砦にて 6
ドラゴンが断末魔の悲鳴を上げる。
力尽き、重力に引かれて大地に失墜した。
崩れた砦の城壁の上に横たわり、徐々に動かなくなると、カークさんが剣をドラゴンから引き抜いて地面に降り立った。
周囲からは歓声が上る。
「信じらんない。何、あのナイフ」
可愛い猫耳をピクピクさせながら、私の隣で呟くのはもちろんリアンさんだ。
彼は呆然とドラゴンを見下ろしていた。
効果に驚いているのは少年も同じだった。
無言で自分がしでかした行為の後を凝視している。
私はその程度では驚かないわよ。
包丁を投げてクリティカルヒットなんて、昔の某ファンタジーゲームでもうやっちゃてるんだからね。
「ちょっと恵人君! 私の包丁をなんて事してくれるの。貸してって言ったでしょ、ちゃんと返してよ?」
私の抗議に、少年とセリアンスロープの青年は変な顔をしてこちらを見る。
なんでそんな顔されなきゃいけないかな。
私、変なこと言ってないからね。
投げるなんて予測して貸したわけじゃないんだから。
少年は困った様子で頭をかく。
「おねえさん、問題点はそこじゃないと思うけど。まあいいか、下に取りに行こう」
そう口にして私の手を取ると、塔を下りていった。
リアンさんもいつものように私達について来る。
私は密かに溜息をついた。
もちろん、少年の成果がどのようなものか理解しているつもりだ。
そう、理解しているのよ、私は。
ドラゴンはSランクって、誰か言ってなかった?
Sランクなんて、会わないって誰か言ってなかった?
冒険者ランクアップの条件になるって、誰か言ってなかった?
ああ、私の平和な異世界生活プランが完膚なきまで破壊されていく。
町人をしながら機会を見て王都に行って、高校生達に会いたかったのに。
厳密に言えば、少年はトドメを刺しただけで、一番の功労者はカークさんだ。
この場合、対応はどうなるのだろう。
「ひな、仕方ないからね。不可抗力というやつだ。本当にSランクの魔物に遭遇するなんて、奇跡のレベルなんだよ」
リアンさんが私の考えを読んだかのように言い訳をする。
「でも、遭遇しましたよね。奇跡でもなんでも、Sランクのドラゴンが下で死んでますよね」
拗ねたみたいな声音になってしまった。
セリアンスロープの猫耳がピクリと動く。
「拗ねてるヒナも可愛い!」
とか言って、突然抱きつきかけたリアンさんの首根っこを少年が掴んで持ち上げる。
リアンさんの反応も、唐突なんだよね。
「いい加減にしろよ、リアン。おねえさんに抱きつくの禁止だって言っただろう」
「だから、ヒナが何にも言わないのに、どうしてお前が言うかな」
「いつも困ってんじゃん」
「それが可愛いんだよ!」
えと、口論の内容は私の事なんだけど、そうやって二人で顔突き合わせてると、可愛いカップルの口喧嘩にしか見えないんだよ?
ドラゴンの元に向かいながら、二人の口論は続く。
なんだかんだ言いながら、私をダシに楽しんでいるようにしか思えない。
集まっている兵達を掻い潜ってドラゴンに近づくと、無精髭姿で少々くたびれた様子のカークさんがこちらを見て手を挙げた。
それに気づいて、クレアさんとグラーツさんも振り返る。
「頭のどっかには刺さると思ったけど、うまく急所に刺さったな」
少年の言葉に、ドラゴンの額を見たカークさんがトドメを刺した武器を確認する。
「ありゃ、嬢ちゃんの魔剣か?」
ドラゴンの眉間から落ちていたナイフを拾い、刀身に付着した血を拭う少年。
もう刀身は赤く光っていなかった。
額に大きく開いた穴は、明らかに刃渡り二十センチメートルのナイフでつけられるような傷ではない。
あれが魔剣の力というやつなのだろうか。
「そう。返せってうるさいから取りに来た」
「うるさいって、だって大事な包丁なんだよ。包丁は料理人の命なんだから!」
少年から受け取ったナイフをそそくさと腰に仕舞ってから文句を言ってやる。
そうなのだ、包丁なのだ、ハサミなのだ。
紛失したら日常生活で困るのは私なのだ。
「料理してるのはカークだけどな」
「ううう。私だって手伝ってるもん」
「まあ、痴話喧嘩はそこまで……」
「ちがーう!」
私、少年、リアンさんに三者三様に叫ばれて、カークさんは続きを言わずに開いていた口を閉じて頭を掻いた。
ボサボサの髪が、更に纏まりなく鳥の巣のような有様になる。
とてもくたびれた様子だったけど、私達を見て、表情が和らいだことに私は気がついた。
一人で三日間飛竜の巣を調査していて、疲れも溜まっているはずだ。
最後はドラゴンに掴まっての思わぬ帰還方法だっただろうし。
私はカークさんの前に立ち、改めて彼を見上げた。
「お帰りなさい、カークさん。ご苦労様でした」
労いを込めて、笑顔で言葉を紡ぐ。
この流れで言われると思っていなかった台詞だったのだろうか、彼は呆気に取られた顔で私を凝視すると、口元を手で押さえて僅かに視線を逸らした。
「あ、ああ。ただいま」
