召喚されました? 2
「おねえさん、何してんの?」
呆れたように少年が背後から尋ねてきた。
見ればわかると思うんだけど。
高校生たちが私たちがいた方とは反対側に丘を下ったのではないかと思って探しているのだ。
少年が自転車で転がって行った方は小さな森が広がっていたけど、反対側は緩やかな丘陵地の草原になっていて、遠くの方に柵らしきものが見えた。柵の向こうには畑があるんじゃないかな。
更にその向こう側に建物のようなものが見えなくもない。でも、どれくらい離れているのか、距離感が全く掴めなかった。
あそこまで行ってまたここまで戻ってくるのは大変そうだな。なんて何気なく考えながら、人影が見えないか周囲を見回した。
柵の辺りには人がいるような感じがするけれど、それより近いエリアには人影を捉える事ができなかった。
丘から下りて高校生達を探し、またこの坂を登るってのは勘弁だ。
なので、頂上から見つけられないかなと横着なことを目論んで、一生懸命目を凝らしてみる。
「さっき聞こえてきた言葉、意味分かった?」
光る直前の声かな?
そういえば、あの光は何だったんだろう。
「おばさ……おねえさんってば俺の言ってること聞こえてる?」
「聞いてるよ〜。女の人の声だよね。鈴を転がすような声ってあんな声のことを言うのかな」
「その声の人が話してた言葉だよ。厳密に言うと、言語を理解できた?って聞きたいんだけど」
僅かに苛立ちを滲ませてないか? 少年。
遠目に周囲を探索しながら、私は内心で「はて?」と首を傾げた。
変な言い回しだとは思ったのだ。
「日本語で聞こえてきたけど、日本語じゃなかった」
そう言った少年の声が、どことなく興奮しているように感じた。
「日本語じゃなかった? でも、言ってる意味分かったよ? あれ? 英語なのに理解できたって事? 私英語苦手なのに。日本の英語教育の賜物かな」
すごいよね、日本の義務教育。
中学高校大学の十年間の授業を受けてただけで、理解だけはできるようになってるなんて。
丘の下で動くものがないか観察しながら答えると、少年は呆れた様子で言葉を紡いだ。
「んなわけあるか。苦手だったんなら、義務教育だけで理解できるようになるわけないだろ」
そりゃそうか。
ペラペラ英語が時差なく理解できるなら、学生時代の私の英語の成績は良かったはずだもんな。
外国語はまず英語と思い込んでしまうのは私が日本人だからなのか、それ以外の言語が思い付かないからなのか。
「英語じゃないよ、あれ。俺って、英語なら英語として理解できるもん。発音は英語っぽかったけど、文法は日本語に近い感じがするし、地球にはない言語なんじゃないかな」
「地球にはないって、ずいぶん大きく出たね。それじゃあ、地球以外に知的生命体がいるってことを認めなきゃいけなくなるよ? 」
「わざと? わざとなの? 俺、さっき異世界召喚の話をしたよね」
不穏と思われる単語が彼の口から洩れた。
そういえば、確かにさっきもそんな事言ってたかな。
ひとまず高校生たちを探すことは棚に上げて、中学生の話を聞くべきかも。
彼の方を向き直した。
「異世界?」
「うん。状況とか、さっきの女の人っぽい声のセリフとか、知らない言語を理解できる所とか、諸々総合すると違う世界に来たんだと思えるんだ。夢じゃない限りだけど」
私より低い位置から私の目を見返す少年を、初めてきちんと見る。
164cmの私より10㎝以上低い。
同年代の子の中でも小さい方なんじゃないかな。
今まさに成長期だろうから、これからいくらでも伸びていくんだろうけど。
制服を見て中学生と判断したけれど、学ランを着ていなければ小学生でも通りそうだった。
この子はまだ子供だ。
状況が分からない現在、子供を守るのは唯一大人である私の義務なんだろう。
改めて少年の側に居ることを決意しながら、私は話を続けた。
「夢じゃないよね」
「夢にしてはリアルだよ。転んだ時痛かったのに目を覚まさなかったし。会ったこともないおば……おねえさんが夢に出てくるって変だし」
さっきから時々おばさんと言いかけて言い直しているのが気になるし。
ま、その都度睨んでしまうのはご愛嬌で。
「異世界行って無双してきましたっていう、あの異世界?」
「無双ってのはラノベでの最近の傾向だけど、まあ、そういう話」
「んんんんん。でも、召喚っていうなら、私達を呼んだ人がいるんだよね? 帰してもらえるんだよね?」
異世界ということを受け入れるか入れないかはともかく、人知の(地球では)及ばない出来事であることを納得しなければ話が進まないのは理解した。
「いわゆる異世界召喚の場合、一方通行で帰り方が分からないというのがセオリーだよな。それよりも、おばさ……おねえさんが気がつかないのが不思議なんだけど」
言われて、私は首を傾げる。
気がついていないこと?
「さっきの声、魔法陣から出ないようにって言ってたじゃん? 魔法陣ってこれじゃないかな」
少年が巨大な石柱に触れたのち、地面を何度か右足でつついた。
円形状に並んでそそり立つ石柱群とその円の中に引かれた意図を感じるいくつもの線。それらの線の部分だけ草が焼かれた跡に見える。
ああ、まほうじんって、そういうことか。
私は数学パズルの魔方陣の方を思い浮かべていた。
それはそれでセリフの意味がわからなかったんだけどね。
魔法陣の方なわけだ。
知らない言語を理解できるとは言っても、同じ概念の日本語の音声に訳されて聞こえるだけで、発言者の思考を読んでいるわけではないということかな。
だから、聞こえた音声にどの漢字を当てはめるかは聞いた人間次第。
実際、そうと意識しないと訳されているとは思わず、日本語で話していると思い込んでいても不思議ではない。
少年に指摘されるまでの私がそうであったように。
原理は全然わからないけど、話し手と聞き手の間に知覚していない翻訳機があるような感じだ。
言葉が分かるといっても認識のすれ違いは起こってしまう、同音異義語の多い日本語ならではの勘違いは健在のようである。
突然降って湧いた翻訳機能を分析しながら、私は少年の話に耳を傾けていた。
「俺達さ、あの時はもう、外側に居たんだよ」
確かに。
自転車の勢いのまま、少年は外に飛び出していたよね。
「違う世界から人を召喚できるぐらいなんだから、転移魔法とかあってもおかしくないし、詳しいことは王宮でって言ってたから、この魔法陣の中にいた奴全員、もうここには居ないんじゃないかな」
異世界だとか、魔法だとかが当然のように前提になっている説明についていくのが精一杯だったが、ここまできて、なんとなく彼の言いたいことが推察できた。
「つまりさ、さっきから俺達って、召喚した奴らと召喚された奴らに認識されてなくて置いていかれた状態じゃないかと思ってんだけど」
真面目な顔で、彼は重大な事を指摘したのだった。