豪邸に泊まりました 1
冒険者の男の人は、女神の残り香が消えるまで、もしくは私達自身で対処できるようになるまでは一緒に行動しながら、この世界の常識を教えてくれることになった。
そこで問題になるのが、当面の生活費である。
昨夜の少年の活躍でお捻りとして幾らかのお金を手にはしていたが、小さな村での稼ぎなどあっという間になくなる程度のものだ。
今晩の宿代すらままならない。
色々話をしていたら、まずは冒険者の登録をするべきだという結論になった。
生活のために冒険者にならなければいけないなんて、誰が決めたの?
住み込みの家政婦だとか、住み込みの店員だとかの仕事はないのでしょうか。
他の道は何も示されなかったから、ちょっとばかり抗って「モンスターと戦う前提なんて嫌だ」と言ってみた。
残念な事に私の抵抗は呆気なく無視され、物凄く乗り気な少年に引きずられて、私は冒険者への道に進むしかなかった。
そして、なりたくないと言っているのに登録手数料を男に借金までし、私は初心者冒険者になってしまった。
ううう、冒険なんて望んでいないのに。
少年は興奮していて、私の話なんて聞いてくれないし。
ついつい、鈍い光沢の5cm程のプレートを睨んでしまう。
身分証明書のように名前と性別、国、この町の名、冒険者ランクが記されている。
それは軍隊の認識票、いわゆるドッグタグと言われているものに似ていた。
このプレートは冒険者カードと訳されて聞こえる。
カードと言うには形状に違和感があるのだけれど、私専用の翻訳機さんがそう訳すのだから仕方がない。
どこにあって、どういう原理なのかはさっぱりわからない翻訳機なんだけどね。
登録したばかりの私はランクG。
少年も同様だ。
名前はファーストネームのみ。
苗字はない方がいいと少年から言われた。
これもお約束らしいんだけど、苗字があるのは特権階級とか、それに準じる人だったりする場合があるから、名乗っちゃうとトラブルを引き寄せかねないとのこと。
そんな理由なら、一も二もなく賛成ですよ。
因みに、不便がなかったので気づいていなかったのだけれど、私と少年はお互いに自己紹介すらしていなかった。
男の人に名乗られて、初めて私達は互いのことを知らない現状に気がつくという、かなりのお間抜けさんだったのである。
冒険者には爆笑された。
で、しばらく私達の面倒を見てくれる冒険者は名前をカークさんという。
少年はケイト。西浦恵人君だそうだ。
名前だけ聞くと、女性かと思ってしまうよね。
確かケイトって、英語圏ではキャサリンの愛称じゃなかったっけ。
「おねえさん、行くよ」
その恵人君が、冒険者カードを睨んで足を止めていた私を促した。
次は必要なものを買いに商店へ向かうらしい。
ただし、店が開いていればとの注釈付きだ。
ここ数日の儀式関係のゴタゴタと、午前中の飛竜襲撃事件で、まだマーダレーの町は騒がしかった。
多少の落ち着きは見せ始めていたものの、混乱は収束していないようだ。
カークさんに連れられてたどり着いた商店は服屋だった。
悪目立ちする私達の服を、こちらの世界の物にするべきだと言われた。
確かに、私達が着ている服は異質だ。
そこで簡単に旅人風の服を一人二着見繕ってもらう。
更に少年は皮の胸当て、私は大きめのカバンを追加してもらった。
支払いは全部カークさんだ。
最終的に私達の借金は幾らになるんだろう。
次の武器屋は閉まっていたのだけれど、カークさんが無理矢理開けてもらっていた。
店主の様子からすると、彼は有名人なのだろう。
逆らえないオーラでも醸し出しているかのようだった。
目を輝かせる少年に、私は若干引いてしまう。
武器というのは、好む好まざるに関わらず、何かを傷つけるためのものだ。
日本で生活している限りでは、特殊な人以外は触れることのないものなのだ。
それを十四歳の少年が進んで手にすることが私にとっての違和感であり、悲しく感じてしまう所なのだ。
とはいえ、私が代わりに戦える訳でもないので、武器を持つことに意見なんてできないのだけれど。
口を挟みたくなかったので、少年が武器を見繕っている間、私は一人で店内を見学することにした。
私に武器は要らない。
そう考えてはいたものの、生活のなかで使うのに小型のナイフぐらいは持っていてもいいのかなと思って、店頭の箱に乱雑に入っているナイフを手に取ってみた。
その箱の中は売れ残りの特価品って雰囲気だ。
サイズは色々で、小さい物から、ショートソードといった方が良さそうな大きさの物もある。
その中でも、万能包丁ぐらいの大きさの物が一番多い。
料理とかしなきゃいけなかったりするのなら、包丁がわりに一本持っててもいいのか。
無造作に箱に入れられているナイフを手に取りながら、これからの生活のことへ思考を向けてみる。
衣食足りて礼節を知るって言葉があったなあ。
洗濯、料理、住む所についての常識が必要だ。
やはり、生活面の事をカークさんには教えてもらわなければいけない。
そういう意味では、使用勝手の良い刃物は買ってもらうべきかな。
切れが良ければ、ハサミでもいいんだよね。
手に持ったナイフをまじまじ凝視する。
それはあまり切れ味が良いようには感じなかった。
まあ、この箱に入っているのは二束三文のものばかりなんだろうけど。
ふと、箱の奥で何かが光ったように見えた。
気になって、上のナイフを一本づつ取り出して箱の外に置いて行く。
何が光ったのかは分からなかったけれど、十八番目に手にしたナイフを、私は無意識に握り直してじっくりと観察してしまった。
刃渡り二十㎝ほどの、錆びたナイフだ。
柄の部分も薄汚れていて、明らかに光を反射する要素がない。
なのに、何故かそのナイフを握り直してしまう。
望んだ物とは違うし、柄の部分も不恰好だ。
握りやすいかと問われても、お世辞でも肯定するのが難しいほど歪な感じがする。
「やっぱ、異世界に来たらロングソードっしょ。あれ? おねえさん、それ買うの?」
少年が私の隣に来て、首を傾げた。
うん、まあ、そうなるよね。
私も実用的ではないと思うもの。
「研いで、サビを落とせば料理用として使えないかな? これ、売り物だとすれば、ものすごく安いよね」
「包丁がわりかあ。サビがなくなるなら、使えるんじゃない? 剣にオマケにつけてもらおうか。俺、そういう交渉得意。待ってて」
そう言うと、私の手の中からナイフを持ち去って、店主のもとに向かう少年。
タダで貰おうとしてるよ、あの子。
商魂たくましいなあ。
値引き交渉って苦手だから、尊敬しちゃうよ。
あ、でも、ここは日本じゃないから、これからは苦手とか言ってられないかも。
実際、商品に値札が付いている訳じゃないし。
店主と話していた少年が、こっちを向いてサムズアップ。
どうやら交渉が成功したようだ。
店を出た少年は随分冒険者らしくなっていた。
やはり、胸当てと腰に剣があるとそれらしく見えるものだね。
私のナイフは、カークさんが知り合いの鍛冶屋に頼んでくれるそうで、何から何までおんぶ抱っこ状態だ。
買うよりそっちの方が高くなりそうな気もするけれど。
とりあえず使えるようになればいいのよね。