いざ遺跡へ4
地下倉庫に落ちるのだと、地下一階の床に叩きつけられるのだと思ったのは一瞬だった。
すぐ下にあるはずの足場がなかった。
驚愕と共に恐怖が湧く。
見えない底がこんなにも恐ろしいものだって知らなかった。
暗闇の中、底に叩きつけられるまでの瞬きの間がとてつもなく長くて。
今度こそ死ぬんだろうって実感した。
少年と日本に帰って、日常を取り戻すことはできないのだ。
混乱に陥る思考が正常機能するわけがなく。
片腕で白雪を抱きしめながら、もう片方の腕を伸ばす。
藁にもすがる気持ちって、きっとこういうことなんだって、身をもって実感するぐらい、必死に掴まれるところを探した。
空を切る手に絶望しかけた時、ガクンと体が止まって落下運動が終わった。
底に辿り着いたわけではない。
そうであるなら、地面に叩きつけられて大怪我もしくは死んでいるはずだし、こんな左右に揺れるはずがない。
私は腕の中の白雪を見る。
「シラユキがいるから、ウチタテヒナタは痛くない」
彼女の肩から、一筋の縄のようなものが生えていて、はるか上に伸びていた。
「痛いはないけど、上がるのは無理」
少しつらそうに、そして困った様子で白雪が私を伺う。
助かったという想いで、パニックになっていた私の頭は急速に冷静になってくれた。
この穴を登っていくのは無理でも、降りていくのはできるのだろうか。
白雪にそう尋ねると、彼女は頷いて、ゆっくりと下降を試みた。
彼女の肩から伸びる縄のような腕が、下降すると共に細くなっていく。
足が地についたのはそれからすぐだった。
という事は、叩きつけられるギリギリのところで白雪に助けられたのではないだろうか。
地面に到着すると、形を変えてしまった腕にドキドキしながら、私は白雪の小さな体をぎゅっと抱きしめた。
「ありがとう。白雪は、腕、大丈夫?」
「シラユキは問題ない。ウチタテヒナタは痛くないか?」
白雪は何故かご機嫌のようで、紐のような腕を頭の上でぐるぐる回しながらこちらの様子を伺ってくる。
「白雪のお陰で助かったよ」
でも、座り込んだまま、足が震えて立てないのは許して。
一瞬走馬灯が見えたぐらい、死んだと思ったんだよ。
ほうっと大きく息を吐いて自身を落ち着かせると、私は落ちて来た穴を見上げた。
白雪の白い腕?がまだ穴の上方に伸びている。
天井は真っ暗闇で見えない。
何mくらいの深さなのだろう。
ていうか、厨房の床が抜けてこんな穴に落ちるとか、屋敷の基礎工事はどうなってんのよ。
おかしいでしょうが。
うがー!
と、あらぬ方向で怒りを発散させてると、白雪がビックリした様子で目を丸くした。
おお、かわいい。
「それはそれとして、何? 上に戻れそう?」
白雪が腕を元に戻さないという事は、何かしてるんだろうなって考えての質問だった。
「シラユキは出来ない。アレがすぐ来る」
言うと、彼女の細く伸びた腕はするする縮んで元の形に戻った。
「すぐ来るって、みんなこっちに来るってことか。まあ、あの三人ならどうにかして降りて来られるよね。それより、ここってさ、もしかして」
周囲をキョロキョロ見回して、やっと私はそのことに気づいた。
暗闇が広がっているんだと思ったら、僅かに光量がある。
ま、だから、白雪の様子とか確認できたわけで。
剥き出しの岩肌が少し光っている。
その不可思議さに思い当たるものが現状、遺跡しか思いつかなかった。
どうもこの世界、遺跡内の諸々の不思議は全て「遺跡化している」で解決してしまえるらしいのだ。
つまり、墓所の遺跡化はかなり広範囲に広がっていて、屋敷の方まで影響出てるって事だ。
屋敷の土台がなくなってたのって、そう言う事だよね?
魔法のある世界だしなあ。
色々な不思議はそう思う事で思考を止めることにしている。
突き詰めて考えると頭がおかしくなりそうなので。
「とりあえず、みんなが降りてくるまでティータイムにしますか」
そう口にして、私はカバンからペットボトルのレモンティーとブラッ◯サン◯ーを取り出す。
「シラユキは茶色好きだ」
マドール河の水でできた体で、主食が人の性欲である白雪がチョコレートをどう消化しているのかよく分からないのだけども、好きというならいくらでもくれてやろうという気持ちになる。
命の恩人だしね。
「ほらほら、たーんとお食べ〜」
白雪を餌付けしていると、降りて来た少年達に呆れられた。
「緊張感がないのはいつも通りだとして、何でのんびりおやつタイムしてんの」
「怪我がなさそうで良かった。生きた心地しなかったよ」
「まあ、嬢ちゃんらしいわな」
むむ。私を心配してくれたのはリアンさんだけですか。
彼らのあまりに軽い反応に、一瞬でも本気で死んだと感じた私は少しモヤモヤを感じながら口を開いた。
「どうやって降りて来たの?」
「途中までロープで降りて、届かない分は飛び降りたよ。白雪の一部が見えたし、まあ、何とかなってんだろうなってのは分かったから」
肩を竦めて淡々と答える少年がなんだか可愛くない。
いや、まあ、いつもこんなもんか。
その後ろでぷっと吹き出したのはリアンさんで、ゲラゲラ笑ったのはカークさんだ。
笑う要素、どっかにあったかな?
