第二十一話 檻を破るモノ
お姉様の肩越しから見える光景は、吐き気を催すものだった。されるがままの女性たち。はやし立てるクソッタレな小鬼ども。
許せない。このような数の暴力で蹂躙するなど。あっていいはずがない。
私は飛び出しそうになる衝動をなんとかこらえ、杖を握りしめた。隣で同じく息をひそめるお姉様も、この忌々しい状況を落ち着いて観察しているが背中は怒りに打ち震えているようだった。
そう。徐々にお姉様の息が荒く、表情はより険しく。ううん、獣のそれに変わっていく。どうしたの、お姉様?
「……お姉様、どうしますか」
私の問いかけにも答えない。更に声をかけようと口を開きかけた瞬間。
「うおぉああぁ―――――――!!」
お姉様が盛大な掛け声とともにゴブリンの群れに走り込んでいった。嘘でしょ無茶よ!
その姿を見てヴァイスもあわてて飛び出していった。ディルは突然のことに戸惑いを隠せない様子だ。
「え? え? お姉ちゃん! どどどどうしようエル!?」
このお間抜け天然ボケ娘、この状況で何言ってんのよ。やるに決まってるでしょ!
「お姉様の援護! 背後に回り込ませないで!」
お姉様はまるで昔話で聞かされた戦神のように暴れまわっている。ヴァイスはその周りでゴブリンどもを翻弄し、一体、また一体と数を減らす。ディルはキチンと言いつけを守り、お姉様の背後を守っている。
私にできることは。支援魔法で動ける数を減らす!
「……バインド!」
狙った三体が唐突に動きを止め、呪いの言葉を叫ぶ。更にもう一回!
「……バインドっ!」
次は二体。これで動いているのは残り五体。魔法の連続使用に伴う疲労がずしり、と身体にのしかかる。一気に全身に泥をかぶったような感覚。視界がすうっと暗くなるが、強く頭を振り自ら奮い立たせ、杖を握りなおす。
数が減ったとはいえ、お姉様を容赦なく襲ういくつもの剣。無数の刀傷が鎧に、盾に、そしてむき出しの二の腕や太ももにも真新しい傷を付けていく。そんな傷などまるで気にならない様子で次々にゴブリン共を屠っていく。
怖い。
正直、今のお姉様は別人だ。何かに取り憑かれたように剣をふるう。その張り付いた微笑みを目の当たりにしたとき、戦慄が走った。
お姉様に何が起こったのか。なにが彼女をそうさせているのか、とても気になるが今はそれより目の前の敵を倒すこと。これが最優先。
いつの間にか残りはバインドが効いている五体だけになっていた。キレたお姉様、傷だらけ。剣筋もデタラメで、本当に滅茶苦茶。だけど強い。
数も減った。残りは動けない敵だけ。……何とかなりそう。そんな気を抜いて杖を下げたその瞬間、狙われた。
側面から腕を強く突かれたような感覚。腕を見ると矢が刺さっている。
その直後、頭の中をぐちゃぐちゃにかき乱されるような痛みが私を襲った。
「ああっ――――――!!」
思わず声が出た。見ればゴブリンは次の矢をつがえようとしている。
やらないと、やられる。痛みに耐え、集中する。
「……っ、ファイアボルト!」
人のこぶしほどの火球が現れゴブリンを襲う。集中が足りないせいで、いつもの半分も威力が出ていないが、ゴブリンに触れるや瞬く間に炎は大きくなり包み込む。
わずかに悲鳴を上げたが、すぐにゆっくりと崩れ落ちた。
何とか倒した。ほっとしたのもつかの間。
私の膝はまるで糸が切れたように崩れ、何とか右手で支えるも、力が全く入らない。ガクガクと激しく震える右腕の様子を見て、愕然とした。
「ま、……麻痺、毒……」
ついに右腕で支えきれなくなった私は、みっともなく湧き水とゴブリンの血で濡れた地面に、顔から倒れ込んだ。
ばしゃ。
「エル!」
視界の端にディルが駆けてくる姿が映る。
◇ ◇ ◇
―――暗い。
寒い。黄昏時か。私は? ……私はアレクシア。 敵は、どこ?
「……る……」
誰?
「える……」
暗くて良く見えない。……敵は、どこ?
「……エル! エルったら! お姉ちゃんも目を覚まして!!」
え、エル? エルがどうしたの? ……私は何をしていた? ゴブリンは!?
