いざ遺跡へ7
って、こんな事態の時に何呑気に関係ない事を考えられるかな私。
精神干渉が厄介なのは理解した。
私もリアンさんも黒い靄のことを忘れているわけでも無視しているわけでもない。
ただ、そこに意識がいかない。
最初は怖い気持ちに干渉して恐怖を煽られた。
次は楽観視するように干渉された?
そして今は、靄に対して関心を持たないように干渉されてるのかも。
気持ち悪い。
思考が他者に支配されるということが気持ち悪くて。
私は息を吐くと同時に低い唸り声を漏らした。
リアンさんと白雪が心配そうにこちらを伺ってきたが、意に介さず、勢いよく立ち上がる。
「私、こういうのは嫌い」
宣言すると、黒い靄に手をこまねいている二人の元へと歩き出した。
慌ててリアンさんと白雪が私を追いかけてくる。
少年とカークさんも驚いた様子で手を止めて私を見た。
二人が手を止められるぐらい、黒い靄には何も変化がなかったということだ。
黒い靄の側に仁王立ちする私に、少年とリアンさんが心配そうにオロオロしている。
「起こってしまった現象に巻き込まれてしまうのはどうしようも無いし、他人の行動に強引に引っ張り込まれるのは仕方がないこととして受け入れられる。気がつくと絆されて流されてたっていう結果に対しても嫌だとは思わない。自分の思考を誘導されるのも誘導されている過程は自分の思考なんだから納得できる。でもね、強引に訳の分からない力で思考を支配されるのは我慢できない!」
吐き捨てると、私は手を黒い靄へ突っ込んだ。
その奥にある何かを掴むかのように。
「おねえさん?!」
「ひな!」
「嬢ちゃん!」
「うちたてひなた!」
四人の私を呼ぶ声が響く。
何か考えがあったわけではない。
ただ思考を支配されるという事象に対しての嫌悪感が優った。
元々私は物事を深く考えて分析するタイプではないし、直情的で切れやすい。
事なかれ主義でありたいのも、感情的になりたくないからだ。
気持ちが悪いやら、腹が立つやらで、一旦止まってしまった私の思考の代わりに行動の指針となったのは感情だ。
故に完全に激情に任せた行動だった。
一連の話の中で、思考を支配する意思があるなら、逆にこちらからその意思に対して干渉できるのではないかと考えた瞬間があったのかもしれない。
黒い靄から少年とカークさんへの攻撃らしきものがなかったのを目の端で確認してたから、黒い靄だけでは物理的な攻撃はできないのだろうと考えたのかもしれない。
だけど、そんな憶測なんて頭から消えていた。
その後に何が起こるかなんて、推測すらしていなかった。
リスクだとか、危険だとかは感情の前に綺麗さっぱり忘れ去られていた。
結果から言うと、私の手は黒い靄に弾かれたり傷付けられたりすることはなかった。
とはいえ、その後のことはほとんど時間を置かずに連続して起こった。
手首が隠れるくらいの部分まで靄の中に右手を入れたのだが、なんの感触もなく、強いていうなら少し冷んやりするぐらいだった。
何もなかったことに肩透かしを食らった私は少し冷静になった。
大声で喚いて感情のままに動いたことで、鬱憤が発散されたようで、気持ちが落ち着いたらしい。
自分の状態を自己分析できるぐらいには頭が冷えた瞬間、突如黒い靄が私へと侵食を開始した。
四人が私の名を呼びながら駆けつける。
突然の私の振る舞いと突然の現象に大いに慌てただろう四人を振り返る余裕もなく、背後から伸ばされた手が私を掠ったような気がしたもののしがみつく間もなく、私は黒い中に取り込まれてしまう。
最後に聞こえたのは、少年の切羽詰まった日本語の叫び声だった。
見回すと知らない場所にいた。
耳の奥に残るのは少年の声。
黒い靄に引き込まれたはずだったが、靄なんて欠片も見当たらなかった。
視界に映るのは、壁一面に設られている天井まで届く大きな書架。
「図書館?」
呆然と呟いていた。
疑問系だったのは、図書館なら利用者が使用する机と椅子が並んでいるはずだからだ。
この巨大な空間には、書架と階段と通路、そして膨大な書物はあるが、それ以外のものは見えない。
それとも書庫なのかも。
何故なら、窓も扉も見当たらず、どこから出入りするのか分からない様子は倉庫に近い。
それに、書物の背表紙を見るとラベルが貼られていない。
図書館であれば、特定の分類法によって記号と数字が割り振られているはずだ。しかし、近くの本を確認しても、分類法によるラベルが見当たらなかった。
つまりここは公共の施設というよりは、私有の私設なのではないかと推測できた。
「ここがどこかは分からないけど、こんなところに来てしまった原因は、あの黒い靄よね」
「図書館で正解よ」
考えを纏めるために独り言を漏らしていたら、不意に穏やかな女性の声が聞こえた。
「家族以外がここにくるなんて初めてじゃないかしら」
私と同じ年頃の女性が二階の本棚の前から、座り込む私を見下ろしている。
驚いて私が声の方を見上げたのと、彼女が指を鳴らしたのが同時だった。
視線を上に向けている間に私の側にテーブルと椅子が現れ、二階部分にいた彼女の姿が見えなくなる。
