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世界と組織と海賊の面倒な話


 魔法を酷使しすぎると、体内の魔力変換機能が熱を持って制御が利かなくなる。それを冷却するためにしばらく動けなくなるわけだが、月の民のそれですら半日程度で収まるというのに、奴の冷却には丸一日を要した。それだけ内部に抱え込んでいる魔力の変換機能が化け物じみているということだろう。

 ディベルとキオノスが造船所の休憩室に篭もって今までのガートルード号の航行記録を見返す間、俺たち船員は船の修理に心血を注いだ。

 港に停泊して五日。船の修理が順調に進んだいたところで、造船所に身なりの良い男が現れた。その姿に見覚えがあった。ああ、なんてこった。面倒くさい話が来やがった。

 俺が船から離れなかったため、男から用件と大きな鞄を受け取ったキオノスが、改めてどうする?と休憩所に降りた俺に問う。

「行くしかねぇだろ、オルヴィートさんの呼び出しだ」

「だよねぇ。頑張って」

 受け取った鞄の重さにどっしりと体が重くなる。

「……」

 じっと不思議そうにコチラを見るディベルの視線は無視。面倒な説明はキオノスに任せよう。

「キオ、この間のタコ野郎のいた航路図の写しをくれ」

 あいあい、とお決まりの台詞でキオノスが返事をし、大量の航路図から一枚を抜き出して渡してくれた。

 赤い触手の化け物がいた海域。あの恐怖に胃がムカムカすると同時に、次こそは奴を一夜干しにしてやると意気込みも沸く。

「じゃあ俺はちょいと出てくるわ。後を頼むぞキオ」

「あいあーい。お勤めいってらっしゃい」

 それじゃ囚人じゃねぇかアホ。随分と高そうな鞄に入ったそれを手に、俺は近くの宿に向かった。



「あれ、何だったんだ?」

 コチラの視線での訴えをまるっと無視した船長の替わりに、副船長のキオノスに問う。

「ヴォルドのことかい?」

「そうだ。あんな風に出ていく事なんてあるんだな」

「大事な出資者様からのお呼びだからね。行く以外の選択肢はないよ」

「出資者」

 思いも寄らなかった単語に、思わず鸚鵡返ししてしまった。

「そう」

 垂れ目のキオノス副船長が、にこりと笑った。




 宿で一人分の小さな部屋を借り、鞄の中身をベッドの上に開けて、思っていた通りの内容物に、げんなりと憂鬱な気分が上乗せされる。

 半ば観念するように風呂で汗を流す。カミソリで髭を少し整えて、洗い上がった髪を梳く。タオルで体を拭きながら、再びベッドの上のそれに目をやる。

 ぱりっと糊の利いた白のドレスシャツ。仕立ての良さそうな紺色のウエストコートに、金糸銀糸がふんだんに使われた重そうな紺色のコート。羽根飾りのたっぷりついた騎士が正装時にかぶるような羽付き帽子。

「……ホントにあの人の趣味にはうんざりするわ」

 俺の髪色に合わせたのか、紺色で統一された正装一式。こうしてわざわざ服を用意してまで指定してくるあたり、正装が必要な何かあると言うことだ。ああ、憂鬱だ。

 ふうっと何度目かの溜息を吐いて、少しだけ冷静に考えを巡らせる。

 現状、海賊として何にも頼ることなく海洋開拓をすることは事実上不可能だ。簡単に例えれば、開拓した航路を買い取る相手がいなければ、それを広め、管理する手間がかかる。俺は船一隻を管理するので手いっぱいなのだから、面倒なことを押しつける相手が必要なのだ。

 自由に開拓することを望んだとは言え、最低限回せる物は回せなければ、次の航海に行く金も回ってこない。それが世の中の仕組みという奴だ。

 大事な取引先からの呼び出しともなれば従うしかない。それが旧知の仲の顔見知りで、どんな組織や会社、皇国よりも高額を積んでくれる相手ともなれば尚更だ。

 現状を振り返ったところで陰鬱な気分は晴れることはないが、行かなければ明日もない。用意された服に身を包む。ナルシストではないが、それなりに自分の容姿に自信はある。仕立ての良い服を着れば様になると言うものだ。

