第三十五話 聖人の国 謁見
「この馬車は快適ね。昨日までのとは大違い」
エルは不快感を隠しもせず、無駄に豪奢なキャリッジ馬車の客席で、首をぐるりと回した。
「まったく。こんなのにお金をかけるくらいなんだったら、少しは飢えた国民を救えっての」
やたらに沈み込む、真綿のクッションを乱暴目に叩く。糸くずが少し舞い、ディルが顔をしかめて手であおぐ。
「やめてよエル。埃が立つじゃない」
「はあああ。しっかしお父様。ほんっとムカツク。関所にこんな馬車まで待機させておいて。私達の行動は筒抜けだったってこと? 私、脱がされ損じゃない!」
あの衛士の目をつぶしておかなかったのは一生の不覚だわ、など物騒なことを口走りながら、エルは座ったまま器用に馬車の壁を一度ガンッと蹴りあげた。脇に控える女官――監視役だろう――がわずかに眉をひそめる。
「ということはエル。私達を逃がしてくれたあの騎士様たちは」
鈴が鳴るような小さな声でディルが問いかけるも。
「もしかしたら、生きてないかもねー。あるいは」
他人事のように、謡うように話すエルが、そこでいったん言葉を切り、今度は拳を握り締めて歯噛みをする。
「あの方たちが密告したか」
エルの目が暗く、あやしく光る。
「しかし私たちはともかく、サルヴィオさんやお姉様、エドの服まで用意しているって、どれだけ準備がいいのよ」
エルはディル、サルヴィオさん、私、エドの順に服を一瞥し、最後に自分の左の袖を見つめ、ため息をついた。私の質素ではあるが立派なドレス。身体にピッタリだ。いつ採寸されたのだろう。
「お針子の中には、服の上から見ただけで、体のサイズがわかるものもいます。ヴィルバッハの街に居た頃から我々は監視されていたようですから、ま、余裕でしょうね」
エルが吐き捨てるように教えてくれた。
「それだけ、王はあなた様方のことに心を砕いてらっしゃった、ということです。さて、エインクラネル様。そろそろリンブルグランド王家の者として、ふさわしい態度を取っていただかないと。わたくしも立場というものがございますので」
「わ、わかったわよ、マルゴ。そんなに怖い顔しないで」
マルゴと呼ばれた女官に、エルはどうやら頭が上がらないらしい。私はサルヴィオさんと目を合わせると、おじさんは短く息を吐き、肩をすくめて目を閉じた。
「ああ、どうなるんだろこれから」
私のつぶやきなどいざ知らず。やたらに乗り心地のいい馬車は、さまざまなメンバーの思いをのせ、一路王都までひた走る。
途中のスールズに一泊し、それぞれ食事も別々な軟禁状態で朝を迎えるとすぐ街を出て。馬を変えながらひた走り、なんとその日の夕方には王都に到着してしまった。私達の荷馬車は、後から別の者がゆっくり届けてくれるそうだ。
要するに私達は、エルとディルだけでなく、足と装備も人質に取られてしまった格好だ。まったくエルのお父さん――リンブルグランド王は抜け目がない。
ヴァイスは私達の荷馬車を見てくれているけど、ちゃんとご飯はもらえてるかしら。
リンヴァルドベルグ。リンブルグランド王国の王都。
人口百万人。最大の名こそミッドフォードの首都に譲るが、世界の中でも指折りの巨大都市。水産業に端を発し、金融、観光、海運をはじめとする物流。新業態として海運から派生した、保険業もここから全世界に店舗を広げている。
工業のミッドフォードと物流と金融のリンブルグランド。二大国家に支えられ、この世界は成り立っている。田舎者にはまぶしい世界だ。
古い街ではあるはずだが、建物はいずれも洗練され、石組みレンガ造りの多層建築が目立つ。人口密度が高い街の特徴だ。石畳に整然と並んだ建物。さすがは観光都市。見た目には気を使っているらしい。
観光も主要産業のひとつである理由はほかにもある。
宗教団体として最大の規模を誇るリンブル聖教。その総本山がこの街にある。信者数は公称一千万人。規模はおよそ、王都の実に十分の一を占める。信者は西大陸のほとんどはもちろん、東大陸でも大陸の西半分を中心に信仰を集めている宗教。世界の人口が約二千万人といわれているから、その規模は推して知るべしだ。
