▶︎ お荷物じゃないよ(少年)
おねえさんは柔らかい。
砦への道すがら。
肩に担ぎながら、しまったなあと後悔した。
女性を肩に担いで荷物扱いするなんて、罵倒されても仕方ない。
でも、いわゆるお姫様抱っことかは恥ずかしくてできる訳ないじゃん。
怒ってる?
って思ってたら、ゴソゴソ動いた後はどうやら諦めて荷物に徹することにしたらしい。
こういうところがさっぱりしていて、一緒にいて気が楽な所だ。
クラスの女子なんかだと、ずっと文句言われるだろうし、裏でしつこく覚えていて恨み節を聞かされ続けそうだ。
おねえさんの場合、最初は少し騒ぐけど、案外あっさり諦めるし、騒いでいた事すらすぐに忘れる傾向にある。
喜怒哀楽はあるんだけど、感情の振れ幅がそれほど大きくなくて、マイペースで動じない人なのだと思う。
魔物と戦うのは御免だと言いながら、黙々と俺達が殺した魔物を解体しているおねえさんの姿を見た時はギョッとしたものだ。
そこは女なら嫌がって騒ぐ所だろと、内心で突っ込んだのは、数日経ってからだった。
何しろ、その頃の俺はおねえさんとは真逆で、魔物達の死体の山に動揺しまくっていて、ここ二、三日の記憶が抜け落ちているのだ。
襲ってくる魔物からおねえさんを守ってるか、魔物の死体を捌いているか、食べた物を吐いてる記憶しかなかったりする。
てか、それしかしてなかったってのもあるけどな。
あまりにもおねえさんが平然としているので、辛いと感じる自分がどこかおかしいのではないかと自らを疑ってしまうぐらい、彼女は常に堂々としていた。
だから、余計に自分の不甲斐なさに腹が立った。
それを隠すように、少しばかり乱暴な扱いをしてしまう辺り俺も子供だよな、と考えては更に自己嫌悪に陥ってれば世話がない。
「女ってのは、現実的でタフなもんだ」
そうカークが言ったのは、早朝の剣の稽古中だったかな。
グレイウルフに追い詰められ、ライトウルフと共におねえさんが崖下へ転落した時の状況なんて、彼女の動じなさを顕著に表していた。
おねえさんを守れなかった。
俺はこの世界で一人になってしまう。
その二つの思考だけが、真っ白になった頭の中でぐるぐると廻る。
魔物に襲われていることなんて忘れて、ただ落ちていくおねえさんを見ているしかなかった。
守れない、手を伸ばせない。
そのことが怖くて、ただ恐ろしかった。
そんなパニックに陥った俺の眼下で、彼女はむっくりと身を起こして何事もなかったかのように魔物を調べ始めたのだから、確かにカークの言う通りなのだろう。
転落の際に傷ついたのであろう狼型の魔物は、死んだように動かなかった。
土埃で薄汚れていたが、出血の多さが遠目にもわかるほどだった。
あれでは生きていたとしても、虫の息だ。
安堵の息が漏れた瞬間、背後から服を引っ張られ、軽々と持ち上げられた。
状況を理解した俺の視界に、不機嫌な顔のカークと、何故か額を押さえるリアンがいた。
あれだけいたグレイウルフがいなくなっている。
いや、姿が消えたわけではない。
周囲には狼達の死体が転がっているのだ。
その数は二十を超えているだろう。
「ありえないんだけど……」などと独りごちるリアンの呟きが耳に届く。
どうやら、カークの仕業らしい。
緊急と判断して魔法を使ったようだ。
確かに、注意して周囲を観察すると、倒れたグレイウルフの周辺の木々が切り刻まれたように酷く傷ついている様に気づく。
「お前が惚けているということは、嬢ちゃんは無事だったんだろうが」
そう口にしてカークが崖下を見下ろした。
リアンも同様に崖の縁で身を乗り出し、三人でおねえさんの無事を確認する。
俺達に気づいて手を振ってくる姿は、この崖を落ちた人間とは思えない。
取り乱した様子一つ見せないマイペースさだ。
「普通に元気だな。この高さで無傷とは」
呆れたようにカークが溜息をついたものだ。
あの出来事もおねえさんの強運と逞しさを物語るエピソードの一つである。
彼女に毒気を抜かれながらも、カークとリアンはしっかりと俺を叱った。
あの瞬間、自分でも分かったのだ。
グレイウルフを仕留めることを逡巡したから、殺さずに済めばと一瞬頭を過ぎったから、あの狼におねえさんを狙う機会を与えた。
俺の躊躇いが、おねえさんのピンチを招いた。
そういう事なのだ。
優先順位を間違えちゃダメなのだ。
おねえさんを守る事。それが、一番だ。
彼女が俺の前からいなくなったと思ったあの一瞬の絶望を二度と味合わない。
「痛い!」
肩で荷物と化しているおねえさんの腰に回した腕へ、無意識に力を入れてしまったようだ。
痛みを訴える声と共に、彼女がゴソゴソと動く。
「恵人君、私を荷物と間違ってない? いえ、まあ、お荷物であることは間違いないんだけど」
そのおねえさんは、また変な事言ってる。
「間違えないよ。おねえさんはおねえさんだろ。荷物はこんなに柔らかくないしね」
本人は気づいてないみたいだけど、肩甲骨辺りに時々当たる柔らかいものって、あれだよな。
これって、実は結構な役得だったり。
リアンが睨んでくるぐらいには。
俺だって健康な思春期の男子だ、興味が無いわけではない。
暖かさと柔らかさを堪能しながら、俺はなんだか気持ちが落ち着くのを感じた。
おねえさんが側に居ることが実感できるこのポジションを手放してはいけないと思う。
この変な世界で、俺が俺であるために、おねえさんはここにいなければならないのだ。
手を伸ばせば届く所にいなければならない。
そのためなら、なんだって出来るよ。