第二十五話 森の街へ
今、我ら『イモリのしっぽ』は、森の街ドルンズバッハに向け馬車を進めている。空はおだやか、間もなくお昼どきになろうかというところだ。大森林は昨日のうちに抜け、朝早く野営場を出立したので間もなく森の街が見えてくるという距離まで近づいている。
目的はギルドからのお使い依頼。あちらのとある商会に届け物。観光の言い訳にはぴったりの依頼だ。二つ返事で受注した。
ヴァイスが馬の先で、先導の騎士よろしく歩いてくれている。手綱を握っているのがエドワード。一昨日パーティーに加わった期待の新人で、昨日正式に採用を決定した。とはいえ、私たちも新人に二、三本毛が生えた程度だけれど。私はそんな彼に背中を向け、荷台に乗っている双子の姉妹、エル、ディルと女子トークに花を咲かせている。
「しかしエド君があんなにできる子だと思ってなかったよー、びっくりしたなぁ」
「えへへ、ありがとうございます」
焼き菓子をポリポリかじりながら、ディルは本当に感心したように失礼なことを言う。自分の見立てが間違っていたことに納得できないのかしら。エド君といわれたエドワードは、ディルの言葉に前を向いたまま照れたように笑った。そんな。あなた、褒められてないんだからね。
そんな言葉にエルは憮然としている。よほど昨日の結果が気に入らないんだろうな。
――話は昨日の午後にさかのぼる。
大森林を馬車で進んでいたら道に大きめのクマがのしのしと現れた。手負いのクマだ、気性はきっと荒れている。だけど襲い掛かってくる距離ではないから、しばらく馬車を止めていればクマの方から去っていく。そっとしておけば何の問題もない状況だ。竜の尾をわざわざ踏む必要はない。
ところがそこでエルがエドワードに声を掛けた。かける直前、ほんの一瞬。悪い顔をしていたのを私は見逃さなかった。尻尾を全力で踏みに行けと、黒いエルは全身で主張している。
「ちょうどいい獲物が現れましたわよ、エドワード。さ、あなたの実力、見せてごらんなさい」
あんたはお姫様かいっ! ていうぐらい気品溢れた物腰でそう告げるエルお嬢様。もう、意地悪する子、私好きじゃないなぁ。後でおしおきです。……とはいえ、彼の実力については私もかなり興味があるので積極的に止めはしない。その代わり。
「そうだね、じゃあヴァイスと私で牽制するから、エド君。やっつけちゃってよ」
「え、は、はい!」
「よし。じゃ行くよ、ヴァイス!」
「あ、ち、ちょっと、お、お姉様!?」
きっと私が出るのはエルにとっては想定外だったのだろう。素っ頓狂な声を背中で聞きつつ、私は馬車を飛び下りる。ヴァイスはひと鳴きすると、先に駆け出した私の隣にピタリとついてくる。あっという間にクマの目の前だ。突然接近してきた私たちにクマは恐慌に陥る。
素早く間合いを詰めたヴァイスが先行し、クマの前に立ちふさがり吠え掛かる。クマはビタッと立ち止まり、じりじりと後ずさりを始める。そこで私がヴァイスの反対側に立ち、剣と盾を打ち鳴らす。
「……行きます! 離れてください!」
馬車から少し離れたところでエドワードが杖を構えている。なかなかサマになってるじゃない。言われた通りにクマから距離を取った直後、魔法が発動する。
「ファイアストーム!」
瞬間クマの足元からチロッと炎が上がった。あっ、と思えばその炎は渦を巻き、高さと威力を急激に増していく。クマが悲鳴を上げていたのも一瞬だった。またたく間に炎の檻はクマを飲み込み、周りの木々も一部巻き込んで大きな炎の柱を作り出した。しばらくの後、炎が消え去った跡からは、クマの姿は跡形もなく消えていた。
一瞬夢でも見ていたのかと錯覚したが、腕や頬に残る炎のほてりが、今起こったことが現実だったことをしっかりと主張していた。
「ふぅ、……いかが、でしょうか」
「すっごーい! なになに、クマどこいったのー!?」
一連の戦いを馬車の上で見ていたディルが叫んだ。こちらに走ってきて焼け跡を確認しに来るほど驚いたらしい。わずかに残る地面の焦げ跡をぐるぐる回りながら、うわー、とか、すごーい、とか一生懸命に叫んでいる。
「……デタラメです!」
エルが叫ぶのも無理はない。
確かに威力が規格外だ。今の『ファイアストーム』だって、一撃で倒すのはわかるとしても、普通は丸焦げくらいのもののはず。クマのような巨体を焼き尽くすほどの破壊力を出す『ファイアストーム』なんて、今まで見たことも聞いたことも無い。
「すごいじゃない、エドワード! なんでこんな魔法使えるのに、パーティーから追放され続けてたの?」
私は当然だと思う質問を彼にぶつけてみる。これだけの高火力を出せるメンバーを追放する合理的な理由、それは何?
