第三十四話 聖人の国
出立の準備ができてもなお、エドワードの母は名残惜しそうにしている。可愛い息子がふたたび旅立つから、ではなさそう。
「でもホント、残念だわあ。せっかく娘と孫ができるチャンスと思ったのに」
頬に手を当てながら、別れを惜しむエドワードの母の姿。ここだけ切り取れば絵になるところだけど。
「母さん、いい加減にしてください。本当にもう帰ってきませんよ」
夕べの一件以来ずっとこんな調子だ。エドワードとしても余程腹に据えかねたのだろう。この物言いから察するに、この人は全く反省していない。むしろ悪いことをしたという意識そのものがないように見える。
「ああん、エドちゃんはいじわるです。わかりました、もう言いません。だからちゃんと帰ってきてね。アレクシアちゃんも連れてね」
そんな彼の怒りをどこまでわかっているのか。彼女は身をくねらせながら息子の非情な一言に抗議しつつ、また屋敷に来るように告げた。
エドワードの家を出た。ここからは街道をひたすら東に進む。一日進めばもうリンブルグランドの関所ということだ。関所は夕方に閉まるので、旅人はよく手前にある簡易の宿に泊まるという。私達は野営の道具を準備しているので、野営を行う。
草原の国というだけあってとにかく一面平原だ。産業は沿岸こそ商工業が盛んであるが、このような中山間においては牧畜が盛んであるようだった。街道沿いには遠くでヤギや羊がときおり群れているのを眺めながら、牧歌的な風景が延々と続くにまかせた。
ありていに言えば、暇、である。ディルに至っては荷台に寝転がって昼寝を決め込んでいる。さすがのヴァイスもあくびをしながら歩いている。
そんな淡々と旅をする。久しくなかったのんびりした時間だけれど、これはこれで苦行だ。
だが草原の国もリンブルグランドに近づくにつれ、周囲は岩場が目立ち険しさを増し、木々が目立つようになってくる。前方には国境を為す険峻な山々が、次第にその姿を誇示するかのように迫ってきた。
徐々に街道の傾斜もついてくるが、しばらくするとそれも終わり、一転平坦な平原が突然現れる。どうやらここが今日の目的地のようだった。陽もずいぶん傾いてきている。手早く野営の準備をしなければ。
◇ ◇ ◇
何事もなく朝を迎える。
今日もほぼ一日移動に費やされる。王都のリンヴァルドベルグの手前の街、スールズまでの道。関所からの距離は昨日のヴィッテンからの距離の約半分だけれど、カーブが多く速度が出せないため時間がかかってしまうらしい。関所の開門と同時に手続きを済ませてしまおう。
夕べから様子がおかしかったが、エルとディルの二人の顔色があまりさえない。やはり自国に入るのはいい心持ちでないのだろう。出国の理由も理由だし。
「二人とも大丈夫? 何だったら北に迂回して、リンブルグランドに入らずに東大陸に渡る方法も探ってみるけど」
「い、いえ。大丈夫です。あの時は変装して突破したので、私達とは気づかれていないはずですので」
エルの物騒な発言は今日も絶好調だ。本人たちが言うなら構わないのだけれど、リンブルグランドは『忌み子』を排斥する国だ。冒険者である私はともかくとして、ディルの素性が露見するのは避けたい。
そうこうしているうちに関所の門が開きはじめた。
レンブルグとデュベリアの間にあった申し訳程度のものではなく、私の背丈の五倍はあろうかという高い壁の中央に、金属で作られた扉が、きしみを上げて開いていく。ほかの旅人がぞろぞろと入っていくのに合わせ、私たちも関所の中に入った。
一旦中に入ると意外と開放的な内装でホッとした。前回と同様、一人ずつ身分証を見せて確認を受けていく。前の冒険者パーティーが入国の審査を受けているとき、脇の衛士から声を掛けられた。
「次のパーティーの方。こちらの方でも審査を行えますのでどうぞ」
私達はお互い顔を見合わせ、その衛士についていく確認を取った。
そちらは部屋になっているようで、部屋がカーテンで仕切られていた。
「男性の方は左、女性は右にお願いします」
若干の違和感を覚えつつも、言われたようにする。すると背後の扉が閉じられ、施錠されたようなカチリという音が聞こえた。
