第四十二話 残酷な真実
“そんな、いきなり言われたってどうすれば”
目の前では本当にゆっくりとした動きで、サルヴィオさんとヴァイスがオークリーダーと対峙している姿が見える。
まるで水底から見たような、別の世界の出来事のようだ。闘いの様子が、まるで他人事のように水色のフィルターを通して流れる。
“風の力を借りるのだ。もうお前には見えているはずだ、彼らの姿が”
ヨルグはあくまでも落ち着いた声で続ける。
“彼らって? それにどうやって”
“なに、難しい話ではない。そなたの名で使役すればよいだけだ。お前の真の名は――”
徐々に水色のフィルターが薄くなって、速度が速まる。視界が現実感を取り戻し、それと同時にたったいま言われたことの重大さに恐れをなした。
今、なんて言った? なぜこのタイミングでそれを。
「お姉様! 早くしないと、ディルが!!」
「まずいぞ、嬢ちゃんこのままじゃ、いかんよけろ!」
ヨルグに告げられたことの内容に気を取られ、今が戦闘中であることを忘れてしまっていた。サルヴィオさんの声を理解したときには目の前に奴の足が迫っていた。盾を構え、後ろ向きに思い切り飛ぶが早いか、奴の蹴りが避けようもない速さで追ってきた。
「ぐ!」
肺の空気が一気に押し出され、一瞬気が遠くなる。身体は一度地面に落ちて跳ね、エル達がいる近くまで地面を滑った。
「お姉様!!」
「落ち着いて。自分で飛んだから大丈夫、たいしてケガしてない。それよりディルを」
ケガをしていないのを確認して、ゆっくり身を起こす。幸い手足の打撲と擦り傷程度。
けれど蹴られたとき装備に頬をぶつけたようで、口の中を切ったようだ。血の味が口いっぱいに広がる。
いまサルヴィオさんとヴァイスが、あの暴れ豚野郎を押しとどめてくれている。
ディルは痛みをこらえ、振り落とされないように懸命な表情で奴の腕にしがみついている。
エルとエドは、ディルに当てないように慎重に魔法を行使している。
でも長くは持たない。もって数分。サルヴィオさんが倒されたら戦線は瓦解する。
そうすれば次にディルは殺され……。
くそ、迷っている場合か!! 折れかけた心に蹴りを入れて立ち上がる。
地面に口にたまった血を唾と一緒に吐き出す。
「豚のくせに、舐めたマネしてくれちゃって」
手の甲で口を拭ったとき、自分が笑っていることに気づく。
こんなに緊迫した状況なのに。ディルが危ないのに。なぜこんなに心は平穏なんだろう。
どうしてだろう、今は不思議とどうすればいいかわかる。
背中の弓と矢を一本取り出し、オークリーダーに狙いを定める。
「ずいぶんご機嫌に、仲間をいたぶってくれてるわね!」
これがきっかけで嫌われることになっても仕方ない。あきらめよう。
いま隠して、もし誰かが死んでしまったら、それこそ後悔してもしきれない。
それなら私は。
「仲間を、友を。いや、妹を救うためなら、名乗ってやろうじゃないの!」
そして一際矢を引き絞り、契約の言葉を紡ぐ。
「エルフの戦士ヨルグ・ムジェールの子、アレクシア・ムジェールの名において命ず。風の精よ。我が矢に宿りてその力を示せ。一陣のつむじを成し、我が敵を穿て!」
すらすらと契約履行の命令が口をつく。なぜだろう。とても自然なことのように感じる。
“承知”
瞬間、周りが淡い緑色に包まれた。同時に矢が明るい緑色に輝きだして風が集まり、やがて矢じりの周りに猛烈な勢いの渦を巻く。
それにあわせて私の髪や服も風にあおられ、激しくはためく。
奴の頭を狙い、ピンと弾くように矢を放つ。途端にはぜる風の奔流と爆音。
それはまさに風の暴力だった。
矢はおよそショートボウから放たれた勢いとは思えない速さで飛んでいき、その勢いのままオークリーダーの頭部を巻きこみ、消し飛ばし、飛び去った。
一瞬遅れ、オークリーダーはその首があったところから盛大に血を吹き出した。腕はだらんと垂れ下がり、力を失った手は、ディルをずるりと取り落とした。膝をついた格好の彼女は右手が離される瞬間、一声うめく。
しばらくすると奴の体は膝を折って前のめりにゆっくり倒れはじめ、ディルは押しつぶされるすんでのところを、サルヴィオさんに助けられた。
ゆるゆると弓を持つ手を下ろす。身体にまとわりつくように吹いていた風は、徐々にその勢いを落としていく。
ディルに駆け寄るエルの叫び声が、どこか遠いところの出来事のように聞こえ、私はその場にぺたりと座り込んだ。
“どうだ、これがお前の本当の力の一端だ。すごいものだ、想像以上だよ”
“あれは、なに?”