そう返してくれた事が嬉しくて、私は更に笑みを深めた。
「おっさん、おかえりって言われただけだろ、何照れてんのさ」
余計なチャチャを入れるのは少年だ。
これだからお子様は。
一生懸命仕事して帰ってきて、誰かにお帰りなさいって言われる嬉しさと気恥ずかしさは社会人にならないと分からない感覚だよね。
「うるさい。お前はそういう所はガキだな」
「ガキ扱いするなよな」
と噛み付くものの、やはり子供らしい反応をする少年はまだまだ思春期の子供なのだ。
「ほら、ナイフ貸してやるから、クレアと相談してさっさと後始末してこい」
師匠にそう指示されては、少年もそれ以上粘るわけにいかず、ドラゴンに興味があるらしいリアンさんと大人しく死体解体に行った。
二人を眺めていると、不意に優しい仕草でカークさんが私の頭に片手をのせて、ぽんぽんと二度弾ませる。
そんな事をされたことがなかったので、面食らって目を瞬かせながら顔を上げると、彼は今まで目にしたこともないような柔らかい表情で私を見ていた。
「今回ばかりは助かった。ありがとうな」
本気で、心底感謝している様子だった。
単にあのナイフを私が持っていたと言うだけのことで、何もしていない私としては意味がわからない。
お礼なら恵人君に言うべきだ。
反論しようとしたけれど、感謝を真っ向から否定するのも如何なものかと思い直した。
「感謝なら、恵人君にもですよ」
そう返すと、またもぽんぽんと頭を優しく撫でられた。
「そうだな……」
呟きは風に乗り、兵達の喧騒にかき消された。
ドラゴンのトドメを刺したのが少年と私のナイフだったということで、死体から取れる素材から、持ち運べる量貰えることになった。
ギルドで換金すればちょっとした小金持ちだ。
とはいえ、高く売れるドラゴンの鱗や牙、心臓などは重量オーバーで確実に運べない。
それらを換金できるならひと財産になったかもしれないと言われた。
十人を超えるチームでの討伐で商人がスポンサーで付いているとかでない限り、突発の大型モンスター討伐後など、こんなものだそうだ。
一攫千金は夢のまた夢。
結局はほとんどが国庫に入ることになるらしい。
ま、死体がなくなってお金とアイテムが勝手にドロップするようなデジタルな世界ではないということである。
現実は厳しいのだ。
物理法則を無視しまくった世界なのにね。
私達はもう一晩砦にお世話になった後、ギルドで換金するために、一番近いカレダの街へ行くこととなった。
カレダのギルドの依頼で先に調査に入っていた冒険者達の事を伝える必要もあるらしい。
結局どういう事だったのかと言うと、説明されても全体像は理解できなかった。
元々あった飛竜の巣と狩場が人里近い場所に移動していたために、目撃が増えていたことはすぐに推測できたらしい。
では、基本的に移動しない飛竜が何故巣の位置を変えたのかというと、元の巣と狩場の近くにドラゴンが数体封印されていてその封印が解けていたのだそうだ。
何それ、怖い。
飛竜もドラゴンは恐ろしかったらしい。
そして、冒険者達はどうやらそのドラゴンにやられてしまったようである。
本来は温厚なドラゴンが理性を失って凶暴化していたことや、いつ誰が何故ドラゴン達を封印したのかなど、様々な謎が残っているらしいのだが、飛竜の動向の謎は解けたし、封印の解けていた三体のドラゴンは無事に討伐完了したので、依頼完了ということらしい。
えーと、ここまで聞いて、色々と突っ込みどころ満載だと感じたのは私だけではないはずだ。
三体討伐って言ってたのだ、カークさんは。
砦には討伐した死体が一体しかないわけだから……。
ううう、推して知るべしってやつですか。
クレアさんとリアンさんが化け物認定するはずです。
彼の本職は魔術師なのだそうだ。
それも、世界でも五本の指に入る程の実力者で、やはり超絶有名人でした。
あんなにバリバリ前衛キャラなのに。
山岳地帯で問題が解決するまで儀式を待ってほしいとの冒険者ギルドの申請は国に通らず、異世界と繋がった際の魔力の奔流なんかにもドラゴンや飛竜の行動が影響されていたのではないかとカークさんは言う。
ランクの高い魔物ほど、女神の匂いや魔力を敏感に感じ取るらしいので。
ということで、私の中ではよく分かりませんでしたという結論に落ち着いた。
取り敢えず、寝てたドラゴンが起きて暴れたって理解で良いのかしらね。
もう、三体ともカークさんが討伐したことにしちゃってください。
相棒がシルバーカード持ちなんて……Cランク以上の冒険者をそういう言い方をするらしい。
耐えられないよ。
神様、私は怠け者のデブですが、何にも悪いことしてないはずだよ。
お願いだから、平穏な日々をください。
この討伐時のカークさんの魔法の光だとか、ドラゴンの姿や咆哮が砦以外の人に見られていないはずがなく、ドラゴンの残留物の砦の対応もあって、Sクラスのドラゴン討伐の話はカレダの街を目指す私達よりもずっと早くに国を廻っていたのだった。