王都にやってきました 3
「本当にごめん」
おでこに絆創膏のようなテープを貼りながら、彼が改めて謝罪してきた。
地面と衝突した私の額からは若干血が出ていたのだ。
「大丈夫ですよ。あんな所にいた私も悪かったし、自業自得です」
「でも、女の子の綺麗な肌に傷を付けてしまうなんて」
しょぼんとした口調で耳元で囁かれる声にぞくっとする。
この人、声が良すぎる。
外見は普通の二十代の日本人のお兄さんなのに、やたらめったら声に艶があって、優しくて甘い。
この世界に来て、美形は色々見たけれど、ここまで声がいい人は初めてだ。
こんな声で耳元で囁くのは反則だと思う。
彼が離れたので、ドギマギしていた私は一度大きく息を吸って平常心を呼び戻し、部屋を見回した。
四のテーブルと十六の椅子が並ぶ部屋。
飲食店のようだ。
その割に、今彼が立っている厨房は小さい。
しばらくして彼が私の前にティーポットとケーキを並べた。
「ここは喫茶店ですか?」
彼がにこりと笑った。
当たりらしい。
「僕はアルト。この店の店主をしています。どうぞ、新作なんだけど、最近味見をしてくれる人がいなくてね。実験台になってくれる?」
切り分けたケーキ一切れとカップに注がれた紅茶に、思わず喉が鳴る。
この世界に来て、ケーキなんて食べてない。
紅茶だって、ペットボトルのレモンティーばっかりだ。
目の前に並べられたそれらは魅力的だった。
「ありがとうございます。いただきます。私はヒナタです。冒険者で、この街には初めて来ました」
私の自己紹介に、アルトさんが目を見張った。
「冒険者なんだ?」
「見えないですよね? 実際、私は何もできないんです。一緒にいる人たちが強くて、いつも守ってもらっています。今もみんなとはぐれて迷子になっちゃってるし」
「この辺りは入り組んでいるし、初めてなら迷うのも仕方がない。しかし、何故あんな所にいたのかな」
「大通りの方で人が集まりだしたかと思うと、一気に膨れ上がって、いつの間にかそれに巻き込まれてしまっていて、みんなとははぐれた上、押し流されて気がつけばアルトさんの店の前にいました」
アルトさんは呆れたように息を吐いた。
「勇者だね。さっき街に来ていたはずなので」
そういえば、集まっている人達も勇者がどうのと話をしていたような。
首を傾げる私にケーキを勧めながら、アルトさんが口を開いた。
「三週間前の魔物の襲撃について知っているかな?」
放り込んだケーキが口の中でふわりと溶けて行く。
うっ、美味しいよぉ。
甘いそれを飲みくだし、私は彼の質問に頷く。
「それで、港が破壊されてしばらく水運が使えなかったと聞きました」
「ああ。マドール川からの襲撃は埠頭で撃退できたんだけど、しばらくは破壊された埠頭が使い物にならなかったらしいね。あの時、陸路も城壁の外で騎士団や冒険者が対応していたけれど、飛行系巨大モンスターに関しては後手に回ってしまったようで、直接市街地が襲われてしまったんだ」
街の中にいれば安全なんてのは幻想だって、初っ端の飛龍で理解してたけど、首都でさえ襲われちゃうんだ?
アルトさんが淡々と紡ぐ言葉に、出されたケーキセットをつつきながら耳を傾ける。
口の中で溶けているのはメレンゲのようだ。
焼いたメレンゲをスポンジ代わりにして、間にカスタードクリームと生クリームを挟んでいる。
上にはベリー系のフルーツが散りばめられていて、土台の甘さとベリーの酸味が見事に融合していた。
まさか、こんなケーキをこの世界で食べられるなんて。
そんな私を見て、アルトさんがくすりと笑いを漏らした。
おおっと。
ケーキに感動するあまり、聞いてるフリで、聞き逃してしまう所だった。
「市街地に関しては近衛兵、近衛騎士団が対応に当たっていてね。その中に、王宮の客人である勇者達もいたんだよ。勇者は巨大な魔物達を退け、聖女は傷ついた人々を癒した。そんな訳で、現在彼らは王都の人気者なんだ。勇者達を一目見ようと、民衆が集まる。ヒナタさんはそれに巻き込まれてしまったんだよ」
簡単な説明。
文章では数行の出来事。
ケーキを味わう事にかまけて、さらりと流していたけれど、彼が話している内容は本当にあったこと。
知っていてよくよく考えてみれば、街並みにはいくつもの破壊の跡が見えたし、埠頭も含めて街中には工事中の建物が多かった。
魔法が当たり前のように社会に受け入れられ、魔物が跋扈する世界。
中世の世界を模したRPGなら、こんな世界観なのかもしれない。
だったら、勇者や聖女がいてもおかしくない。
「そっか。彼らがいなければこんな物じゃすまなかったかもしれないんだね。この街に勇者様達がいて良かったね」
そう口にすると、彼はにっこり笑った。
「本当にね。最近の王家は人気がなかったから、今回の災害で英雄と祭り上げられる存在があって助かっただろうね。国王や王太子にとっての救世主でもあったんじゃないかな」
笑顔でアルトさんが言う。
あれ?
