第十話 閉じる扉、開く扉
「アレクシア。本日中に現在の住居をジークルトに明け渡すこと。また以後一切の出入りを禁ずる。以上」
私はなぜか、おとうさんのお店から、出ていかなくてはいけないことに決まったようだ。
時間を少しさかのぼる。
先ほどから目の前では信じられないことが展開されている。一体何が起きているのだろう。意味がわからない。
私と変態おやじ、ジークルトは今、判事の前で審問を受けている。
「私は何も悪くない! あの性悪女が金を勝手に持ち出すから!」
私がおとうさんの遺産を独り占めしていて、それを咎めたおじさんが、私にいきなり殴られたそうだ。時に怒り時に泣き、情緒豊かに謡いあげていく。それを親身になって聞く判事。一体これは何の茶番なのか。
近所のおばさんや長屋のおじさんがものすごい顔で変態おやじ、ジークルトを睨んでいるが本人はどこ吹く風。完璧な被害者面で演じ切っている。
「だいたい、そいつがボルトさんの親戚ってのも怪しいもんじゃないか! そこんとこの証拠はあるのかい!?」
我慢ならない様子でおばさんが判事に詰め寄った。
「付添人は静粛に。……しかし確かにジークルトはこの街に来て間もなく、知り合いも少ないと聞く。その点、証を立てられるか? 答えよ」
判事はジークルトに問いかける。その答えに本人に代わり答えるものが現れた。
「その質問には私がお答えします、判事」
あの服。街の行政官だ。なんだろう、手回しが良すぎる。
彼が提示した資料は行政の公文書。それによるとジークルトはおとうさんの甥という関係であると示している。決定的だ。
私も当日起こったこと、今までのおとうさんとの暮らしのこと、近所のおじさん、おばさんたちも一生懸命に話してくれた。だけど。
「所詮は『忌み子』の申す事。周りの人間も騙されているに違いありません。過ちは正されるべきだ。……判事、正しい判断をお願いいたします」
ジークルトの弁護人は鷹揚に述べると私を一瞥し、判事に一礼した。
既定の手続きのようにすべてが決まった。
◇ ◇ ◇
おとうさんの店には顔なじみの方たちが付き添ってくれた。いつもお店に遊びに来てくれていたおじさんとおばさん。
「ボルドさんには一杯世話になったからね。ここでアンタを見捨てたらそれこそ罰当たりさね」
おばさんはウインクをしながら私の頭を撫でてくれる。
店の前には勝ち誇ったような表情のジークルトと無表情の執行官。私が私物以外のものを持ち出さないように監視するためだろう、……念の入ったこと。
「あんた、ろくな死に方しないよ。こんなことして、この街でまともに暮らしていけると思ってんのかい。それにこんな娘にあんた……、何てことするんだい、この変態!」
ジークルトはそんなおばさんの剣幕にも動じない。
「おいおい、言いがかりはよしてくれ。すべてソイツの妄想じゃないか。それにさっき裁判で決まったことだろう。我が国は法治国家。法に従うことが絶対だということは、その辺の子供でもわかる。そうだろう、アレクシア?」
わかりやすい挑発。でも今の私には「そうですね」と返すのが精いっぱいだ。
「日暮れまでに執行を完了したいので、速やかに私物を運び出してください」
事務的な執行官の面倒くさそうな言葉が無情に響く。
私の私物なんか、そんなにあるわけでもない。
小さい荷車でも十分空きができるほどの荷物を載せれば、それがすべてだった。
武器の類もいくつか持っていこうとしたのだけれど、骨とう品としての価値を知っているジークルトに「おいおい、金目の物は勘弁してくれよ」と阻まれた。
そして扉は固く閉ざされ、ガチャリという鍵の音が重く心に響いた。
ごめんなさい、守れなかった。
こうして私は、おとうさんとの思い出の場所を失った。
その日は長屋に荷物を運びこむことだけは何とか終わらせて。そのまま暗くヒンヤリとした本の林の中で丸まった。もう、目が覚めないといいのに。こんなひどい世界、消えてしまえばいいのに。そんなことを考えながら泥のように眠った。ヴァイスが一晩中寄り添ってくれていた。
木の板の間はジワリと冷えたけれど、ヴァイスはいつもより暖かい気がした。
……夢を見た。おとうさんと出会った頃の夢。日々のなんでもない光景の、なんでもないやり取りが繰り返される、単純な、とても素敵な夢……。
ドンドン。ドンドン。
長屋の扉が叩かれる音で目覚めた。視線の先にある横を向いた高窓の様子を窺うと、ずいぶん日も高いみたい。空気中の微かな埃が、差し込む光をキラキラと反射している。
「アレクシア! アレクシア! ……おーい、大丈夫か!?」
この声は長屋の管理人のおじさん。
ゆるゆると起き上がる。それに合わせ掛けていたコートが肩から滑り落ちていく。板の間に寝ていたので、なんだか体が痛い。合わせてヴァイスも立ち上がり、大きく伸びをした。
コートを羽織って、玄関に向かう。
「おお、アレクシア、大丈夫だったのか。寝てたのか?」
玄関を開けるとほっとしたような表情のおじさんと同じ長屋のおばあさんたちが覗き込んできた。
