獣人さんに出会いました 7
待っている間に、狼に使って残った傷薬を頰や手についた擦り傷に塗っておく。
とはいっても数カ所だけで、ほとんど無傷な自分の幸運が恐ろしい。
一応魔法アイテムだから、回復が早くなるし傷が残らないってカークさんが説明していたしね。
大きな怪我なら痛み止めやら、血止めやら、化膿止めやらの効果が目に見えてわかるらしいけど。
うん、ヒリヒリ感がなくなったかな。
ロープと共に少年が降りてきて引き上げてもらったのは数分後のこと。
降りてきた少年が私を担いで崖を登っていく様はシュールだ。
本気で、色々ありえないから。
最近、少年が化け物じみてきたと感じるのは気のせいではないのかもしれない。
崖上に着くと、まだいくつもの狼の死体が転がっているのが凄く現実的で、よくもこんなすぐに助けてもらえたものだと思った。
慣れてきたとはいえ、気持ちの良いものではない。
それを、少年はカークさんが指示する通りに牙と爪を剥がして皮袋へと入れた。
グレイウルフの牙と爪は需要もあり、冒険者ギルドで買い取ってくれる上、ランクアップの対象にもなるらしい。
毛皮は更に高値で買い取ってもらえるから、街に近ければ毛皮を剥ぐのもお金を稼ぐには有効なのだそうだ。
ただ、よほど手際が良くなければ、買い叩かれることもしばしばらしい。
だから高値がつくんだろう。
「さっきの大きいのもグレイウルフ?」
私も短剣で牙と爪を剥ぐ手伝いをしながら、カークさんに尋ねる。
「よく見てなかったが、毛皮の色がグレイならそうだろう」
そっか、上からこちらを確認した時には土と血で、何色かなんて分からなかったのか。
「灰色じゃなかったですよ。白くて光ってました」
私がそう告げると、カークさんとリアンさんがゴクリと唾を飲み込んだ。
「ホワイトウルフなんて、この辺りにいていい魔物じゃないぞ」
リアンさんの声が珍しく怖い。
「いや、嬢ちゃん、光ってたって言ったな?」
「白銀の毛皮で、キラキラしてました」
そう答えると、カークさんが驚いたように目を見開いてから、大きな溜息をついた。
あれ?
反応が変じゃない?
「嬢ちゃんは妙なものばかりを引きつけるな。いや、それが能力なのか?」
「妙なものって何ですか」
「白銀で光っている狼型の魔物といえばランクA指定されるライトウルフだな。いくつかの魔法を駆使する厄介な相手だ」
「……え?」
「それを倒せば一発でCまでランクアップだ」
てか、一発ランクアップって何?
凄くヤな予感しかないんですけど。
「俺がギルド長に推薦してやる」
なんて事をカークさんが言っちゃうから、恐ろしくて、私は頭を横に力の限り振ったわよ。
「た、た、倒してません! 逃げられてますから! ランクアップなんかしませんから!」
恐ろしすぎる。
これで傷薬で助けたなんて言ったらどうなるんだろう。
探して討伐に行ったりするのかな?