「俺、かっこいい!」

 姿見の前で冗談を口にしても答える者がいるはずもなく、やはり溜息を吐いて空の鞄に着ていた服を詰めて宿を出た。

「お待ちしておりました」

 宿の前にはいつ来たのか、質素だが良い作りの馬車が停まっており、その従者が馬車のワゴンの戸を開けた。その中には見覚えのある顔が澄まして座っている。ああ、全部アンタのお膳立てだ。反吐が出る。

 初老の品の良さそうな顔つきの男が、やあ、とにこやかに笑った。

「良く似合っているよヴォルド船長」

「大層な見立てだよ社長」

「今は会長だ」

「けっ」

 鞄を港にも来ていた従者に突きつけて、俺は馬車に乗り込んだ。



「昔、私たちが皇国の開拓部で乗っていた船で、副船長をやっていた人がね、私たちの独立と同時期に会社を設立したんだ」

「で、その人とずっと懇意にしていると」

「そう言うこと」

 休憩にとお茶を煎れてくれて、一息つく。密封瓶の中から結晶化した精魂をいくつか手にとって、一つ口に含む。

「海賊も大変なんだな」

「大変なこともこなさないと、船を維持できないからね」

「自由であるが故に、責任問題も全て自己責任か」

 カリン、と砕けた結晶が、甘く口の中に広がった。



 ゴトゴトと揺れる馬車のワゴンは、道のデコボコに合わせて全身に杭を打たれるような衝撃があって不快だ。同じ揺れるなら、ゆらゆらと全身を包むように揺れる船の、波の揺れの方がずっと心地良い。

 小さな空間で男と二人きり。全く楽しくない状況だ。しかもこの男はとにかく黙っていない。

「今回の航海は悲惨な目にあったな。無事に帰って来てくれてほっとしたよ」

「あんたくらいの人なら、お抱えの船があるでしょう、俺のところよりもずっと良い船の持ち主とかよ」

「良い船の持ち主はいても、良い腕の船乗りは少ないものだ」

 何を言ったところでこの人がコチラをヨイショしてくることは分かっている。だから余計に悪態しか口から出てこない。

 オクトー=オルヴィート。元中央皇国海洋開拓部所属の船乗り。最終役職は副船長。俺が皇国から離反した同時期にやはり国を離反し、出資者を募って会社を立ち上げた男だ。俺たちが発見した島やそこまでの航路を、破格の値段で買い上げてくれるオルヴィート社の社長。もとい、現会長様だ。

 昔から随分良くしてくれて、俺の下積みはこの人に全部世話になったくらいだ。独立後も何かにつけて会社の専属艇として契約したいと大枚をチラつかせてきた。昔なじみの恩があるが、会社の枠の中に収まる気はさらさらない。それでもこの人は何処よりも俺たちの船に出資したがる。

 使えるものは使えと言うキオノスからの言葉もあり、あくまで取引先として交友がある。

「君が独立して初めて見つけた無人島と航路、覚えているかい?フォーサイト島と名付けたあの島だ」

「覚えてますよ、そりゃ。あいつの一番最初の手柄ですからね」

「私の会社から船を出して、あの島に定期便が行くことになった。移住希望者が半年先まで決まっていてね。住居の建築に人手が足りないくらいだ。既に数百人はあの島で生活している。今年はリラの花が満開になった」

 そうか。あの無人島がそんなに開拓されたのか。感慨深さと、ほんの少しの感傷が胸を突いた。

 リベル=フォーサイト。星の民の元学者で、航海士だった男。俺が船と一緒に皇国の開拓部から引き抜いた航海士。独立してからの初航海で、初となる巨大な無人島を発見した男。先見の意味を持つフォーサイトの名を島に付け、島までの航路を確立してオクトーにその権利を売りつけた。その金で船を強化し、今日の俺たち海賊団の基礎を作り上げるきっかけを作ってくれたリベル。

「彼を失ったことは痛手だったな。お悔やみを申し上げる」

 リベルは先の航海で、タコ野郎にぶん殴られて死んだ。即死だった。死体は腐るから持ち帰ることは出来ない。着ていた服と遺髪が遺族の元に届けられる死亡通知だ。

「……アイツの希望通り、遺族は島へ渡ってくれるって?」

「ああ。息子さんが世界に残した大きな遺産の元で暮らすと言って下さった。君からの死亡補償金も受け取ってくれたし、私の会社からも幾ばくか出させてもらったよ」

 港についてディベルと会う前。ギルドに行く前に一番最初にやったのは、船員の死亡届けだ。

 海賊と言えど、船員に完全なならず者は少なく、それなりに家族や親族に事情を通してある者もいる。本人の希望があれば死亡届けと遺産を届ける事もする。それは俺が一つの責任として続けていることだ。とは言え、そう言う嫌な役回りもこの人に世話になっている。先日も遺品を持たせてキオノスと牧師のウィルを使いにやった。

