第四十三話 すれちがい。ぬくもり。そして
周りはすっかり暗くなり、焚火のオレンジの炎だけが辺りを照らしている。
私はヨルグから聞いた話を、メンバーに伝えた。ただ自分が王女の娘ということは、何となく言うのがはばかられた。
「そういうことじゃったのか。嬢ちゃんも大変な業を背負ったもんじゃの」
サルヴィオさんは恐れるでもなく、避けるでもなく、ただ静かに私の話を聞いてくれた。
それだけで涙がこぼれそうになってしまう。
「そうですね。すこし驚きましたけれど、魔狼のヴァイスが懐いている時点で気づくべきだったかもしれません。普通人間には懐きませんから、彼らは」
いやー、しかし先ほどの攻撃はすごかったですねー! などと続けてエド君は一生懸命褒めてくれる。彼も気を使ってくれている。
エルは焚火から少し離れたところで眠っているディルのそばに寄り添い、私達のやりとりを黙って聞いている。けれど彼女の目は暗く、何か別のことを考えているようにみえた。
「しかし外見は本当に人と変わらんのぉ。運が良かったというべきか」
それは本当にそう思う。もしハーフエルフだと露見していたら、とても人間の社会では生きていけない。『忌み子』とは比べ物にならないくらい苛烈な運命が待っていると容易に想像できる。
「ま、お嬢ちゃんの出自も気にはなりはするが、今はそれよりも東大陸に向かう方法じゃ。ここより南にある集落があるようだから、まずはそこだな」
「ん……あ、エル?」
眠っていたディルが身じろぎをすると、近くのエルに声を掛けた。ハッとしたような表情でエルが覗き込んでいる。
「ディル。気が付いた? 良かった。」
「ここは……っ、あ、あのでかいオークは? どうなったの?」
ディルはオークリーダーとの戦闘の直後、意識を失った。ギリギリの状態だっただろう。覚えていないのも無理はない。
「ああ、それならば嬢ちゃんが」とサルヴィオさんが話してくれようとするも、「お姉様が倒してくれたわ。精霊術を使って、一撃で」固い口調でエルが説明する。
「え、今、なんて」
彼女にはエルが何を言ったのか、何を言いたいのかが理解できなかったのだろう。怪訝そうな雰囲気で聞き返した。
「お姉様はハーフエルフだったのよ。しかも強力な精霊術を使える」
「それって……すごいんだよね?」
ディルが身を起こして私をみる。私は目をついそらしそうになるのを懸命にこらえる。
彼女は邪気なしに喜んでくれているんだ。その気持ちはしっかり受け止めたい。
「魔法が使えたんだ、良かったね、お姉」
「ディル、あれは魔法なんかではないわ。精霊術。人には扱えない……人外の技よ」
“人外”。ディルの言葉を遮るようにして投げつけられた、押し殺した声色のエルの痛烈な一言に、私の体はビクリと震える。
「ちょっとエル、そんな風に言わなくても」
さしものディルも、エルの言いように納得がいかないのか、抗議の意思を込めて口を開くも、
「ディル。忘れたとは言わせないわ。フレデリック兄さんが、誰に、どんな目に遭わされたのかを」
エルの反撃に二の句が継げなくなってしまったようだった。フレデリック?
「なんじゃ? フレデリック王子といえばたしか二年ほど前に」
船長さんが思い当たったようで、エルの言葉に続く。
「ええ。魔族との戦闘で命を落としました。隊は全滅。相手は……エルフの部隊でした」
そんな。それならば私は、……リンブルグランド王家の仇。だからエルは。
「そんなことがあったのか」
「仇の子と知っていれば、私はこんな……! こんなことって。あんまりだわ!」
エルは吐き捨てるようにそこまで言うと、まじまじと地面を見つめている。
重苦しい雰囲気がメンバーを包んでいた。
やがてエルは私に向き直り、口を開いた。
「お姉様。私はあなたが大好きです。それは今でも変わりません。けれどもあなたに流れる憎きエルフの血。それがある限り、私はあなたを……っ」
そこまで言うと彼女は顔を背け、「少し、考えさせてください。すみません、先に休みます」と、そのまま振り向かずに天幕に消えた。
ディルも「待ってよエル。あ、おやすみ、みんな」と言いのこし後を追う。
おじさん達は一つため息をついて「時間かかりそうだな」と私の肩をポンと叩くと天幕にもぐりこんだ。
「あ、じゃ、じゃあ僕も、お先に失礼します」
エドは気まずそうにぺこりと頭を下げると、おじさん達を追った。「なんじゃ、お前は残って相手せんか!」と小声が聞こえた。
それで会話はお開きとなった。焚火の音だけがやたらうるさく感じる。しばらくぼうっと焚火を眺める。
“あいつらは今さら何おびえてんだ?”
