第二十六話 消えた令嬢 前編
「お姉さんが誘拐? どういうことですか?」
ジーンさんの言う内容が頭に入ってこない。どういうことなのか。ジーンさんのお姉さん、カーラさんは昨夜の食事の時に挨拶させてもらった。ジーンさんと姉妹ということだが、失礼ながら随分と似ていない姉妹だと、食事中もチラチラと見比べてしまったときのことを思い出す。
ジーンさんは妹ながら姉のカーラさんより頭一つ背が高く、お店を手伝っているからか、体格も良い。ハキハキした話し方が印象的な、親分肌な人だ。
対してカーラさんはほっそりとした深窓の令嬢然とした人で、病弱であまり外にも出ない生活を送っているそうだ。物腰の柔らかい、可愛らしい笑い方が印象的だった。
「朝、何時もの時間に食堂に降りてこないことを心配して、女中が呼びに行ったら居なくて。部屋は荒らされていたんだ。すぐに衛士に連絡して、先程から検分を始めてるんだよ。朝から騒がせて申し訳ない」
憔悴したようでジーンは私たちに詫びた。
「こんなことになってて申し訳ないけど、朝食にしよう。さ、座って」
申し訳なく思いながらも、申し出に従いそれぞれ席について食事をいただくことにする。
正直味なんかわかる状況ではない。わたしたちが食事をしている間も衛士は不躾な視線をぶつけてきたり、聞きたいことがあると、ときおり周りの女中を呼び止めたりと終始落ち着かない状況だった。
大旦那さんは現在、王都で大口の契約を行うため、店を開けているそうだ。そういう時を狙って事件は起こったのだろうか。
食事を終えた後、私たちにも通り一遍の確認があった。しかし特に接点もなく、ギルドの依頼でこの街に来た私たちに対して、衛士はそれほど興味を持たなかったようだ。早々に切り上げて今、食堂には家族と使用人だけとなっている。
「アレクシア。本当にごめんなさいね。こんなことになっちゃって。あなたたちにも迷惑かけちゃったね」
ジーンさんは相変わらず顔色が悪い。よほど心配なのだろう、無理はない。
「そんな。ジーンさんのおうちの方が大変なんだから、むしろ何か手伝えることでもあれば。……そうだみんな、何か気付いたこととかない?」
自分たちの方がよほど大変なのに、彼女は私たちに迷惑をかけたと謝罪までしてくれている。私は何とかジーンさんの手助けをしたいと思い、みんなに尋ねる。
「うーん、昨日はいっぱい食べてお話ししてすごく楽しくてー。……カーラさんもニコニコしてすごく楽しそうだったよ。それからは疲れちゃったら早く寝ちゃったから、よくわかんないなぁ」
「僕たちは離れでしたからね。何か起きていたとしても気づかなかったのは仕方ないと思います」
ディルが一通り思い出すように話した後、特に情報がないことを申し訳なさそうにしながら話したのを受け、エドワードがさりげなくフォローする。
「ちなみに衛士の見立てはどうなってるんですか?」
エルがジーンさんに尋ねる。
「初めから姉さんを狙った賊の誘拐ではないか、と」
カーラさんの部屋のみ荒らされていること。一階、二階の金庫や倉庫には一切手を付けていないことから、単なる強盗でないと判断しているようだ。
玄関と勝手口にはガードマンが立っているから、外から侵入する場合はいずれかのガードマンを倒すなりしなければならない。しかしいずれの担当も、昨夜なにも異常はなかったと証言している。
対してカーラさんの部屋の窓は外からこじ開けられたような傷がついており、衛士は二階から侵入しカーラさんを攫い、再び窓から屋根伝いに逃走した、と判断しているようだった。床には血痕が付いており、抵抗した際、傷つけられた可能性があるとのことだった。
「でも人を抱えて二階から逃走なんて可能なのかしら?」
私は誰に言うとでもなくつぶやいた。いくら華奢なカーラさんといえども、ひと一人を抱えて歩くのは至難の業のように思えた。
