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忌み子と彗星  作者: ずおさん
第二章:仲間とは
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第三十八話 船出、そして東へ

 翌日は食料の調達やら準備を行っていると、あっという間に時が過ぎた。

 朝早くの行動のため、みんな早めに休んだ。宿の主人には夜明けの出立に合わせ、食事などの手配を頼み、すこし多めの宿賃を支払った。


 私は予定より少し早く目を覚ました。やはり緊張しているのだろうか。落ち着かない。

 窓際に燭台をひとつ灯す。エルに部屋の場所を伝えるためだ。

 雨が降らなくてよかった。まばらに雲が見えるだけで、王都は爽やかな朝の準備を始めようとしていた。


 こんこん。窓を叩く小さな音。窓を開いてやると、音もなく全身すっぽりマントに包まれた人物が部屋に滑り込んできた。静かに窓を閉める。

 マントの人物はフードを取り払った。途端に零れ落ちるアッシュブロンドの髪。そして私の方にゆっくりと振り向く。灰色がかった蒼い瞳からは大粒の涙があふれ始めていた。


「お姉様っ」


 涙のしずくを散らしながら、エルは私の胸元に飛び込んできた。あまりに勢いがついていたものだから、そのままベッドに倒れ込んでしまった。


「ねえさま、おねえさま。夢じゃない。会いたかった、おねえさま」


 泣きじゃくりながら、猫がするように顔を埋め、私の胸に抱きついてくる。しばらくそのまま抱き留める。


「きっと。ううん、絶対救ってくださるって信じてました。お姉様」


 顔を埋めたまま、くぐもった声でエルが嗚咽交じりに語る。落ち着くように、私は彼女のさらさらの髪をやさしくなでてあげる。


「もう、帰ってこれないかもしれないよ。いいの」


 聞くだけ野暮かもしれないけれど、最後の確認をする。こくん、と彼女は頷く。

 そしてエルはゆっくりと顔を上げる。


「覚悟を決めてきたんです。お姉様とだったら、どこへだって。私、行けます。ううん、あなたに、どこまでもついていきたい、だから」


 涙で濡れるエルを、とてもきれいだと思った。ほんの数秒。見つめ合っていたけれど、

 静かに目を閉じたエルはそのまま顔を近づけてきて。あっと思った時には口づけをされていた。一瞬で頭の中が沸騰し、何も考えられられなくなる。


「ん。ふ」


 しゅるり。エルは私の首に腕を回す。小さく湿った、ついばむような音が、耳の奥に響く。

 頭の奥がじくん、じくんとじんわり甘い痺れに支配されていくのを感じつつ、彼女の腰に手を回すことだけは、ほんの少し残った理性のかけらで必死に耐えた。


 ずいぶん時間がたったような気もしたけれど、あっという間だったかもしれない。


「はぁっ」


 悩ましく息を吐きつつ離れたエルの顔は、耳まで真っ赤になっていた。頬がものすごく熱い私もきっと、赤くなっているに違いない。


 何とかエルの下から逃れて身を起こし、ベッドの上にぺたんと座る。エルは私が離れたのが気に入らないのか、少し口をとがらせながらゆるゆると身を起こし、乱れた髪をかき上げた。


「な、なにキスしてんのよ」


 私は手で口を覆いながら辛うじてそう言うのが精いっぱいだった。女の子からキスされるなんて考えてもいなかったから。今さらながら、早鐘のように打つ心臓の音がやけにうるさく耳に響く。


