第四十五話 障りと先触れ
みんなと別れて二週間が過ぎようとしていた。私達は首都のフランプトンを避けるように大きく東に迂回し、ミッドフォード王国東部のウィックレーを経由。北部の田舎町ポーハムの北を、まっすぐレトティア山脈を目指して旅をしていた。目の前には近づく者を拒むかのように、山頂に雪を頂いた険峻な山脈が遠くに霞み、そびえている。
宿を後にしてから、人里や街道に近づくのが何となくはばかられるようになってしまった。人の世界からはじき出されたかのように感じたからだ。見た目は人間そのものだけれど、あれ以来自分で意識してしまい、無意識に人目を避けるようになってしまっていた。
そんな調子なので街道を歩くこともままならず、普通より時間がかかってしまっている。
とはいえ、ヴァイスが背中に乗せてくれているのでそこまで疲れる旅とはなっていない。
実はオークリーダーを射抜いたあの日以来、精霊の力を一度も行使できずにいる。
精霊術とは契約の術ときく。やはり私自身が精霊と契約しない限り、本来は使えない術なのだろうか。
確かにあの時、私はヨルグの名を告げて術を使った。仮にそうなら、一時的にヨルグが力を貸したに過ぎないのかもしれない。
それならなおのこと、どうしてあの時私に力を貸し与えたのか。
貸すのではなく代わりにあれを倒してくれたなら、今でも私も含め、誰もハーフエルフだと気付かなかっただろうに。そうすればエルだって……。
「はぁ」宿をヴァイスと二人離れてから、幾度となく付いたため息。
“後悔してるなら、今からでも会いに行けばいいじゃないか”
そんなヴァイスの言葉に首を振る。今さらどんな顔をして会えばいいというのだ。
彼らは人族。私は魔族。いや、魔族でもないか。
“意外と引きずるタイプだったんだな、お前”
ヴァイスはあきれたように鼻を鳴らした。ほっといてよ、もう。
そんな時だ。遠くから絹を引き裂くような細い悲鳴が響いた。
「ヴァイス!」
言うが早いかヴァイスは駆け出し、あっという間にトップスピードに。周りの景色が溶けるように流れる中、悲鳴の主は真正面にはっきり捕らえられ、ぐんぐん近づいてくる。四、五人程度のパーティーのようだ。藪の中から次々飛び出してくる。しかし何だか様子が変。どうしてそんなに慌ててるの。
「ま、魔法が!」「なんでこんなときに!」
見ると逃げながらも魔法をキャストしようとしているようだが、ことごとく発動せずに不発に終わっているようだ。相手は小柄のオークが数体。あれだけ数がそろっている魔法使いのパーティーがてこずるような相手ではない。とすると可能性は一つ。『障りの日』だ。
「魔法使いたちを援護する! ヴァイス、降ろして。そのあと回り込んで」
“わかった”
一瞬速度を緩めてくれたタイミングで飛び降りると、弓矢を取り出しすぐに引き絞る。
しっかり狙う時間がないけれど、足を止めしさえすれば……!
