20.
いつだったか。どこだったか。
「お前は、将来何になりたい?」
と、父は尋ねた。
「はいっ、父上のように秩序と正義のために、この力を振るいたいと思います!」
と銀髪を持つ娘は答えた。
「では、秩序と正義とは、なんだ?」
と父は再び尋ねた。
「はいっ! 秩序は、弱き者を、無辜の民を守る城です! 正義とは、友や同胞を救うための剣です!」
と、娘は迷わず答えた。
迷わず答えることが、その時にはできたのだ。
……そして彼女は今、異界の空を仰いでいた。
多くの同胞に手をかけた挙げ句に劣悪な詐欺師に心を惑わされて一度は死んで。
同じ遺伝子情報を持った相手の血を吸った妖刀を握りしめて。正義と信じた剣は醜悪きわまりない怪物に届くことなく、敗北した。
もううんざりだった。
……すべてに、疲れた。
「やれ」
と敗北者は居丈高に言った。怪物の腕に吊し上げられながら、その奥に控えた少年に言った。
笑うヒザを上から押さえつけて、彼は肩で息をしていた。
血のように紅い瞳に、空の色が理性とともににじんでいく。無尽蔵に拡大していた霧が、収まっていく。
まるで水を奪われた魚のように、異界の魔物たちが枯れてしおれて瓦解し、そして消えていく。
「……殺さない……」
と、その主は言った。
「今更温情をかけるな、化け物ふぜいが」
鐘山銀夜は突き放すように冷罵した。
返ってきたのは、おなじく冷えた嗤いだった。
「べつに、あんたのために殺さないわけでもない。あんたに生き恥をさらさせるための仕打ちでもない」
なに、と思わず乾いた声を上ずらせて、少女は言った。
「たしかに、俺は化け物だ。人間ではない。かといって、鐘山銀夜のクローンにもなりきれない。それどころか、生物でさえもない。それはどう言いつくろおうとも、覆らない真実だ」
それでも、という言葉とともに、彼女を捕らえていた腕が枯れて消える。
倒れ伏す少女の眼前に屈して、銀髪の少年は言った。
「それでも、俺は人を守る。あんたのクローンを駆逐しながらも保護し、異能の者たちを刈りながらも彼らを自分の権限と力のおよぶ限りで救う。法に照らして罪を裁き、善と信じるものを助ける。俺は弱き者を救う城であり、同胞を救うための剣だ。……あぁそうだ、ようやく気付いた。この積み重ねが、人生と呼べるだけの中でしてきたことのすべてが、俺の答えだ。俺は……錫日照慈だ」
瞬間彼女は、そして今度こそ、自身の内部で根底から何かが崩れる音を聞いた。
そこからあふれ出たのは、激しい憎悪と激情の業火だった。
「あぁぁぁぁああああああぁあああアアアアアア!!!!」
銀髪を振り乱し、かきむしりながら発したのは、乙女の慟哭ではなく、狂獣の咆哮だった。
認めない、認めない、認めない!
だが理解した。理解してしまった。心がそう悟ってしまった。
この少年に反発し、憎悪したのは、彼が己の分身だからではなかった。
忌まわしい奸悪だからではなかった。
「アァアアアアァアア、アァアあぁあああああ!?」
その、逆だった。
彼は正しい。ここに至るまでのすべてで、正論を通し、行動で正道を示し、そのために心身を尽くした。守る信念のために、弱き者のために。
だからこそ赦せなかった。
だって、この少年に大義があるからこそ、非合理的だ。不条理だ。理不尽だ。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァ!! あってたまるか、そんなことが、ありえてたまるものか! 私の過ちから生まれた貴様がッ、醜悪で邪悪な存在でしかないお前がッ! そんな私より人間として正しきを為すなどと、私がなりたかった理想であるなどと! そんなことが……あってたまるかァァァァアアアア!」
その叫声を最後は、空中を旋回する巨影と、それが混ぜっ返す風の音によって遮られた。
最初は、またあの霧から生み出された怪鳥か何かかと思った。
だが違う。それと出会うのは初めてだった。だが、刷り込まれた知識はあった。
巨大なローターが旋回するアパッチ。
その足下に取り付けられた一本のミサイルが離れ、ライトを当てた彼らに向かっていく。
着弾とともに、紅蓮の炎が彼らを含めた一体を、食らいつくした。
その発光に埋め尽くされる瞬間、鐘山銀夜が見たのは、なおも自身を護ろうと、引きずる肉体を盾としてかばう錫日照慈の背だった。