「ごめんなさい、お姉様。我慢、できませんでした」

「我慢、って」


 エルは赤くなった顔のまま唇に指を這わせ、妖艶に微笑むとぺろりと唇をなめた。


「うふ。これは呪いです。私と離れられなくなる、王家秘伝の呪い」


 エルの瞳が怪しく輝いたような気がした。先ほど感じた儚いイメージとは正反対の、皆を虜にするような魅惑的な笑みをたたえ、ささやく。


「え、そ、そうなの」


 なぜかはわからないけれど、唾を飲み込みつつ答える。


「冗談です」


 涙をハンカチで押さえながら、ふふ、とエルが笑う。


「えっ。やめてよね、もう」


 エルがコロっといつもの調子に戻り、拍子抜けした私は、つい気の抜けた返事をしてしまった。


「でもお姉様。振りほどこうと思えばできたたはず。どうして私を拒まなかったのですか?」

「そ、それは」

 確かにそうだ。私はやろうと思えば拒めた。けど気づけば受け入れていた。


 ほんの二日ほど会っていなかっただけなのに、彼女とは数週間もあっていなかったような気さえ感じてしまった。私も寂しかったからなのか。


 エルは変わらずうっとりした目で私を見つめる。そっと私の膝に触れたエルのほっそりとした指が、スルスルと腿の上を滑り、私は思わず目を細める。

 二人の視線がからみあう。

 指を絡め、再び徐々に近づく二人の距離。


「あー、そのエル。そろそろ、用事は済んだかなあ。ほら、急がないと朝になっちゃう」


 その瞬間、エルがものすごい勢いで声のする方に顔を向けた。そこには申し訳なさそうにしているディルの姿があった。そうだった。今夜はディルと同室なんだった。


「な。ディル。いるなら早く言ってよ」


「そんなこといってもさ。声かけられるような雰囲気じゃなかったし~」


 エルの抗議にディルはニヤニヤしながら答えた。ディルの顔も少し赤いかな。くっそう、恥ずかしい。

 気付くとエルはベッドに突っ伏していた。


「はずかしくてしにそう」


 彼女はそう呟いたかと思うと、私が着替える間、身じろぎ一つしなかった。



 夜明け前に王都を発った。徐々に王都を離れる馬車の幌を少し開き、エルはしばらくの間王城を見上げていた。


「ごめんなさい、お父様、お母様」


 それだけ小さくそっと告げると、幌を閉じた。ディルはその様子をただじっと見ていた。




 ハーファーの街に行くためには途中、王都の北にあるダニエッテを経由し、そこから東へ向かうこととなり、三日ほどかかる。急ぐ旅ではあったが馬を換えるわけにもいかない。無理をさせて動けなくなっては元も子もない。はやる気持ちをぐっとこらえ、馬をいたわりながらの旅となった。


 慎重を期し、街では最低限の食材の補充以外では立ち寄らず、野営をした。野犬の類は数匹出たが、そのたびにヴァイスがひと吠えすると、戦うそぶりも見せずすごすごと逃げ帰っていった。街道を駆けたためか、魔物の類が出なかったのは幸いだった。


 朝になっても追手らしいものの姿が見えないところをみると、定期便と国境を警戒しているのかもしれない。それかもうすでにあきらめてくれたのか。いずれにせよ好都合だった。


 次の日も移動に費やし、ハーファーに着いたのは翌々日の昼過ぎだった。


 到着するや、サルヴィオさんが知り合いの漁師と交渉を始めてくれた。市場で必要な品を調達して戻ってきた時には、荷馬車を代金に、コンベビアの首都、コンベビーまで送ってくれるよう手配を掛けてくれていた。




 そして目の前には、想像よりもはるかに立派な漁船が、出航を待っていた。


 元々十人ほどが乗船して大型魚を釣るための船なのだそうだ。そもそも外洋を航行する船だから、大陸間を航行するにも支障はない。


「まぁ宿のベッドや風呂なんて、そんな立派なもんはついちゃないが、それなりに快適に過ごせるはずだ。片道五日ってところだな。ま、ワシにまかせておけ」


 船長はサルヴィオさんやお父さんがいたパーティーが、北の果ての火山に渡るときにも船を出してくれた親友だそうだ。


 そして船は夕方、ハーファーを出港した。

 しばらくは大陸を左舷に見て、海岸を沿うように進んでいく。それが翌日になるといよいよ大陸とも離れた。すぐに四方すべて海となり、陸がどちらになるのかさえ分からなくなる。そうなると船長の経験と勘だけが頼りとなる。


 順調に進んでいる。いや、進みすぎた気がしていた。

 そういう予感は当たるのか、そういう考えがトラブルを引き寄せるのか。


「今夜は荒れそうだな」


 船長がぽつりとつぶやいた。




 時を追うごとに空を覆う雲はその量を増した。夕方には雨が降り出し、夜半になると風雨が激しく船体をたたくまでになった。波は見る間に高くなり、軽く船体を超すほどのうねりが立つ。まるでおもちゃのように、大きな船が翻弄される。


「わたし、もう無理です」


 そういって引っ込んだエルとエドワードは船に弱いらしく、それから船室から出てこようとしない。これだけ揺れているのだ。普通の人間でも無事ではすまないだろう。ディルも少し調子が悪いように見える。


 船体は軋みをあげ、甲板に叩きつける波は今にも船体を海の底に引きずり込もうとその鎌首をもたげる。浮き上がりそうになる体を手すりで何とか支え、前を見据える。


 嫌な予感がした。

 その直後ひときわ大きな波が船の横っ面をたたいた時、船長が大きく舌打ちをした。


「舵がやられた」


 どれだけ深刻な事態なのかは、船長の声色で分かった。

 私たちはまさに嵐の前で所在なく漂う一枚の木の葉。神に祈る習慣は持ち合わせていないけれど、祈るしかない。


 お父さん。お母さん。私たちを守って、と。


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