海賊と世界の不思議な人々
ディベルの母は普通の夢魔だった。男から精を集めて魔力に変えて、雄の夢魔へ魔力を分ける。妙齢にもなれば優れた精から子を成して産む。そうして彼はごく普通に生まれた。
闇の民はその数も出生率もそう高くはないため、種ごとの集落全体で子供を育てる風習がある。夢魔は特にその流れを濃く受け継いでおり、ディベルも母以外の乳を飲み、肉親以外の大人たちに育てられた。
何故他者との性行で精を食らう行為に嫌悪したのか分からない。ただ漠然とそれは嫌だ、と人間の子供で言えば第一次性徴が始まる頃には思っていた。
異端児だと集落の大人たちは眉を顰めた。年も重ねれば夢魔として性行をするようになるものだが、ディベルはずっと他の大人たちから魔力を分け与えられて成長した。
異端児は集落の負担になるため、早々に殺されたり追放されたりするものだが、容姿端麗で魔力も高いディベルは夢魔の中で言えばエリートに当たり、その逸材を手放すのを惜しんだ集落の大人たちの判断に救われたのだ。
しかし、すっかり成人と言う頃になっても、ディベルは性行を拒んだ。同時期、創生竜と共に闇竜が世界から旅立ったことで、闇の民の大陸では天変地異の七日七晩で大きな打撃を受けた。その潜在能力を惜しんだところで集落の負担が大きくなり、大人たちも諦めざるを得なくなった。
闇竜が去った後、闇竜の眷属として仕えていた実力者たちが闇の民を統治した。七人の権力者たちは自らの後継者を民の中から探す意味合いも含め、闇の民のランク付けを行った。その種としての能力、潜在的な魔力の高さ、素行など、総合的に闇の民の未来を担える人材を探すための評議会。それを定期的に行う事を決めたのだ。
全ての民がその能力値の審査を受ける。そうして優れたものには姓を名乗ることが許された。そしてその場では異端とされる者の処遇も決められた。
例に漏れず、ディベルは異端児としてその処遇を問われた。夢魔として生まれ、しかし性行を拒む異端児。
その彼を救ったのは、七権人のうちの一人、レシェムーラツィオン=ザン=ダークネスだった。頭部に大きな四本の角を持ち、その全てが真っ白に脱色するほどの長寿種。礼節のレシェムと呼ばれる、恐ろしい外見に似合わない礼儀正しい紳士で、闇の民の穏健派の重要人物だった。
「なかなかに面白い子だ。儂が引き取り、面倒を見よう」
そう言ったレシェムの言葉を、審査の場にいた全員が耳を疑った。しかしその抗議の声に、レシェムは静かに、しかし圧倒的威圧感を持って答えた。
「夢魔でこのような異端児が出るのは珍しい。ある意味世界的な改新に繋がるやもしれん。闇竜様も世界を変えることを望まれた。その先駆けになる子かもしれませんぞ。追放して獣に食われるも餓死するもたやすいが、次にコレを見つけるのは骨が折れますな」
そう言ったレシェムの言葉に、誰も意見しなかった。
「では、その子は儂が貰い受ける。来なさい、夢魔の子」
こうしてディベルは命を拾われ、レシェムの元で暮らす事になった。
原初の戦の頃から生きる闇の民の原種レシェムは、多少のことで根を上げるような柔な精神は持ち合わせておらず、根気よくディベルを育てた。人間の年齢で言えば十五ほどのディベルに精や魔力を分け与え、更に彼が性行をせずとも相手から精魂を抜き出す魔法の開発に尽力した。
自らの体で魔法の実験台になり、苦節の末に二人は新しい魔法を生み出した。それはもちろんレシェムの手助けがあってこそだったが、ディベルの天才的な魔導力や頭脳があってこその結果だった。新たに魔法を組み上げ、安定した使用を行うのは一級の魔導師でも難しいとされる偉業だった。
「ありがとうレシェム」
「なぁに、愛するディベルのためだ。楽しい日々であったぞ」
親子のように、師弟のように二人は何の不自由なく暮らしていた。
しかし、世の中の情勢がそれを許さなかった。