「何言ってるんですか。魔法で運べば重量ゼロですよ?」
エルが当然のように語った。そうか、そうだよね。
他にも以前から脅迫めいた手紙が届いていたり、お店周辺を不審者がうろついていたりしていたということなので、誘拐という話も現実的なのかもしれない。
「あ、あとこれ。これが部屋の窓のすぐ下に落ちていたの。姉さんのお気に入りだったわ」
そういって胸ポケットから取り出したのは銀とパールのイヤリング。連れ去られる時か、抵抗する際に外れたのか。しばらくみんなでその銀色に輝くイヤリングが、ジーンの指の下でゆっくり回るのを眺めていたが、ディルが不意に不思議そうに言葉を発した。
「……それっておかしくない?」
「何がおかしいのよ、ディル?」
エルが妹の突然の言葉に戸惑ったように尋ねた。
「だって。寝てる時までイヤリングはしないでしょ、フツー」
「何がフツー、よ。……でも確かにそういわれれば変ね。ね、お姉様」
双子が同時に私を見上げる。
“これは面白いことになってきた”という顔をするのはやめようね。
けれどかくいう私も楽しくなってきた。……絶対顔にも口にも出せないけど。
そんなやり取りを、エドワードは不思議そうに眺めていた。あ、君はこういうのは苦手なタイプなんだね。
「ジーンさん。ぶしつけで申し訳ないんですが、お姉さんのお部屋、見せていただくわけにはいかないでしょうか」
「え? 別に……かまわないけど、でもどうして?」
私の突然の申し出にジーンさんは戸惑いの色を隠さない。当然と言えば当然。
「お姉さんの失踪、少し事情が複雑かもしれません」
続けた私の言葉に、ますます疑問があるような顔で、ジーンは首をかしげた。
「ここが姉さんの部屋よ。わかっていると思うけど、血痕もあるから、覚悟して入ってね。……といっても君たち冒険者だから、大丈夫か。どうぞ」
そこまで言ってジーンさんはカーラさんの部屋の扉を開けた。
思ったより部屋はきれいな状態だった。言われなければここが事件の現場だとは気が付かないだろう。ただ一点、部屋の真ん中あたりに黒くなった一角が見て取れる。これが恐らく血痕だろう。血だまりができており、すでに黒くなりかけている。
窓は三つあり、そのうち一つは外に向けて開け放たれている。窓に設えられている薄水色のカーテンが時折吹き込む風に小さく揺れている。
まずは侵入経路と思われる窓を確認してみる。窓枠は普通の木製。特別なものではない。身を乗り出して下を覗く。床と同じ高さから下るように階下の屋根がついている。屋根は木製の板張りで、年季が入っているのか、かなりの部分苔むし、そこから一部、小さな花を咲かせているところもある。森の街の面目躍如といったところか。
窓枠には外側からこじ開けられたような跡がくっきり残っていた。くぎ抜きのような道具で無理矢理開いたのだろうか。
念のためさらに身を乗り出し外壁を見ようとしたが、そこでバランスを崩してしまった。
「わ、あ、あ、あ!」
「ち、ちょっとお姉様、大丈夫ですか!?」
間一髪、エルに支えられ、一階に転げ落ちることは避けられた。
なんとかエルに引っ張ってもらい、部屋に体を戻すことに成功した。
「あ、危なかった。ありがとう、エル。……ねぇ、エル。 浮遊魔法を使っているときって、足場がない状態で窓をこじ開けるくらいの力って掛けられるもの?」
エルはしばらく考えていた様子だけれど。
「無理とは言わないですが、現実的ではありませんね。大方自分の身体の方が動いてしまって力が入らないでしょうね」
「ちなみにエルなら?」
「私も無理です」
肩をすくめてあっさり否定する。あら、意外と素直ね。
その時窓の外から、遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえた。しばらくして階下の裏庭に続く扉が乱暴に開かれ、「水! 水!」と叫びながら数人の使用人が桶を持って井戸の方に走っていくのが見えた。一階で何かあったのだろうか。