せっかく助かった命なのに。
「ヒナ、爪か牙がないと証明にならないから、必死にならなくても大丈夫。そんなにランクアップするのイヤ?」
カークさんをちらりと一瞥して、美少女な青年が私を見上げる。
「た、ただのOLが、魔物退治なんてできないもの」
それを聞きながら、カークさんがガシガシ頭を掻く。
「ってなー、嬢ちゃん案外向いてるんじゃねえかと思うんだがなあ。なんだかんだ言って、嬢ちゃんしぶといし、心が強いからな」
あれ、思ってもみない部分で、カークさんの私評価が高い事実。
ちょっとびっくりだ。
私の言葉にリアンさんが可愛らしく首を傾げて口を開いた。
「じゃあ、僕がヒナを守ってあげるよ。ヒナが強くなる必要はないさ」
「俺がおねえさんを守るから」
仕事を終えたらしく、少年が私の手を取ってリアンさんとの間に立った。
私の手を取る少年の様子が、今朝までとは異なっていると感じたのは気のせいだろうか。
「俺が守るから」
再び少年が言葉を紡ぐと、セリアンスロープの青年が空いているもう片方の私の腕を掴んで彼を睨んだ。
「口だけじゃな。さっきだって、ライトウルフがヒナに飛びかかるのを止められなかった。僕なら、そんなヘマはしない。実際、僕とカーク氏は侵入を許さなかった」
リアンさんのその言い方は意地悪だ。
きっと、さっきのことは少年が一番後悔している。
でも、崖の上で何があったのかを知らない私は口を挟めなかった。
私が落ちた後に三人がどうやって多数の狼と渡り合い、短時間で私を助け出したのかを見ていないのだ。
険悪な雰囲気の間に挟まれた私は、カークさんに助けを求めた。
でもこのパターン、笑いながら助けてもらえない流れだよね。
そう思っていたんだけど、カークさんは少年の方を見ていて、何やら考えている様子だった。
いつもの面白がるような笑いを含んだ表情はしていない。
カークさんが口を開きかけたその時、少年が絞り出すように声を出した。
「分かってる」
セリアンスロープの青年の言葉を肯定する事が、悔しいのがその様子からでも分かる。
それでも、彼の言葉は間違いではないと少年自身が理解しているという事なのだろう。
そうじゃないよ、君は頑張ってるんだよ。
争いのない現代日本で生まれて育ち、人の死とは遠い所にいる子供なのだ。
義務教育期間なんて、まだ社会に出てすらいない子供たちの集まりだ。
そんな子供である君が、突然知らない世界で大人たちと同じようにできるはずがないんだよ。
そう言いたくなった。
私にとって、少年はあくまで日本の中学生なのだ。
彼が私を守る必要なんかないし、私に何かあってもそれは私の責任であって、彼がどうという話ではないのだ。
でも、ここで日本の常識を口に出すべきではないのも
、彼の矜持を否定する場でもないのも分かるから、ぐっと堪えて黙っていた。
「分かってるから。もう間違えない」
もう一度少年が、今度は力強くことばを紡いだ。
リアンさんが猫耳をピクピク動かして、少年を睨みつけていた眼差しを和らげた。
私の腕を取っている手の力も緩む。
「ならいい」
青年がバツの悪そうな様子で呟いたその瞬間、私はじぶんのお腹がきゆーと小さくなるような錯覚を感じた。
やばい、と思って慌ててお腹を押さえたけども、全くもって間に合わず。
シリアスな空間に鳴り響く盛大な腹の虫の音。
一瞬の沈黙の後、豪快に笑い出したのはカークさんだった。
いや、まあ、定番だけどね。
時間は昼時、狼さんと崖下りの死闘を演じ、空腹は絶頂ではあるけれど、何もこんな時に主張する事ないじゃない?
私のお腹ってば、恥ずかしいったらありゃしない。
自分でも赤くなってるのが分かるよ。
こうなりゃ開き直るしかない。
「ほら、セオリー通りのこういう展開も必要だしね」
「何言っちゃてんの、おねえさん……」
いつも通り呆れたように返してくれる少年にちょっと安堵したりして。
「ヒナ、可愛い」
なんて、自身の方がよっぽど可愛く可憐な青年は、猫耳を動かしながら私の腕に擦り寄ってきたりするけれど、何気に少年を気遣っているのが見える瞬間があったり。
「んじゃ、飯にするか!」
私のお腹の要望にすぐに答えてくれるのは、カークさんなりの少年への配慮だったり。
それが、嬉しく感じる私がいて。
変わっていく少年を哀しく感じる一方で、変わらざるを得ない少年が、今この時にこの世界でこの人たちと出会えて良かったと思っている私がいる。
少年の倍以上生きてきた二人だ。
人生の多くを冒険者として過ごしてきたのだろう二人だから、新米冒険者の成長を温かい目で、時には厳しく見ていてくれる。
知らない世界で、これほど幸運なことはないのだと、少年は理解しているのではないだろうか。
だって、とても頭の良い子だから。
ねえ、恵人君、気づいてる?
カークさん、昨日から君のこと名前で呼んでるんだよ。