第二十九話 森の街探訪
今日は朝からドルンズバッハを観光することにした。……なのに朝食の時間が終わろうというのに、エルが起きようとしない。いや、正確にいうと起きれない、ように見える。
「あ、頭が……割れます。痛いです」
彼女はベッドの中で頭を抱えてうずくまっている。いわゆるこれは。
「二日酔いだよねー。エル飲みすぎだよー。ね、痛い? 痛いのー?」
ディルがベッドの周りを大声で尋ねながら右へ、左へとウロウロしている。明らかな嫌がらせ。ぴょんぴょん飛び跳ねながら回るもんだから、どっすんばったんと周りも正直迷惑だ。
「あぁもう、うるさい、バカディル。静かにしてっていたたたぁ……」
腕を振り回してディルを追い払うようにしていたエルだが、頭痛に襲われ覇気がない。
夕べはこの宿の食堂で事件解決のお祝いだー、とか言ってみんなで宴会をしたのだけれど、気を良くした双子がワインを飲みだしてからがもう大変だった。
ディルは早々につぶれてしまって机の料理に頭を突っ込んで寝てしまったので、結局私がベッドに運んだ。エドワードはエルに付き合わされて、というか絡まれて散々飲まされた挙句、寝る直前までトイレの主に。本丸のエルは店の瓶詰のハウスワインを全部開けてしまって、奥のワイン樽を直接持って来させ、さらに一人で飲んであの様だ。もう金輪際、この子たちにはお酒飲ませたくない。
「いくらジーンさんのおごりだからって、飲みすぎなのよ、あなたは」
ちなみにさっき朝食の席では、エドワードはおいしそうに朝食をとっていた。案外頑丈なのかもしれないと思ったら、「あ、酒は体内で毒になるので、解毒魔法が効くんですよ」なんて平気そうな顔で答えた。
「だからエドワード呼んでこようか、って言ってるのに」
「……こんなはしたない格好、たとえエドワード君であろうと見せるわけにはいきません」
私の提案を、シーツを目の高さまで上げたエルがはずかしそうに拒絶する。意外なところでこの子、奥ゆかしい。だけどこの状況では迷惑だ。さっさと回復させてくれ。
「……じゃどうする? 私が作った解毒剤、飲む?」
「えっ。あの口移しで飲むやつですか?」
今度はシーツをパタッと両手でお腹までまくって答える。そんなに元気だったら自分で魔法使って治しなさいよ。しかも前提おかしいし。
「なんで口移し前提なのよ。やめてよ、そんな期待を込めた目で見つめないで。いやよ、酒臭い口になんて」
「じゃ、じゃあお酒臭くなければ、いいんですね?」
両手を口に当て、はーっ、はーっ、とニオイチェックしている。真剣だ。でも自分の酒臭いにおいってわかんないのよね。
「あーもー、ほらバカ言ってないで口開けて」
「ふぁい……うぐ」
そんな残念なエルの口に解毒剤の瓶を突っ込む。彼女はしぶしぶといった表情で、瓶をくわえたまま、ゆるゆると起き上がる。髪の毛もボサボサでひどいものだ。
「はい、水。ったく、お子様なのにあんなに飲むからよ。みっともない」
「んく。……それはここの、ワインが安ワインで出来が悪かったからで」
「何言ってんのよ、『意外と甘くておいしい!』っていってガブガブ飲んでたじゃない」
「め、面目次第もありません……」
目線をそらし、また横たわった彼女は、つつつ、と持ち上げたシーツに再び隠れる。
「いいからしばらく寝てなさい。気分が良くなったらヴァイスと追いかけてくればいいから」
私たちはベッドの中でひらひら手を振るエルを残し、街に出ることにした。
さすがは森の街とうたわれるだけのことはある。
通りを歩いていても、それが建物なのか、木でできた大きな洞なのか、それさえも判然としないお店や、家々。大きな切り株をそのまま使った小さな池と滝。その切り株に着飾るように寄り添う苔、蔦、草花たち。それらに集まる蝶や虫たち。
濃い緑の中に薄い緑、赤、黄、青、白。様々な色が混ざり合い、重なり合って一つの調和を見せている、人と自然が織りなす芸術。
「きれいだね、やっぱり」
「約千年前、ここを開拓した初代が自然をなるべく残すことで景観を保つと同時に守りに生かそうと考えたみたいですね。……最初は失敗続きだったみたいです。でも忍耐強く作り続けていったと聞いています。それが今のこの街を形作っている。もはや執念にも似たものだったんじゃないでしょうか」
エドワードが守り神の中央の大樹を見上げ、まぶしそうな表情で話してくれた。そして。
「あちらの守り神の根っこ付近には、千年前の建物が残っているそうですよ、行きませんか?」
「え、ほんと? すごい、いくいくー」
ディルがエドワードの手を取りさっさと先に言ってしまう。彼がチラと一度わたしを見た気がするけど、早く来てねってことか?