七日七晩の天変地異の後、闇の大陸では復興が中々進まず、食糧難や難民問題が七賢人たちの手から余りつつあった。また表の大陸では海を渡る者が出始めたとも聞いた。双方の大陸、双方の民は転機に面していた。
七権人たちの半数以上が和平の道を選んだ。故に、表の大陸へ先駆者を送り出すことを決めた。コチラからも船を出して航路を確立する間、人数も圧倒的に多い光の民と共に闇の大陸を目指す先駆者を送り出す。そうすることで少しでも両者の対立を無くし、平和的な邂逅を望んだ。
しかし、その先駆者として集められたのは、各集落から異端児としてあぶれつつあった者たちだった。いわば体の良い追放であり、けれどそれは逆転劇を生み出す種でもあった。そして、ディベルもそのうちの一人に選ばれた。レシェムの加護を受けていようと、彼は紛れも泣く異端児なのだと七賢人たちは申し立てたのだ。
特別な魔法を使えるとは言え、有象無象の人の中に我が子のように育てた夢魔を送り出すのは忍びない。レシェムの逡巡をよそに、ディベルはその選出を承諾した。
「大丈夫、僕は貴方に教えを頂いた、栄えあるザン=ダークを名乗る闇の民です。あちらから、いの一番に凱旋して見せます」
「あちらの大陸で、船に乗るための職に就くためには、まず中央皇国と呼ばれる国へ行き、それから数年かけて勉学に励まねばなるまい。その間の食事は自分で調達せねばならぬぞ。それでも行くかい?」
「ええ、辛い日々が続くのは覚悟の上です。行きます。そして凱旋の暁には、貴方と同じザン=ダークネスの姓を名乗りたい」
「検討しよう。気を付けていくんだよ。儂もこちらから出来ることがないか最大限に努めよう」
成人していたディベルは、その夢魔にあらぬ素行を問われ、能力としては満点だった姓別審議会で点数を引かれ、ザン=ダークを名乗ることになっていた。それは少なからず屈辱ではあった。自分の素行の悪さから、姓別審議会へ押してくれたレシェムに残念な結果を伝えなければいけなかった。その無念さは彼の中に決意として力になっていた。
そうして彼は、選出された異端児たちと共に、七賢人たちによって表の大陸に送り出された。どこに出現するかは完全に不確定。ディベルは運良く皇国付近の森へ出現したが、中には未開の地へ降り立った者もいたかもしれない。自分の幸運に感謝しながら、彼は皇国へ向かった。
そこからは想像以上に苦労の連続だった。
活気あふれる人々は強く濃い精魂を抱えており、しばらくの間ディベルは自我を保つのにも精一杯。それに慣れた頃、皇国の海洋開拓部の修練学校に入って航海士の道を選んだ。その勉学中も、闇の民の彼は注目され続けていた。孤立することには慣れていた。陰湿な嫌がらせも受けたが、彼はただ前を向いていた。
自分を送り出してくれたレシェムの元に帰る。ただそれだけを目標に見据え、彼は航海士としての勉学に励んだ。
能力は元々高かったディベルは、勉学の要領を掴んでからは首席で修練学校を卒業した。しかし闇の民という理由で、何処の船の船長も彼を雇うことに二の足を踏んだ。夢魔種ともなれば尚更だ。中央皇国海洋開拓部からのスカウトもいくらかあったが、それはどれも芳しくない面持ちのそれで、ディベルはそれを突っぱねた。
そんな時に、ヴォルドが彼に声をかけた。そして今、彼は洋上にいた。
巨大なアンカー(錨)を沈め、船を洋上へ固定する。波があるせいで多少は動くものの、船はフォーサイト島の沖合に停泊していた。
本当に二週間で船が直ることはなく、結局追加に一週間、食料の調達や積み込みに一週間を要して、おおよそ一ヶ月ぶりにヴァルメーガ海賊団は出港。その七日後に、船はフォーサイト島の沖合に停泊していた。
キオノス副船長率いる補給部隊が小型の船でフォーサイト島に上陸している間、ガードルード号では、大事な調査を行っていた。
水の民の水夫たちが一斉に甲板に並ぶ。その中心にいるのは、やはり船長のヴォルドだった。