階段を下りていくと徐々に騒ぎの声が大きくなってくる。どうやら台所の方で何かあったようだった。
台所へ続く角を曲がった時、その理由であろうものが目に飛び込んできた。
「うわっ。すごい煙……」
エルが顔をしかめてハンカチを取りだす。私も鼻と口を押えながら台所に向かった。
「大丈夫ですか!?」
「ああ、何とかね。新人が火加減を間違えて派手に焦がしてしまった。お騒がせして申し訳ない」
料理人の一人がボヤだったことを教えてくれた。本格的な火事にならなくてよかった。
ついでだ。ここで使用人の人たちからカーラさんのことを聞き出そう。
有力な証言がいくつか取れた。まず当日夜中のこと。ヒルダという女中が教えてくれた。今日が早番だったため、昨日は早めに休んだそうだ。すると夜中に二階から何やら物音がしたらしいが、すぐに止んだので気にせず再び眠りに落ちた、ということ。
他にも脅迫めいた手紙がここ数週間続いていたこと。さらに周囲に不審な人物がウロウロしていたことなどだ。
「物音の詳しい様子……ですか? 衛士さんにもはなしましたが、そうですね。複数の足音と、重いものを置いたような音……だったと思うんですが、なにぶんその時、私も夢うつつの状態でして、はっきりそうだったかと言われれば自信が無いのですが……」
「手紙の件ですね。だいたい三か月くらい前から時折店に届いておりました。あれは大旦那様に向けた警告……のような感じに見受けられました。商売敵からのものでしょうかね? 私のような者にはよくわかりませんが」
「不審な人物の影はここ数日前からでした。目深にフードを被った者が店の周囲をじっくり観察しているようでした。あれは侵入方法などを下見していたに違いありません」
とここまで話してから、ヒルダさんはそろそろいいですか? と言いにくそうに付け加えた。忙しいところすみません、と礼を言うと、彼女は一礼し食堂に消えた。
次に話が聞けたのは、調理助手のヨハンスさんだった。
「俺が台所を掃除し終わったのは夜更けすぎだったと思う。もう親方も自分の部屋にひっこんでウイスキーをしこたまやったんだろうさ。大イビキが聞こえてたから。で、俺が最後だったもんだから、明かりを落として自分の部屋に戻ろうとしたらさ、廊下を歩く人がいて。俺びっくりして。危うく持ってたカンテラを落とすところだった。慌てて持ち直して顔を上げたらもういなくて。俺怖くなっちゃって、部屋に入ってベッドにもぐりこんだんだ。女中だったと思うよ。ヒルダかヘレナだったのかなぁ」
最後に話が聞けたのは水浸しの廊下を拭いていたヘレナという女中だ。この人はうわさ話がたいそう好きだった。
「カーラお嬢様には思い人がいるんです。以前雑役のため雇っていた下男がそうだったんですが、それが『忌み子』だということで、大旦那様は大層ご立腹で、……あ、すみません……で、結局なんだかんだ理由をつけて首にしちゃったんです。それからしばらくの間カーラ様はふさぎ込んでいらして、もう見ていられないくらいで。ようやく最近吹っ切れたのか、時折私たち下々に者にも明るく接してくださるようになったばかりなんですよ。ああ、おいたわしや、カーラお嬢様」
そこまで話して、「床が染みになっちゃうからもういいですか」と言ってきたので「手伝います」と雑巾を手に取り、床を拭きとりながら続きを聞いた。
「商売敵、ですか? 大旦那様は商売に関していたってまじめで、曲がったやり方は好みません。感謝されこそすれ、恨まれるようなことはしていません。が、大旦那はたいそうやり手でこのお店も大旦那様の代でさらに大きくなりました。当然割を食った商売敵も少なくないでしょうね。……特に去年つぶれた店なんかは相当ウチともぶつかってましたし、逆恨みしていてもおかしくないですね」