放った矢はなんとか当たり、動きを止める事に成功した。
「ガアァァッ!」オークの一体が、腿に刺さった矢を見て吠えた。その様子を見てオークの一団は一斉に足を止め、こちらを見る。よし、ヘイトが向いた。
その瞬間をヴァイスは逃さない。脇から別の一頭の首をあっさりと切り裂く。食いちぎられたオークは血を吹き出し、間もなく倒れた。
「グオォォッ」もう一体がヴァイスに襲い掛かる。軽くステップしてかわしたところに振り下ろされるさび付いた斧。ズドン、と重い音が周囲に響き渡った。
こちらものんびりしてはいられない。私の方にも二体、雄たけびを上げながら突進してくる。素早く矢筒から矢を取り出し、つがえる。引き絞り、息を整える。
怒りに狂ったオークと目が合った。息を止め、放つ。
矢は吸い込まれるようにオークの目に突き刺さり、その場でゆっくり立ち止まるとだらんと手を垂らした。と思えば膝をつき、前のめりに倒れた。その仲間を踏み越えるように二体目が更に斧を振り上げ、叫びながら近づく。
背に弓をしまうと抜剣する。鞘から抜き放った剣は一瞬澄んだ音を立て、陽の光をギラリと反射する。サルヴィオさん自慢の一品、片手剣。重心が手元のほうにあるので、重さの割には振りやすく、扱いやすい。
「ガアッ!」オークが錆びた戦斧を大きく振り降ろしてくる。
右に体を振り、バックラーで刃の横を思いっきり殴りつける。バランスを崩したオークは反撃できない。そのままがら空きの首元を剣で突く。飛び散る血しぶきを盾で防ぐ。首を掻かれたオークはその場でゆっくりと膝を突き、ひとこと呻くとそのまま倒れた。そうやって一太刀で狂暴なオークは大人しくなった。
いつの間にかもう一体が間合いを詰めていた。袈裟切りで振り回された戦斧を身体をひねって躱すと、一歩下がり斧を持つ手首を狙って剣を振り下ろす。
「ギャアアッ」戦斧を叩き落としたことで、オークが悲鳴あげた。おそらく手首が折れたのだろう。恐慌に落ちいったオークの腹を蹴り、仰向けに倒すとその胸に剣を突き立てる。腕を伸ばし二度三度震えていたが、すぐに力をなくした腕は地面へと倒れた。
有利だったはずの自分たちが、突然窮地に落とされたことに気づいたオークの一団は、慌てふためき奇声を発しながら、走ってきた方向に逃げていく。
足を引きずるように逃げようとしていた一頭も、ヴァイスがトドメを刺した。
再び襲ってくることも考え暫く警戒していたけれど、杞憂に終わったようだった。息をついて手に持った剣を下ろす。
返り血がべっとりとついたバックラーからは、未だぬくもりを保った血が滴っている。
周りを見渡すと六体のオークが倒れている。私が三、ヴァイスが三。
興奮が冷めるにつれ、血と金属の臭いに気づく。
「いや、た、助かったよ。本当についてない。こんな時に『障り』が来るなんて」
私が布で剣を拭いていると、リーダーらしき男性が礼を言いながら近づいてきた。他のメンバーもみな一様に安堵の表情を浮かべている。
「弓もそうだったけど、それにしても凄い剣の腕だ、よく扱えるね。もしかしてその……いや! なんでもない。とにかくありがとう」
そう言って右手を差し出してきたので握手しておく。血にまみれた私の手を取ってしまったことに今さら気が付いたようで、相手は顔を引きつらせていた。
それじゃ、急ぐのでと声をかけると、リーダーの後ろの女性が不安そうな表情を浮かべた。あわててリーダーの服を引っ張る様子が見て取れた。
「あ……あの、出来れば食事なんかどうかな。その、助けてもらった礼もしたいし」
後ろの女性が必死な様子で頷くのを見て、吹き出しそうになるのを堪えるのが大変だった。
近くの木陰に移動して、皆で昼食をとることにした。リーダーと先ほどの女性は私の向かいで談笑をするが、他のメンバーは遠巻きにするだけで積極的に話しかけて来ようとはしない。
正直ありがたい。
彼らはウィックレーをホームにするパーティーだそうだ。今日はギルドの依頼でこの近くの洞窟に居座った魔物の討伐に来たという。道中は順調、普段なら軽くひねる程度のオークだが、先程は戦闘に入ったタイミングでどうやら『障り』に入ったらしく、魔法が発動しなくなったとの事。
「運が悪かったなぁ。こんな間が悪いのってそうそうないよね。今でも使えないし。結構時間が長いし、影響も強いわ」
女性の一人が杖をかかげ魔法の発動を試みているようだけれど、相変わらずうまくいかないようだった。
「よかったな、お前がドン臭いわけじゃなくって」