しばらくたってから、ヴァイスが能天気に問いかけてくる。
“そんなの決まってるじゃない。私が半分魔物だったから”
“はあ? アレクシアがただの人間じゃないって、前からわかっていただろうに”
驚いてヴァイスを見ると、地面に寝そべって大きなあくびをしている。
“どういうことよヴァイス。あなた気づいていたの、私がハーフエルフだって”
“ハーフエルフかまでは知ったことじゃないがな。ただの人間と匂いが違うからな、そりゃ気づくさ”
匂い、違うんだ。思わず自分のにおいをかいでみる。
“自分の匂いには気づかないもんさ”
“――ねぇ”
“なんだ”
“今日、ここで一緒に寝てもいい?”
“……ああ、いいよ。おいで”
今日は本当に久しぶりに二人だけでヴァイスにくるまって寝た。
二人だけで寒さをしのいだのはいつ以来だったろうか。長屋の本棚の間で泣きながら過ごしたあの日以来かもしれない。
“ねぇヴァイス”
“うん?”
“私がどんな化け物でも、一緒にいてくれる?”
“はは。俺の方がよっぽど化け物だけどな。でもいいぜ。お前が俺を必要とする限り、ずっとお前のそばにいてやるよ。たとえお前が魔王になろうともな”
“うれしい。ありがとう……ヴァイス”
久しぶりのヴァイスの毛皮はとっても暖かくて。あれだけのことがあったけれど、眠ることができた。
翌朝は今までのことが嘘のように、魔物に出会うことはなく、昼前には集落にたどり着いた。
「集落というよりこれはもう小さな町じゃな」
集落の入り口でサルヴィオさんが話しかけてきた。昨日の出来事からこっち、ことあるごとに気にしてくれる。
今はそれがつらい。「そうですね」という言葉さえ、上手く紡げない。
集落に入ろうとすると、前方に人だかりができていた。すでに住人には、我々の存在は知られていたようだった。
「ようこそ。忘れられた街『ロズフォグロイ』へ。導師がお待ちです。さ、こちらへ」
中央にいた壮年の男性がそう告げると、周りに聞きなれない言葉で声を掛けた。すると前方の集団の間に一筋の道が作られた。
「ここを通れ、ということかな。……行くしかないか」
サルヴィオさんはあきらめたようにつぶやきを残し一歩進んだ。私も後に続く。
歩いているのは表通りのようだった。屋根はスレート葺、壁はすべて木の板でできた、背の低い木造平屋建ての建物が続く。
通りを歩く際にも、両側の住人の会話が漏れ聞こえてくる。聞きなれない言葉なので、残念ながら何を話しているのかまではわからない。来客が物珍しいのだろうか。
それよりも目についたのが建物などに掛かれている文字だった。あれほど探し求めたどり着けなかった、恋焦がれているが正体が全く分からない、“あの”字そっくりだった。もしかすると。沈んでいた心が少し浮き立つのを感じた。
しばらく歩くと、一際大きな建物が目に入ってきた。導師様が暮らす建物なのだろうか。
「こちらです。お入りください。導師がお待ちです」
促されるまま、館に入る。
中は意外なほど広く、集会なども行えるようなスペースになっているようだ。その奥、一段高くなった部分に人影があった。おそらく導師と呼ばれる方なのだろう。
「導師。客人をお連れしました」
導師と呼ばれた人物は軽く頷いた。年のころは七十を超えようかというところか、足元まである白髪が印象的な女性だった。
「意外と遅かったのう。森で苦戦していたようじゃが、それが原因かの。まぁゆるりとなされよ、と言いたいところじゃがの。村の連中が恐れておるので、早々に立ち去られよ」
来て早々帰れという。やはり私たちは招かざる客なのだろう。
「導師とやら。先ほどここの名前は『ロズフォグロイ』とは聞いたが、とんとその地名に覚えがない。申し訳ないがここはどこなのだ?」
