14.
「……その刀」
鳳象がのぞきこむように見た視線の先には、血の絡む『大渡瀬』刀身があった。
この妖刀がいったい誰の血を吸ったのか。手にした少女自身をふくめ、誰の目にも明白だった。
「そうか。『ミスティ』は敗北したか。なんの矜持も信念も持たない、度し難い悪女ではあったが、だからこそ哀れな女だったというのに」
口調では心底残念がりながら、目には余裕の微笑をたたえている。
その言葉の真意は、虚実どちらともわからなかった。
いや、そも尋常な価値観でこの魔拳士を推し量ることなど、できようはずもないのだ。
その目が、少女からふたたび照慈へとうつる。
胸を抉り出すような執拗な視線に耐えかねてふとそらした目先に、銀髪の女の横顔が映り込んだ。
みずからの真名を取り戻し、公然と名乗るという行為は、彼女がみずからに課していた誓いを果たした、ということになる。
そして白刃に絡む鮮血とあわせてかんがみれば、『シルバー・ミスティ』の敗北のみならず、そのまま死んでしまったということになる。
「……なんだ」
自分がいったいその時、どんな目をしていたのか。それは照慈自身が知る由もなかったが、『エレクトラム』あらため鐘山銀夜は、何かを汲み取ったらしい。
不本意げに形のよい眉を吊り上げ、
「私が貴様の主張や思惑を肯定したか? この鐘山銀夜がおのれの殺意と信念でもって正道を為すことに、なぜ貴様の許しを得なければならん」
と、正論を返す。
そうなればもはや問責することはできず、気を取り直して、曹鳳象を見るしかなかった。
男は、形容しがたい奇妙な目つきで、仕掛けるまでもなくふたりのやりとりを見守っていた。
「どうした? 幻術使いなしでは分が悪いというわけか?」
そう言って挑発する銀夜は、この男自体が一騎当千の強者だと知らないし、力量を推理する気もないのだろう。
だが、多分に嘲笑の色をふくんだ彼女の物言いに、
「そうだな。やめよう」
……あろうことか、鳳象は素直にそう言った。
「『ミスティ』も死に、そこの坊やの器量も見えた。これ以上戦闘をつづける理由が、僕にはない」
そう理由を口にするマフィアに、照慈は青眼を引き絞った。
――なんのマネだ。
彼がつたえた口上は至極まっとうなものだったが、まともな理屈だからこそ、かえってこの怪人にとっては奇異な動機に思えた。
当惑する照慈に、風を切って一枚のカードが投げつけられた。
暗器ではない。悪漢ともいえ、こんなところでつまらない細工をする男ではない。
反射的に手にしたそれは、意外と硬質だった。どこかのルームキーのようだった。
「西にある堂のカギだ。君の目当てはそこにある」
「……なにが、目的だ」
「いや、ただ興が乗っただけさ。『聖女』の仇はいずれ必ず討つ。……だが、この場合は傍観していたほうが、面白そうだ」
それだけ言った瞬間、足音さえなく、幽鬼のごとく男は消えていた。
曹鳳象の撤収は、意識を彼に集中していた銀夜でさえ追うことが許されないほど、隙がなく迅速だった。
忌々しげに舌打ちする彼女は、血振るいして刀を納めた。
そんな銀夜にかける言葉もなく、照慈は手の中にあるカードをじっと見下ろした。
「それはなんだ?」
と銀夜がたずねる。
「……こちらの目当てのものだ。あんたが気に入るようなものじゃないぞ」
追及を避けるようなオーラをそれとなく出しながら答える。
彼女もまた、とくに意識したようではなく「そうか」とうなずいた。
内心で安堵している照慈の前に、手が差し出された。
「感謝は、している」
その手の主たる少女が、ひどく言いにくそうにたどたどしく、そう伝えた。手はまっすぐに突き出しながら、身体は横を向いたままだった。
「お前がいなければ、敗れていたかもしれない」
それはそうだろう、と少年は声にせず毒づいた。
どうもこの女の言動は、ピントが外れているというよりかは、根幹からズレている。
だが、差し出された好意に偽りはあるまい。
なので、自分も彼女に対する詰問は差し置いて、片意地を張らずに、握り返す。
初めて触れる『母』の手。『母』の肌。
お互いに、激闘の末にたぎった血液が、神秘的な皮膚の内側で早鐘のように脈打っている。
奇妙な緊張はあった。だが感動や感慨はなかった。
ある程度互換性のある部品が、当たり前のようにハマっただけのこと。車のタイヤをつけかえるように、ノートPCにマウスやキーボードを外付けするように。
ややぎこちない握手が、ふたりの別れのあいさつとなった。
――せめて、『彼女』たちは見せてやるべきだったか。
