第三十二話 旅立ち
わが国レンブルグは世界の西の端に位置する。すぐ東にはデュベリア王国がある。さらに先にはリンブルグランド王国。歴史はそれぞれ同じ約千年だという。
国家成立の詳しいことはよくわからないらしい。かつて残っていたという古文書のたぐいは、何らかの理由で廃棄されているからだ。他の国々でも同様のことがあったということは、サルヴィオさんから聞いた。そのため各国の歴史は、おおむね千年でぷっつりと途切れ、おとぎ話の類として残るもの以外は、それ以前のものが存在しない。
お父さんの店で起きたことは、なにも店だけで起きたことではない。組織的な関与があったと考える方が自然だ。
しかしわからないのは、そもそもなぜそのようなことをする必要があるのか。千年以上前の時期に、いったい何があったのか。それを知るうえでも今回の旅は重要な意味を持つはずだ。
そして私は、墓石に花を手向けながら告げる。
「そういうわけでお父さん、お母さん。私、仲間と一緒に世界を見てくるよ。少し寂しくて不安だけれど。でも、この子達とならきっとうまくいくと思ってる。二人とも、私たちを見守っててね」
みんなでお墓に向かい、しばらくお祈りをささげる。私が立ち上がるのにあわせ、みんな立ち上がった。
「それじゃ、行ってきます」
そして店に向かうため、きびすを返し歩き出す。数歩歩いたときに、風を感じた。その刹那。
しっかりな。
がんばってね、応援してる。
「えっ」
二人の男女に声を掛けられたような気がして、振り返る。そこには手向けた花が風に揺れるお父さんとお母さんの墓石が、変わらずたたずんでいるだけ。
まさかね。けれど。
「じゃあもう行くね。私がいないからって、寂しがらないでね」
それだけ言って、店に向かった。一際、風がごう、と吹いた。
なんだかんだいっても住み慣れた街を離れるのは不安で一杯だ。外のことを考えずに街で日々暮らしていても良かったのかもしれない。
最近は店も軌道に乗り、おばさんたちにも十分給金が出る程度までには利益も出ている。私たちも冒険など辞め、店に根を張って従事すれば、もっとよい結果が出るだろう。お店も大きくできたかもしれない。
でもそれは無理な選択だった。もちろん私の独断ではない。この件に関しては十分、パーティーメンバーの間で話し合った。その結果だ。
「一度外の世界を知ってしまったお姉様が、この街にとどまり続けるなんて無理です」
話し合いの最後に、そういってエルは笑った。
店の前に停めてある馬車に乗り込む前、最後にトニエラおばさんに別れを告げる。おばさんは寂しそうに、けれども私たちに気を遣わせないようにしてくれているのか、いつものように笑ってくれた。
「じゃ、おばさん。留守の間、お店をお願いします」
「ああ、こっちは任せときな。お前たちが居るときより繁盛させてやるからさ」
「あはは、お願いしますね」
そしてトニエラおばさんは今までで一番優しい表情を見せてくれて。
エル、ディルを順に抱きしめて、最後に私をキュッと抱きしめてくれた。
「気を付けるんだよ。無理をしちゃだめだよ。いつでも帰ってきていいんだからね」
「うん。ありがとう、おばさん。行ってくるね」
耳元で今まで聞いたことないような優しい口調で語りかけてくれるもんだから、うっかり泣きそうになるのをグッとこらえる。
「じゃね」
と一言告げると、私は泣きそうなのをごまかしたくて、あわてて馬車の荷台に飛び込んだ。馬車の幌越しに、エドに「あの子たちに何かあったら承知しないよ」などと脅しをかけているのが聞こえた。
サルヴィオさんが馬に軽く合図を送ると、馬車はゆっくりと動きだした。幌馬車から顔を出して手を振る。
その途端、気をつけろよとか、頑張れとか、無茶するなとか。門の所では多くの人たちが私たちを見送って、声を掛けてくれている。今更だけど、私たちの事を心配してくれる人たちがこんなにいたなんて。私はこぼれそうになる涙を必死にこらえながら、みんなが見えなくなるまで笑顔で手を振った。
ありがとう。いろんなことを見て知って、強くなって私、またここに帰ってくるよ。
街を離れてしばらくたつ。馬の蹄と車輪の音が心地よい。
今回は幌付きの荷馬車。期間もかなりかかるため、それなりの物を仕立てた。といってもサルヴィオさんが準備してくれたのだけれど。
今回の旅はとても長い。
まずはレンブルグからデュベリア、さらにリンブルグランドの王都リンヴァルドベルグまで向かう。そこから船に乗り換え東大陸へ。コンベビアの王都コンベリーで船を降り、ミッドフォード王国に至る、移動だけでおおよそ片道二十日ほどの旅の予定だ。
足元の石畳は大陸を横断している。
西はレンブルクの王都レンブルンからデュベリア王国を経由し、東はリンブルグランド王国の王都リンヴァルドベルグまで伸びている。大陸を東西に結ぶ道を人々は「栄光街道」と呼んでいる。
