19.
「スターシード、というものを知っているかな」
『ヤクト・ハウンド』の総合執務室。
瀟洒で無駄なものが一切ないその部屋で、唯一飾り気のあるのが、そのヨーロピアン調の電話だった。
その受話器から聞こえてきたその声に、早瀬須雲はうすく唇を噛みしめた。
「よくあるSF用語でね。宇宙に散らばる生命の種。生命未満のもの。だがもうひと押しすれば、生命になれるもの」
「……急にホットラインをハッキングしてきた割に、おっしゃる内容が不鮮明ですが」
「『泰山連衡』所有のホテルで暴れてるモノに対する説明の、前置きだよ」
「あなたが生み出したモノの、ですか」
「おいおい、発言には気を付けてくれよ。わたしはあくまで善意の情報提供者さ。政府機関として、諸君らが円滑に活動しやすいようにと慮って、こうして電話をかけてきてあげたんだからな。あらぬ疑いをかけられるのは、不愉快だな」
「失礼。あなたにも不愉快などという人間らしい感情があったのですね、時州瑠衣」
甲高く、よく通るボーイソプラノで、だが欺瞞に満ちた調子で電話の相手は笑う。
物理的に、ではない。電話越しに会話する両者の間には、絶対的な隔絶があった。
「まぁそれを念頭においたうえで、また別のたとえ話をしよう。よく、地球やら世界やらを、ひとつの命と仮定する話があるだろう。夏場にお涙ちょうだいの長時間特別番組で讃美歌じみた曲を有名人が歌いながら、上ずった声をつくって視聴者に具体的な打開策の提案もせず感情論で訴えかけてくる。そんな中でよく聞く比喩だ。だが、それはある意味真実でもある。存在している生命を細胞や細菌と仮定したとき、そのメカニズムの集合体は、まさしくひとつの生命の種だ」
「何やら議論が哲学の領域に入って迷走しているようですね。電話代がもったいないので切りますよ」
受話器の置き場に手を持っていこうとしたとき、
「となれば、『世界の種』というものもあるはずだ」
と、天才術師は言った。
「わたしはこの世界にひとつの権限を与えられている。『星の観測者』というのだが、これは端的に言えば、この世界の防衛のため、あまたに散らばる平行世界、異世界を認識し、観測し、介入し、干渉できる能力のことだ」
「……は?」
「もっともわたしはこの世界の救済になど興味はない。が、便利だから返す気もない。わたし以上の人材も見つからないから、オーバーロードも返せとは言ってこないしな」
さらりと何気なく、自慢する気配もなく、おのれが神にひとしい力を持っているということを、電話の相手は明言した。
「それによって、わたしはついに世界の種を見つけた。きわめて小規模で、閉鎖的で、だが独自に生命を殖産する、独立した宇宙。だが『アース0.0666』と名付けたそれには、意志というものがなかった。君らは認識していないだろうが、ひとつのアースにはかならず超越者の意志が存在しているものなのだよ。だが、こいつにはそれがなかった。ただ、おのれを拡張させるでもなく、存続させようとするのでもなく、ただ殖えていく。だからわたしは、それに知性を与えることにしたのだよ。鐘山銀夜の人格の断片、ある部分を与えてな。それが、『シルバー・ユニバース』。『銀の星夜会』の最高傑作だよ。ヤツには自覚がないだろうが、あれにはまさしく銀夜の一部が埋め込まれている。だがそれは、あの姫君の人格とは隔離しているものだ」
「……あなた、あなたは、今自分が何を言っているのかわかっている?」
こいつは、先ほど疑惑を否定したくせに、その舌の根も乾かぬうちに、ほぼ証言しきったのだ。
「錫日照慈は、おのれが生み出したのだ」
と。
そしてそれに類する異形の怪物怪人たちも、それを生産した組織への関与も。
「おっと言ってしまったか。だが問題はあるまい」
ンヌハハハハ、とおのれの失言を笑い飛ばしたあと、トーンを意図的に、かつ挑発的に落として時州瑠衣は言った。
