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忌み子と彗星  作者: ずおさん
第三章:失われし伝承
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第四十話 うたかたの中の森人

 立派な雄鹿に誘われるまま川のほとりを進む。薄明るい緑の光はやはり、地面の草や川の水から発せられているようにみえた。


 森を進むにつれ、周りには光る虫や蝶、森の奥にはウサギや犬、猫などが増え、思い思いに飛び、駆けまわり、じゃれついている。しかし私を奥へ奥へと誘うように、けしかけているようにも感じられた。


 そんな中でも不思議と恐怖は感じず、むしろ懐かしささえ感じながら、淡々と歩を進める。どこかでこのような風景を見たのだろうか。意識がはっきりしないため、あまり考えることができない。


 数分も歩くと目の前が開けた。奥の方に泉がある広場だった。小川は泉から流れ出ているようだった。頭上は抜けた夜空が広がり、ちょうど天高く満月が輝いていた。


 “まどろみから、ようやくお目覚めかな?”


 声にハッとして正面に視線を戻す。さきほどまでいた鹿がどこにもいない。周りを見渡しても姿を見ることはできない。いずこかに隠れてしまったようだ。


 少し残念な気持ちで泉に目を向けると、そこには“何か”が立っていた。


 思わず息をのむ。それほどまでに美しかった。


 人型をかたどってはいるけれど恐らく人ではない何か。いわゆる亜人。永遠に近い寿命を持ち、あまたの精霊を使役し、深き森で暮らす森の民、エルフ。強力な魔族、敵だ。

 彼、もしくは彼女がまとう雰囲気からして、自身の記憶を辿った限りでは他になかった。そして私は内に秘めているであろう圧倒的な力の気配に、息も満足に継げず、また動けずにいた。

 今この瞬間生きていること。それこそが私にとっての幸福だと、本能が告げていた。


「あ、あなたは」


 かろうじてひとこと。それが精いっぱいだった。息をするにも集中する必要のある、絶対的な力の差を、ひしひしと感じていた。


「私のことはどうでもいいのだが。ふむ、ではヨルグと呼ぶがいい」


「ヨルグ」


 言葉はよくわからないが、口にした途端なんだか心が温かくなる気がした。その内心のとまどいすら見透かされたのか。ヨルグは微かに笑った。なんだか気恥ずかしくなり、顔が熱くなった。


「さてアレクシア。そなたには済まないが、『役目』を果たしてもらわねばならなくなった。私としてはこのような役目、負わせるにしのびないのだが。状況がそれを許してはくれん」


 役目? ヨルグは謝りつつも尊大な態度で言葉を続ける。


「何をさせるのか、と言いたいのだろう? しかしすまん。まだどう転ぶかわからんのだ。なので今、これをせよとは言えん、許せ。しかしわかっていることもある」


 そこでいったん言葉を切ると、切れ長のヨルグの目がすうっと細められた。


「このまま放置すれば、半年後、人族は滅ぶ」


「滅ぶ、というのは」


「言葉の通りだ。人ならざる者に、人は滅ぼされるのだ。そうはなりたくあるまい?」


 人族が滅ぶ? どういうことだ。そんなことが起きるなんて。


「信じられぬのも無理はない。詳しく私が話してもよいのだが、それより歴史に聞くほうがよいだろう。特に友人を救いたいのならな」


 私がまだ腑に落ちないでいることを見て取ったのか、それをも無視するのか。ヨルグは遠慮なく言葉を続ける。


「『忌み子』という言葉は知っておるな。まあ、お前にそれを聞くのも少々酷かもしれんが」


 じゃ聞くなよ、といいたい。


「はっはっは。そんな不機嫌そうな顔をするな。これでも私はお前に会えてうれしいのだ。ひとつ良いことを教えてやろうと思うてな」


 そこでヨルグは顎に手をそえると、ニヤリと笑った。


「聖人――と今はうそぶいているのかな、あの男は。あ奴がいる国の『忌み子』たちはどういう扱いを受けているか、お前は知っているか」


 聖人の国、おそらくリンブルグランドのことを言っているのだと思う。


「え、奴隷になっていると聞いたことがあります」


 その言葉にヨルグは満足そうにうなずいた。


「そうだな。そういうことになっている。ではその後、その奴隷はどこに行くのだ」


 えっ、奴隷が行く先。そんなこと、考えたことなかった。鉱山とか、工場とか?