目の前を覆っていた赤い霧が急速に晴れていく。
あわてて周りを見渡すと信じがたい光景が広がっていた。周りには打ち倒されたゴブリンが死屍累々と転がっている。
赤く染まったヴァイスがゆっくり近づいてくる。おそらく返り血だろう。ケガをしているかはよくわからないが、歩く姿を見る限り大丈夫そうに見える。
自分の手も大量の返り血と思われるもので真っ赤に染まっている。手に持った剣には血脂がべっとりと纏わり付き、かがり火がぬらぬらと怪しくその刀身を照らしている。
「あ……れ? 私、どうしたの?」
「ああ、お姉ちゃん、正気に戻ったんだね!? よかった……ね、エルが、エルがたいへんなの」
ディルが私を見てホッとした表情を見せるもすぐに泣きそうな顔をする。エルが? どうしたの? ディルが支える格好のエルは、どうやら腕に矢を受けたようだ。
「エル……エル。大丈夫?」
傍らに剣を置き、二人の前にしゃがみ込む。見る限りとてもエルは大丈夫そうには見えない。腕に矢を受けただけにしては妙だ。
「あ……う……ね、ねえ、さま」
震える手を何とか持ち上げようとしているが、全くいうことをきかない様子だ。
麻痺毒。しまった。魔法が使えるのはエルだけ。でも麻痺が邪魔して詠唱できない。
あとは文献をもとに作った解毒薬。効くだろうか。
でもその前に。
「エルごめん。これ噛んでて」
「あ、うむ」
エルの口にポーチから出した布切れを突っ込む。
「……痛いよ」
それだけ告げ、一気に矢を引き抜く。
「んん――――!!!」
エルの華奢な体が大きく跳ねた。ディルが小さく「ひっ」と悲鳴を上げた。
口の布を取り出すと、息も絶え絶えといった様子でうめく。
「傷を洗ってあげて!」
「へっ」
「早く!!」
ディルに水筒を押し付け、少しでも毒を洗うよう促す。不安そうにこわごわ受け取るディルに、優しい言葉の一つでもかけてあげたいが、今はそんな時間も惜しい。
次にポーチから解毒剤を取り出す。古書からの知識だけれど自作のため、不安はある。しかしそれどころではない。街にいるときに効果を試しておくべきだったと後悔するけど、今それを言っても始まらない。
「のんで」
「あ……う」
ダメだ。口が麻痺しだしている。口に入っても脇から流れ落ちる。
そうしている間にも麻痺はどんどん進行していく。放置したら呼吸も止まる。
そうなればエルに待っているのは死のみだ。
手段を選んでいられない。何としてもエルを助けないと。
「ごめんね、エル」
そういってから私は解毒薬をあおり口に含んだ。
エルの体を抱き起し、体を足と左手で支え、右手を頬に添える。不安そうで、縋るようなエルの視線と私の視線が絡み合う。
私はそれを振り払うようにエルの唇に唇を合わせた。
「ふっ――」
ビクリとエルの体が震え、体がこわばった。ごめん、気持ち悪いよね。でも薬を飲まないと。
エルがあきらめて薬を飲んでくれるまで、しばらくそうしていると彼女の喉が鳴り、飲み込めたらしいことが分かった。
薬をすべて飲み込んでくれたことを確認してから唇を離す。
「んっ。はっ、はっ、……はぁ……」
まなじりにうっすら涙を浮かべ、エルは深く息を吐いた。少し血色が戻ったような気もする。
エルは間断なくわずかに痙攣をしているようだ。あとは薬が効いてくれることを祈るしかない。不安にならないよう、座った姿勢で抱きしめる。
「おねえちゃん……エル、大丈夫だよね?」
「解毒剤を飲ませたから良くなると思うけど、まだわからない。ディルとヴァイスは他に敵がいないかの確認をして。その後つかまっていた人の様子を確認して」
下手に期待をかけさせてもいけない。事実だけを伝える。周囲の安全と捕らえられていた人の安否を確認するようお願いすると、エルを気にするようにしばらく見つめていたが、やがて意を決したように周りの探索にヴァイスと向かった。
「……おね……さま……」
気が付くとエルが、彼女の頬に添えた私の手に触れていた。その手が時々大きく震える。
「エル?」
「……よ……かっ……た。ね……さま……が、も、……もと……に、もど……って」
「ごめんね、心配かけたみたいだね。ありがとう。解毒剤も飲めたからもう大丈夫。今は休みなさい」
私の言葉にエルはぎこちなく、微かに笑い、目を閉じた。
乱れはあるが、先ほどよりずいぶん落ち着いた息遣いになっている。
少しほっとした。
「あっつ、いたっ……な、なにこれ……痛ぁ」
そして今更ながら腕や足の切り傷に気づいた。でもまずはエルの肩の傷だ。自分のは見た目は派手だけど深くないから大したことない。もちろん痛いけど。
傷は薬よりも魔法で治療した方がきれいに治る。エルの傷も幸い血は止まっているようだから、清潔な布を当て、包帯で保護しておけばいい。下手に治療薬で治してしまうと痕になってしまう。女の子にそれは酷だ。
エルの応急手当を終えてからをそっと抱え上げ、横たえられる場所を探す。奥の方に乾いている平らな場所を見つけたので、そこにゆっくり横たえる。
そうこうしているうちにディルが近づいてきた。
「お姉ちゃん。ほかに敵はいなかったよ。……エルは、どんな感じ?」
「うん、さっきより良くなってきてるよ。薬が効いてきたみたい。ディルも頑張って傷口をキレイにしてくれたからね。後の処置も楽だったよ。ありがとう」
「そう。……よかった」
不安そうにしていたディルだったけど、エルの寝顔を見てようやく顔を少しほころばせた。