 ゴトゴトと揺れる馬車の中で、空気がしんと響いた。

「新しい航海士に、闇の民を雇用したそうだな」

 どんな空気だろうと、この人にかかれば次から次へと話題と共に変えられてしまう。そう言う何か会話術を持った人だ。

「ええ。流石情報が早いですね」

「ギルドを介せばコチラに届くのもすぐさ」

 だろうな、と同意の言葉は飲み込んだ。

「今、キオの奴に引継作業って事で今まで航海記録を叩き込ませてます。中々に頭のいいヤツなんで、期待してますよ」

「君からその言葉が出るのは少し意外だよ」

「俺はいつだって船員思いの良い船長ですよ?」

 はっはっと笑うオクトーを横目に、町から離れていく馬車の外の景色を一別した。



「船長はすんげぇんだぜ」

 僕らの休憩の後、船の修理に働いていた水夫たちが同様に休憩を取りに、休憩小屋に押し寄せてきた。

 ヴォルド船長の事をどう思っているのかと率直に聞くと皆口々に、自慢げにそれを話した。

「あの人は元は良いところの出身なんだ」

「俺たちには経済だの会社だのの仕組みはさっぱり分からねぇんだが、あの人はそう言う面倒な話を全部やってくれてるんだ」

 そうなのか、とただ驚いた。

「……以外だな。もっと野蛮で、そう言う責任問題から逃げてそうな印象があるが」

「全くの逆さ。ヴォルドはそう言う責任問題を一手に引き受けてくれてる。出資者からの要望とか色々ある話を自分一人で全部解決してくれる。上からの面倒な話は絶対に船員に負わせないんだ」

「へぇ……」

 キオノス副船長が、やはり何処か誇らしげに口にする。彼は特別船長を尊敬し、信頼してるようだ。

「俺たちがいっつも言われてんのは、兎に角船の上で生き延びることを考えろってだけさ」

「そうそう。面倒くせぇことは全部俺が引き受けとくから、船を維持して生き延びることを考えて行動しろってさ」

「ふぅん……」

 曖昧に返事を返し、しかしどうだ、と自慢げな水夫たちの笑顔を信じないわけではないが、そう簡単にあの男を全面的に信用する気にはならなかった。

「少しはウチの船長の事を見直した?」

「……あんまり」

「ひどいなぁ!」



 町を抜けた馬車は、その歩みを止めることなく、ぽくぽくとそう速くない速度で走り続けている。

 オクトー相手に話したい事はないが、話さなければいけないことは多い。

「オクトーさん、先日の航海でやられた場所です」

 言って、キオノスから預かってきた航路図を差し出す。

「ありがとう。これで少しでも安全な航海をする指針を立てることか出来る」

 フォーサイト島から西に進んだそこは、その先にも島が点在するであろう海域だ。前述通り、無人島をいち早く発見し、その島までの航路を確立する。そこに集落を作ったり移住者を募ったりと、金の動く話が出てくる。だから海洋開拓をする奴らは躍起になって島や航路を探る。それは皇国も別の会社組織も、個人船の海賊もみな等しく競い合っている。

 そんな航路を確立することの一つに、その海域に生息する魔物の対処法を見いだす必要がある。人や物資を安全に移送するためだ。

「真っ赤な触手を持った、言ってしまえば巨大なタコの化け物です。こっちの撃つ大砲も対して効かなかった。一番効いたのは雷の魔法です。上位魔法ですが、キオがいてくれて助かりました。今回はそれで何とか凌ぎました」

 魔物を撃退する方法は完全に手探り。まず砲弾が効くか、各種属性魔法が効くか。あの手この手で撃退法を探る。探れなかったときは、つまり死ぬときだ。

「痛手は大きかったが、収穫も大きかったな」

「そうですかね」

 どう考えても痛手の方が大きい。長年勤めた航海士を亡くし、半数もの船員を失った。百人を切った船員で、この先あの船をどう維持する。頭痛の種は耐えない。

「この航路図はもらっても?」

「どうぞ。写しなんで問題ありません」

「うむ」

 言ってぴちっと折り目を付けて畳まれた海図がポケットの中に消える。

「よい情報をもらった対価に、少しではあるが船体修理の資材と、海洋開拓希望の人員を少しばかりガートルード号に斡旋しておいた」

「は?」

「この海図と、この後君を拘束する代金代わりだ」

 代金代わりに船の資材と人員だぁ?いいや待て!それよりその後だ。何処ぞに連れていかれるのは分かっていたか、やっぱりそう言うことか!ああ、チクショウ!

