4.
日付は変わったが、まだ太陽は顔さえ見せなかった。
港区の湾岸部にあるコンテナ倉庫。その深い霧のなかに、貨物の上に銀髪の少女は立っていた。
「……」
彼女の視線の先には一隻の貨物船があるはずで、兵器として彼女のクローンが輸出されようとしているはずだった。だが、潮気をふくんだこの霧のせいで、見通しはきかない。
ーーいや、むしろ好都合といったところか。
視界に不自由しているのは、彼女らを輸出しようとしている犯罪者集団も同じはずだった。
それにその敵には『商品』や船自体を守る必要があるが、彼女には何かを守る必要も、救うべき対象も存在しなかった。
その場にあるすべてを、この『大渡瀬』でもって撫で斬りにすれば良いのだから。
霧が濃くなってきた。その頃合いを見はからい、彼女は足場にしていたコンテナから飛び降り、港を駆けた。
だがどこまで行こうとも、敵の護衛の影は確認できず、それどころか目立つはずの銀髪の乙女や貨物船自体もない。
ただ、100mほど先にぽつねんと、ちいさな影が立っていて、
「ここにいたグループは『ヤクト・ハウンド』という組織がすでに確保した。お前が殺す相手はもういない」
多少の高低差はあれど、凛とした物言いはまるで自分のものに似ている。その声を、質の悪い録音機におさめて再生したかのようだった。
霧がわずかに晴れる。
いや、その濃淡が意思を持っているかのように変化し、推移し、中央だけが晴れた。
霧の晴れた部分の中心に、ベストを着込んだ銀髪の少年が立っていた。
自分とはちがうのは、性別。そして瞳の色。
だが、彼女が他のコピーに感じたのと同様、強烈なまでの『血』のつながりが、しびれるほどに肌に伝わってきた。
そしてそれは彼も同様なのだろう。
左目をわずかに眇めて唇を強張らせた。
「……いや、まだ討つべき相手はいる。それは、目の前にいる貴様だッ」
即座に前のめりになった彼女は、鞘に手をかけ刃を走らせようとする。
だが、左右を囲む濃霧から、長細い筒状のものが複数飛び出し伸縮し、彼女の腕を絡めとり、鞘ごと『大渡瀬』を取り上げた。
ーー蛇!?
いや、それだけではあるまい。
白銀の霧の中にはうごめく影がある。爪で地面を掻く音、唸り声や息遣いが生々しく重なり合っていた。
「範囲にして最大50m。彼らはこの霧の中でしか生きられない。そして俺の一部だ」
みずからの能力を披瀝しながら、彼は取り上げた刀剣を抜こうとする。だが、彼女にのみ抜くことが許可された宝刀だ。力任せに抜こうとしても、いかなる腕力でも抜刀できない。そういう設定らしい。
彼はおのれの行動の無意味を知ったか。それを自らと彼女の中間の距離へと放り投げた。
「……俺を作った奴らは、『聖女』の住んでいた『天界』とやらへの扉をこじ開けようとしていたらしい。だが、出来上がったのは霧の檻の仮想空間を生み出す技術と、意のままに動く人工獣だ。お前には、何がある」
「黙れ。私は人間だ。貴様のような複製の魍魎と一緒にするな」
噛みつくように言った彼女に、さびしげに少年は笑った。
「……だろうな」
と曖昧にうなずき、それから表情を真顔に改めて続ける。
「お前の肉体はただのクローンだ。教団の技術ならなんの問題もなく作れる程度のな。『大渡瀬』の認証システムだって、それ自体に取り付けられたものだろう」
彼女が人間であることを認めた。そのうえで、彼は自分の見解を流れるような口調で説明し続ける。
「だが、教団の資料を調べると、どうにも腑に落ちないことばかりだった。奴らはそのレベル程度のものを、わざわざ今の段階で、最重要レベルの機密として作っていた。正規の計画を全て棄却し、すべての技術者、科学者をそこに回してな。……つまり奴らはお前が施設を破壊するまでもなく、お前をラストにするつもりだった」
「……」
霧による湿気によるものか、それ以外の要因か。霧と、そして自分と同じ髪色を持つ少年の額は、うっすら汗がにじんでいた。そしてそれは、自分も同様なのだろう。
蛇の拘束が緩む。
すかさず少女は抜け出し、走り出した。
捨てられた愛刀を拾い上げると、迷わず彼めがけて抜きはなった。
だが彼の眼前に猛獣の剛腕が現れて、その分厚い毛皮と筋骨とが、刃を食い止め摩擦を許さなかった。
起爆させようと鞘に手を当てるも、その腕を少年の手が握りしめ、押さえつけた。
「そうか。あの狂人ども、とうとう自分らの妄想を実現させたわけか。外面だけじゃない。完全な記憶と人格まで持った『聖女』を再臨させたか……!」
奇襲も防がれ、みずからの正体も言い当てられ、少女の顔が激情にゆがむ。
「答えろ、お前は……いやあんたは」
「『エレクトラム』だ」
「……なに?」
「名は他の不届き者に使われている。奴を殺し、真にして唯一の純銀となるまで、私はこう名乗ろう。『エレクトラム』と!」
抜きかけた刀身から生じた粒子が、少量の火気を帯びて金粉のように舞い散る。
胡蝶の鱗粉を思わせるそれを挟んで、銀髪の乙女は奥歯をきしませながら宣言した。




