砦にて 5
剣と魔法の世界といえば、やはりドラゴンは外せない。
魔物が跋扈する世界なんだし、昔話として多く残っているのなら、それはこの世界では現実の話なのだ。
飛竜だって竜の眷属らしいしね。
光の柱が消えてしばらくの後、山々の間に見えた姿に私は言葉を失った。
空を駆けるは、全身に紅の鱗を纏った蜥蜴のような身体。
その背より広がるのは、蝙蝠のようなそれでいて巨大な飛膜の翼。
その巨体が近づいているように感じたのは錯覚ではない。
「ドラゴンだ!!!!」
悲鳴混じりの声が上がった。
途端に、飛竜には冷静に対応していた砦の兵士達が浮き足立つ。
兵達の動揺を抑えるように、隊長であるクレアさんの凜とした声が響いた。
パニックになる周囲とは裏腹に、何処か他人事のように光景を眺めている私がいる。
なんというか、こうなる予感はあった。
ドラゴンなんて物語後半に出てくるモンスターだろうに。
あのドラゴンはこちらに一直線に来るんだろうな。
昨日一日、平穏無事に過ごせただけでも奇跡だったのかも。
もはや諦めの境地で、そんなことを予想した。
まあ、諦めているというより、何とかなると腹をくくってたっていうのが正しいかも。
だって、私達の視界にドラゴンは確かにいるんだけども、同じくカークさんがくっ付いているのも目に入っていたから。
こちらに近づくにつれ、ドラゴンの高度が落ちて若干フラフラしているように見えた。
カークさんは自身の剣をドラゴンに突き立てて、右手でそれに掴まりながら、もう一方の手の平をドラゴンの鱗に這わせている。
その、鱗側の手から時々光が漏れているように見えた。
「あれ、左手で魔法攻撃してる?」
少年とリアンさんがやはり冷静にカークさんを観察していた。
「カーク氏なら、仕留めるだろうね。ただ、ここは巻き込まれそうだ」
「だよな、このまま、だとやばいよな」
そう言いながら少年が足元を確認するような仕草をしたからか、リアンさんが怪訝な顔をした。
「そっか、ボールないや」
またボール蹴って何とかしようとした訳?
力が強くなってるからって、サッカーボールでドラゴンに向かうのは無謀じゃないかなあ。
今度は腰の剣を抜こうとして、少年は帯剣していなかったことを思い出したらしい。
いやいや、剣でも何するつもりなの?
討伐に参加するつもり?
「俺、武器持ってない。おねえさん、ナイフ貸して。このままだとカークと一緒にこっちに来るよ、あのドラゴン」
うーん、建物の中に入るっていう選択肢はないのかな……ないんですね。
少年の顔を見て、私は諦めるように息を吐いて腰に差しているハサミ兼包丁であるナイフを手渡した。
大きな宝石が陽の光を反射して煌く。
こんな包丁もどきでどうにかなるもんじゃないと思うんだけどな。
「危ないことはしないでね」
「ドラゴンが迫ってて、危ないも何もないと思うけど。あれ、俺達を目指してるって事だよな?」
「ううう。そうだよね」
分かってるけどさあ、分かってるんだけど、やっぱり怪我して欲しくないし、危険に飛び込んで欲しくない。
子離れをしなくてはいけない母親ってこんな感じなのかなあ。
そんなやりとりの間にも、私達とカークさんとの距離が近づいている。
つまり、ドラゴンとの距離もなくなってきているということだ。
砦に設置されているバリスタから矢が射出された。
的が大きいので外れることはないと思っていたら、ドラゴン自身に弾かれて矢が山肌に落ちる。
その隙を狙ってか、カークさんが攻撃を仕掛けた。
私達に直進していた軌道が僅かに逸れ、砦を通り抜けていった。
憤るような咆哮が空気を震わせたかと思うと、ドラゴンは大きく旋回してから再び砦を目指す。
砦では再度バリスタが用意された。
塔の屋上では少年が私のナイフを構え、リアンさんも二本のナイフを抜いて私を守るようにドラゴンの前に立ちはだかる。
守ってもらう立場としては複雑だ。
少年だけではなく、リアンさんにも危険なことはして欲しくないし、傷ついて欲しくない。
どうしてこういう展開になってしまうのだろう。
ドラゴンの飛行速度が極端に遅くなっていた。
カークさんの攻撃は確実にダメージとして蓄積されているように見える。
なのに、巨大な魔物は落ちることなく、この塔を目指していた。
「来るぞ!」
リアンさんが警告すると同時に「打て!」と、クレアさんの指示が響いた。
複数のバリスタの矢がドラゴンに向かう。
先程と同じように叩き落とされる大きな矢。
バリスタに合わせて撃たれた魔法攻撃の方はドラゴンの腹に直撃する。
そのまま墜落するかのように見えた。
しかし、ドラゴンの名は伊達じゃない。
悲鳴を上げながらも、それはまだ塔を目標に空を駆ける。
突如、少年の構えたナイフの刀身が紅く光った。
錯覚でも、光の反射でもなかった。
驚く私達の前で、短い刀身を覆う紅い光が、突然長さを変える。
紅い大剣にも、紅い長槍のようにも見えた。
ナイフ自身が、俺を使えと主張しているかのようだ。
「ケイト?!」
「恵人君?」
私とリアンさんは彼の名を呼んでいた。
多分、ナイフを振りかぶった彼が何をしようとしているのかが、理解できたからだ。
その態勢は、確実に投げるつもりだよね。
それ、私の包丁なんだけど、後で回収できるのかな。
咄嗟にズレたことを考えてしまった自覚はある。
でも、使いやすかったんだよ、失いたくないぐらいには。
「あんだけでっかい的なんだ、鼻を狙えばどっかには当たるだろう!」
何?! その適当さ!
一際刀身が紅く光った瞬間、少年がドラゴンの頭部目掛けて私のナイフを放つ。
紅い光となって、ナイフはドラゴンの眉間に吸い込まれていった。