獣人さんに出会いました 8
あの崖の一件から、狼系の魔物の襲撃がピタリと止まった。
それ以外の襲ってくる魔物もほとんどいなくなった。
残り香ってのが消えたのかと思ったが、それにしては森で全く襲われないのも変だと言われた。
理由に気がついたのは、二日経った日の午後、森を抜けたとカークさんが宣言した時だった。
森を振り向いて、私以外の三人が武器を手に身構える。
木々の隙間からいくつもの金色の瞳が見えた。
森から出てくる気配はない。
まるで、私達を見送っているかのようだった。
その中にあの大きな白銀の狼もいるような気がした。
彼の私への恩返しだったのかもしれない。
そう考えると、メルヘンチックでほんわかするよね。
残り香って、必ず襲われるってものではないということなんだと思った。
そういえば、カークさんも残り香に惹かれるという言い方をしていた。
嫌悪や拒絶などの負の感情を持たれるような言い方ではなかったから、本当のところは気になって付いて来ちゃうだけなのかもしれない。
それが魔物だから、こちらが怖がって排除しようとするだけで。
カークさんは私があの狼を逃したことを悟っていたのかもしれないなと、今更思い当たる。
魔物に襲われなくなってから、時々意味ありげに見られていたから。
「何事もなく森を抜けて良かったな」
狼達が森から出てこないのを確認後、戦闘態勢を解いてのんびりと笑うベテラン冒険者に、これまた可憐なベテラン冒険者が首を傾げる。
「何事も? 通常の三倍以上の魔物遭遇率に、一回の出現数は倍以上。遭遇率が高いからすぐに道から逸れるし、まともな休憩スペースで休む事もできなかった。更に、十体以上の集団と遭遇したのが都合四回。内一回は三十体を越えるグレイウルフで、ボスはAランク討伐対象のライトウルフ。これで何事もなかったってのは、神経疑っちゃうね」
リアンさんが私と少年を見てから、カークさんを睨んだ。
「Gランクの駆け出し冒険者にはハードすぎると思うけどね」
あ、リアンさんが常識人ぽいことを言ってる。
この世界の常識の分からない私達は、与えられた環境が当たり前なものなのだと考えてしまうのだけれど、彼の言葉を聞くと、この旅はかなり特殊のようだ。
そういう意見はもっと言ってやってください。
大体、厄介事は嫌だとか、町の外に出るのは危険だとか、出会った初っ端に口にしたのはカークさん自身である。
それが、豪邸でお風呂に入って、髪の毛切って、髭を剃って、こざっぱりして男前になったからって、前言撤回するのが早すぎるのよ。
口の根の乾かない間にって、こういう事よね。
確かに、冒険者ギルドでギルド長に会った時、嫌な予感はしたけども。
「ああ。お前が嬢ちゃんに惚れて良かったと、心底思うぞ」
またカークさんが余計な事を言ってにんまり笑う。
確かに年齢は二十九歳かもしれないが、色々な意味で彼はまだ第二次性徴期の少年と同じなんだと思う。
世慣れていて年齢相応の落ち着いた姿と時も、私に甘えたり少年と本気で喧嘩したりする成長期の少年特有の姿の時も、相反する事なく彼自身なのだと思う。
複雑ではあるけれど、カークさんが言った通り子供時代が長いと言われるセリアンスロープの年齢は、人間の枠で考えてはいけないのだろう。
だから、私に好意を持ってくれているのも、恋愛的なものではないと思う。
出会った時、彼はミントに酔っていた。
何故かこの猫耳のセリアンスロープはミントの香りを無視できないらしい。
ミントの香りと私がセットで刷り込まれてしまったのではないかと、私は考えている。
成長期の少年少女が異性に興味を持つ感覚と錯覚してしまったのだろう。
「惚れる惚れないって、そんな下世話な話にしないで欲しいね。僕のはもっと高尚なものなんだよ」
彼がそう言って不機嫌になるのも納得なのだ。
だからこの件では、もうからかわないでほしい。
少年も機嫌が悪くなるしさ。
「行こう、ヒナ」
外見美少女が猫耳を揺らしながら可憐に微笑んで、私の手を握る。
その瞬間、横から伸びてきた手がセリアンスロープの青年の手をはたき落した。
「どの口が言うんだか。高尚が聞いて呆れる」
ぼそりと呟いて、少年が私の手を引く。
すると、舌打ちと共に少年の手が私から離れたかと思うと、またリアンさんが私の手を取る。
それを少年が再度叩く。
そのうち、私の手に触れる前にお互いがお互いの手を払だし、何度も繰り返す攻防が段々早くなってきて、私の目では追いつかなくなった頃、ガシッと力強く手を握られた相手はセリアンスロープの可憐な青年だった。
この世界に来てから珍しい事に、肩で息をして少年が悔しそうに美少女を睨む。
「僕の勝ち。まだまだだな」
そう言うリアンさんも肩で息をしているんだけども。
私は空いている方の手で少年の手を握りしめて、僅かに上気したその顔を覗き込んだ。
「行こう?」
目的地である砦が山の中腹に小さく見える。
それを一旦背にして、カークさんが近くの集落へ足を向けた。
右に美少女、左に少年を連れて歩く私の姿は、きっと親子にしか見えない。
内心、はたから見た時の絵面を脳裏に想像して落ち込みそうになった。
私がおばさんなのは仕方がないんだけども。
それに、おばさんだから慕ってくれるっていう面もあるんだと思うんだ。
なんていうか、母親を取り合う兄弟みたいな感じ?
それよりも毎日会えばお菓子をくれる隣のおばちゃんって気もするけど。
私は喉飴とチョコレートが入っているポケットを一瞥した。
うーん、できれば姉ポジションを求めたいけどなあ。
見かけ十歳ほどの二人を見て密かに溜息をついてしまったのは、外見にコンプレックスがあるらしい彼らには秘密である。