2.
『シルバー・ウィスパー』の病院立てこもり事件。それに続いての高次元エネルギー体『デミウルゴスの鏡』をめぐる争奪戦が終わった。
とくに後者は世界を揺るがしかねないとされるほどの大事件だったが、比較的に平和に、一通りの決着がついた。
ーーもっとも……
治安維持部隊『ヤクト・ハウンド』第四班長の錫日照慈に言わせれば、世界の危機などというものはちょっと左右を見ればどこにでも転がっているものだ。
世の平穏を守ることと掃除は、似ていると彼は思考した。
どちらも完全に掃き清めることはできない。
人が生活を営む限り、手垢はつき、埃は生じる。
定期的にそれを掃き清め、清潔さを維持することがその本分なのだ。
「言うなれば秩序や法は清掃マニュアルで、それを実行する権威や正義感や倫理観は雑巾か」
その論を聞いた時の、第五班長司馬大悟の言葉だ。
そして彼は顔の半分をいびつにねじ曲げて笑うのだ。
これは、彼が皮肉やイヤミを言う前の、予備動作のような表情だった。
「たしかに世の中になくてはならんものだ。所詮道具だがな。まぁ中には奇特な人種がいるものでな。腐臭の染みついたそれをあたかも大切なもののように、年がら年中振りかざすヤツらがいる。辺り構わず、周囲のイヤな顔なんぞ見もせずな。で、そんな連中ほど声高に細菌撲滅だとか完全にして永久な清潔だとか強制してくるのさ」
……これが曲がりなりにも治安を守る側の人間の、それも立場ある相手の言葉なのだから、どうしようもない。そして、こんな言葉に一定の理解と共感を持ってしまうあたり、いよいよ自分も毒されていると思った。
とは言え、今は思い出話にひたっている場合ではない。
広大にして冷酷な現実が、目の前に廃墟のかたちで広がっているのだから。
――これの『掃除』は、とてつもなく大変だろうな……
まるで一帯だけをスプーンでくりぬいたかのような、自然研究所の痕。
カルト教団『銀の星夜会』の、最後の要衝と目されていたその場所は、一夜にしてこの世から消滅していた。
辺りではまだボヤや黒煙がくすぶっていた。歩けば、まだ片付けきれないガレキや鉄片……あるいは炭と化した人骨や矯正器具などがつま先にぶつかってくる。
それらを極力直視しないよう、斟酌しないよう彼は蒼天をあおいだ。
たしかにここは、いずれは制圧すべき場所だった。
だがそれは自分たちの手でやらなければならない仕事であり、彼らの行動が不穏な残存勢力を炙り出してくれた後の話だ。
その戦略は昨晩未明に瓦解し、一体組織のどのレベルの人間が死に、どれほどの超人や兵器がここを逃れて誰の手に渡ったか、それさえもつかめなくなっていた。
「ちっ」
ちいさく舌打ちすると、背後で足音が聞こえた。
眼鏡をかけた妙齢の美人、村上清蘭が戸惑いがちに立っていた。
第三班とは、今回も共同で捜査にあたることになっていた。
前回の事件のあと、冷静な判断力によって第三班長代行に他薦でえらばれた彼女だが、いずれは正式な班長になるとの噂だった。
元自衛官の正式な班長は、現在も療養中だ。
あの無謀な突入作戦は、総括の早瀬須雲までが減俸処分を受けている。彼自身は、まず免職はまぬがれないし、そうでなくともまっとうな常識であれば、周囲からの信頼をうしなった現職にしがみつこうという神経はない。
「申し訳ない。いることに気付かなかった」
「いえ……ご心情はお察しします。映像の解析、終わりました。車内にお戻りください」
そう答えてくれた彼女だが、薄型レンズ越しの瞳の奥には、当惑以上に意外そうな色が宿っている。
たしかに、『合理主義の第四班長』としては、ふるまいが子どもじみていた。
……たとえ清蘭が見ている『三十路程度の官僚』風な肉体が着ぐるみで、中にはずっと年下の、『狐少年』と揶揄される銀髪の中坊が入っていたとしても、彼女にとってはあずかり知らないことなのだから。




