第三十七話 お父さん、貴方もか
荷馬車が到着したので私たちは城を辞し、城下町に今日の宿を取った。ここはあらかじめディルと打ち合わせをしていた宿で、エルにも彼女が伝えてくれている。
「女神の隠れ家」亭。今回の悪だくみにはぴったりの、いい名前だ。
建物自体取り立てて特徴はない。リンブルグランドにおける、オーソドックスな宿屋の形。
主に冒険者や巡礼者が泊まることの多い、中の下というところの宿だ。
ところで久しぶりに会ったヴァイスの喜びようといったら、もう大変だった。尻尾をぶんぶん振りながら仰向けに押し倒され、顔中なめ回されたときは、そのまま食べられるんじゃないかと思った。
ひとしきり舐められた後は、しばらく彼の遊びに付き合わされた。彼とのコミュニケーションは、たっぷり日が暮れるまで続いた。
そんなわけで宿の一階にある食堂はこの時間、食事や宴会客でごった返している。密談をするには都合がいいということで、私たち四人はいま、早めの夕食をとっていた。
「そりゃまた大胆なことを考えたもんじゃな、お前さんたちは」
人がごった返す食堂の中、サルヴィオさんは私の言葉に驚いた後、ジョッキの中身がこぼれるのもお構いなしに豪快に笑いだした。
「そうですよ。いくらなんでも無茶がすぎませんか、アレクシアさん」
隣のエドワードが心配そうな声でおじさんの後に続く。
「そんなこと言っても、もう決めちゃったし。おじさんはともかくとして、アンタはついてきてもらうわよ、エドワード」
ディルがいたずらっ子の顔でエドワードにしかけると、彼は「まじでぇ」と情けない声を上げた。彼らを横目に私はサルヴィオさんに向き直る。
今回一番迷惑をかけるであろう、おじさんにはしっかり謝っておかねば。立ち上がり、おじさんに頭を下げる。
「すみません、おじさん。勝手に決めてしまって」
私の言葉に、対してサルヴィオさんの言葉は沁み入るようにやさしい。
「わかっとるよ。お前さんは、こんな状況、放っておけるわけないからの」
でもそれはおじさんの好意に甘えるわけにはいかない。下手をすれば私たちは、王族をかどわかした犯罪者になるわけだから。
「なんだったら、おじさんはここで明日別れて」
「おいおい嬢ちゃん。そりゃ水臭いってもんじゃろ。ま、とりあえず座れ。このままじゃワシがなんだか悪党にみえるわい」
そこで我に返りまわりを見渡すと、あちこちから視線が飛んできていることに気づいた。よく聞くと小声で「かわいそうに」「どんな弱み握られてんだ」「くそ、あのおやじあんなかわいい子になんてこと」などなど。
好き勝手に言っている野次馬の声が聞こえて、あわてて席につく。
でも誰か知らないけれど「かわいい」って言った奴。後でエールくらいおごってあげてもいいよ。
「なぁ嬢ちゃん。整理するとこういうことか」
確認の意味か、サルヴィオさんがおさらいをしてくれる。
作戦の決行は明後日の早朝、日の出前。陽が出る前に宿をたつ。深夜のうちにエルが王城から抜け出し、宿まで来る。彼女をつれて王都よさらば。
計画の大枠はざっとこうだ。
「なんだか盗賊団みたいだね。興奮するね、お姉ちゃん」
顔を紅潮させて、両手を胸の前でぶんぶん振って。なんだかディルは楽しそうだ。
今からやることの事の大きさを、この子は理解しているのだろうか。つい心に黒いものが渦巻きそうになるが、あまりに無邪気なその表情に、途端に毒気を抜かれてしまう。
「バカ言ってないで、早く食べよ。冷めちゃうよ。あとごめんね、エド。巻き込んじゃって」
エドワードにとってはいい迷惑に違いない。特に彼の家はデュベリアの貴族。家に迷惑がかかることはしたくないはずだ。もし彼が迷惑そうにするならば無理強いはできない。
「えっ、いや、大丈夫、大丈夫ですよ。僕もちゃんとご一緒しますから、アレクシアさんは安心してください」
若干沈んだ顔をしていた彼だったけれど、それは気のせいだったみたい。私が声を掛けたらパッと笑顔になって、一緒に行ってくれるという。
「ホントにいいの~? そんなこと言っちゃって。無理してない~?」
ディルが肘でつつくようなそぶりを見せつつ、あいかわらずエドワードをからかうような口調で話しかけている。いいじゃない、一緒してくれるっていうんだから。
「じゃ、今後の進路なんだけど」
