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最高と最低と矛盾の生き物

 初めに闇ありて、混沌たる光の誕生の後、混沌の竜が生まれ、やがて竜は世界を、民を造り神となった。

 長い時が過ぎ、神は自らの無力を嘆き、世界の民に自らの力を分け与え、そして世界を去った。

 神の去った世界は、七日七晩の天変地異を経て、新たに天球となり回りだした。

 世界の裏側を知らなかった民は、神から与えられた好奇心と知識を元に、海洋開拓を始める。

 時は海洋開拓の時代。どの国にも、どの組織にも属さない海賊と呼ばれた男たちの物語。



 ヴォルド=ヴァルメーガは水の民で、家は広い土地を持つ所謂豪族だった。そんな家に甘んじて、長い事言われるがままにイイ子でいた。子供の頃に親族一同で巡礼の旅に出て、水の神竜の祝福と加護を受けた。

 けれど、二十歳の頃に天変地異の七日間を経験し、こんな小さな家に収まっていてはいけない、と強く思った。神が世界を変えた。これは自分も変わる時なのだ、と。若いなりに変化を望んだヴォルドは中央皇国に上京する。

 復興と再建が進み、天変地異から五年後、新たに設立された海洋開拓部署の人材募集に乗った。空模様を読むのが得意だった彼は、そのまま実戦配備を念頭に、海洋座学を学び、船乗りとして職に就いた。

 大きな海洋を行く航海術は当時確立されておらず、大きな湖を渡る船乗りたちに習ってその技術の基礎を学び、新たに応用していく必要があった。この時ヴォルドは二十五歳。船乗りとして一から勉強をするのは楽しかった。勤勉に学び、同年には初めてとなる海洋開拓の一陣として出航した。その後も海に出る数を延ばし、甲板長も勤めた。

 しかしいつの頃からか、海の魔物や嵐に逢うなどして調査失敗する他の船が現れ始めた。

 世界の裏側は遠い。一隻毎への予算を出し渋る国の指示では効率が悪い。そんな風に思うようになったのはいつからだったろう。ヴォルドは焦る船員たちの不満や焦燥を見てきた。

 国の元ではダメだ。そう思っていたのは、一人ではなかった。中央皇国海洋開拓部から、多くの離反者が出た。多くの船乗りが国のやり方に反対し、自らの腕と知識だけで独立し始めた。その中にはヴォルドも含まれていた。その時彼は三十歳。国から退職金代わりに船と船員を強奪し、彼は海賊として海洋開拓に乗り出した。

 全てが再び順調に動き出した。独立し、海賊となった者たちは怒濤の勢いで海洋開拓を進めた。中には手を組み組織として動き出す者たちもいたが、ヴォルドは何処にも所属せずに一隻で海賊を貫いた。

 海の魔物を倒し、新しい島を見つけ、航路を確立した。しかしその順風満帆の時は、突然の不運で途切れた。

 新種の海の魔物に遭遇した。船員の半分がやられ、最も不運なことに貴重な航海士を亡くした。近くを馴染みの海賊が航行していて命拾いしたが、彼らが居なければ幽霊船の仲間入りを果たすところだった。

 半壊した船を直すには莫大な金がかかるが、それは今まで稼いだ分の貯蓄を切り崩せば何とかなるだろう。引き続き船への乗船を望んだ船員たちにも出資させれば問題ない。問題なのは新たな船員の確保だ。特に航海士の存在は厄介だ。

 海洋開拓は此処近年盛んになった新しい分野だし、海の上で方角や時間を的確に知る術を身につける必要がある航海士は新しい職業として注目を浴びる一方、開拓と言う不確定要素に未来を見出さない者も多い。今や航海士であるだけで、どんな種の民でも破格の待遇を受けられる。

 故に、ギルドに斡旋登録するフリーの航海士が早々に見つかるものではない。国にも組織にも属さない海賊であることは、こういう場合の人員確保に苦労する。国や組織は万が一の時は家族だのへの保険料が入るとか、金にものを言わせて人材募集をするから、大抵は安定した国や組織に人員を取られてしまう。ギルドに来るような航海士はワケありしかいない。しかしそんなワケありでも航海士であることは変わらない。信頼はいずれ築ける。

 重い頭を勢い任せに前に出した足で引きずり、俺は港のギルドへ入った。


 すっかり馴染みの顔になってしまったギルド長と受付嬢がにこりと笑って挨拶を寄越してくれる。海賊無勢にもキチンと対応してくれる彼らは貴重だ。彼らが見ているのはコチラの懐だけかもしれないが。

