8.
翌日には、元聖女は病院の一室にて軟禁されていた。
当然けわしい監視体制にはあったが、防音装置だとか、重火器を持った兵隊がにらんでいるとか、そういうことはない。
というよりも、する必要がないのだ。
ただの白髪を持つだけの小娘となった、自分相手には。
もっとも、拡声能力、洗脳能力を失っても、聴覚は依然そのままだった。
だから、聞こえてくる。
隣室の空調が切れた音。
部屋に外の連中の、自分を嘲弄する声。
……そして、彼らに気づかれることなく室内に現れた、侵入者の軽い靴音。
「昨日の今日で悪いが、口止めをしておきたくてな」
「……『ヤクト・ハウンド』第四班長サマは、異能者を統括するがゆえに誰よりも規律にうるさいって聞いたけど?」
「俺に言わせれば規律や秩序など、ただ世の中を円滑に運営するためのシステムのひとつにすぎない。訳なく相手に押し付ければ、それこそカルト宗教と同じだろうに」
平然とうそぶいた、いかつい男。錫日照慈。
その口ぶりや所作は、声の高さはともかく、いちいち堂に入っている。それが逆におかしくて、ククク、と『シルバー・ウィスパー』は忍び笑いを漏らした。
いかめしい顔つきに苦みを加える彼に、
「アタシは、首かっ切られたと思ったけど」
微妙に色の違う喉元を撫でながら、少女は言った。
「荒療治が必要だった。政府の医療技術では、お前から装置を摘出することができない。だから一度、喉ごと破壊し、そして付け替える必要があった」
「なるほど、貴方ならできるでしょうね」
おなじ細胞組織で構成されてる、貴方なら。
『シルバー・ウィスパー』が言い足したことに、人形のような男は反応せず、まばたきもせずにうつむいた。
「その『着ぐるみ』、脱いだら? 監視カメラはないわ。保証する。貴方だってそれを知ってるからわざわざ来たんでしょうが」
「やはり、気づいていたか。口止めしに来て正解だったな」
男の足下から、どこからともなく白銀の霧があふれ出た。意志を持ったかのようにその長身を覆い尽くし、影さえも見えなくさせた。
それが晴れたときに現れたのは、十三歳程度の美少年だった。
目鼻立ちはどことなく彼女自身に似ていて、何より同色同質の髪を持っていた。
違う点を挙げるとすれば、その両面は真紅ではなく濃いブルーで、女ではなく男だということだろうか。
「ずいぶんと愛らしい姿だこと」
せせら嗤う同胞に、本来の姿の錫日照慈は、まるで他人事のように答えた。
「実際の年齢はこの姿よりもはるかに下だ」
『シルバー・ウィスパー』はいびつな笑みを押し殺して、そのちいさな男を見返した。
「聞いたことがあるわ。『再臨計画』における一種の終着点。偶発的に生まれた唯一の男性型……そして、そうであるが故に聖女には成れなかった規格外品。教団が真っ二つに割れるゴタゴタで、廃棄処分されたってウワサだったけど、まさか政府の犬になってたとは。身分を隠して上手く取り入ったわね」
若干の嫉妬や羨望を込めて言った彼女に、『弟』は首を振った。
「俺を拾った人物はこちらの素性を知っている。何人かの同僚や上司もな。べつにこの姿で活動をするな、とも言われていない」
「部下は知らないの?」
錫日は首を振った。そのしぐさだけは子どもっぽかった。
「どうして? せっかくアタシらの『ママ』からもらった、とってもとってもキレイな容姿じゃない? 貴方の資質と、その神がかった姿があれば、国を内部から掌握することだって」
「そうしてお前の二の舞か。『彼女』の二番煎じか。それこそ、勘弁だな。銀髪と理想論を振りかざして戦う若き英雄なんて、それこそ魔王を打ち倒す夢物語のなかで良い。俺たちが生きているのは現実だ。兵士たちも俺たちも、自分らの生き残ることで手一杯で、他人の理想に殉じる余裕などない。銀髪の若者が相手の都合を無視して大義名分をや美辞麗句をとなえたって、大抵は異端視されて、いずれは排斥される。お前だってそうだったろう?」
