第四十八話 契約
「わかったわ。精霊との契約、私もする」
ヨルグに宣言する。彼は大きく頷いた。
色々と思うところはある。けれど今の私には力がどうしても必要だ。そうしなければみんなを救えない。
いやな奴も大勢いるけれど、それ以上にお世話になった人、期待してくれている人、好ましく思ってくれる人はきっとそれより多い。ならばその人たちを救う力が手に入るというのなら、多少のわだかまりなど気にしてなんていられない。
「そうか。なら、明日の朝、契約の儀式を行おう。長老には私から伝えておく。今夜はこの家に泊るがいい」
気付けばもうすっかり日は暮れていた。途端に家の外の音が聞こえてくる。余程ヨルグとの会話に夢中になっていたようだった。外では夕食の準備にいそしむ女性たちの声が聞こえていた。
「よかった。今からって言われたら、どうしようって思っていたところよ」
肩をすくめておどけてみせる。
「うん? なんなら今からでもいいが」ヨルグはイタズラっぽく笑う。
「やめてよ」私も笑った。
笑ってから気づいたけれど。
彼の前で、本当におかしくて笑ったのって、今が初めてかもしれない。
「父さん……か」ふいにポソリと口からこぼれた。
「ん? なんだって?」ヨルグが振り返りたずねる。
しまった、聞こえてた。
「なんでもないわよ。それより夕飯の準備とかしないの?」
「手伝ってくれるのか?」
キラキラした目でヨルグが問いかけてくる。やたらに食いつきがいい。
「タダで泊まるのも、気が引けるし?」
思わず気恥ずかしくなり、ついつい早口になる。
「助かる。実は自分でつくるメシに飽き飽きしていてね」
彼は心底うんざりしたように笑った。
そんな彼をだんだん憎めなくなってきた自分に気づき、驚いた。
案内された台所は、こじんまりとしながらも男やもめの暮らしにしては、綺麗に整頓されていた。ぐるっと首をめぐらせて何があるか確認する。
かまどが二口、小さめの調理台、木桶。調理台の前には几帳面に並べられた木の実や調味料が入った小瓶がたくさん。調理用のナイフ。木べらなどの調理器具。少し目線を上げると大きめの葉物のハーブが幾種類、枝ごと吊るされている。それらがランタンのやさしい光に照らされ、ゆらゆら影を落としている。
「彼女、いるの」
「えっ……そんなのいないけど、なんでそんなこと聞くんだ」
「んー、なんとなく」
男がこんなに台所をきれいに使うとは思えない。絶対、女がいる。
調味料の瓶の影とか、棚にしまってある皿の脇とかに、さりげなく自分の足跡を置いていくものだ。男は気づかないが、女なら確実に気づく何かを。
しかし不思議と女の影は見当たらない。もう、面白くない。
「水がめがないわ」
そう言ってヨルグを振り返った。彼は一瞬キョトンとした後ニヤッと笑うと、精霊術で桶に水を張った。
「体がなまるわよ」私が嫌味を言うも、「里には井戸みたいなもんはない」と見当違いの答えが返ってきたので、軽くため息をついていなす。
食材もそれなりにそろっており、本当に普段から料理をするのだとひっそりと感心した。けれど口には絶対出さない。
初めて使う台所だったものだから、いろいろ探しながら聞きながらの料理となったため、思ったより時間がかかってしまった。何とか形にしてみせると、ヨルグは大げさなほど喜んだ。
「可愛いだけじゃなく、メシ作るのもうまいんだなぁ」
ヨルグはワインを飲みながら、絶えず上機嫌で私が作ったご飯を食べてくれた。
私は頬杖をつきながら、その様子をぼうっと眺める。
「ねぇ、ヨルグ」
「ん? なんだ?」
「かあさ……クリスティーナ王女のこと、聞かせてよ」
「食べながらでいいか」
いろんなことを聞いた。主にいかに母――クリスティーナ王女――が素晴らしく美しく、チャーミングで、強く、そしてか弱い女性であるか。そんな彼女にどれだけほれ込み、アタックし、モノにしたのか。そんなことを延々と聞かされていたのだけれど。
一つわかったことは、ヨルグもクリスティーナも、どれだけ私を愛してくれていたかということ。そして今でもいかに想ってくれているかということ。
いや、それは以前聞いていたから知っていた。けれど信じてはいなかった。それだけ愛されていたのなら、なぜ捨てられなければならなかったのかと。
だが改めて彼から事情を聞かされるにつれ、その言葉が嘘偽りでなかったのだと感じさせられる。
「クリスティーナと出逢った頃にそっくりだ。お前はこれから、もっと美人になるぞ。よかったな、キレイなお母さんから生まれて」
頭をワシワシと撫でながら、この一途な男は本当にうれしそうに笑う。
