第三十三話 草原の国
病人以外は降車し、越境手続きを行う必要がある。一人ひとり、簡単な質疑が行われているようだ。すでに数人が列をつくってはいるが、人の流れ方を見る限り、さほどかからずに手続きは終わるようだ。みな何かしらの身分証を呈示している。
サルヴィオさん、私の番はあっさり終わったが、ディルの番で問題が起きた。
「ええと、ディルさん。出身はどこですか?」
衛兵はディルのギルドカードを見ながら何気なく聞いてきた。ここは「王都です」とか適当に答えておけばいいのだが、ディルはやらかした。
「えっとえっと、リンヴァルドベルグです」
瞬間、後ろのエルの顔が引きつった。よりによってリンブルグランドの王都出身とか言うとは。案の定、衛士の表情が怪訝そうな雰囲気に変わっていく。ディルは事態が飲み込めていないのか、ポカンとしている。
「えーっと、ディルさん。どちらに、どのような目的のご旅行なのですかな」
「えーっと、ミッドフォードに、調べものに行きます」
「レンブルグにはどういったご用件で滞在されていたか」
「え、え、私、お姉ちゃんと一緒にヴィルバッハに住んでて」
「でも君、リンヴァルドベルグの子なんだよね。なんでレンブルグのカード持ってるの?」
「え、え。ふわわ、お姉ちゃあん」
ああ、こりゃダメだ。
「あ、あの。すみません。私から説明させてもらってもいいですか」
「はい、あなたは先ほどの。えーと」
「アレクシアです。この子の義理の姉です」
「はい、アレクシアさん。どういうことでしょうか」
若い衛士が私に向き直り、理由を尋ねてきた。
「この子と後ろの子の二人は、三年前に私の家に養子に入って、今の国籍はレンブルグです。今回はこちらのサルヴィオさんのお宅にご厄介になりつつ、諸国を観光させてもらうつもりで」
ここでいったん切って、衛士の手をとる。
「私があらかじめ説明しておけばよかったですね。お忙しいのにこんなお手間を取らせてしまって、ごめんなさい」
そして私は精いっぱいの上目遣いの謝罪をしている体の表情で、手をぎゅっと握って差し上げる。さすがに目を潤ませるなんてエルのようにはできないから、頼む。これで騙されてくれ。
「あ、ああはは、そ、そういうことですか。うん、遠い地で大変じゃないかい」
「え、う、ううん。大変じゃないよ」
ディルもやや私に隠れながらじっと衛士を見上げ、首をふるふると振る。若干涙ぐんでいる。意外とこの子、できる子。
「あっはは、すっかり怖がらせてしまったかな。すまんすまん。いっていいよ、ありがとう」
「本当にごめんなさい、ありがとうございます」
こう言っちゃなんだけどお兄さん。門番とかは向いてないと思うよ。
関所を抜けるとデュベリア王国だ。
しばらくは切りとおしのつまらない景色が続いたが、やがて山が切れ視界が開けるにつれ、息をのむ光景が眼前に広がってきた。
「うわあ、きれい」
一面続く草原。ところどころに咲き誇る様々な色の花々。ゆったりと下っていく草原の先にはいくつか街が見て取れ、その先には大きな湾が広がっている。左手の遠くには城のような建物がうっすら霞んで見える。王都ヴァイセンだろう。
「これがデュベリア王国です」
エドワードが少し誇らしげに口を開いた。自分の国が好きなんだろう。確かに美しい。レンブルグも自然豊かな国ではあるが、一面の草原、遠くには海とはるかに霞む白亜の城。このような景色もまた、絶景だ。
「私の家は先のヴィッテンという街にあります。ちょうど夕方には着くと思います。途中にレッシェンドルフがありますので、そこで昼食にしましょう」
なんだろう、エドワードがなんだか頼もしく見える。おかしい。
◇ ◇ ◇
そのおかしさは夕方、彼の家があるというヴィッテンに着いても変わらなかった。
「さぁ、ここが私の家です。どうぞ」
エドワードはただいま戻りました、と言いながら家の玄関を開ける。家の中からは「まぁ、坊ちゃん」などという驚いたような声が漏れてくる。
「ねぇ、変だよね」