リーダー格の男が、隣の女性をからかうように言った。途端に女性は頬を膨らませる。
「やだもう、そんなわけないでしょ! それにアンタだって今、使えないでしょうが!」
そして持っている杖でリーダーの頭を小突く。
「いって! 杖で殴るなよ。もう、お前、いっそのこと剣とか使った方が良いんじゃねぇか。ガサツなお前にはそっちの方がお似合いだわ」
「ひっどーい! 何よ人を忌み子みたいにっ……」
そこでビクリと身体を震わせ、恐るおそるこちらを見る二人。
「あ、あの……ゴメンナサイ」と言いつつペコリと頭を下げた。
「いいよ、気にしてないから」と私は手を振る。うん、ちゃんと笑えてると思う。
「あ、く、果物も食べてね」ぎこちなく差し出されるのが気まずさを加速させる。
「あ、使える」遠巻きの一人が唐突に呟いた。見ればマジックライトが光っている。
パーティーメンバーがそれぞれマジックライトを点灯させ、一様に安堵の表情をうかべていった。
「なら、私はもう用済みですね。急ぐ旅なので、これで」
私はそれだけ告げると立ち上がった。
「ありがとう」とリーダーと隣の女性はバツが悪そうに見送ってくれた。
私は軽く手で返礼するとヴァイスに合図をし、その場を離れた。
再び森の中をしばらく無言で走った。
“気にしてるのか”
ヴァイスがさっきのことだろう、声を掛けてきた。
「んー、少しだけ。でもいつものことだよ、大丈夫」
大丈夫。忌み子と言われるのには慣れている。まだ人と思われているだけマシだとおもう。
そう、大丈夫。まだ私は人間だ。
レトティア山脈に近づくにつれ、道は狭く、険しさを増していく。周りの木々は広葉樹からいつの間にか針葉樹に、その植生を変えていた。
すると再び悲鳴が。
「今日は悲鳴をよく聞く日ね」
ヴァイスが駆けだすのに任せ、私は身を低くした。途端に風きり音が強くなる。
木々の間を縫うように駆け抜けるとやがて声の主が見えてきた。
今度は女性一人。見た感じ私と年齢は大差ないように見える。対して追うのは壮年の男が五名。いずれも魔法使いのようだ。
“どっちにつく”
「女の子!」
“だろうな”
男たちは私達の接近に気づき、魔法の矢を放ってきた。だが慌てて放たれる魔法がそうそう当たるはずもなく、頬や脇をかすめるように飛び去っていく。
「そのまま駆け抜けて!」
ヴァイスに声を掛けつつ、私は弓を取り引き絞る。相変わらずヘタクソな魔法が飛んでくるけれど構わずこちらも矢を放つ。
「ぎゃっ!」
と先頭の男が悲鳴を上げる。狙い通り、男の右肩に矢が命中する。そのまま女の子と男たちの間を駆け抜けながら叫ぶ。
「次は殺すつもりで当てるわよ!」
ヴァイスが速度を殺さず、大回りで男たちに迫る。
「な、仲間が来やがった!」
そんな連中に、まっすぐ突っ込みながら矢を放つ。
「ひいいっ!」と男たちが悲鳴を上げるのと、マジックシールドに弾かれるカイン、という音はほぼ同時だった。
「ヴァイス、降りるよ!」
弓をまた背負ってから、そのままポンと飛び降りる。くるくると転がった後、胸元の投げナイフを抜いて走り出す。
「クッソ、なめんな!」
男の一人が詠唱を開始したので、そいつに向かってナイフを投げる。「ぎゃっ」という悲鳴と腹を押さえる仕草から、狙い通り腹に命中したようだ。そのまま身を低くしてかく乱するように走る。
ヴァイスは別な男の杖をへし折り、後ろ足で蹴りを入れている。まともに戦えそうなのは、あと二人のようだった。
「たっ、退却! お、覚えておれ、魔物の分際で人間様にたてつくとどうなるか、今度たっぷり教えてやるから覚悟しておけよ! 我らが神聖なる全知たる神よ、あのおぞましい敵に禍を与えたまえ!」
男たちは早口でまくしたてると、伸びている奴と、腹に穴が開いた奴をそれぞれ抱えながら、逃げ帰って行った。
「あ、ちょっと。ナイフ返して! ……ってずいぶんとヒドイ捨て台詞ね」
服についた埃を払いながら笑った。けどちょっといい投げナイフだったから、返して欲しかったな。
男たちの気配が消えてから、一息つくと女性の方に歩いていく。腰を抜かし、もはや歩けない様子だった。
「お怪我はないですか……あれっ」
腰まで流れる美しい金色の髪。すらっとスレンダーな体形。切れ長の目には緑色の瞳。そして何よりの印……長い耳。
「あなた、エルフの」
私が助け起こそうと手を差し伸べたその瞬間。
「動くな、賊め!」
いつのまにか、周囲を数名の男たちに取り囲まれていた。
誰だか知らない人攫いさん、さっそく呪いの効果が出たようよ。よかったわね。






