第三十九話 地図にない土地
「お姉様! 左からオーク二体!」
エルの鋭い声が森の中に響き渡る。視線を走らせると既に一体はすぐそばに近づいていて、薄汚れたこん棒のようなものを大きく振りかぶっていた。
私はぎゅっと足を踏ん張り、サイドステップでかわす。直後、単純だが狂暴な鈍器はすぐ脇の地面に叩きつけられ、音と振動にあわせ、土を巻き上げる。
オークは一声唸ると、こん棒を持ち上げるやそのまま横にないだ。重さはないがこれでも当たれば骨を持っていかれる。バックステップでかわした直後、胸元をブウン、と音をたててこん棒が走る。得物についていた土が撒き散らされて、つい目を細める。
大振りになったオークはバランスを崩し、背中を半分見せながらたたらを踏んだ。間髪入れず相手の右手首を狙いウォーハンマーを振り下ろす。
ゴシャッという鈍い音とほぼ同時にオークは情けない悲鳴を上げ、こん棒を取り落としその場に膝をついた。
そうこうしている間にもう一体のオークが間合いを詰めてくる。
「エド! 手をつぶした方をお願い!」
「わ、わかりました!」
私は少し退きながら盾をハンマーでたたき、もう一体をおびき寄せる。するとオークは雄叫びを上げながら、ドスドスと粗野な足音を立てつつこちらに近づいてきた。ヘイトを集める、盾役の大事な役目だ。こうすることで、エドは落ち着いて高火力の魔法を発動できる。
エドワードの放った炎が膝から崩れ落ちたオークを焼き、すぐに断末魔の叫びが聞こえた。暴力的な炎は一瞬でオークの命を刈り取り、一際大きく燃え上がったそれは陽が高いにもかかわらず、周囲を明るく照らし、肌をジリジリと灼く。
だがその様子に臆することなく脇をすり抜け、怒りに我を忘れた様子でもう一体がやってくる。
「ディル! いける!?」
「いつでも!」
その言葉に合わせるように、ハンマーをオークの盾にわざと思いっきり打ち付けてやる。ガイィン! と金属同士のはじける音が響き、オークの動きが止まる。その機を待っていたかのように私の脇からレイピアがするりと飛び出してきて、その剣先はオークの目に吸い込まれるように突き刺さる。直後続く悲鳴。突然の痛みにオークは恐慌に陥っているようで、盾を放り出し、左手で顔を押さえながらこん棒をデタラメに振り回し始めた。
ディルの精密攻撃。すばしっこいディルならではの攻撃だ。目を刺し貫くというのは見た目よりかなり難しい。しかし彼女は恐ろしいほどの集中力をもって、事もなげにそれをやってのける。
周りが見えていない敵を屠るのはそう難しくない。ゆっくり落ち着いて、背後からオークの頭にハンマーを振り下ろす。袋の中にある固い卵の殻を割るような音をたてて、あっけなくもう一体も崩れ落ちる。
「エル! 残りは!」
「オールクリア! 終了ですお姉様。おつかれさまでした」
エルの安堵した表情をみて、ようやく緊張が解けた。この戦闘でも計八体のオークをたおした。ハンマーに目を落とすと赤黒く塗装したようにべっとりと血がついている。最初のうちは毎回丁寧に拭いてから腰に吊り下げていたけれど、それも面倒になってしまった。手入れがさほどいらないのも打撃武器のよいところだ。ボロ布で簡単にぬぐって吊り下げておく。
「おつかれ、ディル、エド」
「ここ敵が多すぎるよ~。早く帰りたいよ、お姉ちゃん」
私達が朝、この土地に上陸してから半日も経っていないが、戦闘はすでに五回を数えていた。
確かに数が多すぎる。ここは東大陸ではないのだろうか。大陸にしては整備が行き届いていないし、植生もなんだか違う雰囲気がする。全般的に大ぶりな感じだ。
駆け寄るディルをハイタッチで迎えていると他のメンバーも順次近づいてくる。ヴァイスは口の周りを真っ赤にしてモゴモゴ動かしている。
おそらくヴァイスは魔狼なのだろうと思う。しきりに倒した敵の内臓を欲しがるものだから、これはどういう行動なのだろうと以前サルヴィオさんに尋ねたところ、魔狼の習性らしいことがわかった。そうやって倒した魔物の力を得て、来る進化に備えるのだそうだ。
