▶︎ あの日とその後 (美咲)
魔物の襲撃を受け、王都が炎上したあの日から三週間近くが経っていた。
あの日、春菜が朝から不自然なほど機嫌が良かったから、少しばかり彼女のお気に入りの王子の動向を探ってみた。
そうしたら、彼は近衛兵を集めて、何やら不穏なことをしている。
私は急いで由香に忠告へ行くと東君が彼女の部屋にいた。
彼がいることにホッとする気持ちと羨ましい気持ちが湧いてきて、心の中は複雑だった。
でも、由香が私を見て笑ってくれたのが、この世界に来て初めてだったから。
彼女の隣に東君が居てくれて良かったと、本心から思えた。
あの日、おそらく朝から王都は魔物に囲まれていた。
今ならそう断言できる。
当時、王子が近衛兵を集めている所を確認をした後の、彼らの動きが鈍かったからだ。
騎士達にとっては、王都と王城防衛に忙殺されている中の、王子の我儘だったのかもしれない。
それが由佳達に忠告をする余裕を生んだし、彼らが逃げる時間を与えたのだろう。
でも、王都が魔物に対しての臨戦態勢になっていたなんて、私達は昼になっても知らなかった。
街からいくつかの煙が見えて初めて異常事態に気づいたのだ。
ヒントは至る所にあったのに、私達は知ろうとはしなかった。
日本人の私にとって、この国で起こることは現実味がなかったし、いつか日本に帰られるとどこかで期待しているから、この世界に興味がなかったのだ。
あの日、炎に包まれ、上空と港から魔物達に蹂躙される王都の姿に、気炎を吐いたのは春奈だった。
聖女と呼ばれる彼女は聖女らしく皆の力になりたいと言った。
どんな魂胆があったのかまでは分からなかったけど、聖女として怪我した人々を助けたいと口にした言葉は本気で、嘘はないと感じた。
三年生の先輩二人は、訓練の成果を出すならここだとでもいうように、騎士達と共に闘った。
春奈は聖女の二つ名の元である治癒の能力を遺憾なく発揮した。
私も、魔法と精霊の力を借りて、魔物を追い払った。
そう、私は魔法とは別に、この世界を構成する何かの声が聞こえたし、その何かに手伝ってもらって魔法に似た現象を起こすことができた。
この力を自覚したのはあの日。
王都が魔物に襲われた日だ。
何もない誰もいない中で、私に話しかける声が聞こえた気がしたのだ。
言葉として認識できるわけではない。
けれど、力を貸してくれると、確かにそれらは私に語りかけてきたのだ。
その何かを精霊や妖精と考えれば、しっくりきた。
だから、私はその何かを精霊と呼んだ。
どうせファンタジーの世界なのだ、精霊がいても変じゃない。
魔法を使えるのは付属的なもので、私にとっての異世界人が手に入れる不思議な能力って、この精霊達のことではないのだろうかと思う。
異世界人の力というのは正しく天から与えられたギフトなのだと実感したのもこの時だ。
何年も毎日訓練をしてきた騎士や兵士よりも、一週間かそこら基礎訓練を受けただけの先輩達の方が、明らかに魔物に対して優位だった。
安藤先輩は勇者の資質、近藤先輩は聖騎士の資質。
どちらも魔物や妖魔に対して効果の高いスキルを持っているらしい。
魔術を行使する私も、セヴィが言っていたように、一般の魔術師よりも効率良く、発動も早い。
そして、精霊達の力を借りた魔法なんて、この世界にはない力を私は使うことができる。
あの日、王都に進入してきたのは飛行系のそれも大型の魔物数体だった。
飛行系以外の魔物は、近衛兵と冒険者が守る外壁を越えることはなかった。
水棲の魔物も、埠頭で足止めを食らって上陸できずにいたらしい。
その代わり、港は壊滅状態になってしまっていたようだけど。
しかし、空から飛来した魔物に対して、市街地を守っていた近衛兵は有効な手段を取らなかった。
いや、おそらく取れなかったのだ。
兵や冒険者が手をこまねいていた大型の魔物を討伐したのが私達だった。
あの日、誰かが私達を勇者様と呼んだ。
予定調和のように、その呼び名が民衆に浸透していく。