「よう、船長。随分手酷くやられたんだって?」

「流石情報が早いなおっさん」

「そりゃああれだけボロになっても寄港したってんなら噂も煙も立つってもんだ」

「幽霊船の襲撃じゃなくて良かったな」

「で、今回は何人死んだ?」

「……半分だ」

「そりゃまた。奢ってやるよ、何がイイ?」

 ギルドの受付の横にはカウンターがあり、ギルド長の趣味で簡易バーになっている。ギルド長にエールを頼みカウンターに座ると、奥の席に灰色の髪の男がいたのに気付いた。その頭に特徴的な黒い角があり目を引かれた。闇の民だ。

「ほらよ船長」

 カウンターに出された小さなエールのグラスを手に取り、そのあまりの小ささにオイと声を上げた。ショットグラスより少し大きい程度のそれに並々と注がれたエールだが、こんな物じゃ一口で終わりだ。キッシッシと笑うギルド長を睨み、文字通り一息に飲み干す。

 喉を潤したエールの後味を堪能して、改めてギルド長を見やり、アレは?と視線で訴える。

「……あんたの物好きが功を奏すかな。ご覧の通り闇の民で、航海士だとよ」

「航海士だと?」

「お探しだったのはアレかい?航海士とは言え得体の知れない闇の民だ。みんなビビっちまってこの有様さ」

 視線に気付いたのか、男がちらりとコチラを見た。最も美しいとされる紺碧の海のような青の瞳が、きらりと光った。興味なさげに手元の本に視線を戻したその些細な仕草にすら品を感じさせる、不思議な雰囲気の男。確かに並の船長ならビビッちまうだろう。


 闇の民。かつて神が退けた闇から生まれたのが彼らだ。神が世界から旅立つ前に民として昇華し、天変地異の七日間が過ぎた頃から、我々の生活の中に入り始めた存在だ。神が彼らを民として受け入れた事、旅立ちに際して彼らの尽力があったことは噂に聞き及んでいるが、それでも新種の民は古い民である我々の中で未だ異彩を放っている。

 月の民よりも魔力が高く、火の民よりも力が強く、風の民よりも頭の切れる存在と言われて、はいそうですかと隣人として受け入れられるわけはない。彼らを魔物と同視する者も少なくはない。

 しかしだ。闇の民とは言え航海士としてギルドにフリー登録していると言うことは、少なからず中央皇国からの認可なり許可なりを得た人材であることは間違いない。

「あいつのギルド登録時の詳細情報は?」

「雇用するのかい?」

「あたぼうよ」

 闇の民の得体の知れなさを警戒する事も重要だが、それを掌握できる根拠も持っている。ギルド長の差し出した雇用書を片手に席を立つ。

「ちょいと邪魔するぜ」

 言って返事も待たずに隣の席に腰を下ろした。返事はないが、男は本に栞を挟んだ。

「えぇーっと?デビルって読むのか?こりゃ」

「ディベルだ」

「おっとそいつは失礼。何せ学がないもんでな」

 じろりと移された視線が、嘘を吐くな、と訴えている。

「ザン=ダークって名字まで持ってんのか。随分なご身分なんだな」

「その書類を持ってきたという事は、僕を雇おうというのか?」

 僕、と言った言葉の端々にも何処か出自の良さを感じる。闇の民は基本的に名字を持たない。しかし一定以上の力のある者は共通の姓を名乗ることで、その力を誇示する。確かザン=ダークってのは、上から二番目の強さを表す姓だ。

「こっちの大陸で航海士をしようってんだから、相応の実力はあるって事で、間違いないな?」

「雇うのか、雇わないのか?」

「まあ待てよ坊ちゃん。俺はお前についていろいろ知りたいだけだ。雇用はそれから決める」

「面接官のつもりか」

「そうさ。俺はヴァルメーガ海賊団の船長、ヴォルドだ」

「……書類で見たろうが、一応の礼儀だ。ディベル=ザン=ダーク、航海士の資格は中央皇国で取得してきた。こちらで言うところの裏の大陸に帰る航路を探すために、乗船できる船を探している」

 品の良さは雰囲気だけではなく、本当に何か持っている証拠のようだ。

「なるほど、ワザワザこっちに来て帰るってんだから、こっちでの武功は向こうでも評価されるってことかい?」

「僕らの方からしても、この大陸は未知の場所だ。古き民と相入れないことも多いだろうし、むしろ拒まれて当然だろう。とは言え、闇竜様の去った今、僕ら闇の民もあちらの大陸だけで生きていくには些か不便で窮屈だ。古き民と協力しなくてはいずれ滅ぶ」