ひとまず解散というはこびとなり、銀夜をおとなしく帰したことを照慈はわずかに後悔した。
会えば、彼女と自分たちとの因縁を氷解させることになるのではないか。そう思った。
曹鳳象がかくまっていたというそれらは、彼の言の通りに西側で建てられた礼拝堂にいた。
頑丈にして厳重な扉の奥から、ひそひそと話し声のようなささやきが聞こえる。
彼がこぢんまりとした十字架の足下にたどり着くまでに、トラップもアンブッシュもなかった。
カードキーを挿入口に差し込めば、拍子抜けするほどにあっさりと機能し、開錠された。
扉を両手で押し開ける。
身を寄せ合う五人の少女。十歳前後の、背格好の似た少女。
……目鼻立ちだけではなく、その銀色の髪も、真紅の瞳も。
真の『聖女』を生み出す計画において中途で破棄されたプラン。偽の彼女、クローンたち。
これが、『泰山連衡』が強奪した積み荷の正体だった。
「助けに来た」
目の前にいる『妹』たちに、比較的おだやかにそう伝える。
だが、次の瞬間その照慈の片頬に、かわいた音が鳴った。痛みと熱とが、遅れてやってきた。
「あなたのこと、知ってるわ。聞いたことがあるもの」
そう言って振り下ろした平手を引いたのは、肉体的かつ精神的に、一団のなかでも年長らしき少女だった。
何故、殴られたのか。それを照慈は問うつもりはなかった。
素顔をさらして同胞を救おうとするとき、いつも相手から返ってくるのは感謝ではなく、言葉か、でなければ直接的な非難だったから。
『シルバー・ウィスパー』はあれでも比較的温厚な対応だったのだ。
「勝手なことしないでよ! 私たちは、このままでよかったのに!」
「……言ってる意味、わかっているのか? あのマフィアどもは、けっきょく他所へお前たちを売り払う腹だったぞ。そこで何が求められるか、言うまでもないだろう」
「それでもようやく、食べ物と、住み処と、服や靴がもらえそうだったのよ!」
照慈はあらためて少女たちを見た。
少年とはいえ、同じ遺伝情報を持つ華奢な彼と比べるとはるかにやせ細った、栄養不十分な手足。肌や髪は十分なツヤがなく、なかには裸足の子もいた。
そんな彼女らの力ない目には、季節感に合った衣服に身を包んだ、血色の良い錫日に対する羨望、嫉妬、あるいは憎悪がめいめいに込められていた。
そこまで、己は上等なものではないというのに。
いや、それどころか、曹鳳象が看破したように、自身というものさえも、定かではないというのに。
「……あなたには、わからないのよ。どこぞに拾われて、いい暮らしして、あの女の記憶を持たない、使命もない。そんなあなたには」
年長の少女の怨嗟に満ちたつぶやきが、そんな照慈の核のようなものをえぐった。
「……行きましょ。明日の宿を、探さなきゃ」
そう言って、みずから先頭を切って年長の少女は照慈の脇をすり抜けていった。
――だからといって、このまま見逃していいはずがない。
自分には、彼女らを救うすべと環境とがあるのだから。いくらそれが、彼女たちにとってお気に食わないとしても。
そう話を切り出そうと、振り返った、その先だった。
少女は、出入り口の前に棒立ちになっていた。
いや、小刻みに揺れていた。やがてその震えが大きくなるにつれ肉体自体が傾きはじめ、やがて、ありえない身体の折れ方をして……上下に、切り分けられた。
黄金の粒子をなびかせた、白刃によって。
「私には知られていない、とでも思っていたか?」
崩れ落ちた彼女の先に、瓜二つの貌が、血濡れたその手で銀髪をかきあげ、冷徹に真紅の目をすがめていた。
『母』に惨殺された少女自身は、悲鳴をあげなかった。彼女の代わりに、自分の背後で残っていたクローンたちが『姉』を喪った慟哭を、小さく漏らした。
「鐘山、銀夜」
そして少年は、低くうめいて、自分のミスを呪った。
ただ、曹鳳象の言葉やワナに気を取られ、消えたはずの銀夜自身の動向は念頭に入れてなかった。
……いや、今にして思えば、これこそがあの魔人の策謀だったのだ。この展開を見越して、彼はこのホテルへ、同じ顔を持ちながら相容れない性質の両人を、招き入れたはずだ。
「そして貴様もまた、結局はその汚い蛆虫どもと同類だったというわけだ」
呆れとも失望ともとれる調子で言ったあと、無骨な鞘に銀夜の指先が触れる。
照慈は、彼女に背を向けた。
残るクローンたちをまとめて抱きかかえる。
惨殺された少女の、ふたつに分かれた肉体の表皮が、不気味な黄金の明滅をくり返した。
直後、起爆剤と化した死体から爆炎が膨張し、礼拝堂ごと彼らの影を吹き飛ばした。