サルヴィオさんが口を開いた。ここは年長者に任せるのがよいだろう。
「ここは世界から忘れられた島。打ち捨てられた地じゃ。我らも今さら他の者と交わる気など起きぬ。さ、せっかく参られたにも関わらず心苦しいが、出立の準備を」
「実は船の舵が壊れてしまってな。それでここに流れ着いた。修理ができればすぐにでもここを離れるのじゃが、修理するための道具を借りるわけにはいかないだろうか」
「なるほど、それはお困りじゃな。では道具と人手を貸そう。速やかに修理を済ませ、早々に立ち去られるがよい」
「かたじけない」
このままでは話が終わってしまう。
「あ、あの、導師様」と、気づいたら口を開いてしまっていた。
「なんじゃ、娘よ」と導師様はこちらを向いて、微笑んでくれた。
「私はあなたに会うように言われここに来ました。泉でエルフの男性に」
「ほう、エルフとな。それはそれは」と導師様はどこか楽しそうに笑っている。
「あとこちらの本に書かれている文字。街のいたるところでも使われている様子。この本の解読をするのが、私の目的でもあります」
リュックから取り出した本を差し出す。その表紙を見ただけでこれが何物なのかが分かった様子だった。受け取りながらわずかに眉が上がるのを見逃さなかった。
「ふむ。……ほう、これは古代ロズ語ではないか。おぬし、大陸に住みながらよくこのような本を今まで保管できておったの。長年隠し持っておったか」
「父から受け継ぎました。そこには何が書かれているのでしょうか」
「ふむ……そうじゃな。この本はロズの滅びの歴史を記した物語じゃ。大体こんなことが書かれておる」
そういって導師様は私が差し出した本を、まなじりを下げ、ゆっくりとめくりながら、謡うように話してくれた。
――古くからこのサンクトプルムは、東は人間、西は魔族が住んでいる二つの大陸だった。
そんな中、数千年以上の昔より栄華を誇っていたのが麗しの国、ロズ。
魔法工学に優れ、数多くの魔道具を世に出し、その結果として長きにわたり東大陸をすべて治めた強い国家だった。
その野心は東大陸だけに収まるものではなかった。
西大陸もその東半分を魔族から切り取り、植民地としたり、魔族に奪還されたりと、不安定で不毛な状態を作っていた。
ある時、空に偉大な天馬が駆け、それによりロズの繁栄の礎が失われ、時を同じくして西の大陸から悪魔の軍隊がロズに押し寄せた。
戦う力の多くを失っていたロズは敗走を余儀なくされ、ロズ王家は一時期、南の地まで追い詰められた。
力が失われた期間は、実に一月に及んだ。たいへん厳しい戦いだった。
幸いに悪魔の使いは統率を取るものがおらず、また剣術などに優れた剣士、勇士たちの尽力により破滅的な結果にはならず、何とか人類は生き残った。
力を取り戻したのち、まもなく東大陸は再び人類の手に戻ったが、その時にはロズの国としての力はもはや残されていなかった。
王族と侯爵、伯爵で構成されていた七賢人がそれぞれ各地に散り、別々の新たな国を建国した。
また三人の武人は長い年月を経て東大陸の魔族を打ち倒し、それぞれの国を建国した。
逆に追われる立場となった魔族は大陸中の険しい山や西の果ての島に逃れ、版図が確定した――
「これがいわゆる『天馬の変』と呼ばれた大災害じゃ。この村はロズ王家が追われた場所なんじゃよ」
大昔にそんなことが。過去に東大陸にそんな強大な国があったなんて。
「あ、で、泉の人はもう一つ気になることを言っていて」
「あと半年」
「えっ」
「あと半年で、人類が滅ぶ、とでも言っていたか?」
「は、はい」
「そうじゃな。あと半年もすればまた起こるじゃろう」
どうしてこの人は、こんなに大変なことを。
「おこる、とは」
「『天馬の変』が、じゃよ」
こんなにも、楽しそうに話すのだろう。