 先陣を切って表の大陸に渡り、文字通り双方の架け橋になるべき者たちが必要だ、と闇の民の選出が行われた。と言ってもみすみす同胞を危険な地に送り込むワケにもいかず、勇敢な立候補者を募り、そして旅立たせた。

「僕はその内の一人だ」

 聞けば聞くだけ、ディベルと名乗った青年に不思議な共感を持った。それは俺の下にいる全ての水夫たちにも抱いた共感だ。

「……これは俺の推測だが、お前さんは一定の力と知能、知識を持ち合わせたエリートだが、何らかの迫害や、あちらに居るには都合の悪い何かを持っている者、と言うことで間違いないか?」

「……鋭いな。海賊船長を名乗っているのは伊達じゃないと言うことか」

「帰れるとも知れない航海に出ようって酔狂な奴は、名声を夢見た馬鹿か、居場所をなくした爪弾き者のどっちかだ」

「……あんたはどう見ても前者のようだが?」

「その通りさ。誰も成し遂げていないデカい事をやってのける野望ってのは、持っていて飽きないもんだぜ?どうだ?俺の船に乗れよ」

「拒否権はなしか?」

「俺以外にお前を雇おうなんて酔狂な男も早々に現れんぞ」

「ならその酔狂な男にもう一つ話をしておこう。雇用書の僕の種族欄は見たのか?」

 種族欄、と言われてもう一度雇用書に目を落とす。

 闇の民、夢魔種。

 そう書かれている。

「夢魔?」

「そうだ。僕は夢魔種にあたる。コイツを分かっていてもらわないと、船が潰れるぞ」

 夢魔種と言われて思わず喉が鳴った。こいつの持つ独特の雰囲気がなんであるか、一気にその謎が解けた。

 人を誘惑し、その精魂を食らう魔物、夢魔。淫魔とも呼ばれる、最も人を堕落させ、滅ぼす魔物だ。しかもそいつが航海士として閉鎖空間である船内に、長期にもなれば数ヶ月箱詰めにされるという事は、だ。

 つまりそう言うことだ。

「……むしろそいつは俺が聞き返したい話だ。お前さんその出自と顔で、本気で航海士として船に乗ろうって覚悟は出来てんのか?」

 海賊に限らず、海洋開拓で海に出ている船乗りたちには、女を船に連れ込まないと言う暗黙の了解がある。過ちが起きれば船員同士の諍いになり、団結にヒビが入る。さらに女が孕んだともなれば、何処をどう進んでいるのか分からない洋上でお産だの育児など出来るはずがない。みすみす小さな命を殺す結果など、誰も望みはしないのだ。

 だから船乗りは基本男集団だし、時々女だけの船があるとも聞くが未だお目にかかったことはない。一度海に出れば一ヶ月から数ヶ月、洋上生活を送る上に、常に生死をかけて船上生活を送る船乗りたちは、常に飢えているのだ。性欲をため込んだ獣だ。

「お前みたいなべっぴんが、精魂食おうと船に乗り込んできたら、男共がどう反応するか分かってるか?」

 そもそも俺だって普段は相当我慢している方だし、酒と煙草、ギャンブルと並んで女もセックスも大好きだ。こんな美形からの誘惑ともなれば、性別なんて何の問題にもならないぞ?

「だから、知っておいて欲しいと言ったんだ」

 掛けた眼鏡を押し上げたディベルが、次に口にした言葉の意味が分からなかった。

「僕は性行によって精魂を食ったりしない」

 ん?

「は?なんだって?」

「通常の夢魔と違って、性行をしなくても人の精を食えると言ったんだ」

「そんなこと出来るのか?」

「出来るから、僕はこっちの大陸にいるんだ」

 その言葉の裏に、夢魔らしからぬ行動のために爪弾きにされたその経緯が見えた。にわかには信じ難いが、だからこその航海士としての自信であり、負い目なんだろう。

「……ああ、まあ、つまり、そう言うことか」

「納得していないようだし、試してみるか?船が半壊して死に掛けたというなら、アンタの精はさぞ濃くなっているだろうな」

 目の前にそのしなやかな指が伸びてきて、チカチカと魔素の燃焼反応を見せて指先が光った。

「Vi korpigi la minutest zorgoj, kaj subtenas al nia originala」

 神竜が使うとされる竜の民の言語で唱えられた詠唱に、魔法陣が展開する。くるりと翻したディベルの指先に誘われ、フワフワとした煙の固まりのような、モコモコとした雲のような塊がその後を付けて俺の額のあたりから抜けていった。

「……なんだそりゃ」

「これがアンタの中に溜まってた精魂……言ってみれば性欲だ」

 ディベルの指先でモコモコとした雲が尾を引いて漂っている。強烈な桃色のそれが、俺の中に溜まっていた性欲だと?

