召喚されました? 4
異世界での生活の一番初めの危機が、中学生の自転車の運転だなんて、誰が思うかしら。
自転車事故ですらない辺りが悲しすぎる。
「調子に乗りすぎました。ごめんなさい」
と、反省して項垂れる少年に笑って「いいのよ〜」と大人の余裕を見せて言ってあげたいのは山々だけど、無理だから!
頰が引きつってまだ笑えないから!
唇が震えてまだ喋れないから!
死ぬ思いした直後にのほほんと笑うのは、さすがに私でもできないから!
心の叫びを聞かせたい。
でも、私の口から出るのは、ぜいはあという荒い息だけ。
「えっと、ちょっと休憩?」
少年がしおらしく提案してきたので、思いっきり頭を振って同意を返した。
全身ガクガク震えてて、すぐに動くのは不可能です。
休憩して震えが治まってくると、自転車から転がった時に打った背中が痛くなってきた。
泣きっ面に蜂ってこんな状況を言うんじゃなかったっけ。
私、こんなんでやっていけるのかな?
「道沿いに進めば人がいるはずですよね。村でも町でもいいから、人の住んでいる所に行きたいですね」
突然の取って付けたようなデスマス口調は反省の証なのか、少年よ。
動けるようになってきたとはいえ、がっつり精神力を削られた私には長距離を移動する気力が出てこない。
振り返ると、まだ石柱群の丘が見えた。
こんなに大変だったのに、まだ全然進んでないってどういうことよ。
随分下ってきたつもりだったけど、実はそれほどでもなかったって現実に打ちのめされそうだ。
ため息をつきつつ、カバンの中からペットボトルを二つ出す。
一つは私の飲みかけのレモンティーで、もう一つは未開封のミネラルウォーターだ。
もちろん未開封の方を少年に差し出す。
「ありがとうございます」
躊躇いながらも少年が受け取った。
残り少なくなっていたレモンティーを飲み切ると、人心地ついた気がする。
飲んだ後の空のペットボトルをカバンに仕舞ってると、少年が数口だけ飲んでミネラルウォーターを私に返した。
「もういいの?」
「おば……おねえさんの大事な水だから」
これは、しばらく飲食できない可能性を考えての配慮だと気がついた。
それに対して、先の事まで頭が回らず、全部飲んでしまった私って……。
でもね、現実感がないせいか、なるようになると思ってしまうわけよ。
もう動きたくないしさ。
ここで一晩明かすとか、できないかなあ。
日本では真冬だったから、私も少年もしっかり防寒具を着込んでいたんだけど、ここはそんなに寒くないんだよ。
一晩、ホームレスのように外で寝ても凍死の心配もなさそうだ。
実は結構暑くて、ずっと脱ぎたいと思ってたコートが布団代わりになりそうだし。
手荷物になっちゃうから、我慢して着たまま移動してたんだけど、少年は自転車に乗った時にちゃっかり上着をカゴに入れてたな。
草まみれになってしまったので、コートを脱いではたいてみる。
「出発しますか?」
「ええええっ!?」
「えっ?」
前者は私。出発する事なんか考えてなかったから、思わず出てしまった驚きと抗議の声。
後者は少年。まさか私が驚くと思ってなかったらしく、純粋にびっくりしたらしい。
「動きたくないし、動ける気がしない。後三、四時間で日が沈みそうだし、私はこの辺で一晩明かすよ。君は自転車があるし、人のいる所まで行った方がいいよね。どっちの方に進んでも建物らしいものがあるみたいだけど、右の方が近くて大きいみたいだから、行くなら右ね」
言いたい事だけ告げて、私はコートに包まって寝っ転がった。
背中の痛みは引いていて、全く動けない訳じゃないんだけど、ごめんね、おばさんにはこの冒険はハード過ぎるよ。
私の言葉を聞いた少年が、にわかに不機嫌になった。
「季節も時刻も俺達がいた場所とは違ってる。ここは明らかに日本じゃないよ」
もちろん、そんな事分かってるよ。
君が異世界かもって言ったんじゃないか。
「異世界にしろ、地球のどこかの国だったにしろ、日本ほど治安の良い場所なんてないんだって、知ってる? 世界では当たり前のように強盗や暴行が行われてるんだよ」
言葉を紡ぎながら、少年の手が私の両腕を地面に押し付け、私の上に乗り上がってきた。
思わず逃げようとしたが、逃げられずにもがくことしかできない。
私の方が体は大きいのに、なんで力で敵わない訳?
イラっとして少年を睨み付けたのに、睨み返された。
腑に落ちないぞ。
「寝てる間に野盗がおねえさんを見つけたらどうなると思う? この国に奴隷とかがあるかは知らないから、売られるかどうかはわからないけど、確実に性欲処理に使われるね」
どきりとした。
私みたいな肥満体を女性として見る男性がいるとは思っていなかった。
だって、彼氏いない歴が年齢な、いわゆるネット用語でいう喪女だしね。
でも確かに、ここが日本でなければ、何だってありえるかもしれない。
「相手は一人なんてわけがない。俺からでさえ逃げられないおねえさんが、そんな無法者達から逃げられるとは思えないけどね」
きつい口調で告げながら、彼は私を更に強く押さえつけた。
やっぱり君は規格外のような気がする。
その身長で、その体格で、その身体能力はあり得ないよ。
「痛い! 一緒に出発するから! ねえ、分ったから離してよ!」
我に返ったように、少年が私の上から飛び退いた。
自由になった腕をさすっていると、片方の腕を取られた。
手首に赤く跡が残っているのが判る。
「ごめん。傷付けるつもりはなかったんだ。おねえさんがあんまりも危機感がないから……まだ痛い?」
またもしょんぼりしている少年を見ると、毒気が抜かれてしまった。
悪い子じゃないんだよ。
いろんなことを知っているし、決断力と実行力があるし、様々なことに気づくし。
「うん。私も悪かった。確かに、ここは日本ではないんだから、自分を守るためには、ちゃんと考えて行動しなきゃいけないね。怒ってくれてありがとう」
そう言って私が笑うと、少年は何度か目を瞬かせた後、にっこり微笑んでくれた。
「でもね!」
そこで私は改めて自分の主張を通してもらおうと思った。
「自転車の後ろはお尻が痛いからもう乗らない!」
ていうか、多分乗れない。
絶対お尻が赤くなってると思う。
そのまま地面に座るのも辛いんだよ。
座布団かクッションが欲しい。
私の切実な訴えを聞いた少年はちょっと考えてから自転車へ近づくと、カゴから綿入りのモコモコしたジャケットを取り出して、荷台に括り付けた。
「これならまし? 乗れるかな? 歩くより自転車で行く方が、絶対楽だと思うんだ」
「……スピード出さない?」
「出さない。さっきと違って道なりに進むから、でこぼこもましになると思う。おねえさんがさっきみたいにギュって抱きついてきたら絶対に止まるから」
好きで抱きついたんじゃないから。
落ちないようにだから。
「誓って、おねえさんと一緒にいる間はもう調子に乗りません」
彼の真摯な声に、絆されちゃう自分を自覚した。
「じゃあ、よろしくお願いします?」
ホッとした顔で少年が笑った。