逃走する以上、王都から東大陸に渡る定期便は使えない。出航は午後だ。エルが城に居ないということは、朝食の時間には露見する。仮に乗船手続きができたとしても、船を押さえられたら最後。お姫様の逃避行はその時点であっけなく終了だ。
「ま、定期船は使わんほうが無難だな」
ジョッキを傾けながらサルヴィオさんは結論付けた。私たちもうなずく。
「北のデュベリア領まで行けばどうでしょう」
エドワードの言葉にサルヴィオさんが即座に首を振る。
「いや、おそらく国境は固められるじゃろう。むしろ東のハーファーまで陸路で行くのはどうじゃ。あそこには知り合いの漁師がおるから、遠洋向けの漁船を手配できる」
「なるほど、漁船なら」
私が漁船を使うという発想になかば感心して言葉を発すると、エドワードがかぶせるように声を上げる。
「そ、それって密航じゃないですか!?」
隣のおじさんが何事かと顔を向けてきた。私がにっこり笑いかけると、いい感じにお酒の回った感じのおじさんはにへら、と相好を崩す。「一緒に飲むかい?」と声を掛けてきたので、ごめんなさいと適当にあしらっておく。
「しーっ、声が大きい、エド」
「あいたっ! す、すいません。でも密航ですよ」
注意の前についつい手が出てしまった。頭をさすりながら、今度は小声でエドワードが反論する。
「なにを言うとる。リンブルグランドの漁師がいつもの漁に出かけて、“たまたま”コンベビアの市場の卸値がいいからと寄港して、“水揚げ”したところで何の問題もないじゃろう」
「無茶苦茶ですよ、サルヴィオさん」
おじさんの“作戦”に、半ばあきれ顔でエドワードが抗議する。
「なあに、ごちゃごちゃ言うやつが出てきたら、コイツを見せれば一発じゃ」
そういっておじさんは強くキラリと輝く金属でできたものを胸ポケットから取りだした。その瞬間、私は思わずあっと声をもらした。“それ”にものすごく見覚えがあったから。
見間違えようがない。悠然と輝く獅子の紋章入りの徽章。
「お、おじさん、それ」
あわてて胸ポケットを探り、取り出す。おじさんの持っているものと同じ、獅子の徽章。これを見ておじさんは目を細めた。
「なんじゃ、ボルドが持っとった奴じゃないか。嬢ちゃんが受け継いだか」
「はい。でもこれがなんなのか知らなくて。なんですか、これ」
私の言葉におじさんは意外そうな、それでいてため息交じりに教えてくれた。
「聞かされとらんのか。こりゃ、ミッドフォードの男爵の証じゃ」
「えっ」
意外な回答に驚いて手に持った徽章をまじまじと見つめる。
「お姉ちゃん、男爵だったんだー。すごいじゃん」
ディルが横から覗き込みながら感心するように言った。お姫様に男爵なんだ、と驚かれても嫌味にしか聞こえないので、つい意地悪したくなった。
「いや、あなたお姫様だし」
ディルのおでこを人差し指でツンとつっついてやると、「にゃっ」と一瞬目を閉じてひるんだ。恨みがましそうに口をとがらせ、私をにらみながら、おでこをさすっている。その様子に少し留飲が下がる思いがしたので、話に戻る。
「初耳ですよ。それに姓も知らないし」
「確かウ? ヴァ? そう、ヴァレンティンじゃ、ボルドの姓は。あの町では身分を隠して暮らしておったんじゃなぁ。よほど貴族の生活が性に合わんかったとみえる」
かつて勇者として活躍した功績として、当時は望むものを望むだけ与えられる立場だったようだ。しかしお父さんは、地位や名誉はもちろん、領地や報奨金さえもことわった。わずかな金とこの徽章だけを、半ば押し付けられるように受け取ると、ミッドフォードから消えたらしい。
当時の王女との縁談も持ち上がっていたという。もし娶っていたなら今頃は伯爵という地位も夢ではなかったはずだったとおじさんは語ってくれた。
ヴァレンティン。私は、アレクシア・ヴァレンティン。
うん、まったくしっくりこない。よほどのことが無い限り、名乗ることもないだろう。
しかしお父さんが貴族だったとは。少し、というよりかなり意外な事実だった。
「まぁ、あんなことがあったらな。無理はないが」
「あんなことって」
「ん、おお。少ししゃべりすぎたな。さ、明日は準備で忙しい。今日は早めに休むとしよう」
あれ、はぐらかされた? 少し慌てた表情を一瞬だけ見せたけれど、見返してみるといつものサルヴィオさんだった。