「異変があればすぐに海面に上がるか、信号弾を撃て。あとは説明したとおりだ。潜水開始!」
水夫たちは腰に大振りな砲身の銃を下げ、威勢の良い返事で返した。一斉に甲板端へ着き、ロープに繋がっている小型のアンカーを手に、その身を海へと投じた。すぐに彼らの姿は海中に消え、飛び込んだ衝撃の泡が消える頃には、海は何事もなかったようにしんと静まり返った。
「……本当に水中で呼吸が出来るんたな」
「水の民の潜るところは初めて見ました?」
「そうだな。学校じゃあ座学が中心だったから、知識として知っていただけだ」
凄いよねぇと牧師ウィルが船縁から海面に顔を向けて呟く。ああして海中に潜って、彼らは潮の流れを読むという。一定時間が経過するか、下からの合図があれば、甲板でグループを組んでいる水夫たちがロープを引き上げて、アンカーごと潜水夫を引き上げるのだ。
天変地異の七日の後、天球になった世界には今までと違う潮の流れが出来上がっていた。それを調査できる人材は少ない。水の民も海水に馴染めない者も多いと聞く。内陸で生活をしていた民たちは、外洋の環境にようやく触れ始めたところなのだ。
「オルヴィートさんが船長に執着する訳も頷けるでしょ?今のところ彼だけだよ、正確に海流を読むことが出来るのは」
海流が分かれば、それに乗ることで容易に遠くまで行くことが出来る。その潮が何処までどの様に流れているのか。それを測定し、航路を確立するのが海洋開拓には必要不可欠だ。
思えば不思議な船に乗り合わせたものだな、と僕は今までの経緯をぼんやり思い返した。
ヴォルド船長にスカウトされて、めいっぱい魔法を酷使させられて、めいっぱいこの船が歩んできた歴史を読みふけった。航路図や海図を残してくれた前任の航海士の技量と、まめな性格ぶりに感嘆と感謝をしながら、一ヶ月の間に広がった見聞に僕の脳は嬉しい悲鳴を上げた。
そうそう。新しい水夫を迎えたヴァルメーガ海賊団の新人歓迎がこれまた酷かった。
「さあさあ、お前等のために調理隊が作った料理だ!好きなだけ食え!」
そう言った船長の言葉を合図に、テーブルに並べられた料理の数々が驚愕の見た目をしていた。
鮮やかなエメラルドグリーンの鳥の丸焼き。黄金色に輝くサラダ、深海のように青黒いスープ。目もくらむようなど派手なピンク色のローストビーフ。極めつけに蒼碧色の二段重ねホールケーキ。
他の新入り水夫が食欲を削がれたと顔を歪める中、こういう色合いの食べ物はコチラの民は口にしないのかと思い至り、食文化の違いも痛感した。
闇の民からすれば、あまり日の射さない裏の大陸で、魔力を糧に育つ食物は大体極彩色をしているから、どう調理しても闇の民の食物は鮮やかな色合いをしている。
だから色合いがどうなどと考える事もなかった。ただ並んだ料理はどれもこれも良い匂いに包まれていて、非常に美味しそうだと思ったんだ。普段固形物をほぼ口にしない僕ですらそう思って、自然と手が進んだ。新入り水夫たちが逃げ腰の中、僕一人がたらふく食べてしまった。だってとても美味しかったんだ。
カリカリに焼けた鳥皮の香ばしさに、爽やかな柑橘系のソースが良くあっていくらでも食べられそうだったし、ローストビーフの柔らかな食感には舌を巻いた。新鮮な野菜のサラダはそのドレッシングがまた美味しくて、肉料理の箸休めに丁度良かったし、スープはベースがしっかりしていて深い味わいがあった。デザートのケーキは程良い甘さとフルーツの酸味がたまらなく美味しかった。
と、普段食べ慣れない食物を口にして大喜びだった反面、翌日に酷い胃もたれと嘔吐を繰り返したのだけど、その料理を作ったという料理人がいたく僕を気に入ってくれた。
両腕に呪いを持つ火の民の青年バーレノ=ブルーノ。大柄な体躯に似合わず小心者の彼は、翌日体調を崩した僕を気遣って船医ミリアドのところへ運んでくれた。
酷く渋い顔をして、自業自得だとミリアドが看病してくれたのを思い返す。