これって、あまり国王や勇者を良く思ってない感じなのかな。
「アルトさん?」
「ああ、ごめん。変なこと言った。いつも通りなら、勇者達が去ればすぐに通りの騒ぎは落ち着くよ。騒ぎが落ち着けば、宿まで送り届けてあげる」
誤魔化すようにそう申し出て、ケーキのお代わりを出してくれた。
アルトさん、良い人すぎるよ。
目の前のケーキにぱくつきながら感動していたら、彼が声をあげて笑い始めた。
驚いて私の手が止まる。
「ごめん、ごめん、こんなに警戒心のない人は初めてで、つい楽しくなってしまった」
キョトンとする私に、まだ笑いの治らないアルトさんが震える声で言葉を続ける。
「だって、君、僕が悪い奴で、下心があったらどうするつもりなのさ?」
すっと手を伸ばして私の頰に触れる。
少し身を乗り出して、彼は声を落として囁いた。
「君は女の子だし、僕は男だよ」
この人の声、やばい。
腰に来るってのはこういうのを言うのだと、実体験として理解した。
そして、アルトさん自身、自分の声で相手がどんな風に感じるのか、絶対分かってやってるよね。
彼が茶目っ気がある人だということも分かった。
「でも、アルトさんの中では、ないでしょう?」
そういう意味での下心はないと断言できる。
確信を持って口を開くと、彼は目を瞬いた。
「だって、最近味見してくれない人って、恋人ですよね?」
さっき、そう言って誰かを思い出したらしいアルトさんの表情が寂しそうだったから、彼女の事かなと推測していたのだ。
彼女がいる人が、わざわざ私みたいな見た目平凡なおデブさんを性的に見る理由がない。
私の指摘は図星だったようで、彼は僅かに顔を赤らめた。
「調子狂っちゃうな。そう。君の言う通り。僕は恋人にメロメロだからね。他の人とだなんて、あり得ないけどね」
少しだけ身を引いて、アルトさんは続けた。
「でも、君の警戒心が足りないのは本当の事。世の中、みんながみんな親切ではないし、善人でもない。金目の物を盗んで、死体で転がされても文句は言えないんだよ」
それを注意されるのはこの世界に来て二度目だった。
一ヶ月前の少年を思い出しながら、やっぱりアルトさんはいい人だと改めて心に刻む。
「ありがとうございます。でも、アルトさんは善人だし、親切ですよね。警戒しないでいい人だと思います」
または、警戒したくなかった。
彼の外見があまりにも日本人に酷似していたから。
もしかして彼も?と考えなくもなかったから。
でも彼は流暢にこちらの言語を話している。
言語変換のスキルを使っている風ではないし、私が日本人だと気づいている風でもない。
「参ったね。会ったばかりでそんな過分な評価をもらえるような事、何もしていないんだけど」
「大丈夫です。美味しいは正義ですから!」
断言して、ケーキを頬張る。
「えーと、まあ、食欲は人間の三大欲求の中で大切なものではあるけれど……君、僕の恋人と似てるかも」
若干呆れた様子で、アルトさんが私へと指を伸ばし、親指で唇の端に付いたクリームを拭う。
その時、店の扉が乱暴に開いた。
顔を上げると、見慣れた面子が並んでいる。
「ほら、いた!」
「本当にいたよ」
「ねこ、えらい!」
次の瞬間、何が起こったのか理解する間も無く、白雪が私を抱きしめ、アルトさんの左右から殺気が漏れてくる。
一瞬で扉からの距離を詰めたよ、この人達。
かなり怖いよ、君達。
突き出されたナイフを視界に捉え、アルトさんが引きつった笑みで私を見てくる。
うん、話を聞かない子達でごめんなさい。