再度驚いて、現れたテーブルに目をやると、その椅子に彼女は座っていた。
「お話ししましょうよ。そんな格好をしているけれど、あなた、地球の方でしょう? それも、日本人」
日本語でそう言った女性の外見も日本人と見えなくもない。
ただ、アジア人種にしては若干彫りの深い顔立ちは何割か西洋の血が混じっているハーフかクォーターといった風情だ。
彼女がまた指を鳴らすと、今度はテーブルの上にティーセットが現れた。
図書館で飲食って、マナー違反感が半端ないんだけども。
「警戒しないでほしいわ。母以外の日本人とは初めてお会いしたのよ。どうぞ。座ってくださらないかしら」
言葉を紡ぎながら、彼女がお茶を注いだティーカップをもう一つの椅子の前に置く。
私を見て彼女がにっこりと微笑むと周囲が明るくなった気がした。
リアンさんや白雪のように美少女、美女といった華やかな外見ではなかったが、馴染みのあるような錯覚を起こさせる人好きのする可愛らしい女性だった。
さっきは同世代かと考えたが、皺一つない軽やかな笑みを見ると私よりも若いのではないだろうか。
そんなことを考えて立ち竦んでいた私に、彼女は困ったように首を傾げた。
「警戒されてしまうのは分からないでもないんだけれど、本当に、お話ししたいだけなのよ」
再度促されて、私は少し咳き込みながら慌ててティーカップの置かれた席に腰を下ろした。
「聞きたいことはいっぱいあるんですが、初めにこれだけ聞かせてください。恵人くん……私と一緒にいた他の人たちもここにいるんですか?!」
テーブルに乗り出す私に、またも女性は困ったように首を傾げる。
困った時のこの人の癖なのかも。
「ここは日本語がわかる人しか入れないのよ。蔵書が日本語だからって母が言ってたけれど、日本人なんて、こっちの世界にそうそういるわけないわよね。だから、この図書館に家族以外で入ってきたのはあなたが初めて。そして、あなたが最後。つまり、あなたのお友達はここには辿り着いていない」
「え?でも……日本語って言うなら、恵人くんは日本人だし、バリバリ日本語喋ってるし」
「んー、推測になっちゃうけど、その日本人が他のお友達に触れていたとかなら、こちらには来られないわね」
リアンさんかカークさんか。
彼女の言葉を信じるなら、確かにあの二人が、私を追いかけようとする少年を引き留めてそうだ。
「じゃあ、どうすれば私は元の場所に戻れますか?」
その質問に、彼女はわかりやすく視線を外した。
なるほど、それが答えだ。
「簡単には戻れないわけですね」
私は察した結論を口にして大きく息を吐く。
期待を込めていたわけでもなし、今更取り乱したり落ち込んだりするはずもない。
「随分物分かりが良いのね」
反応が意外だったのか、女性は少し驚いた口調だった。
「物分かりがいいわけではないです。今は感情に任せて行動して後悔してるところなので、出来るだけ冷静に受け入れようとしています」
「あなた、面白いわね」
「面白くないですよ。所詮ただのOLです。そんな目で見られても人間ビックリショーみたいな事は何もできませんよ? それは恵人くんの役割なので」
回答を聞いた彼女は目をパチクリさせた。
感情表現が豊かで、表情の可愛らしい女性だ。
しかし、何だろう?
彼女の仕草に既視感を覚えた。
誰かに似てる?
「ラン」
私の思考を遮るように彼女が言葉を紡いだ。
「ラン・高階よ。ランが名前。高階が苗字。日本風にいうと高階ランね。既婚だから、今の名前はもう少し長いんだけど、面倒だから高階ランで。ランって呼んで。好きなものは三時のおやつよ。甘い焼き菓子やケーキと一緒に飲む紅茶は最高よね! さあ、どうぞ召し上がれ」
高階さんがにっこりと微笑むと、ティーセットの次に焼き菓子がのった皿が出てきた。
出現に指パッチンは関係ないらしい。
テーブルの上には英国スタイルのアフタヌーンティーが用意された。
日本人らしい律儀さで自己紹介を終えた彼女に釣られて、私は勧められた紅茶に口をつける。
美味しい。
私はほっと安堵の息を洩らした。
自己紹介されたら自己紹介を返すのが日本人である。
「内館日向、日本人です。未婚の二十五歳です。好きなものはランさんと一緒で、甘いお菓子と紅茶です」
そう言って、ゴソゴソと皮の旅鞄に隠してある日本から持ってきたハンドバックの中からブラッ◯サンダーを取り出した。
「お近づきの印にお一つどうぞ。あ、食べた後の袋はお返しください」
またもキョトンとする女性に、私はにんまり笑って言った。
「美味しいですよ」
(日向)「落ちるのが好きなんじゃなくてね。何でか落ちちゃうの。パッシブスキルで空中浮遊とかないかなあ。あ!レビテトとか」
(恵人)「某大作RPGのレビテトは魔法だからパッシブスキルじゃないよね」
(日向)「おおー、じゃあ、常にカークさんにレビテトの魔法をかけて貰えばいいのか。そしたら、私はもう落ちない!」
(恵人)「落ちるよ」
(日向)「え?!」
(恵人)「そもそも、あれは飛行術じゃなくて、地面に沿って浮いてるだけだから、落とし穴には落ちるんだよ。高低差のあるところはそのまま落ちるんだから無意味だよね」
(日向)「く、くわしい」