そして私を十年近く閉じ込めていたあの修道院も、この宗派の末端に属している。多くの信者の信仰を一身に受けるこの場所も、私にとってはただのクソッタレの吹き溜まりだ。
しばらく進むと正面に王城が見えてきた。
遠目で見たデュベリアの白亜の王城とは趣を異にし、質実剛健な要塞然とした、実用的な城だ。お付きの兵士が門に向かいなにかしら合図を送ると、重い金属がこすれ合う音とともに、ゆっくりと、私の胴回りほどの柱でできた頑強そうな鉄格子が上がっていく。
門からさほど時間をおかず、王城の入り口に到着したようだった。
黒いスーツに身を固めた男性、十人余りの女中、同じくらいの数の騎士が居並ぶ、王族用とおぼしき豪華な玄関の前で、馬車は停車した。
馬車の扉がゆっくりと開かれると、足元には赤いじゅうたんが玄関の奥まで続いているのが見て取れた。我々は促されるまま下車すると、白髪の品のよさそうな男性が恭しくお辞儀をする。
「お帰りなさいませ、姫様。長らくの旅、大変お疲れ様でございました。家臣一同、姫のご帰還を心よりお慶び申し上げます」
「大儀である」
冷ややかにエルがひとことだけ言った。
「さ、姫様。こちらへ」
マルゴが二人を促す。エルとディルは一度私の方を振り向き、何か言いたそうにしたが、すぐに目を伏せ促されるまま廊下の角に消えた。
「皆様にはそれぞれお部屋をご用意しております。こちらへ」
我々はそれぞれ別室に通され、また軟禁が始まった。何もすることが無いので、仕方なく早めに休むことにした。
「アレクシア様。我が王が皆様に挨拶をされたいと申しております。こちらをお召しになり、御準備ください」
翌朝、一人で食事をとった私の元へ、別のドレスを持った二人の女中が現れるや、事務的に告げた。
白のノースリーブの裾がふんわりとしたドレスと髪飾り、そしてブーケ。コルセットにガーターベルト、レッグウェアに白い靴。それと手袋。
先ほどの女中に手伝ってもらい用意をすませ部屋をでる。
歩きにくい格好で無駄に長い廊下を進み、謁見の間の控室を開けると、そこにはサルヴィオさんとエドワードがいた。見慣れた二人にホッとした。二人とも黒のスーツ姿だ。心配性のエドワードが私を見るなり顔をほころばせ、椅子から立ち上がって近づいてくる。
「アレクシアさん。ああ、よかった。無事だったんですね」
「馬鹿ね。城の中でどうこうされるはずないでしょ。気にしすぎよ」
「でも、夕べは一人で不安でっ!?」
エドワードが毛足の長いじゅうたんでつまずき、私の胸に飛び込んでくる。
「あのさ、いつも思うんだけど」
「ふぁい」
「わざとじゃないよね」
「すすすすいません!」
うっかり私の胸の間に顔をすっぽり埋めた彼は、顔を真っ赤にして離れた。
「でも」
エドワードがもじもじしながら言葉を継ぐ。
「なによ」
「あ、あの。すごく、素敵です、そのドレス。アレクシアさん、とてもキレイです」
「なっ」
くそ、不意打ちとは卑怯な。不本意ながら、頬が熱くなっていくのを感じた。やり取りを横で見ていたサルヴィオさんが、わっはっは、と笑った。
「あの、サルヴィオさん。すみません、変なことに巻き込んでしまって」
「何言っとる。お前だって巻き込まれとる方じゃろうが」
「あはは、そうですかね」
「それにしても、ふむ。着るものを変えれば、中身は変えずとも見れるようになるもんじゃな」
それどういう意味ですか? と聞きたいが答えがわかりすぎるので黙っていた。
しかしサルヴィオさんはこんな状況でも平然としている。さすがだ。私は緊張していたが、スケベなエドワードのお陰で緊張が解けた。怒るに怒れない状況に腹が立つ。
「皆様、お待たせしました。こちらへどうぞ」
一際重そうな扉が開かれると、そこは別世界だった。
全体的には白と金。床はじゅうたんの赤、深い赤。建物三階分はあろうかという高い天井。そこには大きなシャンデリアがきらびやかな光を放ち、天井に描かれた天井画――天使と聖母、神だろうか――を荘厳に照らしている。
壁にもレリーフ、照明、金細工などが施され、権勢を誇るリンブルグランドの国力を示すに十分な部屋だった。
謁見の間。外交の主戦場。舐められては負け、そういう部屋だ。
脇にはずらりと兵士が居並び、その前には女中、文官などが数人。私達は中心にサルヴィオさん、少し控えて私、エドワードと並んだ。