「アタシにとっちゃ、んなもんは自分を生かす方便だったけどね」
「その点に関しては、さすがに似た者姉弟ということだ。……俺はこの姿や能力を、犯罪に使うこともなかったがな」
皮肉っぽくそう言った第四班の長は、外見不相応なけわしい調子で、
「なぜ、あんな風に力を使った? 当然、公安からの追及はあっただろう。その容姿では目立ち、教団からは神輿として担ぎ上げられるだろう。だが、拒めないような人柄にも、思えない。むしろお前はそれを悪辣に利用した。……それとも、本気で信者を見捨てられなかったとでもいうのか」
見当はずれのことを言う彼に、思わず『シルバー・ウィスパー』は腹の底から笑った。
それこそ、なんの冗談だというのだ。
ああいう存在こそ、彼女が憎むべき存在だというのに。
「逆よ。ヤツらが周囲を巻き込んで破滅すれば良いと、そう思った」
「何故?」
「『彼女』がそう囁くから」
「……?」
怪訝そうな錫日の渋面が解けることはない。
ここにいたって、彼女は『弟』と自分の決定的な違いに気づいた。
「そう、貴方は……声を聞いたことがないんだ」
「声?」
「『彼女』の断片的な人格。衝動。潜在的に眠る遺伝子情報。それらが時折、頭の中に流れ込んでくる。計画当初には自我を保てなくなって自殺したヤツもいるみたいよ」
「……お前はこう言いたいのか。『彼女』が、秩序を重んじる聖女が、破壊や暴力を望んでいると?」
「たしかに、『彼女』は秩序を重んじていた。けど、それ以上に自分の理念に従わない存在を憎悪し、排斥する。周囲が許せなければし何もかもを巻き込んで、自分が許せなければその仲間ごと自分を破滅へと追いやろうとする夜叉、それが『彼女』の本質。そしてそんな歪んだ女の情念が生み出した忌子、鬼子。それがアタシたち。……今は聞こえなくても、いずれ貴方にだって」
「甘えるな」
まるで自分から伸びた見えざる手を、断ち切るような鋭い言葉の刃が、それ以上に言い募ろうとするのを遮った。
「『彼女』だけではない。俺たちだけでもない。そんな囁きは、誰だって聞いているさ。こんな仕事をしていると、割り切れない思いを味わうことはある。お前にしたって、俺も部下も、何度殺した方が楽だと思ったことか」
「……」
「だがそれを乗り越えた先に本当の自分がある。秩序や正義なんかじゃない。自分の意志でそれに勝つからこそ俺や部下を誇りに思う。人の可能性を、信じている」
ディープブルーの目に淡く、明るい輝きが宿っている。
自分の真紅の瞳がそこに合わさり、映り込むのを恥じるかのように、奥歯を噛みしめ、視線をそらす。
「青臭い、ことを」
「それが子どもの特権だろ」
言葉に窮したうえでの悪態をサラリと流し、彼はふたたび肩の上に白銀の濃霧を浮かび上がらせた。
獣の爪に切り裂かれた記憶が生々しく蘇り、彼がここに来た理由が「自分の正体の口止め」であることを思い出した。
『シルバー・ウィスパー』はとっさに身構えたが、彼女の予想に反して、現れたのは有名店のショートケーキが一切れだった。
「差し入れと口止め料だ。監視には内緒で食えよ、『姉さん』」
ニヤリと笑うと、白銀の霧がふたたび彼を覆い包み、今度は完全に姿を消した。
空気ダクトを通じて、逃げていくそれを、『シルバー・ウィスパー』もまた意地悪げに嗤い見送った。
「気づいてないんでしょうねェ、貴方は」
造物主からも、世界からも、そして『母親』自身からも、その誕生を祝福されなかった子。
だが皮肉にも、いや『母親』の声が聞こえず、もっとも遠い存在だからこそか。
彼こそが、聖女のなりたかった理想の体現者であった。