「うん、いつも変だけど、今はいつにもまして変」
ディルと顔を見合わせ、肩をすくめた。
家、というにはいささか大きい。屋敷だ。ある程度の資産家なのだろうか。
「ね、おじさん。このあたりの家ってこんなもんなの」
「あー、ほら。あそこ見ろ」
サルヴィオさんが指さしたのは玄関わきの壁。一つのレリーフが掛けられている。
「ありゃ貴族の証だ」
「え、貴族」
「といっても男爵じゃけどな」
サルヴィオさんが小声で付け足す。いや、男爵といっても貴族様でしょう。私たちなんかがお邪魔して大丈夫なのかしら。
玄関ホールに入ると、正面に大きな二階に続く階段。そこにまっすぐ向かう赤いじゅうたん。ホールだけで私のお店くらいあるんじゃないかな。壁際には風景画や誰かが騎乗した姿絵などがかかり、お約束のように石膏像なども置かれていた。
「こちらへどうぞ。ご案内します」
侍女の方だろうか。促されるまま隣の部屋へ向かう。部屋でそわそわしていると。ノックがされ、直後ドアが開かれるや、ゆったりと口ひげを蓄えた紳士然とした男性と優雅にドレスを着こなす妙齢の女性、続けて何やら恥ずかしそうにしているスーツに身を包んだエドワードが続いた。
サルヴィオさんが立ち上がったので私達もそれに倣う。
「ようこそ我が屋敷へ。私が主のアレクサンドル・クラウザーです。いつも息子が世話になっていると聞ききました。感謝します。長旅で疲れたでしょう。ゆっくりなさるとよいでしょう」
にこやかにねぎらってくれたこの男性が、エドワードの父親なのだろう。
「ご子息の好意とはいえ、本日は大人数で急に押しかけてしまい、かたじけなく存じます。私はミッドフォードのサルヴィオと申しまして、鍛冶を生業としております。以後お見知りおきを」
サルヴィオさんがゆったりと謝辞を伝える。するとアレクサンドルさんが少し驚いたような表情を浮かべる。
「ミッドフォードのサルヴィオ師といえば。彼のパーティーで名を馳せたあの」
「はっは。昔のことです」
「いやいや、これは光栄なことです。大したもてなしもできませんが、ぜひごゆっくりなさっていってください。ぜひ旅の武勇なども聞かせていただければ」
どういうことなんだろう。後でゆっくりとおじさんに聞こう。
そのままアレクサンドルさんがにっこり微笑んで私たちをゆっくり眺める。ふと目が合うと、しばらく見つめられた。なんだろう。あ、そうだ挨拶。
「あ、息子さんとパーティーを組ませてもらっています、アレクシアです。息子さんにはいつも大変お世話になっています。本日は突然押しかけてしまいすみません。よろしくお願いします」
「あら、いいのよ。どうせ部屋なんて余ってるんですからいつでもいらして。あ、失礼しました。私がエドワードの母です。いつも息子がお世話になっております」
こちらはお母さんだろうか。どことなくエドワードに似ている。ふわふわとカワイイ感じで、エドワードの年齢を考えると、実際の年齢よりずいぶんと若く見られるのではないだろうか。老けて見られる私からすると、羨ましいことこのうえない。
そんなカワイイお母さんが深々と頭をくださるので、こちらもあわてて頭を下げる。エルとディルもそれぞれ謝辞を述べている。
あいさつが済んだあと、ふと見るとエドワードのお母さんが彼の耳に口を寄せた。口元を隠して彼に何やら話している。
「えっ、そんなの考えてないよ」
「だからそんなんじゃないって」
「うん、まぁ、そうだね。いや、だからそういうのやめてよ」
ほんとに止めてよと言ったのを最後に、ようやく解放されたようだ。
「今日はゆっくりしてらして。用意がなかったのであまりおもてなしできないけれど、今、侍女にも市場に買いに行かせてるから。湯はすぐに使えますから、まずは旅の疲れを流してこられたらいかがかしら。あ、その前にお部屋ね。案内して差し上げて」
お母さんはにこやかに侍女たちに指示を出す。侍女たちはうやうやしく頭をさげ、私達を二階へと促した。