「我が王がお見えになります。一同、控えられよ」
サルヴィオさんが膝を折り、頭を軽く下げた。私達もそれにならう。
しばらくすると前方の右側の扉が開き、何人かが部屋に入ってくる気配がした。
しばらくして音が止むと、左前から声がした。
「リンブルグランド国王、グスタフ・オリバー・フォン・リンブルグランド陛下であらせられる。 一同、控えよ!」
「よい。面を上げよ」
グスタフ国王の声掛けにより、顔を上げた。思ったより高齢な印象だ。年は五十から六十といったところか。サルヴィオさんよりは幾分若い程度。豊かなあごひげをたくわえ、王者たる貫禄は申し分ない。
隣には上品な美しい女性。王妃様だろう。年は王より少し下り、四十程度かとおもわれる。すらっとしたスタイル、整った顔から、若い頃はとんでもなく美人だったことが窺いしれる。私がぽーっと見ていると目が合ってしまい、直後優しく微笑んでくれた。
「は。わたくしはミッドフォード王国で鍛冶を営んでおりますサルヴィオと申します。以後、お見知りおきを」
サルヴィオさんがまず自己紹介をはじめた。
「おお、そなたがあのサルヴィオ卿か。いやはや高いところから失礼をした。先代の時、大変世話になったと聞き及んでおる。ほかの勇者の方々は息災なのだろうか」
なに、サルヴィオさんてこの国じゃ英雄さんなんだ。すごい。
「いえ。残念ながら昨年、こちらに控えておりますアレクシアの父、ボルドが戦神に召され、恥ずかしながらわたくしのみが生き恥をさらしております」
「おお、ボルド卿の娘御であったか、それは重畳」
王はそういうと、私に視線を向けてきた。
「は。レンブルク王国の冒険者、ボルドの娘、アレクシアにございます。本日は陛下のご尊顔を拝す栄誉に浴し、恐悦至極に存じます」
練習通りに言えたかどうか、自信がない。
「はっはっはっ! よいよい、そんな使い慣れぬ言葉を使わずともよい。よくぞ我が娘たちを守ってくれたのう。礼を言うぞ、ボルドの娘、アレクシアよ」
笑われた。多分変だったんだ。うう、使い慣れない言葉なんて使うんじゃなかった。
「は、はい。こちらこそ、あ、ありがとうございます」
ぷっ。くすくす。声の方向に目を向ければエルが顔を真っ赤にして笑っている。くそ、あとで覚えてろ。
しかし今改めて顔を向けた時に二人を見たが、今の二人は見まがうことないお姫様だった。
エルは柔らかいピンクを基調としたドレス。ディルは黄色。二人ともとてもチャーミングで、それでいて王女としての品格も十分漂わせている。これが馬車の中で口汚く罵っていた足癖の悪いエルと、とても同一の人物に思えなかった。
「うむ、おぬしたちの武勇伝は後程の昼食会の時にでも話を聞かせてくれ。ときに。今後はどうするか」
「はい。サルヴィオ殿に同行し、見聞を広げる旅をするつもりでございます」
私の言葉にうなずき、王が口を開いたとき、横からエルが声を出した。
「わ、わたくしたちも、おね、アレクシア様と同道を」
「ならん」
しかし王の言葉は短い拒絶だった。視線は遠く、正面を見据えている。
「ですが」
「ディートリンデルはともかく、エインクラネル。そなたはダメじゃ」
「なぜですか」
一歩踏み出して王に言い募るエルに、ようやく王は目線を送った。
「その話は昨夜もしたであろう。お前は我が国の礎をより強固にするため、その身を挺して働かねばならぬ。冒険者には冒険者の、貴族には貴族の、王族には王族の役割がある。まさかそなたは、まだそれが分らぬとでも申すのか」
「わかりません! ディルは良くてどうして私は」
さらに言葉を重ねようとする彼女に王は。
「ワシの口から、それを言わせるのか?」
「っ」
凄みのある低い声。有無を言わせない圧力のある言葉だった。エルもそれ以上、言葉を返すことができないようだった。
王は一度小さく息を吐き、私たちの方を向いた。
「サルヴィオ卿、アレクシア。見苦しいところを見せた。まずはゆるりとされよ」
そして謁見はお開きとなった。
国を守り、支える。王族の役割とはなんでしょうか。
エルに課せられる役割とは。ディルはなぜ旅を続けても良いのか。
本当にこの世の中はゆがんでいます。