 しかし言われてみれば腹の底にため込んでいたムラムラが無い。のぼせるような性の衝動がなく、むしろ女と一晩中セックスした後のような清々しさがある。体には何の変化もなくセックスの疲労感もない。ただすっぽりと性欲が抜けて、充足感がある。

「お前すげぇな」

「まあな」

 くるり、と指を翻したところで、ディベルがその雲のような俺の性欲の塊に、おもむろにかぶりついた。

「うわっ」

「……うん、濃くて美味い」

「食うのかよ!」

「当たり前だ。そのために編み出した独自の魔法だぞ」

 もぐもぐとそれを咀嚼している様は何とも言い難い。ぺろりと雲の塊のようなそれを、案外ワイルドに食い切ったディベルが視線で訴える。

 この現状ならば文句は無いだろう、と。

「……夢魔ってんだから、アッハーンでウッフーンな展開とかねぇのかよ」

「裏の大陸に行けたら、僕の親族を紹介してやろうか?搾り取ってくれるだろうよ」

「おうおう、そいつは良い話だ。金髪碧眼のボインで感度の良い女を紹介してくれや」

 酔狂な男だ、と目を伏せたディベルは、ふうとため息を吐いて再びコチラを見た。紺碧の海面を思わせる瞳が力強く煌めく。

「よろしく頼むとするよ、ヴォルド船長」

「おう、航海士様よ、歓迎するぜ」

 差し出した左手を、ディベルが握り返そうとして、さっと手を引いた。おお、流石エリートは違うね。

「……色々合点が行ったぞ。アンタ、印の所有者か」

 死角になるように差し出していた左の手のひらには、水の神竜から授かった祝福の印が刻まれていた。闇の者を弱体化させる事が出来る便利な代物だ。

「だから闇の民である僕にも強気に交渉出来たわけか。流石だな船長」

 若干嫌みが入って棘のある物言いになった声色に、試して悪かった、と両手をあげて降伏の姿勢は示しておく。

「俺としても得体の知れない闇の人間をホイホイ信用して船を潰されても困るんでな。一応最後まで切り札は持っておきたい主義なんだ」

「……僕が裏切ると思うか?実は闇の大陸から派遣されて、裏の大陸にたどり着けないように画策する暗者だと思うか?」

 少しだけ緩んだと思った気配が、一気に氷点下だ。若者らしい敵意だが、それでは何も得られない。

「悪かったって。お前さんの事は信じる。信用するに値すると俺は今此処で思った。俺のこう言う時の勘は当たるんだ」

 本当のところは、もし闇の民が何らかの形で反旗を翻すならばこの印でどうにか出来るだろうと言う奥の手でもある。それを敢えて手の内を晒しているのだから、信用してもらいたいものだ。

「そもそも考えて見ろ。祝福の力は創世竜が旅立ったことで弱体化の一途だ。確かに万が一は考えているが、お前だって俺たち古き民との実力差くらい分かって、自分に不利な土地で物事を成そうとしてるんだろ?」

「……その手で絶対に僕に触れるなよ」

「ああ、分かったって」

 改めて右手を差し出せば、その手を軽く握り返された。信用されてないねぇ。最初はこんなモンか。

「改めて、ヴァルメーガ海賊団へようこそ、航海士殿よ」

「……よろしく」

 渋い顔のままのディベルに苦笑で返した。


 俺たちの海賊船、狂気の婦人ガートルード号を前に、ディベルは少なからず驚きの表情を見せた。

「大きな船だな。白の船体が美しい。船首のアレは何だ?」

「バウスピアと名付けてある。ミスリル製の巨大なスピアに聖水銀でコーティングしてある。幽霊船が来たらコイツで一突きにして一掃してやるのさ」

「体当たりか。随分と力技で捻じ伏せるんだな」

「あれで横っ腹に突っ込んでいけば、大体の幽霊船は一発だぜ。そうやって俺は何隻も幽霊船を沈めてんだ」

「だから船首付近の外壁も強固なんだな。アレもミスリルか?」

「船首の防御にはミスリルと鉄の混合鋼を使用してる。錆び難く軽い。火の民の職人に頼み込んで特注したんだ」

「凄いな、良い船だ」

 だろう?と賛辞に同意し、しかしマストの折れ、右舷に大きな穴の開いたガートルード号を前に胃が重い。本来ならこれの修復にこの先一ヶ月は陸暮らしだ。いの一番に航海士が見つかったのは幸先が良かった。しかもこんな特殊な事情を抱えた上玉だ。

