2.
午後九時二十五分、川越市の某病院。
無数の銃痕が、河のように両陣営の間をへだてていた。
その中心では血を流した突入部隊が、震えながらうずくまっている。
――まるで賽の河原だ。
実働部隊第三班、村上清蘭はそう思った。
その境界から一歩でも進み出れば、間違いなく待っているのは地獄だった。
ため息をつく彼女の背後で、車の駆動音が飛んできた。
出迎えにやっていたジープがもどってきたか。安堵の息をこぼして振り返ると、精悍な顔立ちの男が降りてくるのが見えた。
銃弾さえ弾くのではという分厚いモッズコートを羽織り、その下にはジャケットを着込んでいる。
ととのった黒髪。そして感情の色をともなわないまるで人形のようなまなざしと、血の気というものを感じさせない白い肌は、ただ立って歩いているだけで、言いしれない威圧感を感じさせた。
ある政府高官のお墨付きというが、制服組のお偉いさんというよりは、自衛隊員、いや軍人という言葉が似あった。
あとに続く十数名の男女も彼と比べればまだ人間味があるが、まとわりつく空気はやはり自分たちふつうの人間とは隔絶された何かがあった。
「お疲れ様です。第三班の村上です。休日にして及び立てしてしまい、申し訳ありません」
「問題ない。あと三時間もすれば平日だ」
先頭を切る男……第四班の班長で錫日照慈はねぎらいの言葉にみじかく答えた。顔つきのわりに、意外とその声は甲高く、幼かった。
だが、立ち振る舞いからしてみても、非常にサマになった『大人の男』だった。
グラウンドに張り巡らせた仮設テントに、部下をともなって入っていく。
仮設といえども中には最新の電子機器を取り揃え、長期戦の様相を呈している。
とは言え、それを運用する人間がいなければ、もはや無用の長物と化してはいるが。
ここに到着していた当初は十分な人員がいたのだが、ほとんどはあの『賽の河原』の岸で倒れているか、その彼らを救出しようとしてミイラ取りがミイラになったか……あるいは、『彼女』の手駒と成り果てたか。
病院の出入り口をふさぐ敵の前線に見慣れた面々がいるのをモニター越しに見て、清蘭はそっとため息をついた。
「村上さん、洗脳された味方の安否は気になるか。だがまずは、あらためて状況の説明をたのめるか」
すでに資料は事前に行き渡っているし、班単独でのブリーフィングは済んで作戦も決定済みだろう。
それでも、第三班の数少ない生存者の清蘭に意見をもとめたのは、あくまで体裁をととのえるためだろう。
部隊が半壊し、班長も負傷して運ばれていった第三班に、もはや現場の指揮権も主導権もない。
顔を立ててもらって申し訳ないやら情けないやら。
やや顔を伏せながら、彼女は機材を操作した。
映し出されたのは、デフォルトされた銀髪の美少女のエンブレムだった。
「病院にたてこもっているのは、『銀の星夜会』の残党です」
「カルト教団どもめ」
いまいましげに顔をゆがめる錫日に、清蘭はつとめて冷静にうなずいた。
『銀の星夜会』。数年前に大学生あたりの若者を中心として、爆発的な求心力を持っていた宗教団体だ。
いわく、「この世を混沌が支配したとき、銀の聖女が幾戦の英霊とともに異界よりはせ参じ、邪悪なる赤き悪魔とその血族と俗人どもを一掃し、秩序と安寧をもたらすのだ」とか。
「終末思想の典型だな」
と第四班の班長は露骨に嫌悪をみせた。
外見に見合わずあんがい、子どもっぽいところがあるのかもしれない。
意外の念にとらわれながらも、村上清蘭は解説をつづけた。
もっとも、その正義の使徒とやらはあらわれることもなく、世の中は連年の怪物の目撃情報、怪事件の連発、発表こそされていないが異能力者の大量覚醒と、世の中はどんどんキナくさくなっていった。
今まではそういう存在には『吉良会』や時州一族といった外部団体が当たっていたが、両者ともに不鮮明な活動や資金の流れが明らかとなり、『吉良会』にいたっては去年の暮れ、古参の幹部が離反、暴走のあげくに大事件を引き起こしている。
両者にもともと不信感をつのらせていた政府は、彼らに秘密のうえで、独自の技術研究やノウハウを研究のうえ、国内外における特殊技術、能力者の対抗機構を組織していた。
それが本格的に実現化された形が、自分たち、国家特殊事案対策部『ヤクト・ハウンド』だ。
一方で『銀の星夜会』においても、信者たちの間で、次第に教義の解釈や活動方針が割れ、果てには暴力事件にまだ発展し、十名以上の死亡者が出たことで解体した。
「ですが、旧体制派ともよべるメンバーは地下にもぐり、あちこちでテロ活動をおこなっています。今回の犯行グループも、細かく分かれたうちのひとつです」