「えと。僕、慌てると魔法が使えなくなるんです。多分それが原因です。……パニックに弱いんですかね、はは」
エドワードはのんきに答える。
「え、じゃなに? 要するに後方で、しっかり安全を確保して、落ち着いてやれば、あれくらいの火力余裕ですよ、ってことかしら?」
「ま、まぁ、そんな感じですかね?」
私の分析に、これまたのんきに答える。
彼が追放され続けた理由。それはあれだ。ただ単に、今までのパーティーリーダーの、彼の扱い方が下手だっただけだ。しっかり壁役が彼を守り、仕事に集中させることができれば、彼の能力は最大化する。後はモノをはっきり言えない彼の性格も災いしていたのだろう。
そしてやはりいつもの違和感が私を襲う。基本的に魔法は……。
「んもー! 納得いかな―い!!」
と私が意識の沼に落ちる前に、エルが空に向かって叫んだ。
そこにあったのは竜の尾なんかでなく、エル様専用の落とし穴だったようだ。
そしていつものように、私の小さな違和感は忘れ去られる。
そしてその夜、以前の事件のあった野営地で、パーティーメンバー増強できたことを喜び、少し遅くまで宴会めいたことをしてしまったのだ。
――という経緯があった。
「――まぁいいじゃない、おかげで魔法使い仲間もできたことだし、負担もずいぶん軽くなるし、戦術のバリエーションも増えるし、ね?」
にこやかに、和やかに私が話を丸めようとしているけれど、エルちゃんのささくれだった心はなかなか丸まってくれない。
「まぁそれはそうなんです。そうなんですが……そこは魔法使いの矜持といいますかその」
「んー? なんでそんなに悔しいのかにゃ、エルちゅわん?」
「くっ。……悔しくないですし」
ここにきて私の悪い癖、からかい体質が頭をもたげてしまう。いかんいかん。
「……エルはいつでも冷静に局面をみて、瞬時に判断して適切な魔法を使うことができる。これは彼にはできないこと。一発の威力か、その局面での有効打をすぐ繰り出せるか。これはどちらが優れているということじゃない。その人の強みだよ? エルがいて彼がいる。すごくバランスがいいじゃない。そう思わない?」
私の言葉をエルは静かに聞いてくれた。
「お姉様。わかってるんです。それぞれの特性だって。少しだけです。……ほんの少しだけ、うらやましかっただけです」
「……うらやましいって、何を?」
「お姉様に手放しで褒められている彼のことが、ちょっとだけ」
エルは恥ずかしそうにそれだけ言うと、気持ちを切り替えるように前方を指さした。
「ほら、見えてきましたよ! ドルンズバッハです!」
馬車が進むにつれ道を覆っていた木々が徐々に晴れ、やがてそれはその姿を私の眼前にあらわした。
「……森の城だ」
思わず声が出た。
まるで大樹で築きあげられた城。木々の間に背の高い建物が寄り添うように立ち、それらが一つの高い城壁を成しているかのよう。その建物の屋上の所々から細い滝が糸のように流れ落ち、その砕け散る滝つぼには虹が幾重にもかかる。そのしぶきを浴びる建物と大木は等しく苔むし、そこを苗床に新たな命が芽吹く。滝の先には清らかな水を豊かにたたえる湖と、その下流にひろがる広大な水田。
人が適切に木々を手入れし永らえ、人の住処を木々が支える。森と共生する街。
「素敵な街」
「ここはレンブルグ王国の中で最も歴史のある街らしいですよ。なんでも千年近くの歴史があるそうです。街の中も歴史的な建造物やらが目白押しみたいですから、楽しみですね!」
私のつぶやきを継ぐように、エルが興奮気味に話す。この子は歴史ものが好きなのかも。数日逗留して、色々回ってみるのもいいかもしれない。
「なにか美味しいものがたくさんあるといいねー」