やれやれ、と思いふと通りの建物を見ればギルド会館だった。あとで寄ろう。そう思ってディルたちを追おうとしばらく歩いてから、背後の扉が乱暴に開かれた。
「じゃあな、ジェフリー。悪いがパーティーの女性一人守れない人間は不要なんだよ。じゃ、そういうことだから、あばよ!」
振り返ってみれば、ギルドから足早に立ち去る三人の男と、それを入り口で頭をかきながら見送る一人の男。
ジェフリー。どこかで聞いた名だ。ジェフリー、ジェフリー……そうだ、夕べの食堂でだ。確かこんな会話だった――。
その男たちはちょうど私の後ろ側のテーブルに陣取っていた。
「なぁおい、今日はうまくいったじゃないか。さすがリーダー様、よっ、策士だね」
ワインのジョッキを一気にあおった男が隣の男に声を掛けた。
「お前に褒められたってうれしかねぇわ。しかし壁のジェフリーをちょいと前に上げただけでこんなにうまくいくとは。俺も捨てたもんじゃねえな」
聞いた内容は胸糞が悪くなる内容だった。
なんでも彼がいたら、パーティー内の女性が自分たちになびかないんだそうだ。
彼は見た目がいいから、自分たちよりジェフリーばかり気に掛ける、と。
「だからって、何も追放しなくても」
「お前だっていい思いしたいだろーが! 『忌み子』の壁役なんていつでも補充できんだからよ! ったく壁の分際で調子に乗るからだよ、あのばーか」
「そりゃそーだな!」
そこで全員がそろって馬鹿笑いをした。
そしてリーダーらしい男はジョッキの中身を一気にあおってから乱暴に机に叩きつけると、
「おーっし、とりあえず、ジェフリーは明日追放な!」
「使い捨てが調子に乗りやがって。ざまぁねえな!」
そしてまた馬鹿笑い。本当にイライラする笑いだ。
使い捨て。その言葉が私の心に深く刺さった。
心の傷のかさぶたは、治りかけたらはがされて、真っ黒な血が絶えず流れる。
「……お姉様?」
不意に呼ばれて我に返る。ハッと見渡すといつの間にか隣にエルが立っていた。足元にはヴァイスが座って私を見上げている。
「お姉様……またあっちの世界に行ってましたね?」
「な、なによ、あっちの世界って……」
エルは半眼で私をねめつける。そんな目でみない。まるで私が危ない人みたいじゃない。
「ま、いいです。二人はどこです? まさか、二人で消えたということは……!」
「んなわけないでしょ。この先にある守り神らしい、大樹の根っこにある建物を先に見に行ったの。ほら、私たちも行きましょ」
数分歩くと大樹の根本にたどり着いた。根っこの建物というより、そこに立っていた建物が大樹に飲み込まれたという表現がより正しいかも。
白い石造りの建物に乗る大樹の根っこは、まるで白い菓子にたっぷりの黒い蜜を掛けたような。そんな滑稽な雰囲気も持っていた。
「うわー。あれが千年前の建物?」
建物近くにはディルとエドワードが立っており、ディルが身振り手振りをしたり、ぴょんぴょんジャンプしたりして、それにエドワードがいちいち反応するという様子が見て取れる。しばらく辺りをキョロキョロ眺めながら彼らのもとに歩み寄る。ふかふかの芝を踏みしめると、時折小さな虫が一匹、また一匹と私たちを避けるように跳ねていく。
「あ、お姉ちゃん! すごいよね、大きいよね!」
近づいてきた私たちに気づいたのか、振り返ると大きく身振りで表現してくれる。ははは、そっかー、ディルちゃんは大きいのが好きかー。
「ディルはもう少し語彙を増やしたほうがいいかもしれないね。例えばこう……大理石の磨き上げられた艶感。柱一つ一つに施された細かな意匠の数々は、当時の流行をしのぶ重要な要素だ。壁には一面レリーフが掘られその下には複雑な文字が……複雑な……あれ?」
「お姉様? どうかしました?」
何だ? なんだ? この感じ。 あの文字、読めないのに、どこかで見たことある。
「ね、ねぇ。あの文字。何か知ってる?」
私はレリーフの文字を指さす。
「え、……なんでしょう。遺跡に彫られているってことは、その時代の文字じゃないですか?」
「うん、そうなんだろうけど、私、最近あの文字をどこかで見た」
「どこかって……こんな文字、使われてるの見たことないですよ? またあっちの世界に行ってます?」
もう、ちゃかさないで! ……ああ、もう。どこだったっけ。
結局しばらくたっても思い出すことはできなかった。でもまぁ、そんなときは何やっても思い出さないもんだし、焦ってもしようがない。その場はスパッと忘れることにした。
お昼ごはんを求めに市場に戻っていると、途中の木の池のところで、鳥にエサをやっている人影を認めた。ジェフリーだ。……確かになかなかの外見。世の女性が放っておかないのも、まぁわかる気がする。
あの鳥にエサをやる物憂げな表情も捉えて離さないポイントなんだろうなぁ。ギルドの妖怪に見せたらなんて反応するかな。
……なんて考えてたら。
「ん? 俺に何か用かな?」
しまった。いろいろ考えながら見てたら、いつの間にかしげしげと観察している体になっていた。
「お、お姉様……ああいう殿方が好みなんですか?」
驚愕の表情を浮かべたエルが私に問いかけてくるけれど、あえて放置する。
「用ってほどじゃないんですけど……さっき、パーティーから追放されてましたよね」
「ははっ! こりゃなかなかキツイお嬢ちゃんだな。んーそうだな。まぁ追放だよな」
ジェフリーはあっけらかんと認めた。
「私たちとランチ、しません?」
「えっ、何それ聞いてないよ、お姉ちゃん」
うん、今言ったからね。
「……ちょっとあなたに興味があるんです。あ、念のために言っておきますが、パーティーメンバーとしてです」
「あっははは! 念のためってなんだよ! まぁいいさ。そっちが誘ったんだ、もちろんおごりだよな?」
「何言ってるんですか。あなたにも良い話です。だから割り勘」
「いい話と言われちゃ仕方ないな。こんなかわいい子三人とランチできるんだ。金を出せって言われてもおかしかないが……。あいにく金が無くってね。そこの兄ちゃんと折半でどうだい、なぁ兄ちゃん」
「ええっ! ぼ、僕ですか!?」
ジェフリーの突然の振りに、エドワードは狼狽したように叫んだ。