「ふむ。話もここまでだ。さて私としてはこの先、お前に手ぶらで旅をさせるのは少々心許ないと思っている。なので最後に私から一つプレゼントを与えよう。いや、違うな。そなたの封印された力を、少し開放してやろう。いまいましい、フレデリッヒにかけられた呪いからな」


 そういうとヨルグは私に向かって手をかざした。直後光る手のひらに警戒し腕で顔をかばい、目を閉じた。目の前が明るく、白く染まっていく。


 “我が愛するクリスティーナの娘アレクシアよ。本来はもっと手を貸してやりたいところだが、今は互いに敵である身。力を開放するくらいしかしてやれん。よいか、あと半年だ。ゆめゆめ忘れるな。まずは南へ行け。そこで導師に会うがよい――”


 そして眼前は光の奔流(ほんりゅう)に呑みこまれた。白。一面の白に。




「――お姉様、お姉様。起きてください。起きないといたずらしちゃいますよ?」


 まどろみのなかで誰かが呼びかけている。もう少し寝かせてほしい。


「あれ? あれれ~? 起きませんね~。んではいたずらをば、失礼しま~す」


 ん? これはエルの声? あれさっきまでヨルグさんと話してって、なんで後ろから抱きつかれてるのわたし。あ、やだ、なにこの手。ちょっとまさぐらないで。


「うっひゃー、さすがお姉様。この果実は至宝ですよ、うーむけしからん、じつにけしからん」


「ちょ、やだ、なにさわってんの、んっ」


 あーもー。もむな、もみしだくな。


「だってー、あたしー、お姉様のことが大好きでー。いつでもくっついていたいっていうか私の物にしたいっていうかってぐはっ」


 私の肘がエルの脇腹にきれいに入ったようで、奇妙な声を出したっきり、私の背後からずるりと離れる気配があった。


「くっ。かくなる上は拘束魔法で」


 朝っぱらから拘束プレイなどたまったものではない。私は素早く起き上がり「やめんか!」とエルの頭にチョップを食らわせた。

 すると彼女は「ぐへ」といって頭を押さえ、ようやく大人しくなった。最高の目覚めを届けてくれてありがとう、エル。

「朝っぱらから何してくれてんのよ」という私の問いかけに、


「うう、だってお姉様といつもイチャイチャしてたいだけだもん」


 などと絶対演技だろうけれど、涙声でねだってくる。

 仕方のない子だ。私は小さくため息をつくと、そっと抱き寄せおでこにキスをしてあげる。驚いて上目遣いで見上げるエルに、「これくらいならね」と頭を撫でてあげる。これで我慢してほしい。たのむから。


「あ、あの、あの、できればこっちに」


 そういって目を閉じ、エルは頬をほんのり朱に染めながら、背伸びして口をつきだしてくる。

 私はその唇にそっと人差し指を押し当てる。


「それはご褒美にとっておきましょ」


 エルの頭を軽くポンポンと叩いてその場を離れる。

「ご褒美って何のですか! オーク十体ですか! エドワードですか!」などと背後であまりに物騒なことをいうものだから、たまらず振り返って笑う。


「考えとくから、エド君をどうこうするのはやめてね」




「――んで、夜中に怪しいお兄さんに声を掛けられたビッチなお姉様はふらふらとついて行っていかがわしいことを」


「されてない」


 朝ご飯を食べながら夕べの不思議な体験をみんなに話しているのだけれど。まったく信用されていない。エルは不機嫌さを隠すことなく、半眼で私の言葉を見事に曲解して繰り返す。

 エルがわざとらしく大きなため息をつき、ディルが苦笑いを、エドは目をらんらんと輝かせ、私の話の続きを待っているかのようだ。


「私は残念です。お姉様はもっと身持ちの固い方と思っていました。それなのに。それなのにそんな行きずりのイケメン兄さんと。ああっ!」


「なにもしてない」


「だいいち、どこに連れ込まれたっていうんです? この近所にそんな連れ込み宿などが」


 連れ込み宿とかお子様が言うんじゃありません。


「その川べりの小道を通って、先にある泉で話をしたの! それだけ!」


「小道って、なにお姉ちゃん」


「え、何ってそこの……あ、あれ?」


 指さした先には確かに小川がある。しかしすぐ先から川の両岸は崖になっていて、とても道があるように見えない。昨日の景色はなんだったのだろうか。


「やっぱりただのお姉様のいやらしい妄想じゃないですか! なんですか、私というものがありながら。ふけつです!」


「「「いやお前が言うなよ」」」


 見事にハモった。しかしなんだったのだろう。ただの夢だったのだろうか。それにしてはやけにリアルな夢だった。


 そうだ。ヨルグが言っていた、『忌み子』のことを話してみよう。


「そうだエル。リンブルグランドの『忌み子』って奴隷になるんだよね。どこに行くの?」


「えーっとたしか、教会が母体の就業施設と聞いています。おそらく鉱山か工場の類でしょうね。いずれにしてもそう待遇のいいところとは思えません」


 夕べの残りのオークのローストを黒パンに挟みながらエルが答える。


「ふーん。で、その鉱山とか工場ってどこにあるの?」


 エルは調味料を振る手を止めて私の方を向く。


「え? 妙なことをお聞きになりますね。あ、でも私も知らないですねそういえば」


 聞けば船長さん、サルヴィオさんも知らないらしい。では西の山岳地帯だろうか。

 とにかく南に進んで導師に会えとあの人はいった。そこで本当に話が聞けたら、あの人の言ったことを信じよう。


 エルから受け取ったパンをかじりながらヨルグの言葉を心の中で繰り返した。


「えーと、エル? なんで肉のサンドウィッチに砂糖をかけるのかな?」


 私の問いかけに「ふぁい?」とおいしそうにサンドウィッチをかじるエルは、不思議そうな顔を見せた。


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