第二話 薬が不要で必要な理由
死にかけていた僕を待っていたのは、天国でも地獄でもなく、古本屋だった。
僕自身覚えてないのだけれど、修道院を“卒業”してから八日目の朝、店の前に倒れていた僕を見かねた店主のおじいさんが、店に運んで介抱してくれたらしい。物好きな人もいたものだ。
それからというもの、寝床と食事の代わりに店を手伝ってるというわけだ。僕にとっては神様よりずっとありがたい。なにせ神様と違って助けてくれた。
店主のおじいさん、最近目が見えにくくて本を整理するのが大変だったそうだ。いくら魔法が使えても、何の本かわからないと整理しづらいという。小さい文字も多いから、そうなのかもしれない。
「そういやお前、名前なんていうんじゃ?」
名前を聞かれたのは働きだしてから四日目の朝食を始めようという時だった。それまでは「おい」とか「小僧」などと呼ばれていた。
「アレク。ってシスターには呼ばれてたよ」
スープに視線を落としながら答えた。目を合わせるのが怖かったから。スープをすくいながらの名乗りに、おじいさんはフンと一言返した。
「お前、あれか。『忌み子』か」
つい持ってたスプーンが止まってしまったけど、「そりゃそうでしょ」と思い直す。いくらなんでも魔法が使えるのなら、もう少しまともな生活が送れるだろう。
「そうだよ。このお店の前でぶっ倒れる一週間前に修道院から放り出された」
そして気持ちを紛らわせたくて、スープを手に持ってかきこんだ。
「そうか」
それだけ言うとおじいさんは黙々と食事を始めた。
やはり魔法を使えない子など、ただの厄介者だ。今日あたり追い出されるのかなと、おじいさんの様子を盗み見ながらぼんやり考える。
やがて食事も終わり、お茶を飲んで一息ついて。でも僕はビクビクしておじいさんの次の言葉を待つ。けれど次の一言は、僕の予想を大きく外れていた。
「店の奥に古い時代の本がある。今は誰も興味を持たん技術の本じゃ。鍛冶、薬、建築、体術、刀剣術、弓術、槍術。どうせ誰も買いやせん。好きにするがいい」
「え?」思わず顔を上げ、おじいさんを見つめてしまった。
「魔法が使えんのだから、手に技術を得るしかないじゃろうが。店が暇なときは勉強せえ」
おじいさんは僕の視線に気づいた様子もなく、目を伏せお茶を飲む。
「でも」
とここでようやく僕の視線に気づいた様子のおじいさんは一瞬だけ目を合わせると、慌てて視線を外した。
「あー、ワシはいつ神に召されるかわからんからな。早く一人で生きていけるようになれ」
「おじいさん」「なんじゃ」
すっごいぶっきらぼう! でも言わなければだめだ。
「そ、その。あ、ありがとう」
がんばって絞り出した感謝の言葉に、おじいさんはまたフンと一言。
でもなんだか顔が赤い。おじいさん、実はカワイイ人なのかもしれない。
夕食の後片づけは僕の仕事。食器を洗いながら今日の出来事を思い返してみる。その日、僕は「お前」から「アレク」に進化した。なんだか心がポカポカした。おじいさんの名前、なんだっけ、などと思い返してみる。
けれどお皿を洗う手がピタリと止まってしまった。ふいに脳裏に小さな子豚の姿が思い浮かんだからだ。修道院で見た絵本にあったな、こんな展開。あの結末ってなんだっけ。そうそう、思い出した。
大きく丸々と太った豚は、最後は飼い主に食べられちゃうんだった。飼い主は最初から食べるつもりで豚を飼っていた。
暖かくなった気がした心は、あっという間にヒンヤリしぼんでしまって。
窓の外のやわらかな光が降り注ぐ光景は、急に色を無くして。
爪を研ぎ、体を鍛え、心には刃を。喰われる前に、食い破れ。
そう。この世界は、僕達に優しくできてないのだから。
◇ ◇ ◇
字の読み書きができることは、修道院で暮らしていてよかった、数少ないことだと思う。もしかしたら唯一といってもいいかもしれない。
そのおかげで本を読むのは苦労しない、そう思っていたのだけど。
古い本は文章が難しくて、理解するのに苦労する。なんとか読めるようになったのは三か月経ってからだった。
そこから理解できるようになるのにまた三か月は優にかかった気がする。
なぜだろう、やっぱり頭悪いのかなと、僕は一人しょんぼりする。魔法も使えないしで踏んだり蹴ったりだねと、自分で慰める。
ひと息つき視線を本から店先に移すと、表通りは相変わらずのにぎやかさだ。まるで別世界の暮らしを鏡越しに見ているようで、薄暗い店内から見る外の景色はあまりにまぶしく。その輝きから思わず目を背け、再び本に目を落とす。そんなことを毎日何度も繰り返す。
最近の僕の仕事は店番だ。お店の奥のカウンター座りながら本を読むのが仕事になっている。これではまるで、本を読むのが主な仕事のように聞こえてしまうけれど、違うと自信をもって言えないところがつらいところだ。
いま読んでいるのは「薬学」。薬草や鉱物、魔物などから回復薬や治療薬を作るためのことが書いてある。
