大きな荷物でごめんなさい
だって見えているから、案外楽勝だって思ってしまったのだ。
小中学生の耐寒遠足の山登りは辛くもなかったし、高校生の時の耐寒訓練という名の山登りマラソンも学年女子の中じゃ運動部の子たちに混じってトップ一割に入っていた。
山登りは苦手ではないし、嫌悪感もなかった。
のよ?
今? 今は嫌いになりそうだ。
いくつかの山が連なり、間を縫うように山道がある。
現代日本のように立派な舗装道路ではなくとも、人の行き来が想像できるぐらいの道はあった。
獣道や荒地を行かなければいけなかったのなら、足場の悪さから、もっと早々に、というか出発してすぐに脱落していただろう。
目的地の砦は、山の中腹の岩肌に建っているのが確認できた。
見えているのに近づいている気がしない。
気が遠くなりそう。
見渡しの悪い森の中では旅の進行速度が極端に遅くなっていたことに、今更ながら気付いた。
昨夜宿を求めた小さな集落の周囲は開墾地が広がっていたが、離れるにつれ、植物が乏しくなっていく。
この辺りは草原と岩地の境目に当たるのか、周囲は荒地のような有様だ。
耕作地や放牧地がなく、私達以外の旅人の姿も見えないので、周囲に気遣う必要もないから、魔物が出てきても、三人で瞬殺してさっさと進んでしまう。
解体作業にしても、森ほど交換効率の良い残留物はないらしく「グレイウルフで稼いだんだ、ラットやムカデはいらないだろ」とは、カークさんの言葉だ。
因みにグレイウルフは個体にもよるけどC〜Dランク討伐対象モンスターで、実は私達には結構な高ランクだったりする。
そういう訳で、死体はそのままで放置となり、私が歩みを止める必要がない。
例えば地球でいうハゲタカやジャッカルのような腐肉を好む習性の魔物がいるらしくて、死体を放置すると、それらの魔物が餌にして自然に循環させるらしい。
魔物も自然の一部と考えるならば、それって、やっぱり魔物と動物の違いがわからないよ。
何を基準に区別しているんだろう。
不思議といえば、こういう山々の麓は高い木々に覆われているのが一般的だと思うのだけど、この周辺には高木がないのだ。
森林限界ってほど高度があるわけではないし、温暖な気候から考えると気候は原因ではない。
国土の四分の三が山地で、三分の二が森林である日本の風景を思うと違和感を受けてしまう。
はげ山の理由なんて色々だし、この世界ではそれを不思議に思ってはいけないんだろうけど。
地球の物理常識は当てはまらない世界なのだ。
もしかすると、大地は平たいのかもしれないし。
海の端は滝になっていて果てし無く落ちていくのかもしれない。
逆に空に上る滝になっていて世界は円柱の水に囲まれているのかもしれないし。
空の上には神の世界があって、私達は彼らの箱庭に無造作に置かれた人形なのかもしれない。
現実逃避でそんなことを想像していたら、またもや歩みが遅くなっていたらしく、少年と猫耳美少女が私を気遣って足を止めてくれた。
私が持っていた革鞄はすでに少年が持ってくれている。
カークさんといえば、呆れたように見ては、先に進んで行く。
てか、ほとんど駆け足に近いスピードで山登りとか、ないわー!
箱根駅伝往路五区じゃないんだから。
ああ、やっぱりあの人S属性だよ。
大体、私がこんなにゼイゼイ息を切らしているのに、たまに出てくるモンスターを相手にしながらも全く疲れた様子を見せない三人はどこかおかしいのだと思う。
その集団に少年が入っている事も、本来ならおかしい。
君、私と一緒に異世界に召喚された西浦恵人君のはずだよね。
一週間程前はただの中学生男子だった西浦恵人君だよね?
男子、三日会わざるは刮目してみよ。
とはいうけどさ。
それにしても、強くなっていく成長速度が、半端なく早くない?
女神のギフトって、そういうものなのだろうか。
変わらない私が特殊なの?
危ないことをしたがるから、少年が自分の身を自分で守れるようになるのは良いことだとは思うのだけどね。
「カーク、ヒナが限界だ。休憩を入れるべきだ」
リアンさんが現実的な提案をしてくれる。
「昼には着いておきたかったんだがな」
私を一瞥して、無精ヒゲがそろそろ気になりだしたとはいえ、まだまだイケメンさんな冒険者が残念そうにボヤいた。
「ヒナが潰れたら、昼どころかもう一晩野宿するはめになるんじゃないの?」
おお!
リアンさん、がんばれ!
是非とも、金髪無精ヒゲ男を言い負かしてください!
「嬢ちゃん、行けるよな?」
何故強引に出発しようとするかな。
無理なものは無理なのです。
だって、カークさんがリアンさんと話すために立ち止まった瞬間、私はへたへたとその場に崩れてしまってますから。
一度止まってしまったこの足は、もう動かすことができません。
荒い息を吐きながら、私は無言でにへらと笑った。
笑えてたかな?