「オメェさんよォ?夢魔ってのはモノを食わずにセックスして欲を食うイキモンだろうが。人間様の飯を食えると思ったら大間違いだぞ!」
口が悪いのは彼の性分で、そう言いつつも闇の民には何の薬草が効くのかと熱心に胃腸薬を調合してくれた。苦い薬を飲みながら、何度も嘔吐した僕をバレーノもミリアドも心配してくれた。
これからは自分の体に合った食事をするよと言えば、今度はバレーノが何か使命感に燃えた顔をして口を開いた。
「で、であれば、ぼくがディベルさんも食べられる食事を作ります!」
「馬鹿言うなバレ!」
「ミリさん!彼は僕の作ったあんな色の料理を美味しいって食べてくれたんですよ!ぼくは、ディベルさんにもっと美味しい料理を振舞いたいんです」
「コイツの体は固形物を消化吸収出来る作りをしちゃいねぇんだ!無理させんじゃねぇ!」
「だけど……きっと平気なものも作れるはずです」
言って彼は急ごしらえの医務室から飛び出して行った。
「ってくバレ坊のアホタレが。アンタも、今後アイツにそそのかせれて暴飲暴食すんじゃねぇぞ?次こんな事になったら、裸に剥いて水夫の中に放り込んで無理にでもキチンとした飯を食わせるからな」
「……それだけは絶対に止めてくれ本当に」
「あ、あの!」
あの胃の重さとミリアドの怖い視線を思い返してイヤな感じになっていた僕に、後ろから声がかけられる。振り返れば、噂の料理人が大きな体を申し訳なさそうに縮こまらせていた。
「ディベルさん、よ、良かったら、これの味見をしてもらえないかと……」
モゴモゴと気まずそうに顔を赤らめているバレーノは大きな体躯を縮こまらせて、小さなコップをその大きな手で抱えていた。
「この前の、反省を生かして……えと、消化に良いフルーツで作った、スムージーです」
気に入られたねぇ、と笑って場を外したウィルに茶化すなと睨みを一つ利かせ、小さくなっている料理人に向き直る。
呪い持ちの料理人バレーノ。彼の両手にはカメレオンの呪いがかかっていて、加工した食材の色を変えてしまう。単純にリンゴをカットしただけでも、断面は真っ青な海のように色を変え、コンポートとして煮詰めれば驚くほど鮮やかな黄緑色に変色した。
元々冒険者付きの料理人だった彼は、仲間に見捨てられて呪いを一身に受ける事になった過去の持ち主だ。腕はすこぶる良いのだが、兎に角出来上がってくる料理が、見る者の食欲を根こそぎ奪うキテレツな色をしている。そうともなれば何処の冒険者も経営者も彼を拒んだ。
異端児ほど面白い。そう言ったヴォルドにスカウトされたのは、ある意味自然な流れだった。厨房では基本的に下っ端の者がやる洗い場を担当しているが、元冒険者という『少ない食材で調理する事』に長けた能力を買われ、献立の立案などには欠かせぬ存在だった。
そして彼が最も腕を振るうのは新入りが来た時の歓迎会で出される料理だ。半ばヤケクソでフルコースを作り上げるも、毎度のこと罰ゲームの題材だ。
ところが、今回は僕がいた。気に入られた、とウィルは茶化したが、惚れられたと言った方が正しい傾倒ぶりだ。夢魔の能力としては誇るべき事だが、男女問わず惚れたはれたとその手の話は厄介事しか生まなくて嫌なんだ。
結局彼は言葉通り度々試作した料理を持ってくる。律儀にそれに付き合ってしまうのは、やっぱり彼の作るものが美味しいからだろう。少量の食物なら、消化吸収できるようになって来ていた。
「すむーじー……ね」
差し出されたコップには、濃い紅色の液体がとろりとその表面を揺らせている。
「バナナとかリンゴとか、あと少し野菜の類と、消化に良いようにペースト上にして、飲みやすいようにミルクで調整したもの、なんです」
しどろもどろと言った口調で丁寧に説明してくれるバレーノを前に、もっとシャキッとしろと言ってやりたくもなるが、出てきそうになる言葉をすむーじーと共に口に含んで飲み込んだ。ミルクのまろやかな口当たりに、フルーツの甘さや香りが程良く鼻に余韻を残す。見た目は完全にミンチの何かだが、当然のようにそれは美味しかった。