「君を一晩駆り出すのだから、まだ足りないくらいかな?」

 オクトーは金持ちの余裕ある笑みでニコリと笑った。



「ヴァルメーガ海賊団のガートルード号はコチラで間違いないか?」

 休憩室の扉を開けた青年が、よく通る声でこの場の所在を確認した。それにキオノスはいつもと変わらぬ口調で答える。

「あいあい、どちら様?」

「オルヴィート社から斡旋された船乗りってところです。船体の修理中と聞いて、幾ばくかの資材も外の馬車に引かせてあります」

 その言葉を聞いた途端、はぁ?とキオノス副船長が声を裏返させた。

「オルヴィート社から?私たちがオルヴィート社の船でないことは分かって言ってる?」

「はい」

「この船は海賊船で、命の保証もないことも?」

「はい!」

 ハキハキと答える青年は何処か期待に満ちた声をしていた。

「……いったい何人いるんだい」

「三十人ほどです」

 その数を聞き、休憩所の外に見える馬車の群に、ああとキオノス副船長は天を仰いだ。

「あぁー……ディベル、すまないけど、資料の確認は一人で出来るよね?私はちょいとこの人たちの履歴確認をしないとだ」

「……ご苦労なことだ」

「資材は運び込んで。手の空いた人から私のとこに雇用書持ってきて」

 テキパキと指示を出すキオノス副船長を横目に、僕は手元の資料の続きを開いた。



「……今回は何だってんです?」

「さっきも言っただろう?フォーサイト島開発の成功、それを株主様たちへ説明して、君の功績を認めてもらわなくちゃいけないんだ」

「また例の株主たちの会食です?もう嫌だって話したじゃないですか」

 前の時は素敵なレディたちの集まる会食で、屋敷に部屋も用意してあるから出来るものなら彼女たちを好きにして良い、と騙された。いざめかし込んで屋敷に行けば、いるのはシワクチャのババアとジイサンやオッサンばっかりで、美女もクソもなかった。実のところその手でもう三回くらい株主の会食に付き合わされている。

「どうしても株主様たちが、海賊船長と言えど貢献者なのだからと言って聞かない。君はとても格好良いから見栄えがするし、何よりキチンとした教養の持ち主だ。海賊全体のイメージアップにも確実に繋がっているんだ」

 頼むよ、と言われて次の言葉は出てこない。

 海賊船長をやっている現状ではあるが、自分の出自がこんなところで役立つとは思わなかった。捨てて来たと思ったものが、自分の根底にしっかり根付いていた。

 お忘れかと思うが、こう見えても俺の出身は代々土地を持っている豪族の家。ついでに言えば三男坊。土地の利権を継ぐことは出来ないが、外に出して立派にやっていけるようにと、上流階級の中で必要になる教養だのマナーだのは幼い頃から叩き込まれて来たし、それを甘んじて受けていた。

 会食の際に必要なマナーであったり、音楽に合わせてステップを踏んだりと、野蛮な海賊という外見から想像しにくい高貴さを持っている。オクトーも言ったように、それは海賊の中にもイケてるのがいると言う印象操作に繋がるんだ。海賊を取り締まろうとする皇国相手にも多少の影響を及ぼすはずだ。

 あとこういう高貴な感じは街娘相手にも効くからと体に馴染ませていたのも仇になった。化粧臭いババアと何て手も繋ぎたくない!