「――さて。メシも食ったし。まずは今日のうちに、お前にかけられている封印を解除しようかな」
まるで近所の畑に野菜でも取りに行こうかな、程度のノリで語りだした。
「まー、ただ封印解くのはさ、結構苦痛を伴うんだよなぁ」
「えっ。そうなの?」思わず聞き返してしまう。苦痛って、まさか死ぬほどとか。
「意識あったら結構痛いから、寝てもらった方がいいかもな。さ、あっちの寝床に寝転がってくれ。後の家事はやっとくから」
ヨルグは奥の部屋を指さしながら、棚から道具を取り出していく。
準備の様子を横目に見ながら奥の部屋に移動する。ベッドに腰掛けるとまもなく、両手に何やら道具を抱えた彼がやってきた。
「さて、寝る準備はできたか? って寝る準備ってなんだよってのな」
ははは、とヨルグが笑った。
「いつでも。って私まだ眠くないんだけれど」
ベッドから見上げながら返事をする。疲れてはいるんだけれど、話に興奮したのか、なんだか寝付けそうになかった。だけれどそんな言葉を彼は笑った。
「いやいや、魔法で強制的に眠らせないと、途中で目覚めたら結局痛いぞ。ほら、さっさと寝ころべ。じゃないとそのままスリープクラウド掛けるぞ」
ヨルグは顎をしゃくって寝るように促す。
「眠りの雲? 私あまり効かない体質みたいで」
言われた通り、ベッドに横たわりながら答える。
「試してみるか?」
いたずらっぽく笑うヨルグに、ええ――と答えたかどうか、よく覚えていない。
あれ?
「――えっ?」
知らない天井がそこにあった。
ヨルグの言葉が途切れたと思った次の瞬間、朝になっていた。意味がわからない。確かさっきまで夜だったはず。
「お、起きたか」不意に横から声がする。首をめぐらすと、ヨルグが居た。
「急に起きるなよ、体調が大きく変わっているはずだ。めまいとか気分が悪いとか、あったら言ってくれ」彼はそういってにこりと笑う。
ところで、と言葉を区切ると、
「お前、メチャクチャ魔法効きやすいじゃないか。何が効かないだよ。よほど周りの人間は魔法がヘタクソらしい」
貴方の魔法が凄すぎるんじゃないですかね? と言いかけたのをなんとか飲み込む。なんだかとっても悔しい。
起き上がってみると、なんだか背中がいたむ。
「背中が、痛いわ」
「ああ、背中に封印魔法は施すから、解除した際にやはり背中にやけどみたいな痛みがしばらく残る場合がある。それだろう。気にするな、数日で消える。そんなことより、試したくないのか?」
そう言って彼は右手の人差し指だけ立てて、宙でくるくると円を描いた。それを見て気づいた。封印が解除されているのなら、私も魔法が使えるはず!
指先に神経を集中させ、念じて、魔力を通すイメージ……。
ポッ。指先に灯る魔法の光。マジックライト。初歩中の初歩の魔法。
「やった……」
指先の仄かな、けれど美しい光に、しばし見とれる。
様々な思いが一気に駆け抜ける。この魔法の光。たったこれだけのことができないだけで、私はどれだけ辛い目に遭ってきたのだろう。
今この場に私の力を奪ったあの人がもし居たとしたら、取り戻したこの力で真っ先に復讐してしまうかもしれない。
それだけでない。私を虐げた連中すべてに。
「すまない」魔法の光を眺める私に、ヨルグは頭を下げた。
「え、なに。どうしたの」
不意に向けられた謝罪の言葉に返す言葉が見つからなかった。
「お前をもっと早いうちに救っていれば、辛い思いをさせずに済んだのに。すまない」
「やだ、やめてよ。そんな……あれ?」気付けば涙があふれていた。
「すまない」
「だから、もう……そんなのやめてよ」
貴方は確かにきっかけかもしれない。けれどあなたがした事じゃない。それなのに、私に頭を下げないで。あなたは悪くない。お願い、やめて。私は顔を手で覆い、うつむいた。
それからしばらく、涙の奴は止まってくれる気配がなかった。
「落ち着いたか」
いつの間にか、ヨルグに抱きすくめられていた。あたたかい。ついついこのままでいたいと思ってしまう。父親というのは、こういうものなのだろう。
そういえばお父さん……ボルドも私がまだ小さい頃は、よく膝にかかえて抱きしめてくれた。周りの人にいじめられたとしても、その膝の上に戻れば安心できた。
無意識に抱きしめてくれているヨルグの腕に手を添えようとし、はっと気づく。
「うん、……大丈夫。ありがとう」
そっと彼の胸を押し、ゆっくりと離れる。少し名残惜しい気持ちになっている自分にまた少し驚くけれど、人のぬくもりに飢えている私にとって、優しさは麻薬だ。
今はまだ、彼を父と呼べない。
立ち上がり、ヨルグを見下ろす格好となる。