お風呂も、食事もすごく良かった。よほどサルヴィオさんの威光がすごかったのだろう。しばらくおじさんの武勇伝を聞いていたけれど、さすがに長旅で疲れがピークに達していた。丁重に挨拶をしたあと、おじさんをリビングに残し、早々に辞することにした。
宿をとらなかったのは正解でしたね、とエルはすっかりご満悦だった。それぞれ満足し、部屋に戻って行った。
そして私は一人部屋のベッドに寝ころび、先ほどの食事での会話を思い出す。彼は三人兄弟の次男らしい。上にお兄さん、下に妹。お兄さんは兵役で王都へ。妹は王都の学校の寄宿舎にいるそうだ。なので普段はご両親と執事、数人の侍女で暮らしているという。
エドワードは兵役が始まるまでの間、修行という名目でレンブルグに行っていたらしい。
ものすごく気遣いの人。この親にしてこの子ありという感じだな。
ヴァイスを撫でながらそんなことをぼうっと考えていたら、疲れからか、いつの間にか眠りに落ちていた。
夜更けに風を感じ、ふと目を覚ます。
部屋は闇に包まれている。あれ、明かり。いつの間に消したんだっけ。
仰向けになろうと寝返りを打ったその時、隣で息をのむ気配がした。
「ん。なに」
「ひっ」
「っ、なんで、君がここにいるのよっ」
慌てて身を起こすと、そこにはベッドわきの椅子に腰かけ、気まずそうに苦笑いしているエドワードの姿があった。
「あ、いや、これには事情が」
「でてって」
「出ていきたいのは山々なんですが」
「わかった、じゃ私が出ていく」
「あのですね」
しどろもどろのエドワードは無視し、私は部屋の入り口に向かう。
「あ、あれ」
ドアノブを回すが扉が開く気配がない。カギがかかっているというよりこれは。ドンドンと扉をたたくも手ごたえがおかしい。見た目は木のドアだけれど、まるで土壁を叩いているような感触。
「ねぇエドワードくん。これ。魔法でしょ。開けて」
「ええと、僕も頑張ってみたんですが、開かなくて。ごめんなさい。それ、多分母の仕業です」
座ったままのエドワードは、バツが悪そうに答えた。
「なに、それ。つまりお嫁さん候補を連れてきたんだったら、さっさと孫の顔を見せろって、そう言われたってこと」
「うーん、ものすごーく端折って言えば、そういうこと、ですか」
「で、私達閉じ込められていると」
「そうなります、かね」
苦笑いで答える。はぁ。仕方ない。ヴァイスもいるから、いざとなっても大丈夫、かな。それにかなり眠い。
「もう眠いし、寝ましょ」
「え、でもいいんですか、僕がいて」
「何もしないでしょ」
「も、もちろんです」
やり取りしつつ、あくびしつつ。私はヴァイスを枕にベッドにもぐりこむ。
「じゃ、おいで」
「へっ」
エドワードは素っ頓狂な声を出した。
「へっ、って。まさか地べたで寝るわけにはいかないでしょ。ヴァイスもいるから、下手なことはできないでしょうし」
「あ、ああ、そうですね」
エドワードは暗闇でもわかるほど顔を赤くしている。
「それとも」
すこし、からかいたくなっちゃった。シーツの端をめくって。
「なにか、シタいの」
「な、な、ぼ、ぼくは、その」
可哀想なくらい慌てて。かわいい。
「ふふ。冗談よ。さ、寝るわよ。明日も早いんだから、はやく寝ましょ」
◇ ◇ ◇
「お、ね、え、さ、まー。起きてください。そろそろ朝食の準備、が。はぁぁぁぁあ!?」
「ん。うるさいなぁ、朝っぱらから。なに」
エルの絶叫で目が覚めた。すこぶる寝覚めが悪い。
「な、な、なんですの、この状況は。ま、まさかお姉様」
「え。なに、状況って」
そして徐々に覚醒しつつ胸元を見ると見慣れぬ光景が。
なぜ私の胸に顔を埋める頭がここにある。
「んふふ。やわらかいです、アレクシアさん……むにゃ」
そして一気に覚醒する。
「「エドワードぉぉぉ!」」
「この、エッチ―――――!」
「ぶっころ――――――す!」
この後、めちゃくちゃ説教した。特にお母さん。
めちゃくちゃ説教するってどういう状態なんでしょうね。