「コイツはどのあたりの海域で何にやられたんだ?」

「そいつは副船長に説明させる。キオの奴や水夫たちにもお前さんを紹介しなきゃいけないからな。まずはそっちからだ」

「船長様の気分次第か」

「そうだ。船では俺が指令塔だ。船員の意見は全部耳に入れる。判断するのは俺だ」

 造船所の一角で、船大工たちの仕事を見ていた黒ずくめの男を呼び止める。

 副船長キオノス=ディヴァーダ。俺の古くからの船乗り仲間だ。月の民で、その例に漏れず長い黒髪と黒の瞳、黒のコートで全身を固めた影の様な男だ。眠そうな顔の垂れ目の男は、俺の後ろにいたディベルを見て嬉しそうに笑った。

「やあ、その様子だと、とても良い成果が上がったみたいだね」

「おう。一番の難題だと思ってた航海士が見つかってよ。こいつ、ディベルだ。そんでキオ、女遊びに行ってる奴らを呼び戻してくれ」

「は?」

「へぇ。それまたどうして」

「ちょっと待てヴォルド船長」

「お前ら同時にしゃべんな!キオよ、この航海士は見ての通り闇の民でな、夢魔なんだとよ」

「はぁー……またケッタイな奴を雇用しましたね」

 後ろで不満そうに口を噤んでいるディベルの気配を感じる。雇用書にあった二十三と言う数字に間違いのない、青臭い主張を感じる。

「女遊びにつぎ込んでる分の金と労力を船の修理に回す。性欲処理はコイツにやってもらう」

「だから!ヴォルド船長!」

 殺気立って肩を掴んで来たディベルに左手で応戦しようとすれば、さっと身を翻して避けられた。

「話は最後まで聞け若造。お前の例の魔法を使えばセックスなしに男たちの性欲を解消して、その分の労力を確保出来る。今は少しでも早く船を直して出航しなくちゃならねぇ。中央の奴らや組織の奴らも、何度かお前の所に来ただろう?裏の大陸に航路を繋げる事の重要性は、理解してるだろう?」

「だからって、僕は航海士としてこの船に乗るんだぞ!」

「天才的なお前の能力なら、さっき俺の精魂とやらを食ったそれを、何らかの形で保存する術だって持ってんじゃねぇのか?」

 口早にそれを言うと、何故それをと言いたげな顔が返ってきた。おいおい、本当にチョロすぎるぞお坊っちゃん。カマ掛けたのがこんなに順調にメッキを剥がすことになるとは思わなかった。

「保存用の密封瓶がいるか?なら一緒にキオに買ってこさせるぞ」

「……水夫は、何人いる」

 ちらりとキオノス副船長を見やれば、ふうと一息吐いて、キオノスは口を開いた。

「水夫は全部で八十人います。性欲旺盛で女遊びに行っているのはおよそ三十人ほどです」

 この三十という人手と、こいつらが支払うであろう金を船に回せれば、一月と言わずに半月あれば出航できる。その時間の短縮は大きい。

「お前さんの初仕事だ。頼むよ」

「初仕事がもっとも嫌悪する夢魔としての能力を買われた屈辱を覚えておけ!密封の瓶の大きいものを三つ用意してくれるか、副船長殿」

 あいあい、と笑ったキオを見送り、造船所横に据えられている休憩室で水夫たちの帰りを待った。


 ぞろぞろと不満顔の水夫たちを相手に、ひとりひとり例の魔法で雲のような性欲を吸い上げ、渾身の力を込めて丸めて握り潰し、小さな小さな金平糖のような粒に仕上げるのに、およそ十分。三十人全員の欲を抜き出すには五時間かかり、作業所で魔素の燃焼する光が絶え間無く輝いていた。

 大量に魔法を駆使したディベルが疲労で潰れて休憩所を独占する横で、翌朝男たちは十分な気力と体力で船体修理に臨んだ。キオがディベルの面倒を見ている間、俺も水夫たちと一緒になって船体修理に励んだ。

 何処の海域でどんな魔物にあって船を壊されたか、前任航海士の星の民の男が細やかに纏めた海図や航海記録を読みながら、ディベルは時折船のほうを見ている。景気付けに手でも振ってやれば、嫌そうな顔をして航海日誌に目を戻した。可愛くねぇの!


「ウチの船長は、カッコいいでしょう?」

「最低のクズ船長で、最高にカッコいい船長だな」

 吐き捨てるように言って、ディベルは密封瓶から小さな結晶を口に含んで、勢いよく噛み砕いた。



おわり


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