蓋然性ってなに? 1
「つまり、このカバンの中は常に貴女が異世界転移する直前、並行世界のルート分岐点に繋がっているわけね」
ランさんが不思議そうにバッグの中を除いた。
きちんと整頓されていないから、中を見せるのはかなり恥ずかしい。
整理しても、何故かすぐに中身がそれぞれ決まった位置に戻ってしまうのだ。
「意味がわかりませんが、無限増殖の理由ですよね?」
彼女は顔を上げると、バッグの口を閉めて私に渡した。
「えーとね、さっきのチョコレートなんだけど、一つしかないのだから、取り出した時点でバッグの中には入っていないはずよね? でも、何度でも取り出すことができる。それは他の物でも同様ってことでしょ? これって、どうやら貴女のバッグの中が、常に召喚直前の時点で固定されてるからみたいなのよね」
「時間が固定ですか? つまり、時間停止みたいな状態になっているってことですか?」
「ちょっと違うかな。時間が停止しているというわけではなくて、並行世界分岐発生の瞬間に重なってる無数の並行世界のどれかと必ず繋がっているみたいなのよね」
何言ってるのか、全く理解できませんけども。
「そんな、困った顔で私を睨まないで。えーと」
分かりやすい私の表情が、声を出さずとも思考の混乱をランさんに伝えてくれたようだ。
「つまり、貴女はいつもチョコレートを並行世界の別の貴女から盗んでるってこと」
ランさんが簡単にまとめてくれた。
まあ、ブラッ◯サンダーの一つや二つが無くなったところで、食べたこと忘れてんだろうな、ぐらいで流しているだろう自信がとてもある。
並行世界の私と言っても所詮私。
大雑把に違いない。
だけど、私が良いとしても、いわゆる世界の理ってやつにはどうなんだろう。
同じ存在が同時刻、同地点にいると不都合が起こるのはタイムスリップ物や並行世界物の設定の定番じゃないかな。
「そんなに幾つも別の世界の持ち物を異世界で消費しても良いものなんですか?」
「さあ? でも、並行世界は無数にあるっていうし、そのうちのいくつかの世界の貴女からチョコレートが無くなるぐらいなら問題ないってことじゃないかしら。問題あるなら、既に世界に歪みが起きてそうだし。何もないなら、きっとそれほど影響ないのよ」
無くなるのは問題ないのかな?
「でも、変な現象よね。自然現象の次元の揺らぎと、この世界の召喚魔法が相互に影響した結果なのかしら。神のみわざというには、事故っぽいし」
「事故って」
「意図したものでも、自然現象でもないわよ。初めて見たわ、こんな現象」
そう言いながらバッグを一瞥する。
私には認識できない何かを見ているような視線だった。
カークさんが偶にこんな眼と表情をする。
おそらく、魔術が使える人は、普通の人に見えないものを見ることができるのだろう。
バッグの中身を見ただけで事象の説明をするぐらいなのだから、あながち私の推測も間違いではないはずだ。
「これのおかげで助かってることも多いので、事故にしろなんにしろ、有り難いバッグ様なんですよ。日本に帰るまでは命綱です」
特にトイレ面で。
このバッグの中のものが無限に出てくるからこそ、中世の世界そのものである不便な生活にも長期間耐えられるのだ。
でなければ、月に一度の女性特有の数日をどう過ごせば良いのか分からなかっただろう。
私の事だから、無ければ無いで完全にこちらの世界に順応してたかもしれないけれど。
「その変な現象で元居た世界と繋がってるから今居る世界に馴染めないのかしらね。どこで生きていくかより、誰と生きていきたいか、だと私は思うけど」
探るような眼差しで見られてどきりとした。
思考を読まれたかと思った。
「女神のギフトに、元の世界に戻る選択肢を持っている人は稀だわ。来てしまった時点でこちらの世界で生きていく覚悟は必要になる。死ぬまで元の世界に未練を残す人もいるけど、大抵はこちらの世界に馴染んでしまうわね」
ランさんが紡ぐ言葉に、違和感を覚えた。
カークさんが話した内容が正しいならば、異世界からの異邦人自体の数はとても少ない。
今回のような、同時期に複数人が発生するなんてことは記録上初めてのことで、今までなら全世界を見ても数年に一人いるかいないかぐらい稀有な存在だってことだった。
それが私が知っているこの世界の事実だ。
なのに、ランさんの発言は複数人の異世界人と会った事があるとしか読み取れない。
「ランさん。私は、こちらでで出会った信頼できる人から、女神のギフトと呼ばれる異世界人がこの世界にやってくるのは非常に稀であると聞きました」
私は怪訝な顔をしてたんだと思う。
「私の目には貴女は私と同年代に見えます。普通に考えて、異世界人に何人も出会えるはずがないですよね。貴女が誰で、ここがどこなのか、今度は詳しくお伺いしたいです」
愛らしく微笑んでいた彼女が真顔になった。
固唾を飲んで見守っていると、彼女は優雅な仕草でティーカップに腕を伸ばして紅茶を口に含んで再び笑みを浮かべる。
私に話す内容を決めたように感じた。
「私ね、ハーフドラゴンなの。だから、寿命がとんでもなく長いのよ」
ランさんは、軽い調子でそう言った。
ん?