“ん、ああ。知らんのも無理はないな。あれは人の理の外にある力。精霊の力”
“精霊の……力”
“そしてお前もただの人の子ではない、アレクシア。愛しい我が娘よ”
そう。私は人でもなかったんだ。
父の名前はヨルグ。この声の主。エルフ族の勇敢な戦士であり、強大な力を持つ精霊術師。
母はクリスティーナ。人族の魔法使い。
両親は偶然出会い、やがて種族の違いを越え、愛しあい、結ばれた。私はそんな二人の間に生まれた、いわゆるハーフエルフということらしい。
ハーフエルフにはその親の特性に合わせ、実に多様な外見や身体的特徴を発現する。
エルフの特徴は、中性的な顔立ち。人族より長く、大きな耳。すらっとした外見。精霊術との契約と行使。動物との対話、人族と比べるべくもない、長い寿命などが有名だ。
ハーフエルフはそれらエルフとほとんど見分けがつかないが、寿命は人族と同じ者。
あるいは外見も中身もほとんど人族で、寿命だけがエルフのような長命である者。
さまざまな組み合わせで誕生するため、実際は発現してみないと、どのような特徴を有しているかわからない。
私の場合は、外見と体力は人族っぽいけれど、切れ長の目、精霊と交信、使役できる点。知能の高い魔物と対話できる点を受け継いでいる。あと、実は魔法も使える素質があったらしい。ほかにも細かいスキルがあるそうだけれど、逢って調べないとわからないと。
また寿命がどれくらいなのかは、成長が止まってしばらく経たないとわからないそうだ。
それらの資質のほとんどを、私は封印されて捨てられた。
私が生まれて乳離れが済んだとき、私は母親から引き離され、封印魔法でほとんどの力を封じられたのち、『忌み子』として修道院に預けられた。
私は実の祖父の手によって、翼をもがれ捨てられたのだ。
ハーフエルフであるというために。
“ハーフエルフの子は、ある意味『忌み子』より忌避される”
沈痛な響きを持った声で、私の父と名乗る、ヨルグは告げた。
その出自から、いずれのコミュニティにも属せず、隠遁して暮らすことが多いそうだ。幸いに外見が人族に近い個体は、ハーフエルフであることを隠して人の中で暮らす。だが運悪く永遠に近い寿命を受け継いだ者は、いつまでも老いが来ないことを訝しまれることを恐れ、各地を転々とする暮らしを強いられるという。
ヨルグは現在、とある場所の、人が立ち入らない深い森で暮らしているという。
そして母は今でも存命で、その祖父と一緒に暮らしているそうだ。
母はどこで暮らしているのかと尋ねた。最初は渋っていたが、しつこく尋ねたらとうとう重い口を開いた。正直、聞かない方がよかったかもしれないと後で後悔した。
“お前の母の名は。クリスティーナ・ルシア・フォン……レンブルグ”
その名前には聞き覚えがある。でも、だってそのお方は。
“ああ。レンブルグ王国、王位継承権第一位。クリスティーナ王女殿下。それがお前の母だ”
ディルの治療が一通り終わり、次にエルは私の治療をしてくれているが、いつもの覇気は全く見られず、その表情はどこか固かった。私におびえているのかもしれない。
当然だ。私が人外の理をもって敵を倒してしまったから。
それはつまり、私が人間でないということの証し。
人間は人あらざるものと戦う歴史を繰り返してきた。いってみれば私はみんなの敵だ。
「あの、治療。終わりました。お姉様」
「うん、ありがとう。エル。助かったよ」
いつものように髪を撫でようとしたとき、エルはパッと身をかわした。
「あ……す、すいません。お姉様。少し、驚いてしまって」
驚いたような、悲し気な、今にも泣きそうな青白い表情のエルはそれだけ言うと目を伏せた。
「ううん。いいよ、気にしないで。ディルの様子はどう」
「はい、今は眠ってます。魔法で骨や組織の再生は終わっていますが、定着までにはあと数日必要です」
ディルの方を見ながらエルが答える。その表情をうかがい知ることはできない。
「あまり動かせない、か。今日はこの近くで野営をしよう。いかがですか、サルヴィオさん」
「うむ。そうするか。……おぬしには色々聞きたいこともできたしの」
「そうですね。私もです。サルヴィオさん」
他人から疎まれるのは慣れている。『忌み子』は常にそうだった。
だけど親しかった人から距離を取られるのは、赤の他人からされるより相当堪えるということを、今まさにひしひしと感じていた。