なぜ「栄光」と呼ぶのかは諸説あり、昔、神がこの地に降り立ったとき、杖でなぞった痕だとかいう宗教のようなものをはじめ、空をかける天馬の粗相の跡だという荒唐無稽なものまでさまざまなものがあるが、本当のところははっきりしていない。
とにかくこの西大陸で最も発達した街道であり、唯一すべてが石畳で舗装されている。
「そういえばユリアンナさん、大変でしたね」
言葉とは裏腹に、エルの口調は楽し気だ。早速、私をからかうつもりなのだろう。
確かにギルドのユリアンナは、なだめるのが大変だった。ギルドで遠征の事を話すや否や彼女はまくしたてた。
説明し、怒り、諭し。おどして、すかして、泣き落として。それでも敵わないとみるや、
「職権によりギルド資格をはく奪します」
と無表情に言い放ち、ギルドカードを取り上げられそうになった段で他の職員に止められ、ようやく大人しくなった。というか泣き出した。
あまりに泣くもんだから抱き着かれるに任せていたけれど、途中から色んなところを触りだしたりキスしだしたりするものだから、最後はげんこつで引っぺがした。
「ぜったい、生きて帰ってきてね。ぜったいよ」
涙ながらだったけれど、最後は笑って見送ってくれた。
「あのー、少しいいですか」
エドワードが言いにくそうに手を挙げた。
「何か忘れものでもしたんですか。本当にしようのない人ですね」
「いえ、そうでなく」
エルがすかさずキツイ突っ込みを入れる。なんであなた、エド君をそんなに目の敵にしているのよ。
彼は相変わらずもじもじしている。その様子に明らかにエルの機嫌が悪くなっていく。
「なんですか、トイレですか。あれほど出るときにしておけと」
「えっ、ち、違いますよ。その、デュベリアに入ったら、私の両親の家に寄って欲しいなって」
「えっ。そんなこと。早く言いなさいよ」
さすがに言い過ぎたと思ったのか、エルの表情がバツの悪そうなそれに変わったが、すぐに眉間にしわを寄せ、別の事を考え出したようだ。
「なんであなたの両親の家に寄るのですか。はっ、まさかあなた」
彼女の顔が驚愕の色を浮かべた直後、怒りの表情に変わった。嫌な予感しかしない。
「お姉様をご両親に会わせるなんて、なに企んでるんですか。あ、まさか。外堀を埋めようとしているのですねっ、そうですねっ」
「えええ、そ、そんなこと考えてませんって」
え、外堀って、何?
「しばらく顔を見せてなかったので、ついでに少しだけ顔を見せられないかな、と。リンブルグランドへ向かう街道筋の街ですから、旅程は変えずに済みます。あと、一泊宿代が浮きます」
「行きましょう」
エルがにこやかに継いだ。即答だった。
「もうすぐ関所じゃな」
サルヴィオさんが先を指さしながら教えてくれた。
レンブルグとデュベリアの間には当然ながら国境がある。国境には関所がある。しかし両国は古くからの盟約からとても仲が良く、関所も簡素なものとなっている。防衛を企図して作られたものでなく、単に通行税を徴収するための施設となっているとサルヴィオさんが言う。
以前聞いたのだけれど、二人がデュベリアの関所を通らなかった理由。それは身分証を持っていなかったからだ。いくら警備がザルであっても、身分がわからない人間を通すほど緩くはない。二人はお金を持っていなかったというのも理由ではあるが、一番に理由はそれだ。
ちなみにリンブルグランドからデュベリアにどうやって入ったのかを聞いたら。
「えーっと。いわゆる強行突破ってやつです。ふふっ」
あ、それダメな奴と。わかってからはあえて聞いていない。
「さて、いよいよ二人は冒険者デビューね」
二人に笑いかける。たいして二人の表情は幾分固い。それもそのはず。
「お、お姉様。大丈夫とは思いますが、大丈夫なんですよね」
エル、それ疑ってる。
「大丈夫だよ。多分」
というわけで彼女たちには偽のギルドカードを渡してある。
偽の、というのは語弊があるかもしれない。レンブルグ王国の正式なギルドカードだ。
ここにいるのはリンブルグランドのエル、ディルでなく、レンブルグのエルとディルなのだ。ユリアンナに感謝しないとね。
「対価は十分支払いましたからね」
何かを思い出したのか、エルが両手で体を抱えこみ、ブルブル震えるようなしぐさをした。幾分顔色も悪いようにも見える。何を支払ったのかは聞かないでおこう。想像できるけれど。
そうこうしているうちに関所にたどり着く。
「とまれーっ」
関所の衛士が旗を掲げて馬車に停止を求めた。
まず最初の関門、レンブルグからデュベリアへ入る関所に到着しました。
一行は無事、通過できるでしょうか。
でもこんなところでつまずいていたら、とても東大陸なんて行けませんね。