「ほら、屋敷が見えてきた」

 指さされた馬車の窓の外に、豪奢なお屋敷が見えてきた。今から歩いて引き返すのは難儀だ。

「あぁークソ。帰りてぇ」

「次の出航の際には、良い煙草と酒を餞別に贈るから」

「アンタはいつもそうやっておべっかばっかりだ」

 馬車が屋敷の前に止まり、ワゴンの扉が従者の手で開かれる。

「……帰りてぇ」

 最後にもう一言呟いて、俺はオクトーの後をついて屋敷に入った。



「捗ってるかい?新人航海士さん」

 声をかけられてそちらに視線を移すと、明るい茶色髪の、大きな瞳の男がコチラを伺っていた。

「ええと、あなたは」

「ウィル。ウィル=サングィス。太陽の民の牧師だよ」

「ああ、牧師の。名前は聞いてる。海賊船に牧師ってのは不思議な組み合わせだと思ってたんだ」

 にこりと笑うウィルが手を差し出してきて、一瞬警戒した。が、大丈夫だよ、と言う風に手のひらを見せられて、祝福の印がないことを確認してから握手した。

 キオノス副船長が新たな船員たちの雇用書確認に行って既に三時間。日は暮れてすっかり辺りは暗くなっていた。

 海図や航海記録を読み返すのが楽しくて、時間の経過を忘れていた。

「ディベルさんと呼べばいい?」

「呼び捨てでかまわない。僕は新参者だ」

「じゃ遠慮なく。ディベルは夕食は済ませた?」

「僕は人の食物はあまり食べれないんだ」

「それは知ってる。だから、夢魔としての食事の方」

 好色そうな笑顔を浮かべながら、男の言わんとしていることを察した。

「アンタはこの所この辺りに居なかったな」

「船長のお使いの後、お祈りに教会へ行っていたからね」

「牧師でも性欲は感じるだろうが、それなりの解消法を持っていそうなものだろう」

「そりゃ以前はね。でも今は違う。創世竜様が世界の呪縛から解き放たれて自由になった今、ぼくら人間ももっと自由であるべきだと思わないか?」

 神に仕える者は純潔であれと言うのがお決まりだと思ったが、この男はその枠に当てはまらないらしい。

「神が自由に生きろと、この世界を私たちに開放してくださった。素晴らしいことだ。創世竜様の教えを持って、人々を自由に導くのがぼくの役目だと思っているよ」

 そりゃご大層な志だ。

「ぼくは色んな物を見て、感じて、体験したいと思っていてね。新しい物とたくさん出会える海賊船に同乗したわけさ。航海はスリリングで楽しいよ」

「そりゃそうだろうな。こんなに予測不可能な仕事は他に類を見ない」

「そんな訳で、なんにでも興味を持つようにしているんだ。ぼくのお願いは聞いてもらえるかな?」

 ……まったく、最低クズで最高な船長の元に集まるのだから、それなりに一癖も二癖も理由があるんだな。

「動かないでくれ」

 言って、ウィルの顔の前に魔法陣を展開し、詠唱する。

「Vi korpigi la minutest zorgoj, kaj subtenas al nia originala」

 魔素の燃焼反応で魔法陣が光り、しゅるりと物質化した精魂を取り出す。どぎつい桃色のそれに、うぉと小さく感嘆の声がこぼれた。性欲の強さでこの桃色は変化する。強ければ強いだけ色が濃くなる。牧師と言う手前、この男の性欲は随分強いようだ。抑圧されればその反動は大きいと言うことか。

「へぇー……凄いね!本当にすっきりした」

「そいつは良かった。では頂くよ」

 もぐりと一口含めば、熟れた果実のような濃い甘さが口に広がる。精はもちろん性行で得た方が味が落ちない。物質化した分風味は落ちるし、さらに結晶化すれば尚更だ。しかし先日船員たちから抽出した結晶はあまり味が落ちず、上品な甘さを残していた。雲状に物質化して食しても味は良い。これは極上の餌場だと半ば感心した。

「ねえねえ、それってそんなに美味しいの?」

「人の食べる果実の味に似ている」

「僕も食べて良い?」

「やめておけ。人には苦く感じるらしい」

「あ、既にやったのが居るの」

「航海士の資格を取るのに中央皇国に居たときに、世話になったヤツがいて、そいつが試しに食べたときに不味いと言って吐き出していた」

「そっかぁ」

 モグモグと咀嚼する僕の姿を、まるでお預けを食らった犬のように物惜しげに見ているウィルに、さっさと手を振る。

「さあ、用は済んだだろう?僕はまだこの記録を読むのに忙しいんだ」

「解説はいらないかい?」

 最後の一塊を頬張り、モグモグとやってから、出てくる答えが分かっていながら、僕は問い返した。

「……牧師のアンタが何の解説を?」

「どの海域にどんな面白い物があったか解説しよう」

「結構だ」

 ちぇ、とむくれた牧師ウィルを横目に、僕は次の航海資料を手にした。



 会食だと言うのに大して飯は食えず酒も飲めずに、ジジババ共の相手をしなくちゃいけない拷問の様な時間を過ごした。ようやく解放された頃には既に夜も遅く、帰りの馬車に揺られるのも億劫だからと屋敷の客室を借りた。