「ここはいろんな穀物の栽培が盛んなので、そちらの料理が多いですね」
ディルとエドワードが食べ物談義に花を咲かせている。よし、今日の夕食大臣はエド君に決定だ。
話をしながら馬車を進めていると、石造りの門に木が複雑に絡み合った歴史を感じさせる門が見えてくる。これが正門だ。念のため、ヴァイスはここから馬車に乗ってもらう。
門番にギルドカードを見せると笑顔で手を振ってくれた。そのままゆっくりと門をくぐる。
まず目に留まるのは正面に一際大きくそびえ立つ一本の木。一際大きいその木は街のシンボルであり、守り神として信仰の対象にもなっているようだ。
大樹を横目に見ながらしばらく進むと目的の商会にたどり着いた。ドルズ商会。ドルンズバッハでも一、二を争う大店だ。歴史も古く、この街を興すときに来た最初の商人の末裔だとか。ということは千年近くの歴史を持つ名門ともいえる。店は平屋ではあるがその建物の作り、大きさから、かなりの資産家であることをうかがわせる。
私は依頼品を手に店に入ると、歴史を感じさせる作りの内装に目を奪われる。どうやらここは女性用の化粧用品を扱う一角のようだ。置かれている品物の上品なことといい、値札の桁違いの金額といい、ここは明らかに場違いだ。私が居ていいところではない。
「わぁ。素敵な塗りの櫛ですね。 ディル、どうです?」
「うーん、やっぱり私は白木の方が好き」
「そういえば、あなた昔から塗り物の櫛は嫌いだったわね」
双子が櫛を見てあれやこれや話している。この会話。値段を見ても動じない度胸。やっぱりこの子たち、普通の身分の子じゃないよね。いつか私に話してくれるのかしら。
そうこうしていると店員らしき女性が近づいてきた。ギルドカードを見せ、ヴィルバッハからの依頼を受けてきた旨を伝えると、上の者を連れてくると言って引っ込んだ。しばらくして出てきた人も女性だった。
「ヴィルバッハのギルドからだって? 大旦那宛? なんだろうね。ま、いいか。じゃ受領書出すからちょっと待っててね……? ん? アレクシア? あれ、あなたって」
女性は受領書に書いてある、私の名前を見とがめたらしい。そういわれて私も相手の顔をまじまじと見て……ええ!?
「ジーンさん、ですか!?」
驚いた。大店の偉い人って出てきたら、この間の野営地での事件で助けてくれたジーンさんって、なんて偶然!?
「うん、そうだよ! いやぁ、早く言ってよー! こうしちゃいられない、あ、その前に受領書はと……はい、これでいい?」
「えと、はい。大丈夫です。ありがとうございます」
ジーンさんも驚いたみたい。そりゃそうよね。お仕事のつもりで出てきたらいきなり知り合いだったっていうんだもの。
「よし、じゃあ入って入って!」
「あああの、外に馬車置いてて」
「あぁ、そんなのウチの若いのに片付けさせるから、いいって」
そうやってぐいぐい奥に連行される。
結局私たち全員、そのまま昼食をごちそうになって。このまま今日は泊まっていけと離れを用意されて。夕食時には初ダンジョンの話をして大いに盛り上がって。ありえないくらいふかふかのベッドで眠って。
そして気持ちいい朝を迎えたんだけど。遠くで誰かの叫ぶ声やら、探すような声がして、何やら家中が慌ただしい。
離れを出て母屋に向かう。母屋は店と併設された二階建ての建物だった。渡り廊下を通り、母屋に続く扉を開ける。開けたホールには数人いたが、ちょうどジーンさんの姿もあった。
「おはようございます。……なにかあったんですか?」
眠気まなこの私を目覚めさせるには、青ざめたジーンさんの言葉はとても強烈だった。
「ええ。……カーラが。私の姉さんが、誘拐された」