「うん、相変わらずの色だけど、これならいけそうだ。美味いよ。このコップに蓋をして中身が見えないようにすれば、体調不良の奴にも飲ませられるんじゃないか?ごちそうさま」
言って空になったコップを渡せば、今生の感動を一身に受けたようにバレーノは笑った。
「良かった……胃腸が弱いのは長年使わなかったからです。少しずつ胃腸を鍛えていけば、普通の食事もきっと……」
「ああ、うん。ありがとう」
この話になるととかく彼は長い。自分の作る料理を食べて欲しいと言われた時は何事かと思ったが、体質改善まで視野に入れてアプローチされるとは思わなかった。
処遇に困っていたところで、甲板では次々に潜水していた水夫たちが上がって来ていた。皆、口々に今回も分からなかった、と渋い顔をしている。
最後にアンカーごと引き上げられたヴォルドだけが、一人良い顔をしていた。
「水の声を聞けた奴はいるか?」
上がってくるなり、彼は甲板の潜水夫たちにそう問うた。半数以上の物が首を振り、残りの者たちが次々に方角を示すが、ヴォルドが明るい顔を続けるには至らない結果に終わった。
「みんなダメか。仕方ねぇな……此処からは南南西に向かって海流が行ってる。西に行くには向かねぇ潮の流れだ。此処から一両日西に移動して、また潮を読むぞ」
解散!と言ってヴォルドは甲板を横切り、船内に足を向ける。
「お疲れさん」
「おう。後で海図を見ながら次の航路を決めるぞ」
「わかった」
その見事なヒレをヒラヒラと揺らしながら、ヴォルドは小姓の少年を伴って船内に姿を消した。
水の民は普段は乾燥して縮こまっているものの、体の一部や呼吸器官付近にヒレやエラを持っている。大小様々あり、水中活動能力にも個人差があるが、水中で呼吸が出来る。時折水の民でもエラ呼吸が上手くできない者もいるらしいが、ほぼ全ての水の民の持つ特性だ。
前述したように内陸の川や湖では水中活動が出来た、エラ呼吸が出来た者でも、海だとそれが出来ない者も多い。海水に多く含まれる塩分や何かが影響しているんだろうと最近の研究で分かってきているらしい。中にはその逆で、今まで湖で泳げなかった者が、海では泳げたという事例もあがっているらしい。
「その能力がどう開花するかは、神竜のみぞ知る、ってことか」
ならばバレーノのあの能力も、きっと闇の大陸に行けば受け入れられるだろうな、とぼんやり思った。肉食が基本のレシェムなどは彼の腕をいたく気に入りそうだ。
……あぁ、レシェムに会いたいな。早くこの海を渡っていきたい。
そう思って眺めた水平線は青く青く、ずっと遠かった。
キオノス副船長が小型艇と別の船を伴ってガードルード号に戻ったのは海流調査をした三日後。
その間水夫たちは甲板から釣り糸を垂らしたり、一日に決められている量の範囲で酒を飲んだりと、自由気ままに過ごしていた。
僕も何人かの水夫に精魂の吸い取りを依頼されて食事をした。ムラムラしてる暇があったらディベルのところで食ってもらえ、その分の労力を船の維持や管理に当てろ、と言う流れはしっかりヴァルメーガ海賊団の中にできあがっていた。バレーノが時折持ってくる試作品に加えて、食事の方からやってくるのだから、まるで雛鳥にでもなった気分だ。
僕の食糧事情が安定した傍ら、彼ら水夫の食糧事情は芳しくなかった。港で大量に食品を乗せ、氷の魔法を駆使した管理庫で保存するが、この先何が待ち受けていると知れない洋上では、食料が足りると言うことはほぼない。
先の港、そしてフォーサイト島でも食糧の補給のためにに上陸していたのだが、コチラが望んでいた食料の三分の二程度のものしか仕入れられなかったのだ。
「オルヴィートさんの紹介状は見せただろう?何で駄目だったんだ」
その結果を見たヴォルド船長が、当然のように抗議の声をキオノス副船長に投げかける。