 もう金輪際絶対にこんな所に来てやるもんか!窮屈な正装を脱ぎ捨て、客室付きの広い風呂に入ってゆっくりと湯船に浸かった。温めのお湯に浸かって、これからの事に考えを巡らせる。

 船体の修理を急ピッチで進めて、二週間ほどで出航するのが理想だ。本当に人員の斡旋があったなら人手は足りてるし、欲求不満が溜まるようならディベルに任せればいい。例の結晶を奴の保存食代わりに、次の航海で必要になる分を確保させれば良い。海の上に出れば、人員の補給も利かなくなる。精魂吸い尽くされて水夫が使い物にならなくなるのだけは避けなければいけない。いや、そもそもヤツ一人が乗った程度で、百を越える船員の全ての欲求不満を解消できるとは思っていない。人間はそう簡単な生き物じゃないんだ。

 ぷこ、と濡れた首元のエラが空気を吐く。一部の原種に近い水の民にある、エラと水掻きとヒレ。体の各所に出てきたそれも丹念に洗っておく。

 明日からまた船体修理をして、二週間で出航。フォーサイト島までの航路を取って、その先を目指す。次こそはその先にあるであろう新たな島を見つけるんだ。

 思いを新たに、水掻きの張る手をぎゅっと握った。

 風呂から上がって、ふかふかのベッドに沈んだ後の記憶はない。気が付くと翌朝で、オクトーが良く眠れたかい?とベッドの横に椅子を置いて座っていたから、起き抜けにベッドから転げ落ちてしまった。

「クソが」

「私はこの後も株主様たち相手に会議があるんでね、これを渡したくて待っていたよ」

 従者にでも渡しとけよ!鼻先に差し出されたその海図に、そんな文句の言葉も引っ込んでしまった。

「……アンタ、これ」

「皇国開拓部が発行している海図だ。まだ何処にも出回ってない正真正銘の最新版だ」

「良いのか?下手すると国家機密だぞ」

「君がいつか我が社の傘下に入るための手付け金だと思えば安い」

「……入りませんよ、絶対にね」

 そう返事をされることも分かっていながら、オクトーは海図をコチラに寄越した。もう返さねぇぞ。

「馬車はいつでも出せるようにしてある。好きな時に帰りたまえ」

「おう、出航は二週間後だ。酒と煙草の餞別を忘れんなよ」

 覚えておくよ、と言ってオクトーは客室を後にした。

 そうとなれば早く帰ってこの海図をキオノスとディベルに見せてやんねぇと。思い立ったら俺の行動は早い。昨晩の内に綺麗にされた俺の私服が客室のクローゼットにあるのもいつもの事だ。手早く身支度をして、俺は帰りの馬車に飛び乗った。



「帰ったぞ!」

「やあ、お帰り」

 出て行ったときに比べて少しだけ身なりがこざっぱりとしたヴォルド船長をキオノス副船長が迎え、昨日一日の報告をしていた。

 新規搭乗員は三十名ほど。あの巨大な船を動かすには最低でも百人は船員がいる。その必要最低限の船員が揃ったという事だ。

「一週間待たずにこれだけの補充が出来たのは暁光だ。二週間で船体を仕上げて出航するぞ」

「急くねぇ」

「おう、オルヴィートさんから良い物をもらったからな」

 言って船長が差し出したのは、新しく発見された島や航路が記載された最新の海図だった。これには思わず僕も食いついてしまった。

「港で出回ってるのよりも島の数が多い。これまだそこらに出回ってないヤツだぞ」

「おう、だからよ。さっさと船を直して、この間のタコ野郎を干物にしてやるぞ」

「あいあい、合点だ」

「……忙しくなるな。食料の手配もしなくちゃいけないだろう?」

「おう、オメェも航海記録は頭に叩き込んだな?次の航路を決めるぞ」

「よし、分かった」

 休憩所に船長、副船長と僕が入り込んで、その日の夜遅くまで、航路に関する議論が交わされた。

 出航まで、後二週間。



おわり

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