「さて、このあと精霊との契約だが、大丈夫か」
座ったまま、私を見上げての最終確認だろうか。けれど私の心はもう決まってる。
「ええ。もちろん。そのためにここにいるんだから」
契約は、里の神殿で行うこととなっているようだった。ハーフエルフの私が契約をするということで、周りのエルフは興味深々の様子だった。
中には「半端者が契約なんかできるのか?」などと無遠慮な言葉を投げつける人もいたけれど、その程度、いままでのことに比べたらまさに大事の前の小事だ。
質素な木造造りの建物が神殿のようだった。鉄などの金属を敬遠する彼らは、神殿をすべて木と土、石で作るのが習わしらしい。その中は意外に暗く、木彫りの彫像が何体か安置され、ろうそくの明かりがいくつか、ゆらゆらと揺れているような場所だった。
「おぬしがアレクシアか」
右手の闇の中から声がした。次第に目が慣れてくるにつれ、ようやくそこに一人の人物が座っていることに気づく。
「はい。私がアレクシアです」
「ワシがこの里の長だ。名は契約が成った時に明かそう。さて無駄話をしに来たわけではなかろう。早速始めよう。そこの寝台に横たわるのだ」
中央には簡易な寝台が置かれ、彫像はその周りを取り囲むように並んでいる。それぞれの彫像の前には土を盛った皿、水瓶、燭台、何かの植物の種、鏡、……後は何かよくわからない箱などが置かれている。
慎重に彫像の脇をすりぬけ、寝台に横たわる。
「ときに無粋な事を聞くが娘よ。そなた、生娘か?」
かっと頬が熱くなるのを感じる。
「なっ。……はい、そうです……ってその情報必要なんですか!?」
辛うじて、そっちは守られている。
「ああ、いやなに。生娘にとってはこれから起こることは少々刺激的やもしれんからな。一応、覚悟しておくがよい。では始めるぞ」
長老と名乗った人が何やら詠唱……祝詞? を上げ始めて間もなく、私の周りに変化が起きた。
それぞれの彫像の前の物質から、なにやら半透明な何かが這い出てきた。それらは一斉に私にまとわりつく。これが『精霊』?
「あっ!? ん――――っ!!」
その瞬間、全身を貫く強烈な感覚。
今まで体験したことのない、怒涛のごとく精神をとろかす快感だった。
それこそ体中。頭の先から足先に至るまで一斉にまさぐられる感覚。穴といわず所かまわず好き勝手に出入りする『精霊』たち。
私の体を駆け抜けるとき、時折聞こえる声のようなもの。けれど私達の言葉でない何か。意味は全く分からない。わからないけれど、心でわかる。
あまりの快感にみっともなく嬌声をあげてしまう。身体は自分の物でないかのように跳ねまわり、汗やらなにやらをだらしなく散らしている。
本当にあっという間だった。四肢がピーンと伸び切った刹那。
声が出ることを抑えることができなかった。それくらいとてつもない快感。
波が引き、カクリと身体から力が抜けるも、『精霊』たちは暇を与えてくれそうにない。再び湧き上がる新たな波に、木の葉のように流されるまま。意識は徐々に暗闇に落ちていくのを感じた。
ふと意識が戻る。
どれくらいの時間がたったのか。いつの間にか『精霊』は姿を消していた。身体はもう、すっかりくたくたで。けれど与えられた快楽の残滓が所々いたずらをして、時折身体はもうありもしない快感をさらに求めるかのように震える。
無理矢理引き出された強烈な快楽を前に、私はもう泣くしかなかった。
羞恥が頭を支配する。みっともない姿をさらしたこと。そしてそんな中、気持ちいいと思ってしまったこと。
そんな中、頭の隅の冷静な部分が告げる。思い出せ、精霊たちは何を語った?
…………
「気に入った。お前と契約しよう」
「私の趣味には合わんな。またいつか会うときまで」
「まぁまぁかな。契約してやろう。よろしくな」
…………
「ふむ。さすがはムジェールの子――とでも言うべきか。一度に五体もの精霊に気に入られるとは。大したものじゃ」
火。風。水。土。光。
散々な目に遭った甲斐があったというべきか。
私は五つの属性の精霊と契約することに成功したらしい。
でも確かに相当きつかった。もう二度とごめんだ、こんな体験。
「ではこれから毎年、この時期に契約の更新に来なければならない。その際におぬしの適性が変わっていれば気に入る精霊も変わるし、増減もするでな。精進せよ」
「え、え? これ、毎年やるんですか~!? 嘘でしょお!?」
長老の言葉に思わず悲鳴を上げてしまった。
「そうそう。合格したのならワシの名を明かさねばなるまいて。ワシの名はユリトス・ムジェール。……お前のじいちゃんじゃ。敬えよ」
え、そしてあなたは私のおじいさん? え?






