▶︎ 一目惚れと失恋と (柿谷修治)
居心地がいいかと言われると悩む所ではある。
ここでは場所と時間の感覚がない。
ぼうっとしていると彼我の距離すら消えてしまう。
意識をしっかり保てば、彼と自分が異なる人格である事は直ぐに思い出せる。
不思議な空間。
彼の目を通して外の世界を見る事はできる。
彼の耳を通して音を聞くこともできる。
彼の体を通して能力を発動できる。
周囲で起こっていることも、彼と自分が何をしたのかも、自分の経験として残っている。
だが、それらの記憶を受け取っている意識は、本当に自分?
能力発動の意思は確かに自分にあったのか?
疲れて泥のように眠る自分の見る夢は自分の夢なのか?
誰の夢?
俺の夢?
彼の夢?
俺は東晃誠?
それとも……。
「貴方、面白い。姉さまには止められたけれど、来てよかった」
暗闇の中、仄かな明かりが周囲を照らしていた。
その柔らかな明かりに照らされて、癖の強い金色の長い髪がキラキラ輝いている。
目の前で金髪碧眼の美少女が興味深げに横たわった俺の顔を覗いていた。
身体がだるい。
指一本動かせそうになかった。
理由は分かっている。
魔力切れだ。
あれだけ無節操に火の上位魔法を打ち続ければ、ガス欠にもなろうと言うものだ。
「あの魔物達を倒し、退ける力の持ち主だから、特別に美味しい欲望を食べさせてくれると期待したけれど、期待以上だわ。欲望が二つあるなんて初めて。より美味しかったのはどっちかしら」
身を起こせないままきょとんとする俺に、美少女は可憐に微笑んだ。
同じ歳ぐらいだろうか。
どこか小悪魔を彷彿させる表情が魅力的だ。
何よりも、5月の新緑のような、明るい緑の瞳が印象的で、綺麗だと思った。
無機質なエメラルドというよりは、石の質感のあるとろりとした翡翠に近いだろうか。
「……翠」
呟いたのは俺なのか彼なのか。
「なあに?」
「君の……色……名前…」
上手く回らない舌で言葉を紡ぐ。
翡翠の翠という漢字は、彼女を表す文字だと思った。
そう思ったのは誰だ?
感じたのは誰だ?
俺は誰だ?
「……スイ」
美少女が呆然としたように呟いた瞬間、何かが変わった。
「それが私の名前? 色の名前、石の名前。スイ? 貴方が私に名前を与えるの? 力ある人」
鮮やかで美しい翡翠の瞳が、嬉しさにとろりと蕩ける。
「私の名前はスイ。貴方が私を力ある存在に変えるのね。二つの夢を持つ人。貴方の名前を教えて」
俺の名前?
俺は……俺は誰だ?
東晃誠? それとも?
「晃誠君! あなた誰?! 晃誠君から離れなさい!」
凛とした声が美少女を誰何する。
「なんて事だ、魔人だって?!」
低い少年のような声が続く。
どちらも知っている声のような気がした。
「私はスイ。私は彼のもの」
翠が妖艶に微笑む。
先ほどとは打って変わって禍々しい。
「餌にすらならないお前達に用は無い」
そう口にして彼女が手をかざした。
二人を傷つけるつもりだと、彼女にはその力があるのだと、直感する。
力の入らないこの身体が恨めしい。
何故起き上がることもできないのか。
「翠……や、めろ」
弱々しい声しか出てこないこの口に、指一本動かせないこの身体に苛立ちを覚えた。
俺は東晃誠? それとも……。
俺は俺だ。
俺は俺なんだ!
そう認識することで彼我の意識がすれ違う。
彼我の差が生まれる。
同調していた意識が切り離された感覚。
そして……。
「え? 晃誠君? と? え?」
混乱する声。
王宮で先輩が守ってた女の声だ。
以前はもっと弱々しいと感じたけれど、今はしっかりとした意思のある声だった。
「力ある人。貴方が言うなら、私は何もしない」
そう言って、翠が俺ではなく眠る先輩へ心配そうに愛おしいそうに手を伸ばす。
「えっと、柿谷君だっけ? どうしてこんなところにいるの?」
混乱した様子で俺に手を伸ばすのは幸野とかいう女の先輩であって、翠では無い。
ほら、俺ってやっぱり間の悪さだけは一級品だ。
一目惚れして、次の瞬間には失恋してる。
動かない体が、回らない舌がもどかしい。
なんでこんなことになったのか、俺が知りたいぐらいだよ。
泣きたい気持ちで、俺は瞼を閉じた。