魔物を薬にするのかと最初思ったけれど、薬学では魔物のしつこいまでのすさまじい生命力を利用するのだそうだ。昔の人の探求心というか努力というか。すごい。最初にやろうと思った人は何を考えて試したのだろう。食に関してもそうだが、先駆者と呼ばれる人たちには頭が下がる思いだ。
そしてなぜ今、僕がそのような薄気味悪い本を読んでいるのかというと、それは僕が魔法を使えないからという点と関係がある。
仮に冒険中ケガをしてしまったとしても、魔法が使えるならさほど心配はいらないかもしれないけれど、僕はそうはいかない。代わりの方法としての回復薬だ。
そして市場をまわってみて気づいたことは、回復薬なるものは売ってない。なぜならば普通は魔法であっという間に治るから。
商売にならないから、だから街には薬なんて無い。
必要になるのは僕たち『忌み子』だけ。市場で売ってないのもうなずける。
それにこの間ちょっとしたトラブルにあったことも、今回薬のことを勉強する大きなきっかけとなった。
魔物って話には聞いているけど、実際どんなものなんだろうって。本を読むようになってから、いろんなことを知りたくて、覚えたての剣を持って街の外に行ってみた。
考えてみたら無謀なことをしたと思う。本当に僕は何も知らなかったんだ――
街を出るときに門番の人に「骨とう品腰に下げてどこ行く気だよ」って笑われたのは地味に傷ついた。
でそのまましばらく歩いていたら、白くってふわふわの毛皮に覆われた生き物が背中を向けてモゾモゾしているのが目に留まった。
昔絵本で見たウサギっていう動物だ! って思って。これならやっつけられるかなと思って剣を鞘から抜いた瞬間、そのウサギが振り向いた。
長い耳がぴょこって立っていて、赤いくりっとした目をしていて、小さい鼻をひくひくさせていてと、絵本の中の、僕のイメージと一緒だ。
……口元が真っ赤に染まってること以外は。
彼だか彼女だかの足元に横たわってるのはなんだろうか。
もしかして……猫?
「なんでウサギが猫襲ってんのさ!?」
僕が叫ぶのとウサギが動くのはほぼ同時だったかもしれない。混乱する僕をあざ笑うように、そのウサギが飛び掛かってきて、そこからはもう、無我夢中であまり覚えていない。
ただ必死に剣を振り回していたことだけが記憶の隅にあるくらいだ。
気が付いたらそのウサギは僕の足元に倒れていた。驚くくらい自分の息が上がっていることに気づいた。息を整えつつ額の汗をぬぐおうと左手を持ち上げたとき、不意に目に入った手の甲が真っ赤に濡れていることに気づいた。そのまま腕のほうに視線を向けると、腕がざっくり切れていて、その直後、僕の左腕は焼けるように痛みだした。
あまりに血が流れていたものだから、痛みよりも怖さが先に立って、思わず「ひっ」って叫んでしまった。キレイで長い切り傷だから、おそらく自分で切ってしまったのだろう。
そんな感じで栄光の初戦は苦い勝利となったわけだけれども。実はそこから先が大変だった。
あんまりぽたぽた血が滴るものだから、だんだん気が遠くなるところを我慢し、崩れ落ちそうな意識を何とか保って歩き続けた。じわじわ重くなっていく身体と、ウサギを文字通り引きずるように街に引き返して。
街を出ていた時間なんて実質一時間もない。けれども僕は大冒険を果たした気分だった。
でも帰りも門番の人に「お、勇者様のご帰還だ!」てまた笑われてしょんぼりして。
ようやく半べそをかきながらお店に帰ったら、おじいさんが僕の姿を見てすごく驚いた。すぐに魔法であっという間に治療してくれて。げんこつされてこっぴどく叱られて。
最後によく頑張ったなって頭をなでられた。
そうしたら急に怖くなって、おじいさんの前でいっぱい泣いた。
おじいさんは黙って側にいてくれた。忙しいのに、ごめんね。ありがとう。
落ち着いたらなんだか急に恥ずかしくなった。
その日の夜はウサギのシチューになった。とてもおいしかったから、またちょっぴり涙が出た。
「もう少し短い剣がいいかもしれんなぁ」
おじいさんの独り言にしたがって、明日また倉庫を探してみよう。
今度は自分の腕を切らないように気を付けよう。おじいさんを心配させないように。
――などという出来事があったから、僕は自分で薬を作れるようになりたいのだ。
他に作ってくれる人なんていないから、おじいさんがいなくても、自分で癒せるようにならないと。
数日たって「魔物学」の本にあのウサギのことが書かれているのを知った。
名前は「角ウサギ」っていう初級の魔物だったそうだ。小動物が主食なんだそうだ。
ウサギはニンジンが好きだという僕の少ない常識の一つは、そうしてもろくも崩れ去った。
そうして僕は生き抜くための技をモノにすべく、がんばった。
春になるころには徐々にだけれど、安定して小型動物は狩れるようになっていた。