「嬢ちゃんが店から追い出されたって聞いてね。あたしゃ心配でね。ケガとかしてないのかい?」
「大丈夫だよおばあちゃん。ごめんね、ありがとう心配してくれて」
笑顔がどうしてもぎこちなくなってしまう。元々そんなに器用じゃないし。
そして昨日のことが夢なんかじゃなかったってことを嫌でも思い出す。
「じゃあもう店には戻れないのかい? ひどい話もあったもんだねぇ」
おばあさんの家の前のテーブルで今までの経緯を話したあと、おばあさんは大きなため息をついた。空はとてもいい天気なのに、なんだか景色はくすんで見える。淹れてもらったハーブティーも、今はすっかり冷めてしまった。
「じゃあ、嬢ちゃんどうするんだいこれから」
「とりあえず、行くところなんかないですし……できればここに住まわせていただきたいんですが……」
手で包んだティーカップに視線を落としながらポツポツと話す。でも迷惑だろうか。こんな私がここにいたら不幸の奴が寄ってきてしまいそうで。カップを置き、何気なく手を膝に戻した。そっと震える右手に左手を添える。
「あたしたちは大歓迎さね! こんな可愛い子がいたら長屋の自慢になるさ! ねぇアンタ」
「そうじゃなぁ、可愛い娘っこはそれだけで眼福じゃからなぁ」
「あんた、何いうとるんか!」
「なんじゃ、ええじゃろそれくらい」
途端に井戸端に笑いが起こる。私……ここにいていいの? でも……
「あ、で、でも家賃なんかは」
私、今ほとんどお金持ってない。せいぜい部屋に置いてあった小銭くらい。
「あぁ、あの部屋は元々ボルドさんのモノじゃから気にせず使ってええぞ。そもそも、この長屋を立ててくれたのがあの人だからなぁ」
そうなんだ。知らなかった。でも、手元にお金がなかったから、正直助かる。
……おとうさん、ありがとう。まだ私、やっていけそう。
ただあくまで部屋は倉庫として使っていたから、部屋には本当に何もない。
生活用品をそろえるためにはある程度のお金がどうしても必要。仕方ない、手持ちの何かを売って当面の道具をそろえよう。
そう思ってまずは手近なポーチを探ったときに指に当たるものに気づく。
「あ……これ」
鈍い金色に輝く真鍮の鍵。
おとうさんが最後にくれたギルドの貸金庫の鍵だった。慌ただしく店のことをやるうちに忘れていた。何が入っているんだろう。私にとって必要なものが入っているって、言っていた。
「……行ってみようか、な」
けれどこの長屋から冒険者ギルドへ向かう道の途中に、おとうさんの店がある。正直、今は前を通りたくない。今日は遠回りで冒険者ギルドに向かう。遠回りしても二十分足らずで旧市街の一角、一際歴史を感じるレンガ造りの建物。扁額に盾と双剣のレリーフが掲げられた厳めしい建物にたどり着く。その大きな扉を開くと冒険者たちの喧騒にあふれた空間が眼前に広がった。
ヴァイスに表で待つように伝えて一歩踏み込む。冒険者たちの容赦ない好奇の眼が一斉に突き刺さり、一瞬気おくれてしまったけど、気を取り直して再び歩みだす。
私が近づくと、カウンターのお姉さんがにっこり微笑んで私を迎えてくれた。
「ようこそ、ギルドへ。ご用件をお伺いしますね」
「あ、あの。金庫を開けたいのですが」
胸に下げた鍵をちらりと見せる。後ろめたいことは何もないけれど、ついつい声を落としてしまう。
「ご利用ありがとうございます。失礼ながら、真偽判定をさせていただきますね。……魔法を行使いたします。よろしいですか?」
私が本当の持ち主であるかの判定をするということだろうか。
「わかりました。お願いします」
受付嬢は小さく頷くと、小声で何か詠唱を行った。特殊な術なのだろう、詠唱も長い。
しばらくすると鍵が一瞬輝き、すぐに消えた。
「はい、確認が取れました。係りの者がご案内します、あちらにどうぞ」
立ち上がり受付嬢が私をホールの奥を指し示す。そちらには既に、別の女性が待機していた。促されるまま歩を進める。
奥の扉には鍵がかかっているようだ。
「こちらの扉はその鍵で開くようになっています。解錠をお願いします」
胸の鍵を取り出し、扉に差し込み、回す。意外に軽い力で鍵は開いた。
ここから先は一人で進むようだった。階段を降りると部屋があり、鍵の番号に金庫が対応しているとのこと。入った扉を内側から施錠するように言われ、その通りにする。
石造りの階段はまっすぐ続いており、魔法の明かりで十分明るい。階段は一階分も無いように感じた。階段を降り切ると材質がよくわからない壁に変わった。さらに奥に広い空間があり、左右と奥に鍵が付いた扉が壁いっぱいに設えられている。
私は鍵の番号と壁の扉を交互に見ながら、目的の扉を探す。それはすぐに見つかった。
私ははやる気持ちを落ち着け、鍵穴に鍵を通してゆっくり回す。ガチャリ、とやや大きな音を立てて鍵が開いた。
おとうさんは何を遺してくれたんだろう。私は意外と軽い扉に若干面喰いながらも、開く扉に思わず唾を飲み込んだ。






