5.
異世界。パラレルワールドと呼ばれる領域。もしくはアースと総称されるもの。
こういった類が二か月前、『デミウルゴスの鏡』事件の直後に存在を宣言された。
また、その世界から多くの技術、能力、あるいは魂や転生者といったものが流入していることも明かされ、『デミウルゴスの鏡』などの高次元的な存在は、それらの世界の構成物であったと発表された。
……また、それらの一部がある人間によって略取されている疑いがあるということも。
「……どうやらその不届き者が、我らが世界をつかさどっていた存在の一部を入手し、私という過去の人物の記録を抽出した。そしてあの衆愚どもに流したらしい」
依然刃を抜いて獣と迫合いながらも、『エレクトラム』と仮称した銀髪の少女の真紅の両目からは激情の波は引いていく。
先に言ったとおり、『銀の星夜会』はどこかしらから彼女の遺伝子情報をすでに入手しており、肉体の再現自体はできていた。だが、精神の復元までは、ここまで不可能だった。
だが、彼らがその人格、精神、記憶のコピーデータまで入手し、そのクローンに移植したのだろう。
100%再現した肉体の中に、100%の精神。
はたしてそれは本物なのか。偽物なのか。
照慈は首を振った。
今は哲学的な問答をしている場合ではない。
彼女からひとまずは完全に殺意がおさまったのを見はからい、彼もまた獣の腕を引かせた。霧自体も彼の意思によって退かせた。
「……どうやら、他の粗悪品どもとは、ちがうようだな」
鍔を鳴らして納刀した『エレクトラム』に、照慈はうなずいた。
「俺はあんたと違い、『女神』としての記憶も、人格もいっさい持ち合わせずに生まれた。だから、どうにもなじめず教団を抜け出した。……あんたはどうだ、完全な人格、記憶を持っているとして、生前の自分をどこまで記憶している?」
『エレクトラム』は苦い顔をした。苦い記憶を、重たげに唇を動かして、必要最低限のことだけにしぼって語った。
「私は元いた世界で戦に負け、その責任をとるべく自らの首を突いて死んだ。前世までの意識があるのはそこまでだ」
「……楽しそうな記憶だな。それで、せっかく憂世から解放され死の安眠につけたところをたたき起こされ、不機嫌きわまって彼らを殺した。そういうことか」
「舐めるな。いくら弓矢飛び交う時代から来たとしても、そこまで野蛮ではない」
せせら笑う照慈の挑発に乗った彼女は、憤慨し、そして乗せられた自分に気がついたようだ。
語気の荒さをあらためて言った。
「ただ、奴らの所業は許せん。私の意志や事業、その罪を都合のいいように曲解し、自分たちのみの救済と栄達をもとめて陶酔する。そんなもの、秩序とは程遠い」
錫日照慈は思考する。
ーーもっと、あいつら寄りの考え方だと思ってた。
だが、実際は激情こそあれ、それなりの理知と自身なりの信念を持つ人間だった。
そう口にすれば偏見だと非難されそうだ。彼女自身の記憶の断片でも持っていれば違ったのかもしれないが。それがない照慈には、あれこれ詮索し、彼女の一部を持つ同胞たちから情報をあつめ、自分で『聖女』の像を組み立てなければならなかった。
胸に去来する正体不明の思いが口からついて出る形であらわれた。
立ち去ろうとする『エレクトラム』と名乗ったモノに呼びかけた。
「手を、組まないか」
少女は無言で足を止めた。振り返らず、だが彼の話を聞く姿勢は見せてくれた。
「今、はばかりなくあんたの名を騙る女を知ってる。ヤツがどこに匿われているのかもな。手を貸してくれたら、それを教えよう」
少女はまだ、彼へと背を向けたままだった。思案するふうに、手にした鞘を指先でたたいている。
「……一度は鉾を引いたが、貴様を信用したわけではない、が」
そう冷たく突き放した彼女だったが、指先はまだ動いている。少女の熟慮はつづいている。
やがてその手つきが止まり、一度も振り向くこともなく、『エレクトラム』は歩き始めた。
「三日後の夜、ここで待つ。その居場所とやらを教える気があるならば、ふたたび来い」
だが、と言葉を切ってようやく銀髪の聖女は彼を正視した。
「忘れるなよ。今の話の真偽に関わらず、いずれ貴様は私が斬る」
照慈は一歩引いて、口をかたく引きむすんだ。