お母さんが日本人って言ってなかった?
ドラゴンって何?
いやいや、ドラゴンがあのドラゴンだって言うのは分かるけど。
一瞬言われた言葉の意味が理解できなくて、私はキョトンとしてしまう。
だって、ドラゴンって言ったら、砦で少年が倒したあのドラゴンな訳で。
お母さんが日本人なのにどういうこと?
って、なるよ。
私の混乱をそのままに、彼女は続けた。
「父が魔術を失敗して、母を呼び出してしまいったらしいんだけど、あの人達、はた迷惑なラブラブカップルでね。母は元の世界に戻らず、父の番いになって、私が生まれた訳よ。それで、不思議な物でね。百年以上も生きてると異世界人に会うことも結構あるのよ。父曰く、私は蓋然性が高いらしいわ。そして、子供って親に似るもので、私も異世界人を召喚してしまったのよ。ていうことで、旦那様も異世界人だったりします」
疑問はあっさりスルーされていく。
悪びれなくスラスラと答えてくれるのはいいんだけど。
疑問を挟むタイミングを逃してしまい、大人しく耳を傾けていて、ふと気がついた。
その設定どこかで聞いたような……と。
日本人のクウォーターだと言っていた穏やかな青年が脳裏に浮かぶ。
母親が日本人とのハーフ、父親が異世界人だったはず。
祖母の異世界召喚は祖父が原因の事故との発言もあったはず。
「もしかしてなんですけど、アルトさんのお母様です?」
恐る恐る口にしてみた。
まさかなと若干の疑いを残しつつも、あまりにも彼が話してくれた内容に酷似していたから、確定だろうなと当たりを付けて。
「あー、確かに、そういう蓋然性はあるわよね。あの子も世界にとってはイレギュラーですもの」
少し考えて答えたランさんは特に驚いた風でもなかった。
私がアルトさんと知り合いである事が当然であるかのような口調だった。
「がいぜんせい?」
出てきたのは二回目だ。
聞き慣れない言葉に、首を傾げる。
「異世界人同士は何故か引き合うの。なんらかの関係が発生する確率が非常に高いのよ。とはいえ、必然ではなく、運命でもなく、必ず発生する未来でもないの。起こり得る、あり得る未来。つまり蓋然性ね」
説明してもらったものの、蓋然性がピンとこない。
多分、日本語訳で適当な表現が「蓋然性」なのだろうが、一般的な会話で使う言葉ではないよね。多分。
単語自体の意味は分からなかったが、会話の内容は理解できた。
つまり、異世界人、世界のイレギュラー同士は出会う可能性が高いってことだ。
あ、それって……突き詰めれば、ギフトを持っている人同士もってこと?
不意に連想した事柄に意識を持っていかれそうになったが、今はそれどころではないので頭の隅にしまっておく。
後で思い出せればいいんだけど。
「前にアルトさんが教えてくれたんです。お父様がお母様の魔術で元の世界に戻れたと。ランさんのことですよね?」
何よりも重要なことを聞かねばならない。
私の質問にランさんが首肯する。
千載一遇のチャンスだ。
私はドキドキしながら口を開いた。
「私たちが日本に帰るための魔法を使ってもらえませんか」
友好的で、こちらの事情もわかってくれる彼女である。
それはもう、期待と希望のたっぷり詰まったお願いだった。
自分自身に都合の良い頭は、断られることなど一筋も考えていなかった。
そんな能天気な思考に、彼女は気持ち良いぐらいすっぱりあっさり言ったのだった。
「え、無理よ?」