「リアン、おねえさんの荷物持って」
小さく溜息を吐いた後、そう言って預かってくれていた革鞄を猫耳美少女な青年に押し付けて両手を開けた少年は、ヒョイっと無造作に私を肩に担いだ。
突然視界が回って、地面と少年の背負っている皮のリュックを見下ろす体勢になる。
お腹に骨が当たって痛いと思ったら、少年の骨ばった肩の関節部分だった。
少年の肩より私の腰の幅の方が広いよね。
「俺が運ぶよ」
少年は平然と宣言するけども、そういう問題じゃないと思うし、この格好は超絶恥ずかしい。
「ま、ま、ま、ま待って!」
私重いし大きいんだから、このまま運ぶなんて無理だよ。
主張はあっさりと無視された。
「出発するから暴れないで。砦に着けばちゃんとしたところで寝られるんでしょ。さっさと行こう」
慌てて降りようとする私を簡単に押さえ込んで、少年がカークさんを促した。
「ああ、その手があったか。悔しいな、もっと力があれば僕が運んであげたのに。ヒナ、来年には僕が運んであげるからね」
「嬢ちゃん……うん、まあ、ケイトがそれでいいならいいか」
なんだか訳のわからないことを宣うリアンさんと、私に同情の眼差しを送りながらも納得してしまったカークさん。
ちょっと待って、私このまま運ばれてしまう訳?!
いろんな意味で、ここ数日の西浦恵人という少年は変だよ。
歩けないけど下ろして、という私のお願いは、三人にきっちり素通りされた。
足引っ張ってるのは理解してるから、いつも通り開き直るけどさあ、扱い酷くない?
諦めて大きく息をついた私は体の力を抜き、可能な範囲で負担のない態勢にする。
お尻が少年の頭に近づいてしまうけど、背に腹はかえられない。
骨が胃の辺りを圧迫して痛いのよ(泣)
こんなに華奢なのに、この力。
筋肉の付き方とかってどうなってるんだろう。
「ねえ、恵人君。なんでそんなに力持ちな訳? マーダレーの街にいる時はそこまでじゃなかったよね?」
僅かに頭を上げて、革製のリュックを背負う少年の背中に囁く。
足は休憩できるけど、今度は腹筋が疲れるかも。
明日は足だけでなく、腹筋も筋肉痛かなあ。
「うーん、わかんねー。でも、一昨日担いで崖を登った時もそうだけど、俺が担がなきゃおねえさん立ち往生しちゃうじゃん。俺の能力が力持ちで良かったね」
「それね、腕力、体力だけじゃなくて、素早さとか、動体視力も上がってるよね」
私の言葉に少年が首をかしげた。
「取り合いしてる時のリアンさんの手の動き、見えてるでしょ? 恵人君は簡単について行ってるけど、私は全く見えてないから」
少年がきょとんとしているのが気配でわかった。
自覚がないらしい。
「試しに百メートル走、測ってみる? 多分、オリンピック選手真っ青の人間離れしたタイムが出ると思うよ」
「測ってって、この世界でどうやって」
「スマホね、電波は届かないんだけど、バッグに入れてると電源は入りっぱなしでも切れないの」
私がそう言うと、少年が腑に落ちたというふうに頷いた。
「そっか、飲食物だけじゃないんだ?」
「そそ。サーバーに接続できないから、通信の必要なものは使えないけど、スマホだけで完結するアプリは使えるんだよ。だから、時計機能のアラームやストップウォッチは使えるの」
私の能力なのかは分からないままだけど、このバッグ、色々有用であることが旅に出てからわかった。
何しろ、ティッシュがなくならない。
使い切っても、袋をバッグに入れると元の状態に戻ってくれる。
なので、今はトイレ穴を掘ってティッシュごと埋めてしまう事にしている。
世界でも最新式で清潔な日本トイレしか知らないと、異世界ではトイレが一番の難関なような気がする。
後、もしこれから女の子の日が来たらどうしようかとも考えていたんだけど、これもバッグにいつも入れているので一気に解決した。
簡易裁縫セットなんかもあるし、これから先きっと役に立つと思うのだ。
私のバッグ素晴らしい!