「と、とにかく! 出口探して合流しないとだろ」
少年が焦ったように口を開く。
さっきまでの素っ気なさは一体何だったんだ。
「落ちて来た穴からは出られないの?」
カークさんなら楽勝な気がしたのだけど。
「俺だけならな。全員連れては厳しいな」
見上げながら彼が答えた。
頭上に見えるのは暗闇。
落ちてから白雪のお陰で私の落下速度が止まるまで二、三秒あった。
うーん、とりあえず三秒として、ここが地球の重力と限りなく近いと考えると……自由落下の公式って、高さ=重力加速度×時間^2だったから、当てはめると、9.8×3×3になる訳で、答えは88.2m……。
あ、気が遠くなりそう。
私、よく生きてたな。
彼らは一体、何メートルのロープで降りてきて、何メートル飛び降りた訳!?
実際のところ、落ちてる時間は正確じゃないし、この世界の重力加速度も知らない。それでも、少なくとも五十メートルはあったんじゃないかと思う。
うーん、三人とも五、六メートルぐらいなら簡単に着地して怪我一つない身体能力だしなあ。
カークさんと初めて出会った時はあんなにも驚いた身体能力だったのに、もうそれを当然だと感じる自分がいる。慣れというのは無意識に刷り込まれて行くのだ。
少年が人らしくなくなっていく。
今更もう仕方ないんだけども、だからといってすんなり受け入れたくはない。
それでも、私の意識下では当然のこととなっていた。
異世界人だから、ギフトがあるからって事だけではないことを知ってる。それは、少年自身の努力の結果だから。
魔物と戦う技術だけじゃない。
言語だって、日常会話には困らないぐらい流暢に話せてる。
あ、やばい。
これ、ぐるぐる答えなく考えちゃうパターンだ。
「ほら、おねえさん」
「ひな、大丈夫?」
視線を上げると、座り込む私に美少女二人が同時に腕を差し出していた。
左手で少年の腕に、右手でリアンさんの腕に掴まりながら、ふと思い出して言葉が漏れた。
「そういえば、私、腰抜かしてたんだよ」
それは先程の自分の状況だ。
怖くて、足が震えて立てなかった。
でも、白雪が、三人がすぐに降りてくるっていうから、安心した。本当にすぐに来てくれるって思ったから、怖くなくなったし、気持ちも落ち着いたのだ。
私を立ち上がらせながら、二人は同時に麗しい顔を歪ませた。
『嘘だ』
君達、ハモってるぞ。てか、二重奏ではなく三重奏だった。
何でカークさんまで疑うかな。
嘘つき呼ばわりしないのは一緒にいた白雪だけである。
「嘘なんかつかないよー。私なんてか弱いOLだよ? 二メートルの落下でも恐怖だわ」
服の土埃を払いながら、おちゃらけて言うと、白雪以外の全員がやっぱり変な顔をした。
「本当に怖い人は、そんなに何度も高所から落ちないと思う」
「うん、ひな、悪いけど僕もそう思う」
二人はこんな時だけ仲がいい。
「今回のは、高所から落ちたっていうより、落とし穴に引っかかったっていう方が近くない? 落とし穴っていうより床が抜けたんだけど」
「ふむ。これは、嬢ちゃんがうまく引き当てたってことかもな」
カークさんがヤな事を言う。
だって彼が喜ぶのは大抵私の嫌いな種類の厄介事だ。
「あーおねえさんのもう一つの体質な」
「私の体質って何?」
「引き寄せるよね、ひなって」
「何も来ないよ?」
呆れたような声は少年とセリアンスロープの青年。
「来ないといいな」
笑いを含んでいるのはカークさん。
「明らかにここは遺跡の深部だからな」
彼は言葉を続けながら片手で剣を抜き、もう片方の掌に拳大の光の玉を浮かべた。
それは夜になると村や街の街灯に設置される魔法の灯りだ。
夜間に街中で並んでいる街灯よりも光度が高く、薄暗かった周囲が明るく照らされる。
そこは何もない広い部屋だった。
自然な空洞を利用して作られた部屋のようで、岩肌がそのままの壁の一ヶ所に開け放たれた大きな扉がある。
それは、本来ならこの部屋唯一の出入口だったのだろう。
つまり、ゲームのダンジョンで言えば、行き止まりの部屋ということになる。
体育館ほどの広さの大きな空洞。
もし私がプレイヤーでゲームをしているのなら、絶対イベント発生を予感する。
その入口から、不快な音が響いた。
リアンさんがカバンからいくつか小瓶を出してポケットに仕舞う。その後、カークさん同様に自身の武器を両手に持ってため息をついた。
「遺跡って奥へ進むほど魔物のクラスが上がるんだよね」
白雪が私の足元に纏わりつく。
「ウチタテヒナタは、痛くしない」
そして私を庇うように構える少年が、いつも通り呆れた声で呟く。
「こういうのってボス戦直通のダンジョン裏技ショートカットっぽいんだよなあ」
私にしか理解できない言語で吐かれた台詞は、不吉な予言のように聞こえた。