手にした端末を操作し、少女の画像をクローズアップする。
エンブレムの横顔に目鼻立ちがよく似た、年端のいかない十六、七の少女だった。
真紅の瞳。あでやかでこの世のものとは思えない、銀髪の髪の毛。
一切の傷さえもない完璧な仕上がりの肌は、なるほど人を狂信させるに足る魔力を持っていた。
だが、どう見ても隠し撮りといった感じのそれにうつる少女は、美貌に似合わぬ質素な服、ありていに言えば手術着のようなものを素肌の上から羽織っていた。
「彼女がその主犯格です。通称『シルバー・ウィスパー』。人を感応させる発声装置を咽喉に埋め込まれた特殊能力者……というよりも、人造人間です」
「『再臨計画』か」
錫日がますます顔をけわしくさせたのも、無理もない話だろう、と清蘭はおもった。
『再臨計画』こそ、彼らがカルト宗教たりえる最たる愚行と言えるだろう。
いるかどうかさえ分からない、彼らの伝承における『銀髪の聖女』。
整形外科手術からはじまり、脳手術による記憶操作、クローニング、死体からの蘇生、遺伝子の組み換え、異種間での合成……等々、とうてい秩序を旨とする者たちの所業とは思えない、非人道的なアプローチの数々で、『彼女』を再現しようという計画だった。
一説では、オカルトにも科学にも精通したさる権力者一門の天才が、興味本位で異世界から彼女の遺伝子情報や記憶をサルベージしたとか、技術提供があったから可能となったとか、そもそもそれを活用するための組織として『銀の星夜会』を自分の名を隠して組織したと言われている。本人いわく、
「根も葉もないウワサだな。仮にわたしがそれをしたとして、誰かに迷惑をかけたか? 人々はこの末法の世に信仰の対象を見つけそこに幸福を見出し、やがてその技術は倫理問題を解消したのち世間に普及し、人々の生活を潤すだろう。計画から新たな命が誕生すれば、それは喜ばしいことではないのかね」
とも言い、それがテロや信者の親族の話に変われば、
「……なに? テロ問題? 家族が帰ってこない? おいおい、なんでそこまで責任を追及されなければならない? 君が言うにはわたしは幼稚園をつくり、オモチャを与えて使い方をレクチャーしてやっただけだろ? そのガキどもがオモチャをどう使おうと、園長先生の知ったことではないよ。それをどうにかできないってのは、解決しなければいけないと考えるような連中の責任だろう。まったく怠慢なヤツらだ」
と、なんのうしろめたさも感じさせない口ぶりで、平然と吐き捨てた。
「だから良いことずくめと言っただろう。すくなくともわたしの『目』からしてみれば、誰ひとりとして不幸になってはいないさ。死んだ聖女様とやらにしても、秩序の神として現世に降臨させてやったんだ。感謝されるおぼえはあっても、文句を言われる筋合いはない」
結局、真否さだかでないままに組織は半壊し、大半の技術はそのプラントごと消滅した。
だがその残滓たちは、今もこうして社会の闇のなか、その銀の輝きを受け継いで、うごめいている。
「彼女を指導者とするグループは病院のスタッフや入院患者を洗脳して、本日夕方から立てこもりました。要求は、先月逮捕された同志の釈放と、現金三億円、某国へ渡航するまでの手続きと身の安全の保障です」
「ずいぶんと俗欲のつよい聖女様だな」
「……まぁ、要求しているのはその配下でしょうけど。とにかく、われわれ第三班は幾度かの突入を試みたものの、そのたびに前衛が彼女の歌声によって変心、あるいは乱心し、後方の味方に銃を撃ちました。しびれを切らした我らの班長は最終的に自ら打って出ましたが、結果前を進んでいた味方に腿を撃たれて救護班に運ばれて行きました」
病院を前にして死傷者を出したあげく、別の治療所に搬送されるとは間の抜けた話だ、と清蘭は我がことのように赤面した。
「……学習しない特攻とか玉砕覚悟での陣頭指揮で功を得られるなら、最初から用兵など要らん」
「申し訳ありません」
「君を責めるつもりはない。むしろ、上司の方針に逆らってでもよくこの場に残って、残存戦力をまとめてくれた」
まるで子どもに対するかのようなほめ方だが、彼の沈着な態度はイヤミには聞こえなかった。
むしろ、形式上はこちらの意見を聞くふうに見えて実質完全に無視して突貫していった自分たちの班長のほうが、より悪質だった。
「では始めるか」
と、第四班をひきいる長は、自分が連れてきた個性的な面々をかえりみた。
そのうちのひとりが、手を挙げた。
「センセーイ、童嶋くんと斉藤くんがいませーん」