「ワシらの出番はなかったの。いやはや、お前らなかなかに強いぞ」
バトルアックスを担いでゆっくり私たちに近づきながら、サルヴィオさんが手放しでほめる。
「いえ、おじさんたちに後方を固めてもらっているから、私達は全力で戦えるんです。ありがとうございます」
「はっはっ。まぁ背中は任せておけ! しかし、ここは」
「はい。どこなんでしょうか、ここは」
みんな思っていることは同じだ。全員辺りを見回し始める。
植生は私たちの知る西大陸のそれとはずいぶん異なる。おじさんたちも首をかしげているところをみると、東大陸でも珍しいものなのだろう、辺りに生えている木には大振りの葉がまばらに生えていて、幹がかなりやわらかい。根元に目を向けると、枯れた葉が幾重にも折り重なって落ちている。北方の葉が落ちない小さな葉をつける背の高い木とは似ても似つかない。
そのような木々が高低織り交ぜ、様々な高さで生い茂っているため、地表にはあまり光が届かないようで全体的に鬱蒼としている。地面に近いところでは背の低い植物が生い茂り、害虫などの存在を考えると、足を踏み入れるのを躊躇するほどの藪となっている。
そんな密林にもかかわらず、ここには道路らしきものが作られている。道路端に切り株などがあるところをみると、手入れもされている。さらにわずかにだが馬車の轍のようなものも見て取れる。それは多くではないにせよ、ここに人が住んでいる可能性を示していた。
◇ ◇ ◇
時間は少しさかのぼる。
嵐は夜半過ぎには抜けたが、船が受けたダメージは少なくなかった。中でも舵が壊れたのは痛恨事だった。あれからというもの、潮に流されるままとなっている。
さきほどから船長さんが、船に備え付けの測量器で計測をしている。
空にはまだ幾分雲が残ってはいるけれど、方位を知るための星は十分見通せた。
この星は、船乗りからは“ミチシルベ”と呼ばれている。
いつでも北から動かず、また季節で変動はあるものの、星の位置で南北のおおよその位置がわかるという、船乗りにとっては命をつなぐ、まさに道標といえる星だ。
しばらくして測量器から目を離して計算尺をいじり、ため息をついた。
「ずいぶん南に下ってしまったな。波があるから正確には難しいが、多くて百五十キロ程流されているかもしれん」
「そんなにか」
船長さんの言葉にサルヴィオさんが驚いたような声を上げた。それに船長さんは「ああ」とうなずく。しばし船内に沈黙が流れた。聞こえるのは時折来る波を砕く音と、それに伴う船体の軋み。
「とにかく。朝にならんと島影も見えん。南にそれだけ流されているってことは、朝になったら二百キロは南だ。海図が無いから正直何があるのかわからん。今は休もう。見張りを立てて交代で休むぞ」
そういった船長さんとサルヴィオさんは候補として決定のようだ。後はエドを立てようと思ったけれど、船酔いの奴はアテにならないと除外された。とすると。
「はい、わかりました。いいですよ。アレクシアです。よろしくお願いします」
私は一歩進んで船長さんに名乗る。すまんな女の子に、とやけに恐縮されたので逆に申し訳なくなってしまった。そもそも私達が連絡船を使ってさえいれば、こんなことにはならなかったはずだからだ。できることは手伝いたい。
そうやって気負って名乗りを上げたのだけれど、当直中は特に何も起こらず、拍子抜けするくらい穏やかだった。
事態が動いたのは陽が昇ってから。南東の方角に、うっすら島影が見えたのだ。
◇ ◇ ◇
午後も遭遇戦が三度ばかりあった。ほとんどがオークでそれにゴブリンが混じるような構成だった。後になると徐々に慣れてきておじさん達との連携も更にスムーズとなり、労せず排除できるようになっていた。
通りを更に南に進むと、綺麗な水が流れる川があったため、そこで野営することにした。