「その程度の録音では、わたしを捕まえられんよ。よしんば捕まえられたとして、時州一族が、手を回す。協力者たちが釈放を請求する。そして君らの主人がわたしを解き放つ。世界が、忌み嫌い、憎悪しながらも時州瑠衣の智と技術を必要としている。いかなる不正をおかそうとも、わたしにはそれを補ってあまりある才気がある。この世界の超越者がわたしを『観測者』から解任しないのも、それだ。わたしに代わる存在がいないのさ」
「……ゲスが」
「あぁわたしはいかにもヒドイやつだよ。最低な人間だ。いったい何百万という人間がわたしの趣味嗜好のために犠牲になっただろうね。いやぁ、想像するだけで心が痛むよ。本当に申し訳ない。ごめんね。すみませんでぇーした」
もはやそこまで開き直られると、二の句を継ぐこともできない。この存在にとっては、ありとあらゆる罵声が、感情を揺さぶることなく右から左へと流れていくのだから、面罵や責任追及は無意味な行為だった。
「だが、そんなゲスが『シルバー・ユニバース』のごときおぞましいモノを生むのは道理だろう。もちろん、生産者の責任としてあれは廃棄処分しようとしたさ。罪の意識もあったさ。今だってやろうとしているよ。焼夷弾を詰め込んだアパッチを現場に向かわせた。……だがね、一説によればその脱走を手引きした国家機関があるそうな。もしそれが事実で、国民を、ひいては人類をおびやかすような存在を税金で飼ってるような連中がいたとしたら、許されざる矛盾であり、背信行為ではないのかね?」
ではな、と。
言いたいことを言うだけ言って、瑠衣は通信を切った。
いろいろと回りくどい説明をさせられたが、その不世出の天才が言わんとしていたことはただひとつ。
「これから、錫日を殺し行く」
という一点のみだった。
「……ッ」
おのれのうちにざわめく感情に突き動かされるように、早瀬須雲は立ち上がる。
「どこへ行く気だ」
戸の入り口に立ってやりとりを聞いていた司馬大悟が尋ねるも、荷物や書類をまとめようという彼女の手が止まることはなかった。
「これから彼の救援に向かいます」
「むざむざヤツの挑発に乗るつもりか? あの人類悪は、おのれで言っているような罪の意識や責任など微塵も感じてはいまい。ただの釣り餌よ。俺たちがあれを助ければ、時州一族は嬉々としてそれをあげつらい、こちらを解体しようとしたり主導権を握るつもりでいる。行き掛かりで助けたガキ一人のために、『ヤクト・ハウンド』全員を路頭に迷わせようとは。いや、早瀬班長は慈悲の人でいらっしゃる」
いつもは聞き流して当然の皮肉だが、この時は違った。まるで少女のように感情的になった。
時州瑠衣にさんざんに煽られたというのもあるが、錫日照慈に対しては無関係、無関心でいられないのは、彼を直接助けた大悟とて同じはずなのだ。
「それでもッ、きっと彼は助けを必要と」
「しておらんわ。阿呆」
須雲の言わんとしていることを真っ向から否定してさえぎって、大悟はギラリと光る眼をまっすぐに注いだ。
「あれはすべて承知のうえで母親に逢いにいった。すべてを捨てて、自分も見捨てられる覚悟で。そして俺たちは、ヤツの意を汲んで、送り出したはずではなかったのか」
皮肉屋の言葉には珍しく、揶揄の色はなかった。
「国の要請を受けて出動し、事態の収拾をつけること。必要とあれば、騒乱の種をその場で鎮圧すること。……誰かを守るためにそこに抜け道を作り答えを生み出すこと、それがその席にいる人間にだけに許された責務だ。それをよく考えろ」
そして自身の副官の席に、大悟は腰を落ち着けた。
指と目で須雲にも、彼女自身の席につくように示唆した。
「……照慈くんっ……」
『ヤクト・ハウンド』第一班長、早瀬須雲が思い切り苦悩の表情を見せたのは、ただ一瞬だった。
座に戻り、顔を持ち上げたときには、冷徹な指揮官の顔へと切り替えていた。




