼らがどんな思いをしたのか、考えたことはありますか? それに一人国に帰ったエル。本当にあなたと離れ離れになることを望んだとお思いですか?」
そしてひと際大きく靴が鳴り響いたかと思えば、スザンナは私の目の前に立ちどまった。
「あなたは、彼らから逃げたわけではないと、面と向かって言えますか?」
私に頭一つ背の低いスザンナは、不信感を隠そうとしないそのまなざしで見上げる。
本当はこんな状況、今すぐ逃げ出したいけれど、逃げてはいけないと思う。こんな程度であきらめてしまったら、もっと大事なことができなくなってしまいそうだから。
だからここは踏ん張る。戦う。両手をぎゅっと握りしめ、スザンナの目をまっすぐみる。
「私は、出自を知って、エルのお兄さんのことも聞いて、一緒にパーティーを続けることはもう無理だって思いました。だから一人離れた。けれどエルフの里で聞いたことは想像よりずっとひどくて」
スザンナは私の次の言葉を待つかのように、黙って聞いている。
「もう。家族を、仲間を、失いたくない。その思いだけで戻ってきました。故郷にはまだ私に良くしてくれたおじさん、おばさん、ギルドの仲間や街の人がいっぱいいる。そしてここにはディルとエド、国に帰っちゃったけれどエルもいる。そんな人たちを少しでも救いたくて、だから」
「口先だけでは何とでも言えます」
私の想いは、それでもスザンナには届かない。
どうすればいい。どうすれば、スザンナの心に想いは届く。気ばかり焦って何も思い浮かばない。
「もういいよ、お姉ちゃん。帰ろう」ディルがささやくように声をかけてきた。
「えっ」
「こんなやつと話しても無駄だよ。エドのことだって、利用するだけ利用して、用が済んだら体よく追い払うつもりだったんだよどうせ」
「ディル。だめよ、ここで帰ったら」
「なんで!? なんでお姉ちゃんここまで言われて黙ってられるの? お姉ちゃんだって、好きでハーフとして生まれたわけじゃない! それなのにこんな……」
ディルの言葉は最後は涙声になってしまって、聴き取れなかった。
こういう手合いは理詰めのほうがいいのかもしれない。
「ならば証明しましょう」
「証明? 何を? どうやって」スザンナは肩をすくめ、私に尋ねる。
「私が決して魔族の側につかないことを。私がつくとすればエルフ族以外にはないでしょう。そしてエルフ族は魔族には加勢しないと言っています。そのことを長老に話してもらいます」
「あなたの願いを、エルフの長が聞き届けると?」
「現在の長は、私の祖父に当たる方です」
そこでスザンナは初めて驚いたような表情を浮かべた。
そして私は風の精霊の力を借り、長老のユリトスを呼び出し、スザンナと会話させた。最初は驚いていた様子の彼女だったけれど、最後はにこやかに会話を終わらせた。
「ムジェール氏とのやり取りは信ずるに足るものと判断しました。エルフ族は動かないという件、信じましょう」
「それじゃあ」
「しかし、それはあなたが裏切らないという証明にはならない。可能性の一つをつぶしたにすぎません」
「あなた、ホントいい加減に」
ディルが気色ばむのをスザンナが手で制する。
「とは言え、このままでは私も材料不足です、困りました……」
そのまま人差し指を立てる。
「なので私から一つ――提案をしましょう。わが国に仇なす脅威を排除することに協力したならば。あなたの言い分。信じましょう」
「何をさせるつもりよ」もうすっかりディルは機嫌が悪い。
そこでスザンナは壁に飾ってある地図の下に歩み寄った。ミッドフォード全域を意匠を凝らして描かれたもののようだ。まず彼女は首都を指さす。そしてそこからすーっと左のほうに指を滑らせ、小高い山が連なる地帯のところで指を止めた。
「ここフランプトンの西にひろがる丘陵地帯に、旧国家の遺跡があります。そこに最近、魔物が住み着いて近隣の村を襲っている、ということで近々騎士団を派遣することになっているのですが……」
そこまで言うと地図に向けていた目線を外し、私を見た。
「私に魔物退治をやれと?」腕を広げてスザンナに質問した。
「我が国民を害する存在の排除を行っていただければ、信頼するための参考にはなりましょう」
その質問ににっこり笑ってスザンナが答える。
「参考ってあなたね、なんでそんなことお姉ちゃんがやらないといけないのよ」
もうここまで来たら、いちいち突っ込むディルを律儀だと思ってしまう。
「わかりました。やりましょう」
「そう、やりましょう……ってお姉ちゃん! 何即答してんの! 相手の規模も陣容も、なにも聞いてないうちから」
驚いたような表情で詰め寄ってくるディル。
「でも、せっかくのチャンスよ」
「でもじゃないよ~! あっちは軍隊出すって言ってるんだよ、それだけの規模なんだよ、無理に決まってるじゃない!」
ディルは私の手を取って必死の形相で止めにかかっている。
「大丈夫よ。私、強いから。たぶん」
「たぶんとか何言って、……あーもー、そういうこと言ってるんじゃなくって」
そこでディルは頭を抱えた。この子、こんなに物事考えるほうだったかな。
そんな時、スザンナがつい、とディルに近づき、彼女の手を取った。
「これが私の信じる道。国を守りつつ、貴女と貴女の友人の願いを聞き届けるための、為政者としてのギリギリのラインよ。わかって」
その言葉にディルはハッと顔を上げた。
彼女はディルの手を離すと言葉をつづけた。
「ディル。心配せずとも、私の騎士団も同行させます。ただし、危なくなるまでは手出しさせません。ほら、大サービスでしょう?」
うそでしょ? と顔に書いてあるディルは、それから腕を組み、目を閉じてしばらくうんうん唸っていたけれど、やがて糸が切れた操り人形のようにかくり、と首を傾げると深いため息を一回ついた。
「はぁ、もう仕方ないなぁ。わかったよもう」
最後は毒気がすっかり抜かれたディルが、半ばやけっぱちで同意したことで、魔物討伐のクエストが決定した。エドはディルの騎士なので自動参加。ヴァイスに至っては言うに及ばずだ。
「あ、ちなみに私も行くから。よろしくね、騎士様!」
そう言ってスザンナはエドワードの腕をとり、自らの腕を絡めた。
「はぁぁ!? ちょ、ちょっと何やってんのよアンタはぁ~!!」
ディルが顔を真っ赤にして怒っている。
「あら、たまにはいいじゃない」などとスザンナは舌をぺろりと出した。
もうこのお姫様。普通に会話してくれないかな。
「ちょっと、離れなさいよ!」
あとエド。そこでにへら、って笑うの絶対ダメなやつだからね。
……ほら、殴られた。