「あ、あのすいません」
「なんじゃ、どういうことじゃ」
私とサルヴィオさんの質問が、まるで聞こえていない様子で衛士が信じられないことを口にした。
「それでは女性の方、一人ずつ衣服を脱いでください」
「はい!? どういうことです、それ」
エルは当然の抗議を衛士に尋ねる。しかし。
「我々は昨今頻発している、女性を中心とした他国からの扇動工作に対し。特にレンブルグからの旅行客を厳しく審査せよとの通達を受けています。特に女性は隠すところも多くあるわけで」
「なっ。私たちが間諜などと」
私は思わず声を上げた。
「ええ、もちろんそのようなことはないとおもいますが、念のためのご協力をお願いしている次第で。ただ、ご協力いただけない場合は、少しこちらでの滞在を覚悟していただく必要があります。ええと、ではあなたから」
まずは私が呼ばれた。カーテンで仕切られた簡易的な個室に、衛士と二人だけになる。
「ではお願いします」
事務的に言われるだけましか。あきらめてブレストプレートに手を掛ける。
がしゃり、と外したところで声がかかった。
「はい、手を挙げたまま、ぐるりと一周回って」
言われた通りに手を上げ、背中を見せるように一周する。
「はい、結構です。ありがとうございます。奥でお待ちください」
え、もう終わり。と思う間もなく押し出されるように奥の部屋に誘導される。
そこにはすでにサルヴィオさんとエドワード、ヴァイスの姿があった。
「え、みんなもう終わったの」
「おう。さらっと眺めたら行っていい、だとよ。ワシら舐めてんのか、あいつらは」
これはいったいどういう検査なんだ。しかし疑問の答えはすぐにわかることになる。
「なっ、なぜそこまで脱がないといけないのです!」
エルの声だ。私と異なる検査をしているのだろうか。
「えっ、でも。だから、なぜ。 ひっ、やめ、やめて、やめなさい!」
何が起きてる? 様子をうかがおうと席を立ったその時。
聞きなれない言葉がエルから発せられた。
「私を、この私を『エインクラネル』と知っての狼藉ですか! この手を離しなさい、この無礼者!」
カーテンを開いたとき、そこには。
シャツを胸にしっかり押し抱き、自らをかばう格好のエルと、その前で片膝をつき、頭を下げる衛士の姿があった。
「大変なご無礼を、殿下。もちろん存じ上げております。『エインクラネル・ルデリット・フォン・リンブルグランド 第三王女殿下』。責めはこの私の命で償う所存。どうかご裁可を」
「まずは王の命とはいえ、大変なご無礼、弁解のしようもございません。この場でお手打ちにされてもやむなしと、一同覚悟しております。さ、どうぞ」
衛士長の部屋に連れてこられた第一声が、この衛士長の言葉だった。
「あー、もういいです。こんな単純な罠に引っかかった私が悪いのです。それに大事なところは見られなかったので」
これ以上はお姉様しか見てはいけないのですから。ってぼそぼそ聞きたくない内容が続いたのは、うん。忘れよう。
「はっ、寛大なお言葉、痛み入ります。 そしてお帰りなさいませ、エインクラネル姫殿下。それと……ディートリンデル姫殿下も。ご健勝で何よりです」
ディルの名を呼んだ時、わずかに笑みのようなものが見えたのは気のせいだろうか。そして対するディルの辛そうな顔。「ええ」とおよそ普段のディルからは考えられないほどか細く返事をした後、再び黙りこくった。
「でもこれで、私達は入国の許可がいただけたということで、よろしいかしら?」
エルとしては大いに不本意なことであるはずだが、関所が抜けられるならと気持ちを押し殺していることは容易に見て取れる。
「入国は可能です。が、我々が王城まで護衛いたします」
衛士長は頭を下げたまま、護衛に着くことを宣言した。
「は? そんなもの、不要です」
「いえ、王の命により城までお守りするようにと」
「ですから、そのようなものは」
「王命、でありますれば」
最後の有無を言わさぬ衛士長の物言いに、さしものエルも、うなだれるしかなかった。
罠を張られていたため、あっという間に一行は拘束されてしまいました。
王城に行ったとき、何が起きるのか。






