第四十四回 分水嶺
それから間もなくして私たちの船に戻るため、村の人々が船を出してくれた。そこには導師様も同行してくださることになった。
村の船はただの帆船のように見えたので、戻りにも相当時間がかかるものだと思われた。しかし導師様は驚く方法を使い、その日には我々の船が停泊している場所まで戻ることができた。
導師様も、風の精霊を使役できる力を持っていたのだ。なぜ使えるのかを尋ねたら、「ワシもハーフエルフじゃからな」と彼女は飄々と答えた。
聞けば年齢はだいたい二百年を少し超えたところだそうだ。「女に年を聞くなんぞ、しつけがなっとらんな」と彼女は笑った。
「お前もワシのようになるやもしれんな」
雰囲気が、そう思わせると彼女は最後に言った。その言葉は私の心にじんわりと、まるで呪いのようにしみ込んだ。
翌日には修理が終わり、私達はこの島を離れることになった。
「さらばじゃ。もう見えることはなかろう。達者でな」
「導師様も。お元気で」
「ふっ。もううんざりじゃ。こんな人生」
それだけ交わすと、振り返らずに船に乗り込み、船室に入ってしまった。
再び導師様が姿を現すことはなく、島の船は南へと去っていく。
私達の船は、北に向けゆっくりと動き出す。
私は徐々に離れていく船を目で追いながら、導師と二人きりでかわした言葉を思いだす。
――のう、娘。いや、アレクシアよ。おぬしももうわかっていると思うが、おぬしの人生は過酷なものになろう。今までのようにただの人間としての生き方はできぬものと心得よ。
知っての通り、この世界の歴史は人と人ならざる者たちとの闘いの歴史でもある。ハーフエルフであることが知れたら、人はたやすく牙をむく。弱き者はそうやって自らの身を守ってきたからじゃ。
まずは父ヨルグに会うのじゃ。あ奴はこの東大陸のレトティア王国、レトティア山地にあるエルフの里に隠れ住んでいるはず。
あ奴が言うた意味をおぬし自身で尋ねてみるがよい。まあ個人的には一度滅んでしまった方がいいと思うがの、人の世など。
さて世界は広い。そこで魔族の目線での世界を知るのじゃ。おぬしが考えているより、世の中はもっと広く、複雑に絡み合っている。さらに広い視野で見極め、その上でどうするのか。自分の目ですべて見て、確かめて決めるがよい。
この世は『忌み子』以上に『半魔』には優しくできておらん。ハーフエルフとしての生き方をしっかり見定めよ。その上でもし、生きるのがつらいというのなら。遠慮はいらん、またこの島に来るがよい――
もう島の船はその影も見ることはできなくなっていた。
「ありがとうございます、導師様。私、見てきます。世界を」
私の独りごとは大海原を渡る風に乱暴にかき消された。
私達の乗る船は翌日の夕方、ミッドフォードの港町、べリストンに着いた。さらに南のギルジュ王国との国境の街だ。
ここで船長さんとは別れることになった。お礼を述べると「がんばれよ」と笑って船を出した。
今日はここで宿を取り、明日サルヴィオさんの工房がある王都のフランプトンに向かうとのことだった。
メンバーは食事もそこそこに、それぞれの部屋に戻った。やはりエルはあれから積極的に話をしてはくれない。
「……もう、無理かもなぁ」
宿の部屋でヴァイスと二人。私は窓の外を眺めながらポツリとつぶやいた。ふいに手の甲にポタリと何かが落ちた。手を見下ろすと水滴がついている。再び窓を見ると、そこには夜の帳を背景に窓に映る私が、はらはらと涙を流していた。途端にいろんな情景が一気に思い出されてくる。
大森林でゴブリンに襲われていた二人を助けたこと。
パーティーを組んで初めて戦った時のこと。
匂いを嗅いで嫌われそうになったこと。そのあと仲直りして泣いたこと。
友達になったこと。
一緒にダンジョン攻略したこと。
エドワードを捕獲したこと。
森の街で探偵ごっこや観光したこと。
初めて国を出て旅をしたこと。
一緒に旅をしようと逃げ出したこと。
連携して危なげなく戦えるようになったこと。
ピンチのパーティーを救うために精霊術をつかったこと。
……それによってハーフエルフだと知られたこと。そしてエルフがエルやディルにとって、仇だということ。
涙がひと雫、またひと雫と床を濡らしていく。
嫌われてもいい。みんなを救う時、確かにそう思った。だから迷いなく力をふるった。その判断が間違っていたとは思わない。けれど今は。
「……ヴァイスぅ」
窓辺を離れ振り返る。
床に寝そべっている強くて優しい私の騎士君は、ただ黙って、静かに見上げてくれる。
我慢しようと思えば思うほどこみあげてくる感情。
「がんばろうと思ったけど。やっぱり、ちょっと……辛いや」
もう後は止まらなかった。こういう時って、涙は静かに流れるんだ。
そのまま一晩中泣いていた気がした。
気付けば窓の外も若干白みだしてきていた。朝が来てしまう。
ヴァイスのお腹に頭をのせ、体に腕を回して共に床に寝そべり、ぼんやり窓を見ていた。
けれどもう、決めなければいけない。
ヴァイスから腕を離し、ゆるゆると起き上がりながら彼を見つめる。髪が肩からサラサラと零れ落ちる。
私は彼をまっすぐ見つめ、覚悟を伝える。
「ね……ヴァイス。私のわがまま、聞いてくれる?」
“なんだ。今さらだな”
むくりと頭を上げて彼は答える。
「私、行こうと思う」
“ああ”
「いっしょに……きてくれる?」
私の言葉に、ヴァイスは私をじっと見つめ返す。
“ああ”
「……ありがとう」
そしてもう一度、彼の首元に顔を埋めた。
みんなへの手紙を書いて、サルヴィオさんの部屋の扉の下に差し込んでおいた。
最初にみんなへのお詫びを書いた。
“はじめに、勝手にパーティーを抜けることになってごめんなさい。
ヴァイスと二人だけで旅をすることにしました。一緒に旅を続けたかったけれど、きっとみんなに迷惑をかけてしまうから。
今までの旅はとても楽しかった、ありがとう。いろんな楽しい思い出ができたと思う。
エドワードは機械いじりが好きだったよね。もし機械仕掛けの武器なんかが作れたら、戦闘の幅が広がると思う。出来ればエドワードはサルヴィオさんのところで修行したらいいんじゃないかな。もしエドがやりたいと言うようだったら、サルヴィオさん、すみませんがよろしくお願いします。
ディルは国に帰ったら逆に危ないかもしれないから、サルヴィオさんの所でエドと一緒に機械仕掛けの武器を考えてみたらどうかな。エドは運動音痴だからしっかり武器を扱える人が近くにいないとだめだと思う。エルとよく話し合ってあなたが決めればいい。
そしてエル。あなたは国に帰って、国を守る準備を進言すべきだと思う。『天馬の変』で実際なにが起きるのかまだよくわからないけれど、今から準備していればきっと大丈夫だとおもうから。
私は、私ができることを確かめるために、ヴァイスと旅をします。
これまで本当にありがとう。
それではお元気で。“
私のことは書こうか迷ったけれどやめた。おそらく危ない旅になる。相手は魔族だ。自分たちだって無事で済むとは思えない。間違いなく危険だ。
荷物も一人分だからリュック一つで事足りる。よいしょ、と背中に荷物を背負うと隣の魔狼に声を掛ける。
「じゃ、いこうか。ヴァイス」
“どっちに行くんだ?”
「とりあえず、北かな?」
そうして私達は、夜も明けきらぬうちに宿を後にした。