先ほど倒したオークなどはさばいてブロック肉にし、サルヴィオさんが幅の広い葉で包んで持ってきていた。ウチの連中の反応は三者三様で面白かった。エドは興味深げに加工を観察。ディルは美味しいの? とさっそく食べる方面の興味をいかんなく発揮。対してダメだったのはエル。肉を目の前にして、青くなった顔で叫んだ。
「むりむりむりむりむり! オークとか、絶対無理だから! 私、グランとワインで十分なので!」
「何を言っとる。 豚肉みたいでうまいぞ? それにここから先食料が手に入るかわからんのだから、食える時に食っとかないと! それにワインはない!」
サルヴィオさんのワインはありません宣言に「うそでしょう~」とがっくりうなだれるエル。あなた、まだ十分お子様なんだからね。自覚無いと思うけれど。
サルヴィオさんは、川の近くに自生していたハーブを集め、手持ちのハーブ、岩塩などと合わせて手際よく肉に下処理をしていく。
今日の主食はグランという穀物を挽き粉にしたものを練って成形した保存食。これは湯がくと水を吸って柔らかくなり、食べられるようになる。かさばらないため冒険者の携行食としても重宝される。
主菜はオークのローストだ。薄くスライスし、川の近くに自生していたレホールという、すりおろしたら爽やかな辛みとツンとした香りがする野菜を岩塩と一緒にたっぷりつけて食べるのがコツだそうだ。
あとたまたま川を小型のワニが歩いていたから、それもついでに捕まえてきたとケロッと言うのには閉口したが、その哀れなワニもステーキになって登場した。さてそのお味はというと。
「美味しいっ! なんですかこれ!? 鶏肉みたい! 反則級じゃないですか!」
などと一番食いついていたのはエルだった。
ちなみにオークのローストも、蓋を開けてみたら一番食べていたのは彼女だった。
「オークもなかなかいけるじゃないですか! これはワインが欲しいですね!」
食わず嫌いこれに極まれり。彼女の食料事情もこれで解決だ。良かった。でもワインは無いんだわ。ごめんね。
野営はもう、手慣れたものだ。
人間がいないから、結界を張るだけでいいという点を考えると、大陸よりずいぶん気楽だ。人間の最大の敵は、やはり人間なのだ。
その日はみな戦闘疲れがあったのだろう、夜更かしして談義を、なんていうものは一人もおらず。早々に天幕にもぐりこむと、間をおかず寝息が聞こえだした。
私も今日は疲れた。申し訳ないけれど、見張りはヴァイスに任せることにした。横になるとすぐに睡魔が眠りへといざなう。
ふと目が覚めた。誰かに呼ばれている気がする。外からわずかに私を呼ぶ声が聞こえる気がする。夢でも見ているのだろうか。意識が判然としない。このまま寝てしまいたい。けれどどうしても話を聞かなければならない。そんな気もする。
“アレクシア。お前はいまだ、まどろみの中なのか”
どこからともなく響く声が私を呼ぶ。
「まどろみ? どういうこと」
おそるおそる天幕を開くと、深夜にもかかわらずぼんやりと明るい。よく見ると空でなく、地面の草や川がうっすらと光を放っているようだ。
外にはヴァイスがいるはずだけれど、この不思議な状態に驚きもせず、深く眠っているようだった。
気付くと少し離れたところに一頭の、目を見張るほど立派な角を持った雄鹿が立っていた。ほんのり輝きを放つ神々しいまでに美しいその鹿は、私の目を正面から射抜いていた。いつから立っていたのだろうか。まったく気が付かなかった。
“さぁ。くるのだ。アレクシア”
「私が? どこへ」
頭に直接響く声。鹿はくるりと向きを変え、小川の上流へと向かう小道を進みだし、いったん止まると首だけめぐらし私を見つめる。
ついて行かなければならない。なぜかそう感じた。
光の道となった小川のほとりを先導する鹿を追うように、朦朧とした意識のなか、ふんわりと一歩、踏み出した。