「まったくその逆さね。オルヴィートさんの紹介状がなきゃ、これの半分も行かない程度しか手に入らなかったよ」
「……中央皇国か?」
「いいや、違う」
「って事は大黒商事の奴らか」
頷き一つで返事をしたキオノスに、ヴォルドは眉間にしわを寄せて盛大にため息をついた。
「あの野郎どもの首領は移民だって言ったもんな。名前にぴったりの腹黒い奴らめ」
「なあ、大黒商事ってのは何なんだ?」
こそっと横にいた牧師ウィルに尋ねれば、移民の商人が一代で築いた大きな会社組織らしい。
移民はこの世界の外からやってきた者たちの事を指す。僕らを含めてドラゴノアに住む民は全て原初の戦の後に神竜によって争い事の心を抜き取られている。僕らが行うのはあくまで『競争』であり『略奪』や『戦』ではないのだ。そう言うモラルのような物が僕らの中には根付いている。
移民はそもそもそれを持たない。だから平気で人を虐げたり支配しようとする。今回も、新しい地で我が物顔で物流を支配しようとする組織が暗躍しているという事だ。
「フォーサイトの人々は大黒商事を毛嫌いしていたから、あの島での商売も長くは続かないだろうさ。買い手が付かなければ、自然と商売は破綻するものだ」
「懸念するとすれば、こっちの航路を皇国の連中が使い始めるようになった時だな」
こっちの航路、とヴォルドが言ったのは、もちろん僕らが目指す裏の大陸までの航路だ。僕らはひし形をしている表の大陸の南にある港を拠点に、大海の南側を流れる海流に乗っていく航路を模索している。
中央皇国では、大陸の一番西側に大きな港街を造って、そこからまっすぐ西を目指すやり方で航路を見出そうとしている。ちなみに中央皇国の首都は大陸の中央よりやや東側の内陸。わざわざ海洋開拓用に街まで作り上げる用意周到さを見せておきながら、目指す航路は実に幼稚だった。
「皇国のやり方に反発した理由の大きな要因はそれだ。あの大海を突っ切るやり方は良くない。あの辺りは海流があっちこっちに渦を巻いてる。天変地異の七日間の影響があるんだろうよ。何度も潜って潮の流れを読んだが、一向に主だった海流が見つけられなかったのを今でも覚えてらぁ」
海図を指しながらヴォルドが苦々しく口にする。その海図には西側にポツポツと島が記されている。その一番南に、他の島に比べて少しだけ大きくフォーサイト島が載っていた。
「俺たちは変わらずこの南側のルートを攻める。海流は少し南に流れているから、此処から一両日西に行って、そこで海流を読み、その後西寄りの流れが見つかればそいつに乗って先を目指すぞ」
東側から航路を模索する物たちも少なくないが、東側から大きく海流が流れている為難航続きらしい。
「海ってのは大きな流れで出来てるみてぇだからな。大きな物には適度に巻かれておかねぇと、徒労ばっかりが溜まっちまう。そう言うのが一番よくねぇ。結果の見えない航海は、水夫のやる気を一番殺ぐってもんだ」
たまには良いことを言うんだな、と渋い顔のままのヴォルドを横目に眺め、僕は改めて海図に目をやる。
この地図上であちらの大陸はどの辺りに記されるのだろう。途端に早く帰りたいとばかり思う。
しかし、こうして話を聞く限り、このヴァルメーガ海賊団は馬鹿の集団ではないと分かる。柔軟な考えが出来ている。集団をまとめることの重要性や、効率を上げる最も最適なやり方を知っているように思える。
中央皇国の船では、この連帯感は得られなかったろう。この船では、先を見通しているヴォルドを中心に、船員全員が皆同じ方向を向いているのが分かる。
上質な餌場であり、目的を達成するための環境が最も整った船。これは本当に自分の持つ運の力、闇竜様の加護に感謝しなくてはいけない。
この流れを断ち切らないように、僕に出来ることを精一杯遂行しなくては。少しだけ僕は腹の底に力強い物を感じて、それを確かめた。
三話終わり