王宮でも勇者様方と呼ばれ始め、私達への対応が変わってきたように思う。
図らずしも勇者召喚を行なった形になった姫様は、満更でもない様子だった。
こうなる事を狙ってでもいたかのように。
そんな中でも、先生兼護衛として私についているセヴィは変わらず監視役だったけれど。
「ねえ。勇者って、魔王を倒したりする人のことじゃないの?」
勇者と呼ばれることに違和感を感じて私が質問すると、セヴィは穏やかな顔に困惑の色を浮かべた。
「勇者、英雄は似たような意味合いで使われることが多いです。マオウに関しては存じ上げません。ミサキ様の世界ではマオウを倒す者を勇者と呼ぶのですか?」
逆に問われて、私は自分がいかに日本のサブカルチャーに毒されているかを知る。
勇者の敵は魔王だなんて安直な考え方、ある意味恥ずかしいかもしれない。
「そういうゲームとか本があるのよ。全てを支配しようとする魔物の王様から、世界を守るのが使命の勇者っていう……あれは職業なのかなあ?」
ボソボソと答える私に、セヴィは納得したのかしないのか、変わらず穏やかな表情で頷いた。
「なるほど、ミサキ様の世界には魔物の王、マオウという概念があるのですね。この世界の魔物に王がいるとは聞いたことがありませんが、魔物の上位の存在なら、歴史的に確認されていますよ」
「上位の存在?」
「魔人と呼ばれるそうです。稀に力を持ちすぎた魔物や妖魔が魔人に転ずるとは言われていますが、実際の所、現在実在しているかは分かりません」
「んー、じゃあ、勇者と呼ばれたからって、その、魔人?と戦ったりする必要はない?」
セヴィが私の言葉に、一瞬目を伏せた。
いつもは冷静で穏やかで礼儀正しいセヴィだけれど、時折こうして感情を読ませないために視線を下げることがある。
「あなたが戦う必要はない。私達はそのための盾です」
はい、嘘だよね。
彼自身がどう思ってるかは別にして、何かあった時は勇者として矢面に立たせたいってのが、この国の偉い人達の本音じゃないかな。
「そうであって欲しいけどね」
私は独り言ちると、小さく溜息をついた。
勇者と呼ばれて、私達はこの国にお世話になっている。
飢えることも、寒さに震えることもないし、魔物の脅威に怯えることもない代わりに、セヴィ達護衛が常について回るから、プライバシーもあったもんじゃない。
籠の鳥みたい、と息苦しさを感じる事もある。
春奈達みたいに全てを受け入れて利用する強かさも、東君達みたいに外に飛び出して自立する勇気もない。
王宮が女神のギフト三人の出奔に気付いたのは、魔物の襲撃を退け、破壊と火災で混乱する街が落ち着いた三日後だった。
当然ながら、王宮では上を下への大騒ぎだった。
由香と東君はあの混乱の中で無事逃げ果せたようだ。
部屋の中はきちんと整頓され、荷物がなかったそうだから、計画的に姿を消したのだと推測できた。
一方、柿谷君は謎が残る。
いつも通り生活している中で、忽然と姿を消したようなのだ。
食べかけのおやつや荷物もそのままだし、明らかに、少しの時間席を外してますといった状況だった。
庭で東君と鑑定師を見かけた時、確かに柿谷君の声が聞こえた気がしたんだけど。
あの時の光景を脳裏に浮かべる。
東君の周囲がぞわぞわしてた。
今ならあれの意味が理解できた。
精霊が私に教えようとしていたのだ。
彼の背にある何かの痕跡を。
それは柿谷君に関係があるのだろう。
どうしてか、私は彼が東君達と一緒に旅をしているような気がしてる。
「一緒に行きたいって、勇気を出すべきだったかな」
呟きが風に流れた。
「ミサキ様?」
セヴィが不思議そうに振り返る。
聞こえちゃったかもしれない。
でも、多分聞かなかったフリをしてくれるはずだ。
この護衛は私に対して結構甘いのだ。
一番肝心な所は絶対譲ってくれないけど。
「聖女様がまた城下に視察に行くんだって。この間変な人に襲われたばかりだっていうのに、彼女も懲りないよねぇ。さて、私も出る用意しなきゃ」
にっこり笑って、そう告げた。