冒険者さんと出会いました 3
見張りの兵士もそうなんだけど、逃げ出すのを第三者に見られるのもまずいよね。
そう考えて、少年が部屋を出てからずっと窓の外を観察していた。
兵の詰所だからだろうか、周囲に兵士以外の姿を全く見ない。
ちょっと考えて、そりゃそうかと納得した。
兵舎や詰所なんて、一般市民は関わり合いになりたくない場所だ。
理由がないのにわざわざ近くを通るはずもない。
午前の早い時間とあって、更に人通りがないのだろう。
あの兵士が視界から消えれば、絶好のチャンスだ。
そう思った、その時だった。
奇妙な声が聞こえてきた。
それは猛禽類の鳴声のようであり、獣の咆哮のようでもあった。
聞いたことのない生き物の声。
恐怖を感じて咄嗟に少年の姿を探すが、逃亡計画進行中の今、彼はそばにいない。
窓の下に目をやったが、何も変化はない。
あの兵士にはこの声が聞こえていないのだろうか。
動じる様子でもなく、これまで通り周囲を警戒しているだけの兵士を不思議に思った。
幻聴なの? それにしてはいやにはっきり聞こえたけれど。
私は窓から離れ、部屋の扉を僅かに開けて、廊下へ顔を出した。
やはり、この部屋を見張ってる若い兵士が扉の前に立っている。
「どうかされましたか?」
先程と同じ口調、同じ表情で、同じセリフを口にする。
「あの、何か変な声が聞こえませんでしたか?」
縋るような気持ちで尋ねてみたが、彼は怪訝な顔で「何をです?」と、返すだけだった。
扉を閉めて、再び窓際に近づくと、下にいた見張りの姿がなかった。
行かなきゃ。
荷物を下に放り投げ、私は覚悟を決めてマフラーを手に、窓の桟を乗り越える。
これでも中学生までは運動神経が良かったんだから!
自分に言い聞かせて、空中に身を躍らせた。
ボールケースとマフラーの簡易ロープを支えに、壁に足を押し付ける。
そのまま一歩づつ下りて行く。
下は見ちゃダメ。
体脂肪率33%。
平均以上ある体重が、運動不足の両腕に重くのしかかって、腕が震える。
死にたくないし、捕まりたくないし。
ここで頑張らなきゃ。
死ぬ気で頑張らなきゃ。
二つ目のマフラーに差し掛かった。
またもや、先程の鳴き声とも咆哮ともつかない声が聞こえた気がした。
今度は空から。
震える腕でマフラーを握ったままで、私は空を見上げた。
大きな影が私の遥か上空に見えた。
目を瞬く。
もう、影は見えなかった。
幻聴と幻覚。
何、これ。
私精神的に疲れて鬱入っちゃってるってこと?
精神系の病にだけは、ならない自信があったのに。
動揺して、私はマフラーから手を離してしまった。
もう筋肉が限界だったっていうのもある。
でも、地上までの距離は残りニmほどだった。
地面に転がってしまったけれど、特に大きな怪我はしていない。
衝撃で少しばかり体が痛いぐらいだった。
そこで、また幻聴が聞こえた。
やっぱり鳥か獣かわからない鳴声だったけど、今度は町の外、かなり遠くから聞こえたものだった。
それが次第に近づいてくる。
違う。
今回は幻聴ではない。
先程とは異なり、街が騒ぎ出したのが分かった。
いろんな場所から怒号が届く。
門の方で兵士達に矢継ぎ早に指示が飛んでいるのも聞こえてきた。
何かが、街に近づいているのだろうと予想できる。
「おねえさん、急いで!」
いつの間にかサッカーボールを脇に抱えた少年が側にいて、私の手を引いていた。
「な、何があったの?」
「モンスターが出たって。さっきのおっさんが迎撃の命令を出してた。今の内だ!」
簡単な説明が終わった瞬間、先程いた二階の部屋から大きな声が響いた。
私がいないことに気づいたのだろう。
逃げてどうする当てがある訳でもないが、ひとまずここから離れなければ。
少年について走りながら、私は先程見た影を脳裏に浮かべた。
ゲームに出てきたのを見た事がある。
それ以外にも、イギリスの紋章でそういうのがあったような。
先程の影が幻覚でないのなら、あれが近づいているという事?
街の守備隊は、おそらく街の手前で迎撃するつもりだろう。
でも、あれはおそらく飛行型の魔物だ。
町への侵入を防ぐ事などできるのだろうか。
「竜じゃないんだけど、小さい蛇みたいな竜で、空を飛ぶモンスターって、ゲームや小説で良く出てくるよね」
「え? 何? 竜じゃないけど竜で空を飛ぶモンスター? え? それって……ワイバーン?」
少年が走りながら律儀に答えてくれる。
ああ、それだ。
ワイバーンがどれくらい強いか知らないけれど、町の慌てぶりを見ると、瞬殺して対処できるような魔物ではないようだ。
死んだり、怪我したりする人がいなければいい。
私にとっては怖い人達でも、あの態度は仕事だったんだろうし。
入国審査で、担当官がぶすっとしていて怖いのと同じだよね。たぶん。
あの栗色の髪のイケメンさんを思い浮かべながら、そんなことを考えたりした。
少し開けた場所に辿り着いたところで、私の足が止まった。
町の門に繋がる大通りに面している、町の広場の一つのようだ。
先行していた少年が慌てて戻ってくる。
「ごめんね、もう走れない」
さすがに体力が続きません。
ゼイゼイ肩で息をしながら、私は全く息の乱れない少年へ尊敬の目をむけてしまう。
その少年は、私の側に来ると遥か後方、大通りを越えて城壁の向こうを凝視した。
視線を追って、私も同じものを見る。
守備兵が守る城壁の外側。
これだけ距離が離れていてもはっきりと確認できた。
人間の数倍のサイズであるワイバーンを。
激しい振動ごと耳に届くワイバーンの咆哮が、混乱の町に響く。
「あんなの、倒せるのかよ……」
少年が呆然と呟いた。