「夕べは静かなものだったと思いますよ? なぜかってですか? 私、ものすごく眠りが浅いんです。それこそ雷がしただけで目が覚めてしまうくらい。人が攫われようとして抵抗している状況なんて、すぐ目が覚めます。……のはずなんですが、夕べはぐっすり眠っていました。だから、静かだったと思います」
「ゆうべの深夜ですか? ですからぐっすり休んでました。え? 夢遊病? 私がですか? ……そんな病気なわけありませんでしょう!? 失礼します!」
ヘレナさんはそこまでいうと桶を持って去って行った。
「うーん。つまり、どういうこと?」
エルが椅子に腰掛け、机に突っ伏して頭をひねっている。さすが大店というべきか。優に二十人はかけられそうな紫檀の大きなダイニングテーブルに上質な暗紅色のクロス、その上に白いレースのクロスがかかり、その上に居並ぶ磨き上げられた銀の燭台。
私はそんなところに突っ伏すなんて恐れ多くてとても無理だけど、エルにとっては大したことはなさそうな雰囲気だ。ディルは彼女の対面に腰かけ、レースをペロンとめくり、その裏の始末をしげしげと観察している。エド君はそんな二人の様子を見て何やらあわあわと手を振っている。あなたは少し落ち着きなさい。
私たちは一通り証言を聞いて食堂に陣取っている。先ほどジーンさんがなにか飲み物を持ってこさせると言って席を外した。
窓の傷、屋根の状況。
イヤリング、血痕はどう説明する?
玄関と勝手口にはガードマン。
深夜の物音、廊下の女中……。
想い人の存在。
実のところ私としては一つの仮説にたどり着いている。おそらくこれが正解だと思うのだけれど、決め手が足りない。たりないピースはなんだろうか。
そんなときけたたましく玄関から声がした。
「カーラは、カーラはまだ見つからんのか!? 衛士は何をやっとるんだ、あの税金泥棒どもが!」
声と足音がどんどん近づいてきた。そしてドカドカと床を蹴りつけるようにして、初老の男がジーンさんとともに食堂に現れた。
「……彼女たちは誰だ?」
「あ、私の友人のアレクシアとそのパーティーメンバーです」
ジーンさんの紹介に合わせて立ち上がり、会釈した。
「初めまして。アレクシアと申します。ヴィルバッハのギルドから依頼を受けてお荷物をお届けに上がったところ、今回の事件を知ることとなりました。行きがかり上捨て置けませんでしたので、ジーン様に無理を言いまして、微力ながらご協力を申し出ました」
「そうでしたか。ジーンの友人ということでしたら無下にはできませんな。騒がしくしておりますが、その辺りはご容赦いただきたい。では私はこの辺で」
そういうが早いか、家の二階に向かって上がっていく。なにやら家人に大声で指示を飛ばしていたが、やがて小さくなりどこかの扉を閉めた時に聞こえなくなった。
そこにヒルダさんが飲み物を持ってきてくれたので、聞けていないことを聞くことにした。
「すいません、ヒルダさん。ゆうべの深夜はお部屋からは出ていませんか?」
「……いえ、先ほども話した通り出てはおりませんが……なぜそんなことを?」
ヒルダさんは紅茶を用意しながら、いぶかし気に私の顔を見た。
「いえ、深夜に女中が歩いていたっていう話を聞いたものですから、どなたかなと思いまして」
「うーん、ヘレナではないのですか?」
「そうかもしれませんね」
苦笑いをしながら答えるヒルダさん。
「すいません、ヒルダさん。眠りは浅いほうですか?」
「いえ、私は結構ぐっすり寝てしまう方で、疲れていたら廊下をドカドカ歩く大旦那様の足音でも目を覚まさないことがあって、よく怒られてしまいます」
「それは本当にぐっすりですね」
「ふふ、そうなんです。女中としては失格なんですけど」
そして全員分の紅茶を用意してから一礼し、ヒルダさんはこの場を離れた。