「スマホってことは、写真や動画も撮れちゃうんじゃ」
ふと思いついたように呟く少年。
でもそれは無理なんだな。
いや、撮れるのは撮れるんだよ。
問題は保存できないこと。
バッグに入れた瞬間、この世界でスマホに記録したものは全て消えてしまうのだ。
かといって、バッグに入れないとすぐにバッテリー切れを起こしてしまうから、戻さないわけにいかない。
悩ましいよね。
ということで、残念ながらスマホに関しては使えそうで使えない奴の称号「ポンコツ君」を進呈したいところだ。
壊れてるわけじゃないけどね。
「やっぱり、微妙だな。おねえさんって」
「私じゃないよ。ポンコツなのはスマホ君でしょ」
背中越しに漏らした言葉へ、少し拗ねた口調で反論してやる。
少年が楽しげに笑った。
私も自然に口元が綻んでくる。
見かけ十歳の少年が自分より大きくて太っている女を肩に担いでいるなんて光景、第三者が見ればシュールなだけなんだけどね。
「二人だけで会話してて、僕は寂しい」
ずいっとリアンさんが私の顔を覗き込んで来た。
「私ってば、恵人君に担がれちゃってるからね」
事実を伝えると、彼は可愛い唇をツンと突き出して、不貞腐れた様子を作る。
「だって、ヒナってば初めは嫌がってたのに、今は嬉しそうだし、なんか妬ける」
そんな仕草が可愛すぎると思うんだ。
「おねえさん、何度も言ってるけど、奴は三十のおっさんだ」
そうは言うけど、これが男性に見える少年が不思議なのよね。
カークさんは年齢的なものがあるから、リアンさんにフラフラってなったらそれはそれで怖すぎるんだけど、恵人君は見た目同世代だから、それこそ一目惚れしててもおかしくなかっただろうに。
面食いじゃないってことなのかな。
そんなやりとりをしている間にも、カークさん達がラットと呼ぶネズミ型の体長五十センチ程の魔物が数匹現れる。
リアンさんは二本のナイフを抜くと、あっという間に絶命させた。
返り血一つ浴びていない。
彼の戦い方は特徴的だ。
彼自身が嘆くように、小さくて細い手足と筋力のなさという欠点は明らかな不利だが、それらの欠点を補うような敏捷さと正確さが彼の持ち味である。
死角からの急所狙い。
一撃必勝って感じだ。
テレビゲームだとシーフっぽい。
それならカークさんが剣士で、召喚された恵人君が勇者かな。
残念ながら魔法使いが足りない。
私はもちろん戦闘の足を引っ張る遊び人だ。
経験値が上がらず、クラスチェンジもしないから、永遠のお荷物ってことだよね。
あれ?
自分の思考に、少年の肩の上で実際に荷物になっている私は落ち込んだ。
やっぱり、カークさんと恵人君が冒険者の依頼をこなしている傍ら、事務か売り子系の仕事をしながら街で待ってるのが私のベストポジションだよ。
私を担いでいるせいで戦闘に参加できなかった少年は、さっさと再出発するカークさんとリアンさんを眺めながら口を開いた。
「俺とリアンの動きが見えないって?」
ん? その話続けたいのかな?
「うん。あまりに早いと目で追えなくなるよ」
そう答えると少年は暫時沈黙してから言葉を紡いだ。
「この世界の人の身体能力なんかも含めてさ、前にカークとリアンの会話を聞いた時に色々気になることを言ってたんだ」
「気になるなら聞けばいいのに。私達が知らないことばかりなのは当たり前なんだから。二人ともちゃんと教えてくれるよ」
「寝たふりして盗み聴きした内容だからさ、聞きづらいんだよな。まあ、知りたきゃ誰かに聞くしかないんだけど」
彼はバツの悪そうな様子で返してきたけど、同様に疑問だらけの私は同意するようにうなずいた。
「私もいくつか疑問があるんだよね」
「街だったら居酒屋とか食堂とかで情報収集できるのにな」
「うーん、そうだねえ」
「僕が分かることなら、いくらでも答えてあげるよ」
リアンさんが振り返って微笑んでいる。
あれ?
かなり小声で内緒話してたんだけど。
私の声、聞こえてた?
「やっぱりか」
漏らすのは少年だ。
「ま、猫型の獣人なら、そうだよな。嗅覚、聴力は人の何倍なんだ?」
その質問に、猫型セリアンスロープの青年は肩を竦めた。
「さあ? 比べたことがないから。でも、獣人族は人より身体能力が高いのは知ってるだろう? 僕は猫型だから犬型ほどではないけど嗅覚も聴力も人よりあるよ。聞こえても意味のわからない言葉は理解できないけどね」
「へえぇ。すごいね」
私は素直に感動した。
あんな小さな声が聞こえるなんて。
「おねえさん、状況がやっぱり分かってないし。そこは警戒するところっしょ」
「確かに、僕の前での内緒話は僕の知らない言葉でするのが一番だけどね。あからさまにされるとか、結構傷つくんだけど」
リアンさんが不機嫌そうに意味の分からないことを言う。
「俺、さっきからおねえさんには日本語で話してるんだ」
と、少年が当たり前のことを口にする。
だって、私は日本語以外理解できないしね。
「? 私もだよ?」
「違うよ。さっきから俺が発言する時は意識して翻訳スキルをオフにしてる。だから、今リアンやカークには俺の言葉が直接日本語に聞こえてるんだ」
「……え?」
ごめん、恵人君、私ってばまた訳がわからなくなってるんだけど。
「もちろん、おねえさんの言葉はこっちの言語に訳されてると思うよ。この翻訳の能力ってさ、こっちの意思で多少は調整できるみたいだったから、さっきから実験してたんだ。予想通りの結果みたい」
…………。
私は少年の背中をまじまじ見てしまった。
さっき、リアンさんにすごいねって言ったけど、恵人君にこそかけるべき言葉だったのかもしれない。